Lメモ私録 第三「屋台衆の昼休み」 投稿者:神海

 秋も深まってきた。
 日差しは暖かいが、時折そよぐ風は確実に暦の巡りを知らせている。
 昼休みの戦争地帯を避けて外へ出ると、そんな空気を制服に当てながら、神海はのんび
りと歩き始めた。
 左手には商売道具一式と昼食が入ったザック。
 昼食の内容は、自分で作ったおにぎりとパックに詰めたちょっとしたおかず。
 彼は第一購買部の食堂に出入りしない。雑多な気配、というものが苦手だったからだ。
かといって、毎日コンビニ弁当を買うほど余裕のある生活をしているわけではない。
 考えてみればわびしい食事なのかもしれないが、二年ほど自活していた彼にとっては今
更気にするものでもなかった。
 校舎の角を曲がると、彼の視界に開けたそこは生徒達の憩いの場だった。緑の芝生と紅
葉した木々に挟まれた空間――。中庭、と呼ばれている場所である。
 既に店を開いていた、XY-MENのタコヤキ屋、ディアルトのラーメン屋台、猫町櫂の占い
屋の側を、軽く挨拶してすり抜けていく。
 日向になるベンチの一つに座り、その前に黒い敷布を広げて露天を開いてから、魔導書
を片手に昼食をとるのが、彼の昼休みの過ごし方になっていた。
 そのうち、周囲にもぱらぱらと人が増えてきて、それぞれ思い思いの場所で弁当を広げ
始める。ざっと見回した限りではカップルが多いように見えるが、多分気のせいではない
だろう。
 少し離れた芝生の上では、幾分小柄な男女のカップルが、なんのかんのと口論めいたも
のを交わしながら弁当を口にしていた。
 ちらりと見たところ、男子は赤いバンダナを額に巻き、女子は腰まで伸びた黒い髪を先
の方でまとめている。口喧嘩しているように聞こえるが、実は結構、仲が良いのかも知れ
ない。
 程度の差はあれ、そんな光景が量産される、ここは場所だ。
 ……が。
 相変わらず、彼の店に客は来ない。興味を持ったように商品に視線を落としていくよう
な生徒すらもいない。
 神海にとっては、それが酷薄な現実であった。
(…ふぅ……)
 思わず、ため息が洩れる。経営の抜本的な見直しを迫られているのかも知れない。
 元々、経営とか運営とかいう言葉から無縁な彼だったが、やるしかない……のだろう。
気が進まないが。

 ふと気が付くと――。

 ディアルトの屋台には、一人の客が入っていた。小柄でショートカットの少女の後ろ姿。
 親しい、とは言えないにしても、神海も見知っている、格闘部の一年生。
 隠そうとはしているが隠し切れない上機嫌でラーメンを差し出すディアルトの姿が、暖
簾の向こうに見えた。

 たこやき屋台の前にも一人の少女が入っていた。おかっぱ頭の、小柄な。
 横にたこやきの空箱を積み上げ、楚々として、だが正体不明の素早さで平らげていく。
 XY-MENが頬にひとすじの汗をたらしながらも、笑顔を向けている。

 そして――猫町櫂の屋台でも。
 癖のある長い髪を後ろで束ねた少女が、焼きとうもろこしとお好み焼きを交互にぱくつ
きながら、何か話をしている。それに猫町櫂が幸せそうに相槌を打っていた。

 妙に至福な光景が多い日である。他の常連客達は、遠慮でもしているのか、三つの屋台
に近寄れないでいるらしい。ちなみに、XY-MENの看板の横には、「ただいま貸し切り中」
ときっぱり断り書きがしてあったが……。

