初恋ばれんたいん 投稿者:隼 魔樹


 二月。卒業式を目前に控えたこの時期は、冬の寒さが一番見にしみる時期で
ある。しかし、若い人間――特に十代を中心とした少年少女が、恋の予感に沸
き立つのもこの時期である。
 バレンタインデー。
 騒げることなら外国の神事だろうが、徹底的に騒ぐ日本人の国民性と、お菓
子産業の経営戦略に後押しされたこのイベントは、2月の名物となっている。
 女子にとっては憧れのあの人に告白するきっかけであり、男子にとっては女
子からチョコを貰えるかどうかで、非常にやきもきする時期でもある。
 特に男子にとってチョコの数は死活問題の一つである。義理でも何でもいい
からとにかくチョコを貰いたいと言うのが本音だろう。チョコの数次第では面
目を失いかねないのだ。
 2月十三日、バレンタインデー前日。
 様々な思惑をはらみながら、Xデーは明日に迫っていた。



Lメモリーズ「初恋ばれんたいん」



 キーンコーンカーンコーン。
 どんなにこの学園が他と変わっていようが、チャイムの音まで変わるわけで
はない。子供の頃から聞き慣れた音が鳴り響き、一日の学業が終わる。
 HRも終わり、後は帰るだけだ。しかし自分から帰るものは殆どいない。
男子へは女子の、女子へは男子の、時には男子同時、女子同士の視線が複雑に
交差し、絡み合う。
 それらの視線はただならぬ熱を持っていた。明日チョコを渡す――もしくは
渡して欲しい相手への無言の圧力。
 同性同士の視線のやり取りは、また別の意味を持っている。これは女子同士
より、男子同士のほうが圧倒的に多かった。おそらく自分の恋敵を警戒してい
るのだろう。まるで猿山のボス争いだ。
 「さて、帰ってチョコでも作るか」
 その人物はいつもの様に独り言を言っただけだった。声量も普段とあまり変
わらない。だが、それはあたかも化学反応を引き起こしたかのように、教室中
に広がった。劇的な反応は男子の方が大きかった様だ。たちまちその人物の机
の周りは、男子生徒の海に飲み込まれる。
 「今の台詞は一体なんだ!?」
 「貰えないからって自分で作ってカモフラージュするつもりか!!?」
 「もしかして他の奴にもまわすつもりか!!!?」
 「それは卑怯だぞ、フェアじゃねえ!!」
 「余ったら一個くれない?」
 「お前ら・・・・・・そこまで切実なのか・・・・・・?」
 件の人物、隼魔樹は呆れた様に呟く。今日のコスプレは今までのものとは違
い、16世紀頃のヨーロッパ貴族の男性ような服装だ。恐らくシミュレーショ
ンゲームなどのの衣装なのだろう。
 「切実なのはおんしの方じゃろう。何せ自分で作ろうとするぐらいじゃから
な」
 男子生徒の輪の外からそう皮肉ったのは、ちゅるぺた番長こと平坂だった。
相変わらずの番長スタイルは、そのまま博物館に展示したいほどにしっくり決
まっている。冬に向かない寒々とした服装は、ここ数日ほど学園を襲った寒波
の中でも変わることはなかった。
 その言葉が聞こえたのか、魔樹は人ごみを掻き分け平坂の前に立つ。そして
人の悪い笑みを浮かべると。
 「ほ〜? 俺がチョコを作るのがそんなに変か? 蛮次」
 「変にきまっとろうが。どこをどうしたらおんしがチョコを作ることになる
んじゃ? チョコを作るのは女じゃろうが」 
 馬鹿にしたようなその言葉に、さらに笑みを深くした魔樹は、自分より二周
りは大きい平坂の左手を取る。そして・・・・・・。
 「何する気じゃ?」
 「そこまで言うなら、自分で確かめてみろ」
 


