Lメモ/Japanese/3 投稿者:NTTT
「いや、杖術に関しては、それほどよく知ってるわけじゃないんですよ。教えるなんて、とてもとても・・・」

綾香には、信じられなかった。顔に出たのだろう。男は続けた。

「ただ、使える事は、まあ、使えますが。あのですね、昔の戦国期に一流派を築いた剣豪の多くには、いく
つか共通点があるんですよ。知ってましたか?」

知らない、と綾香が答えると、男は笑って、「一つは、一芸名人ではなかったんですよ」と言った。

「大抵、流派を築くほどの人になると、剣のほかにも色々できたんです。小太刀、槍、長刀、杖術とかね。果
ては手裏剣、短刀、弓、柔術まで。まあ、「天才は万能」なんて解釈もありますが、私が思うに、「基本となる体
術・術理が共通していた」って、ことでしょう」

では、この男は・・・

「はい、私が使えるのは柔術です。「無比無敵流」といって、元は杖術から来た柔法なんですよ。まあ、杖術
自体が剣術から来てるものですから、剣も少しは使えますが」

綾香は、男にそれまでの事を話した。

初めて公園で男を見た時の事。

家では、「順体」で暮らすよう、心掛けている事。

少しづつだが、走る練習を始めている事。

日本の格闘技について、疑問を抱き始めた事。

男の杖術の動きが、どうしてもトレースできない事まで、話した。不思議と、悔しさは感じなかった。いつも
の自分なら、失敗までは話さなかったろう。男の持つ、静かな雰囲気のせいだろうか。この男がカウンセリ
ングをしているのは、案外適任に思えた。

男は、綾香の話を聞き終えると、大きく息を一つ吐いた。

「一目見ただけで、この短期間に、よくそこまで・・・あなた、天才です」

綾香は、顔が赤くなるのを感じていた。「天才」という賛辞は、それまでにも多くの相手から受けた事があ
る。だが、目の前のこの男から言われるのだけは、恥ずかしかった。

「先ほど話した、達人達の共通点の二つめは、年を取っても強かった、いや、年を取っても変わらないか、
年を取るごとに強さが増していったようだという事です。筋力というのは年月と共に衰えるものですから、彼
らの技は、「力を必要としない」性質の術理の上になりたっていたと、考えるべきでしょう」

この男の、杖術の動きを、綾香は思い出していた。重い鉄パイプに、慣性を無視させる動き。

普通、重い獲物を振り回す時は、足腰にかなりの力を必要とする。それに応じて、踏み込みも重く、強く、激
しいものになるのが、普通だ。

男の足さばきは、軽やかで、静かだった。舞を舞うかのように。

「要するにですね、「余分な力を使わない」ということなんんです。振り下ろす動きは、正確に、どこまで振り下ろすという事を決めて、その場所に来た時点で、すべての力をストップするか、次に動かしたい方向にす
べての力を向けるか、するわけです。もちろん、慣性というものが邪魔しますから、「慣性を殺す部分と、止
め、動かす部分を、正確に分ける」事も、しますがね。そのためにも、余分な力をすべて抜く事が、重要にな
るわけです。余分な力は制御できないイレギュラーとなって、慣性に加わってしまいますから」

自分も、男の動きをトレースした際、最初は慣性をかけないよう、ゆっくりとやっていた。しかし、ゆっくりでは、
自分の重心の置き場所が、定まらないのだ。正確に男の動きをトレースしたはずなのに。

「余分な力を入れないために、体をたくさんのパーツに分けるんです。腕、脚、腰、胴、指の一本一本まで。
更にはそれらを構成する大きな筋肉の塊それぞれに。分ける事によって、小さな力で大きな動きを制御す
る事が可能になります。たとえば、指の一本なんて、意識すれば小さな力でかなり細かく動きを制御できま
す。慣性など無しにね。そして、そうやって細かく制御した動きを、体の各所で、同時に行う。数学で並行四
辺形を使ってベクトルを合成するように、結果として、大きな一つの運動が行われるわけです。ところが、そ
の実態は、「それぞれがそれぞれから独立した小さな動きの積み重ね」というわけです。制御が容易なのは、そのせいなんですよ。当然力を入れなくていい部分には全然力を入れてませんので、重心も普通に
立っている時と変わらず、開いた足の間を直径とした円のどの部分にでも重心があるような状態なんで
す。元々一点に置いてないんですよ。動きたい時に、動きたい方向にちょっと動かしてやればいいだけのこ
とですから」

では、男は、すべての筋肉を、自在に操っていたというのか?
自分のトレースした動きと、どこがどう違っていたのか?

「すべてとは行きませんねえ、まだ修行中ですので。でも、ちょっと面白い事ができるくらいには、制御でき
ますよ」

男は、白衣の腕を捲って、綾香に見せた。

男の腕は、びくびくと、まるでそれ自体が別の生き物であるかのように、波打っていた。関節を動かしてもい
ないのに、連続的に男の腕には、波のようにうねる動きが、発生していた。

・・・どうりで、解らなかったはずだわ。内部が、微妙に動いていたのね・・・

「とりあえず、柔術でよければ、やってみますか?私に教えられる事など、大してありませんが。なにせ、簡
単な術理と、長い積み重ねだけのものなので・・・」

綾香がうなずくと、男は椅子から立ち上がった。

「それじゃあ、善は急げといますし、早速、あなたが疑問に思っている、杖術のあたりから、始めてみましょ
う。動きを制御するのは、術理自体はそれほど難しいものじゃありませんから。その前に、第二購買部に
寄って、刀を借りていきましょう。あそこなら何でも揃ってますから、きっとあるでしょう」

なぜ、杖術の講義に、刀が必要なのか、という問いに、男は「日本刀の方が、原理がわかりやすいんです
よ。元々、杖術も柔術も、習う人は一度は日本刀を振る所から始めるべきだと、私は前から考えてるんです」
と言った。


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やっと、原理のいくつかが、解明できてきましたが、この先がまだ難しい。もうちょっと、お付き合い願います
ね。