 ……また少し、無為の時間が過ぎる。
 心地好い小春日和が眠気を誘う。
 ……つまり、ここだけは暇だった。

 相変わらず、彼の店に客は来ない。

 ……――周囲では、平和な昼休みが続いている。


 ふと、視線をずらすと。
「……いっちにぃ〜さん、しー……」
 XY-MENが、いつのまにか前掛けを脱ぎ、唐突に準備体操など始めていた。屋台はいつで
も撤収できるような態勢である。
 その傍らでは、おかっぱ頭の少女が御馳走さま、と言うように礼儀正しく手を合わせて
いた。ちなみに空き箱の高さは数分前の二倍に増えている。

 ひゅっ! ふぉお! ヴンッ!
「……ふぅ……」
 ディアルトも、店じまいしたうえで倭刀など出現させ、異様に気合いを込めた型稽古を
始めていた。異変を感じているのか、お客の少女も、不安そうに周囲を見回している。

 猫町櫂もまた、小さくため息を吐き、占い道具を片付け始めていた。
 癖っ毛の少女が不思議そうにそれを見ている。彼女には状況が分からないらしい。

 ――ちなみに、それぞれの屋台主達は目が合うと、三人ともの性格に応じた恨みがまし
い視線をこちらに向けたりもしてくれた。
 とりあえずそれに対しては、いつもと変わらない会釈を返しておく。
 まあ、どれほど明白な事実であれ、気付かないふりをするのが戦術になることもある。
 タブに手を掛けていた、ダイエット・ペ●シの350ml缶を、傍らに置く。

 ……そして、その時が。

「三年生神海! 呪術の販売など秩序壊乱行為の容疑により風紀委員会の名において拘束
する!」



 捕物は唐突に始まり――




「基本的人権は保障してくださいね」




 ――唐突に終わった。



「……………思ったよりあっさりしているな」
「十七人掛かりで包囲しておいて、あっさりも何もないもんです」
 神海の前方と左右の繁み、そして背後の校舎の窓から、プロテクターで完全武装した学
ランに学帽の生徒達が一ダースと一人ほど顔を出し、拳銃を突き付けている。背中に旧式
らしき型のライフル銃を背負っている者まで数人いた。
 神海の正面に立ち、会話を持ち掛けてきたのは、風紀委員会生徒指導部長ディルクセン。
 神海と同じ三年生で……実は、選択科目が似ているのか、同じ授業を受ける事が多い。
仲は良いどころか、これまでまともに口をきいた事もなかったが。
「いや、ダーク十三使徒の一人だからな……一筋縄ではいかんだろうと」
「そうなんですよね、その辺りを勘違いされる方が多くて。本人はこんなに真面目な勤労
学生なのに。困ったものです」
 眉を顰めつつ神海が言うと、ディルクセンは軽く頭を掻きながら歩み寄ってきた。
 ちなみに視界の正面に当たる屋台では、即応態勢が空振りに終わって拍子抜けしている
XY-MENの姿が見える。他の二人も似たようなものだろう。
 そのうちに、一ダースの生徒指導部員達も、わらわらと周囲二メートルほどまで接近し
て、完全に包囲を固めてしまった。
「あいや、すまん。とりあえず、同行してもらうぞ?」
「はいはい。…黙秘権ってありましたっけ?」
「あー。残念だが、ない。きっぱりと」
「おや。微罪逮捕が横行しているんじゃないですか?」
「立派な戦略だ」
「ええと、それでは、店の品物はいつ返して頂けるんです?」
「馬鹿を言うな。重要な証拠物件だ。押収させてもらう」
「一応、学園側に許可は貰っているんですけど……」
「店を開く許可であって、呪いをばら撒く許可ではないだろう」
「どのみち殆ど売れてませんが……」
「幾つか証拠を抑えている。必要とあれば証人も揃えられるぞ。哀れな被害者が何人かい
るからな」
「むぅ。困りました。反論の隙も無いです」
「解ったら、六泊七日反省房への旅だ。さっさと行くぞ」
「遠慮させて頂きます」
「そうか、聞き分けが良いのは良い事だ。――って――」
 ディルクセンが思わず、神海の顔を見つめ直す。
 それをある意味では無視して、神海は言葉を紡いだ。