 むにょん。
 


 その大きな手を自分の胸に押し当てた。



 ちなみに今日は男性のコスプレだが、さらし等胸を押さえる装備は一切着け
ていないことをここに明記しておく。



 その瞬間、クラス中が凍りついた。その行動はクラスの誰にも、一方の当事
者である平坂にすら予想できないことだった。平坂は自分の手に伝わる感触が
信じられないのか、目を極限にまで開いて手の先を見つめている。ショック状
態にあり、脳が何をしているか理解できていないらしい。
 一人平然とする魔樹はその大きな手に自分の胸をうりうりと押し付ける。服
の上から見ても充分なボリュームを誇る胸が、様々な形に姿を変える。
 「ど−だ解ったか? これでも俺がチョコを作るのは変と言い張るか?」
 「きょ・・・、きょ」
 「解らないみたいだから、さらに追加だ」
 そう言うと魔樹は残った右手を掴み、同じ様に自分の胸に押し当てる。
 流石に脳が今の状態を認識したのだろう。平坂の顔は青ざめ、顔中から脂汗
を流している。体中がカタカタと震え、その瞳には恐怖の色が色濃く浮き上が
る。
 「きょ、きょ、きょ、きょ、巨乳ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!!?」
 平坂の魂の底から搾り出したような悲鳴が辺りに響き渡った。その声量は凄
まじく、遠く離れたクラブ棟ですらはっきり聞こえたと言う。あまりの音量に
クラスの生徒達は一斉に耳を押さえ蹲ってしまった。余談だが後でこの声を分
析したら、超音波の領域にまで達しているほどだったという。そのせいで生物
部の飼っている巨大こうもり達がばたばたと墜落したらしい。
 「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!」
 雄叫びを上げて魔樹の体を振り払い、自分の手を穴があくほど凝視する。そ
こには何もないが、体ははっきりと記憶していた。
 自分の手の中で形を変える、魔樹の双乳の感触を。
 「うがぁぁぁぁぁぁあぁっぁぁぁぁぁっぁ!!?」
 自分は今まで何をしていた?
 自分は今まで何を触っていた?
 それはとても忌まわしいものではなかったか?
 その感触に――その記憶に耐えられなかったのか、平坂はそのまま雄叫びを
上げ続け、辺りの机を薙ぎ払い、扉をブチ破って廊下に消えていった。
 そして辺りには静寂がたちこめた。
 「・・・・・・っ痛〜、耳が死ぬなこれは」
 しばらくの間は誰も動こうとも、喋ろうともしなかった。目の前で起こった
事を計りかねていたのかもしれない。それを打ち破ったのは魔樹のあまりに普
通な一言だった。その声を聞いた人間は一斉に魔樹の方を見る。視線が充分に
集まったのを見計らって、魔樹は皆に問いかける。
 「で、まだ俺がバレンタインチョコを作るのに、疑問のある奴はいるか?」
 