「千里を駆けるヘルメス」
 ――呪文。
 直感的に悟った何かを思考へと変えようとした、その瞬間、音声魔術にしてもかなり短
い時間で編み上げられた構成が解き放たれるのを、ディルクセンは感じ――。
 神海の姿は、忽然と掻き消えた。
「…………!!?」
 無言の悲鳴がディルクセンの脳裏にに轟いた。慌てて周囲を見回すが、部下達も完全に
見失ったらしく、『鉢がね』には自分のものとも部下達のものとも知れない驚愕と焦燥が
響き渡るだけだ。
(なっ……!? 転移魔術だとっ! そこまで強力な魔術士だという情報はなかったはず
だ!!)
 心中に叫ぶとほぼ同時に、ディルクセンは失敗を悟った。数瞬の驚愕が去った後に部下
達の心理を支配したのは、動揺と、不安だった。強力な魔術士、と聞いて、学園で屈指の
問題人物を連想する者もいる。……この過敏さにはいつも舌打ちを禁じ得ない。
 だが、ディルクセンもSS使い達の能力には相応の調査を行っていた。音声黒魔術の擬
似転移の距離は、精々が数メートル。ならば。
(狙撃班っ、構わん、見つけ次第撃てっ!)
 が。
(見つかりませんっ!)
(消えました!)
(完全にロストっ!)
(確認できず!)
 屋上や上階の窓に配置していた四人の狙撃手から口々に混乱の叫びが返る。
 馬鹿な。有り得ない。音声魔術にそんな芸当が……―――?
 ディルクセンは気付いた。音――木枝を揺らす――。
「上かっ!」
 彼の声――よりも先に思考か――に反応して、全員がイチョウの木を見上げる。
 いない。いや。
 銀色の、拳二つ分ほどの何かが、黄色い葉達の間から落ち――、ディルクセンの背後の
アスファルトに重くはないが鈍い金属音を奏でた。
 当然、思惟を伝達しあう全員の視線がそれに縫い付けられる。
 刹那。      .......
 ディルクセンは、包囲の輪の中に違和感が現われるのを視野の端に見た。
(―――)
 実際には一瞬にも満たない時間だったのだろう。ディルクセンの思考がそれを理解し、
意志となって『鉢がね』の通信に乗るよりも短い時間。
 空間からブレザーに包まれた腕が突き出て、何かを引っ張る動作をすると、黒い敷布の
四隅が持ち上がり、商品を余さず回収し――そのまま、全身が現われる。青い影。規則通
りのブレザーを着用した長身の男子生徒。
 まっすぐに、ディルクセンへ向けて。
「な――!?」
 低い姿勢からのタックルに、突き飛ばされるというより押し退けられて、ディルクセン
は為す術なく尻餅をついてしまう。
 包囲を突破したその後ろ姿は、紛れもなく神海のもの。
 四隅を紐で引っ張ってまとめた黒い敷布を軽く振り、左手のザックに放り込む。ついで
にしっかりと地面に落ちた缶――ダイエット・ペ●シの350mlらしい――を拾い上げ
る。流れる動作でそれをやってのけると、まっしぐらに手近の障害物へ向けて走る。
(馬鹿な!)
 ディルクセンは一瞬ならず混乱に陥り、それからおおよその事実を察した。
 神海はずっと、包囲の中にいたのだ。あの魔術は、擬似転移などという大層なものなど
ではなく、単に自分の姿を消す、或いは光を透過させるもの――。
 そうと気付く間に、神海は既に十数歩を走っていた。選択肢がある。追い掛けて走るか、
拳銃の射程の外に逃げられかけているのを承知で射撃するか。
「南無三っ! 発砲用意っ! 撃ち尽くせよっ!」
 決断すると、ディルクセンは命じた。それで我に返った委員達が一斉に構え、神海の背
中へ狙いを定める。手元の部下は十二人。この数で一斉射撃すれば、手近の障害物の陰へ
駆け込もうとする神海の背中を捉えるには充分のはず。
 ――ちなみに手近な障害物とはXY-MENの屋台だったりしたかも知れないが、極めて些細
な問題だ――。
「おいこら――待て――」
「てぇ!!」

 凄まじい銃声が数秒間、雷鳴の如く中庭に轟いた。



 間一髪で屋台の裏側に潜り込んだ神海に届いたのは、その轟音だけだった。
 凶悪犯を射殺する際の某合衆国警察に匹敵する連射である。流れ弾で一般生徒が吹っ飛
ばされ、校舎の窓ガラスが軒並み叩き割られる。タコヤキ屋台に弾丸が弾け、跳弾が踊り
狂い、神海の手元の芝も弾ける。
 ……やがて。
 幾度か、空のシリンダーを回す音が聞こえ、その後には、死のような静寂が訪れた。
 ……いや、それは錯覚で、元の、小春日和の風や木々のざわめきが回復しただけなのだ
が。
「……やれやれですね。……あ、どうもこんにちは。ご迷惑をお掛けしています」
「……こんにちは」
 芝生の上にちょこんと正座しているおかっぱ頭の少女と目が合って、神海は軽く挨拶を
交わした。
 ちなみにXY-MENは表側にいて、銃弾の直撃を受けている。
「再装填! カールの援護射撃の元でドーラ、エミールが左右から折り込め!」
 興奮して怒鳴り声を挙げているディルクセンの指示に反応して、神海は立ち上がった。
さすがに、囲まれるとまずい。
 だが。
「こらぁ! てめぇら、楓ちゃんとせっかくの憩いの場に何しやがる!」
 XY-MENのキレた叫びが響いたのは、その時だった。



「騒音公害ですよ……冷血グレネード!」
 どこからか聞こえた声と伴に爆発が巻き起こる。
 それを視界の端に捉えながら、怒りのままに力を解放したXY-MENは、二人めの風紀委に
体当たりを食らわせ、数メートルを弾き飛ばす。
「邪魔をするなっ!」
 他の風紀委達が目の色を変え、一斉に彼に殺到する。
 状況にイレギュラーが発生すると、一人一人が熱くなって混乱を拡大させる方向に動い
てしまうのが、ディルクセンと彼の部隊の、弱点といえば弱点であるらしい。つまりは歯
止めを効かせる指揮官がいないのだ。
 だがXY-MENにとっては望むところだ。
 一人を投げ飛ばし、二人めにボディ・ブローを放って戦闘不能に追い込み、更に奔る。
 目標は――元凶であり、元々不仲のディルクセン。間合いを詰めさえすれば、XY-MENの
敵ではない――。
 だが。
「化けの皮が剥がれたな、犬っころ! 粛清してくれるわっ!!」
 一瞬たじろいだかに見えたディルクセンが、すぐにそう叫んだ。彼の左右には、腰を落
とした生徒指導部員達がライフル銃(!)で狙いを定めている。
「撃てっ!」
 号令とともに、拳銃より重く響く銃声が連鎖した。
「痛てててっ!」
 直撃を受けてXY-MENはのた打ち回った。火薬を減らしたゴム弾であっても、ライフルは
ライフル。並の人間が食らえばただでは済まない。半獣状態のXY-MENでさえ、当たり所に
よってはダメージは免れなかった。
「今だっ、突撃!」
 膝を突いているXY-MENに、数人が駆け寄って警棒を振り下ろす。
「くっ…なめるなよっ!」
 逆に拳を振り上げ、警棒を空高く弾き飛ばし、一歩踏み込んで突き飛ばす。
「…きゃっ」
 不意に小さな悲鳴が聞こえて、XY-MENはびくりと振り返った。見ると、彼女は驚いたよ
うに身体を竦めていた。
 たった今彼が跳ね上げた警棒が、彼女の足元に跳ねている。
 まさか――当たった!?
「楓ちゃ……」
 XY-MENは思わず完全に振り返ってしまった。正面では生徒指導部員が走り寄り、思い切
り警棒を振りかぶろうとしているというのに。
「しまっ……」
 慌てて躱そうとする――間に合わない――!
 歯噛みした瞬間。
 彼は第六感に、猛烈な気配を感じた。それはとてもよく知っている――。
「楓を泣かせたのは誰だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!」
「んなぁっ……!?」
 怒号と同時に巻き起こった衝撃波に、XY-MENは、彼に殴り掛かろうとした風紀委員ごと
自分の屋台に叩き付けられていた。