 数時間後、学園からほど近い商店街に、一人の少女の姿があった。スーパー
のバレンタイン用に特別に作られたスペースの前で佇んでいる。
 (バレンタイン・・・・・・誰にあげれば良いのかな?)
 その少女、姫川琴音は悩んでいた。彼女はあまりこう言った色恋事が得意で
はない。彼女には親しい男子の友人が何人かいるが、彼らに渡して良いものか
どうかで悩んでいるのだ。
 決して彼ら――OLH、神凪遼刃、東西らの事が嫌いなわけではない。むし
ろ、引っ込み思案な自分に積極的に話しかけてくれる彼らに感謝しているぐら
いだ。少し騒がしくはあるが、最近ではそれも気にならなくなっている。
 しかし、それがすぐにチョコを渡すのに結びつく事になっていいのかと琴音
は思う。チョコを渡すと言うのは、自分から相手に好意を伝える事だ。渡せば
当然彼らは嬉しがるだろう。でもそれでいいのだろうか。
 三人の誰かが本命と言うほどではまだない。だからといって、全員に同じ義
理チョコを配ればいいのだろうか?。
 それはあまりに彼らにとって失礼なように思えた、日頃自分に向けてくれる
好意を軽く見すぎている気がする。感謝のお礼に良いものを上げたい所だ。
 だが不用意に渡せば、それが原因で争いごとが起きるかもしれない。普段は
比較的仲の良い三人だが、自分が絡んだことではよく大騒ぎを起こしている。
チョコをめぐって喧嘩などして欲しくはない。
 それらの感情が攻めぎあって、ずっとチョコを前に悩んでいたのだ。意を決
して買おうとするたびに、別の感情が浮き上がって、結局買うのを止めてしま
う。 
 「何してるんだ、姫川?」
 「え?」 
 考えている琴音に一人の少年が話し掛けてきた。先程教室で大騒ぎを起こし
た張本人の魔樹である。
 「さっきから随分悩んでるみたいだが、渡す相手で悩んでるのか?」
 「違います、・・・・・・見てたんですか?」
 「しばらく前からな。いつ買うのかと思ってず−っと見てた」
 琴音にとって魔樹は不思議な存在だった。両性具有と言う、普通なら隠して
おくであろう事を平気で公言し、先程のような騒ぎを起こす。その言動は男の
様でもあるし、女の様でもある。彼女にとって魔樹の行動は大きな謎なのだ。
 不意に琴音の心に好奇心が芽生えた。目の前のこの奇妙な少年に聞けば、何
かが解るかもしれない
 「魔樹さん、ちょっと質問して良いですか?」
 「スリーサイズと体重を含めて、俺で答えられる事なら別に良いぞ」
 「魔樹さんは何でチョコをあげるんですか?」
 少し驚いた顔をした魔樹だったが、すぐに答える。
 「渡したい相手がいるから、じゃ駄目か? 俺は自分が好きな・・・・・・
好意を持った奴には大概渡してる」
 「それはどれくらいの好意で渡してるんですか?」
 「特に決めてないな、相手によって違うし。もしかしてさっきからそれで悩
んでるのか?」
 琴音は頷いた。それで魔樹は納得したと言う顔をする。
 「大方、渡した相手がどう思うかで悩んでたんだろ? 陳腐な言い方になる
が、渡したいものを渡せば良いと思うぞ。どうせ一種のお祭り騒ぎなんだから
な」
 「でもそれで相手が傷つきませんか?」
 「露骨に差別してるなら傷つくと思うが、そうでないなら大概OK。俺も含
めて男ってのは単純だからな、好きな女の子から貰えただけで喜ぶんだ。義理
とかに関係なく」
 「それで良いんでしょうか」
 「姫川が渡したい相手は大体想像がつくからな、あいつらなら大丈夫だ。姫
川がどれだけ考えてチョコを渡すかぐらい解ってるだろうよ。」
 琴音は半分解ったような、解ってないような、曖昧な表情で頷く。心から納
得したわけではないが、魔樹の言う事は理解できる。多分、もっと自分が渡し
たい相手を信用しろ、と言っているのだろう。お前が選らんだ相手はこの程度
の事に目くじら立てるような、狭量な人間ではないと。
 「さて、質問が終わりなら俺はもう行くぞ。これから手作りチョコを作るか
らな」
 「はい、どうもありがとう御座いました」
 丁寧に礼を言う琴音に手を振りながら、魔樹は出口の方に向っていく。その
途中で何かを思い出したのか、体ごと琴音の方へ向けると、口元に笑みを浮か
べながら口を開く。
 「そう言えば忘れてた、明日のチョコ渡す相手には姫川も含まれてるんだっ
た」
 「え?」
 「意味は自分で考えてくれ、じゃあな」 
 そう言うと魔樹は出口の外へ消えていった。