「大丈夫か、楓」
 毅然とした、だが優しさを伴った声で、男は彼女を見つめた。
“マスター・カエデ”西山英志。衝撃波が収まった時、彼の姿が、守護すべき少女の隣に
出現していた。
 無論というべきか、楓自身には爆風の余波どころか塵一つついていない。
 自分の屋台の残骸から飛び出しつつXY-MENが怒鳴る。
「余計なところに出てくるんじゃねぇぇぇぇぇぇぇぇ!!! 西山ぁ!」
「戯け者が!!!」
 暴走時とは明らかに違う 鋭い一喝にXY-MENは思わず気圧された。
 西山は腕を組んで立ち、斜め75度の角度でXY-MENを睨みすえる。
 大きくはないが、腹に響くような低い声。
「余計なところ、だと? 楓を護れなかった男が言える言葉か。恥を知るがいい」
「っ………!?」
「まがりなりにも楓を愛すると自称する男が、楓に悲鳴をあげさせるとは言語道断……」
「…………」
「おまえに、楓の側にいる資格はない。去れ!」
 ぶち。
 XY-MENの頭のどこかで、何かが切れる音がした。
「あんまり、俺を怒らせるんじゃねえぜ……」
 ぞくり、と身体に走る震えをそのままに、全身へ拡大させる。
 ――獣人化。
「もう遠慮しねぇ事に決めたからな……。俺が本当に楓ちゃんを護れねぇかどうか……」
 完全な人狼状態へと。
「その身体に教えてやるぜぇ! 西山ぁぁぁ!!」
「去らぬか……」
 西山はすっ、と腕を解き、構えを取る。その鍛え上げられた体躯の印象とは異なり、そ
の構えは柔らかく、そしてしなやかだ。
「伝説の銀狼……その人狼状態。相手にとって不足はない。それほど言うならば……」
 熱き戦場は――。

「……覚悟を決めろ」

 灼熱の地獄と化した。



「くそっ、なんでこうなる!」
 旋風が巻き起こる中、ディルクセンは毒づいた。『鉢がね』での通信は騒音などに邪魔
されないが、指揮系統は混乱の一途を辿っていた。装備する者の思考がそのまま伝わるの
だから、一度パニックに陥ればなだめる方も楽ではない。
 今や中庭は、歩兵戦の戦争映画が特撮怪獣物に変わったような、混乱を呈していた。高
みの見物を決め込んでいた幾人かのSS使い達すらも、慌てて避難していくのが見える。
 西山英志・XY-MENの鎮圧に切り替えるには、ディルクセンの手持ちの戦力は明らかに足
りなかった。
(いました、神海です!)
 その報告のイメージのままに視線を向けると、陽炎の揺らめく向こうに、確かに神海の
姿が見える。
 ほぼ同時に。
(アントン、現場に到着しました! 神海の姿を確認!)
(よしっ、各個の判断で迎撃。奴の足を止めろ! 俺もそっちに向かう!)
 勢い込んでディルクセンは走り出した。――遠目にも目立つ、木造の屋台へ向かって。
 この際、中庭を壊滅に追いやっている二人の事は忘れたらしい。



「メイプルフィンガーッ!!!」
「これでも食らえぇぇッ!!!」
 茜色に光る右手と、同じく闘気を纏った拳が激突する。
 真っ向から弾けた闘気が中庭を陽動させ、流れ弾ならぬ流れ闘気が周囲に着弾し、地面
を抉る。逃げ遅れた生徒をなぎ倒す。
(ひえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ………)
 そんな中、ディアルトは走っていた。
 逃走。
 肺が悲鳴をあげる。全身の関節が、筋肉がきしむ。それでも彼は走った。人の限界に挑
むかのように。
『爆発』が、近いのだ。気孔術士でもある自分にはそれが分かる。
 間もなく、この中庭を根こそぎ吹き飛ばすような破滅が、確実に訪れると。
 ここにいてはならないと。
 ――また一つ背後から飛んできた闘気を察知し、強引な進路変更によって躱す。
(えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ………)
 ……ここから脱するためならば、自分は何でもしよう。現に今、警棒を持って殴り掛か
ってきた何人目かの相手を、倭刀で殴り飛ばしたように。
 ……それは確かに、逃走だったかも知れない。
 だがこの判断は、武人として恥ずべきものなのだろうか?
 ……答えを、未だ彼は持たない。
 ただ判るのは、自分は今確かに、二つの、『大事なもの』を護っているということだけ。
(ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ………)
 自分が身に付けた力に意味があるとしたら、自分にとって大事な何かを護るためなのか
も知れない。
 真の答えは、分からない。
 ただ。もう一つ彼が理解する答えがあるとしたら。
 求題に答えを見出す機会が与えられるのは、今を生き延びた者だけだ、という事実だけ
だった。
(ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ………)
 だから。ディアルトは走った。明日を求めて。
 彼が大事にするもの。つまり、松原葵と、彼のラーメン屋台。
 その二つを抱えて。
「うぉりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!」
「ひえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ
ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっ!!!!」