 そしてバレンタイン当日。
 今日はいい天気だった。バレンタインにふさわしく晴れ渡った空は、今日と
いう日を祝福している様に思えた。
 魔樹はいつもより早く寮を出ると、いつもの様にじぇりーずに乗ってではな
く、自分の足で歩いて目的地へと向った。今日の衣装は自分で作った、とある
ゲームのものだ。昨日と同じヨーロッパ貴族のような格好だが、こちらは女性
キャラなのだろう。細かい所間でよく作りこまれている。
 早く来すぎたためか、まだ目的の人物の姿はない。壁にもたれてしばらく待
つ。何人かの人間が奇妙な視線を向けては通りすぎて行くが、気にせず待ち続
ける。 
 しばらく待つと、ようやく目的の人物が来た。それを確認すると、素早く魔
樹はその人物に近づく。
 「久しぶりですね、元気でしたか? 玲子」
 「あ!? 魔樹クン? 久しぶりじゃない〜、元気になったの?」
 「はい、何とか動けるようになりましたよ。来月のこみパから一緒に行って
良いですか? 入院してる間にかなり衣装を作りましたから」
 「もちろん! また一緒にコスプレしようね〜、雅クンも誘って」
 「そうですね、今日はそれとは別に渡したいものがあるんですよ」
 「何かな?」
 魔樹は昨日一番かけて作り上げたチョコを玲子の手のひらに乗せる。
 「『紅きリーン』から『蒼きガッシュ』へのバレンタインチョコです」
 「あ、ありがと。そういえば今日はバレンタインだったね〜、はい、じゃぁ
これあげる」
 玲子も魔樹の手の上にチョコを乗せる。おそらく皆にあげるのと同じものな
のだろう。店でつけられたらしい綺麗なラッピングがしてある。つまりは義理
チョコと言うことだ。
 「ありがとう御座います、嬉しいですよ、玲子」
 「そろそろいこうか。流石に時間が危ないしね〜」
 「じゃぁ一緒に行きますか」
 二人は並んで歩き出す。こうして二人で歩くのは久しぶりだった。魔樹が入
院する前はよく一緒に歩いていたものだったが。
 彼女は気付いていただろうか。
 魔樹のコスプレが玲子お気に入りの、『蒼きガッシュ』の恋人でであった事
に。
 他人の前で自分の体の事を気にしない魔樹が、唯一その事を気にする相手へ
の、精一杯の意思表示だった事に。
 ちらりと隣を歩く玲子の顔を見る、彼女の顔はいつも明るい。自分が居ても
居なくても変わらずに。
 (多分気にしてないんだろうな・・・・・・)
 それでも構わない、と魔樹は思う。いつか自分の体の事を告げられるまで、
そして揺らぐ事のない絆を手に入れるまで、自分は玲子の隣に居る。それは
初めてに玲子とあったときからずっと思いつづけている事。
 「そういえば魔樹クン、薔薇部入る気ない? あそこは結構面白いわよ〜」
 「薔薇部・・・・・・考えておきますよ」
 返事をしながら魔樹は空を見上げる。空はどこまでも蒼かった。



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余談1
 
 バレンタイン当日、琴音は自分お手製のチョコを三人に渡し、男達は涙を流
すほどに喜んだとらしい。


余談2

 「ひ、平坂くん落ち着きなさい!!」
 「うぁぁぁぁっぁぁぁぁ!! いらんわぁぁぁぁぁ!!! あんな巨乳触っ
た手なんぞ切り落として新しい手に代えるんじゃぁぁぁぁぁぁっぁ!!!!」
 精神的なショックが大きく、正気を取り戻すまで数時間を必要としたらしい。


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魔樹「いいのか? こんなの書いて、半ば琴音ちゃん戦線に殴り込みした形に
なってるぞ」
作者「(汗)バレンタインを契機に、玲子さんと絡めて見ようと思ったら、何
故かこんな形になった・・・・・・」
魔樹「平坂さんには喧嘩売ってるし、あちこちに敵を作りまくってないか?」
作者「悪戯好きで各方面に敵を作るのは、始めから予定の内だからいいけど、
結構後が怖い・・・・・・」
魔樹「まぁ巨乳キャラである以上、遅かれ早かれ似たような事になっていただ
ろうけどな。寮における対平坂さん決戦兵器だし」
作者「平坂さん扱いがひどくてごめんなさい、この復習はLでお願いします」
作者「明日には明日の風が吹くと信じて投稿するとしよう、バレンタイン過ぎ
てるけど(汗)」
魔樹「この遅筆が・・・・・・。それでは今回はこれくらいだな」
作者「そうだな。では皆さんまた〜」


文責;隼 魔樹