 猛烈な勢いで爆走する屋台の、カウンターにしがみ付いて絶叫を上げている葵の声は、
彼に届いてはいなかった。






 ――学園屋台史に特筆される、『爆走するラーメン屋台』――
              その伝説が、この瞬間誕生したのである――。

                   Leaf学園正史・拾遺伝異ノ章より抜粋――






 ……伝説はともかく。

「この野郎っ! 止まらんかぁ!」
「なんで邪魔するんですか、貴方達は!」
 叫びつつ、ディアルトは倭刀(刃引きモード)をぶん回し、薙ぎ払う。
 既にランナーズ・ハイ状態に突入している。
 だが、なぜ風紀委員が、自分達を狙ってくるのか分からない。
 周囲には西山とXY-MENの闘気の弾が飛び交い、更に全体の気温が急激に上昇しつつある。
一般生徒でも、この危険は理解できるだろうに。
 と。
 圧縮された空気が弾ける音に、ディアルトは視線を移した。
 投擲筒を持ち出した風紀委員が、捕獲用ネットを射出したのだ。
「なっ……!?」
 ディアルトは驚愕した。先刻からの執拗な迎撃は異常だった。まるで、自分や葵が狙わ
れているようではないか。
 咄嗟に倭刀を真剣モードに切り替える。一弾めを切り払ったが、二弾、三弾めが屋台や
ディアルト自身に命中し、絡み取る。
 ずば抜けた体格を持つとはいえ剣術家にして格闘家のディアルトに、それを振り切るほ
どの
 ディアルトは絶望的な気分になった。前方に対してではない。背後では、西山とXY-MEN
の闘気が、今にも臨界に達しようとしているのだ。
 次の大技が出たときが、爆発のときだろう……。それを回避する手段は、ここにはない。
 ――爆発したら、どうなる?
「止まれ! 大人しくしろっ!」
 擲弾筒を捨てた風紀委員がスタン・バトンを構えつつ走り寄る。
 ――護り切れなかったならば、得た力になど意味はない。
「……大人しくして……たまりますかぁぁぁあああっっ!!!」
 渾身の気合いを放ち、一歩踏み込む。ネットごと。屋台ごと。警戒した――というより
明らかに萎縮した風紀委員が慌てて飛び退くが、彼の長身と倭刀のリーチがその距離を埋
めた。鈍い手応えが二連して風紀委員は薙ぎ倒される。
 大きく息を吐くと、ディアルトは崩れそうになる膝を懸命に支えた。
 まだ、終わってはいない。
 限界まで酷使した身体に更に鞭を振るい、屋台を引っ張ろうとした時、薙ぎ倒した風紀
委員の一人が苦しげに顔を上げた。
「ま、待て……おまえの後ろに……」
 見覚えのある顔だと思えば、生徒指導部のディルクセンだ。それはともかく。
「後ろに、何です?」
 と、同時に、ぷしっ、という音。そちらへ――背後の、やや高い位置へと視線を向ける
――。
「おっとっと……あ、お疲れ様です、ディアルトさん」
 ダイエット・ペ●シの蓋を開け、吹き出た炭酸に慌てて口をつけている神海の姿があっ
た。
 彼の屋台の、屋根の上に。
「…………………」
 沈黙するディアルトを、神海はあくまで社交的な笑顔で見返している。
「……何をしているんですか? そこで」
「何をとは……」
 ごく真っ当な問いに、神海は即答しなかった。生真面目げに腕を組んで考え込む。
 それから。
「一日一悪ってことで、ご納得いただけません?」
「できますかぁぁぁぁあああああっ!!! 虎翔絶刀勢ぃぃぃっ!!!!」
「げふぅぅぅ!?」
 跳躍の力によって威力を増加された斬撃が、神海を元来た方角へ吹っ飛ばし――。
「あっ、まずい!!??」
 その方角を見て、『時』の到来を察したディアルトは、慌てて屋台を引っ張って遁走し
た。
「……えぐっ、えぐっ、ディアルトさぁぁぁん……」
 泣きべそをかいている葵には、やはり気づいていなかった。

 そして――。

「これで終わりだぁぁぁぁああ!!!!」
「石破!! エディフェル天驚拳!!!」
 二つの闘気の爆裂が、中庭を支配した――



「大変な騒ぎですねぇ」
「そうだね……」
 待機を揺らし、地響きを立てて湧き上がる、なにやらシャレにならない形のキノコ雲を
見上げながら、二人は呟いた。
 猫町櫂と理緒は、とうに中庭の外れで騒ぎの見物に回っていた。
 武装などしないで歩いて離脱すれば、そもそも騒ぎに巻き込まれないことを承知してい
たのは、この二人だけだったようである。
 どうやら破壊の最大元凶の二人は、あの闘気の渦の中で未だ戦っているらしい。ときお
り闘気の閃きが見える。
 その周辺には、累々と転がる生徒達の屍の山。そのほとんどが風紀委員らしいことは、
第三者の犠牲ではないという意味で、幾分彼らを慰める事となるだろう。
「あ、きたみちさ〜ん、こっちですよ〜」
 櫂は、駆け付けた剣士に呑気に手を振った。

 校内巡回班の到着により、それ以上の被害拡大だけは防ぎ止められた。



「派手にやったものね」
「…………」
 台風一過の痕を爆風が根こそぎ塗り替えたような有り様を、ゆかりはあっさりと評した。
 整えられた芝生や木立、花壇は見る影もなく、周囲の校舎の窓も軒並み砕け散っている。
 その爆心地に近い場所で、XY-MENがボロ屑のようになって倒れている。やはり負けたら
しい。楓が膝枕をして、濡らしたハンカチを彼の額に置いていた。その横で西山が少し不
貞腐れたようにあぐらをかいているのは……彼女に、何か言われでもしたのだろうか。
(でも、五分は保ったかしら)
 暴走状態ではなかったとはいえ、あの西山英志相手に、だ。人狼状態のパワーとタフさ
は、これまでよりも格段に上昇している。自分の見込は正しかったのだろう。
 一方では、松原葵が相変わらずべそをかいていて、駆け付けた佐藤昌斗、T−star−
reverse、YOSSYFLAMEに睨まれたディアルトが大きな身体を縮こまらせていたり、巡回班
の中では猫町誡と雛山理緒がどことなく照れたように一緒に負傷者救護に当たっていたり
している。
 ……そんな様子を窓や屋上から眺める生徒達。その一隅に白いコートを着た少年――
Runeの姿もあった。ゆかりと目が合っても、特に反応もせずに見下ろしているままな
ので、彼女の方から視線を外したが。
 それは、ともかく。
 ゆかりは、ボロ屑の一人を眺めた。
「酷い有り様ですね、ディルクセン先輩」
「…………」
「結局、神海先輩には逃げられたようですし」
「……逃げられたというか、見失ったというか、消えたというか……」
 無理もないけど、とゆかりは思う。あの混乱で戦場の露と化した一人の人間を、今から
探すのは至難だった。ディルクセンらもしばらく行動不能だったこともある。
 とはいえ、優勢に立てる少ない機会を見逃す義理もない。
「大きな事言った割には、呪術師の一人も捕まえられないなんて……生徒指導部も底が見
えましたね」
「そないなことは一度でも西山を止めてから言わんかいっ!」
「そのための生徒指導部、でしょう?」
「だったら少しは俺達に協力してだな――!」
 戦後処理が続く中庭に、しばらく風紀委員会重鎮の罵り合いが響いていた。




 同時刻。
「HAHAHAHAHAHAHAHAHA!!! アフロ同盟へヨウコソッ!」
「気の毒だが……色々と便利だぞ? コレ」
「すみませんっ、密度を薄めるためにも犠牲になってくださいっ!!」
「……私、風紀委員なんですけど……どうしてこんなところで……――破っ!」
「未来編の攻撃力が抜けてませんよあなた方ぁぁぁあ!!」
 全身煤けた挙げ句に爆髪と化した一人の男子生徒が、必殺・アフロ神楽の脅威から死ぬ
気で逃走していたりしたのだが――。
 まあ、余計な話ではある。


                   「屋台衆の昼休み」 (投げやりオチで)了

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



神海「SS使いはSSで語れ、……というほど大層なものではないですが、風紀委員会が
  シリアス内部分裂にかまけている今日のこの頃、そろそろ動かないとはぐれSS使い
  の立場が忘れられてしまうのではないかという危惧から書いてみましたこのLとか言
  いつつ実はディルクセンさん応援三部作の一段めという辺りやはり私もこういうの好
  きなんだなと認めざる得ないところでありますね今回のゲストの松原葵さん」
葵 「……えぐっ…えぐっ………」
神海「…………………。それでは、この辺でさよならです…て……」

(神海、謎の六つの影に取り囲まれ――暗転)



         【シリーズ・ごめんなさい】


>ディアルト様
 ……えーと……(汗)
 以前、優先順位をお聞きしたところ、葵ちゃんと屋台最優先ということでしたので……
 ……すみません(汗笑) 


>でぃるくせん様
 ……何か扱いがひどいような気もしますが……(汗笑)
 繰り返していますが、これは「ディルさん応援Lメモ第一部」です(笑)。
 いや、今回の話には別に伏線などは張っていませんけど(笑)


>猫町櫂様
 描写が少なくて申し訳有りません。巡回班の方が戦闘に切り込んでいくというのも違う
気がしまして……。
 ああ、裏方に徹する巡回班ドキュメンタリーというのも、書いてみたいですねぇ(笑)


>XY−MEN様
 ……済みません。また酷い目に(汗)
 この償いはいつの日か〜(汗笑)



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 ちょっと、アンチ・風紀委員会で徒党でも組んでみたいな、と思いつつ……(笑)


                              991026 神海