Lメモ/Japanese/4 投稿者:NTTT
「御老人、いらっしゃいますか?」
「おお、どうしたね」
「実は、刀を一振り、貸してもらいたいんですが」
「別に良いが、おかしな事に使やせんじゃろうな」
「いや、その点は御心配なく」
「ほれ、欠かさんようにせいよ。孫がうるさいでな」



神社の境内で、男と綾香は向かい合った。

「刀で人を骨まで断って両断する時、間合いはどのくらいになるか、知っていますか?」

知らない、と答えると、男は刀を抜いて、振りかぶって構えた。構えたと同時に、男の体は軽く沈み込んだよ
うに見えた。次の瞬間、男は綾香と顔と顔が接するほどの近くに立っていた。男との最初の間合いは5、6
メートル。

一瞬で、詰められていた。呼吸を乱しもせず。

静止状態から、動へ。

動から、静止へ。

男は、脚もおそらく手のように、分割して制御できるに違いない。

男は、刀を振りかぶったまま、「この間合いです」と、言った。

「日本刀は、刺身包丁と一緒で、引かなければ、斬れないんです。骨まで断って両断しようと思えば、刀の
端から端まできれいに使って引かないと、とてもとても。その上、人間の体は、骨も筋肉も太いので、ただ引
くだけでは駄目なんです。叩きつけ、同時に強く引かないと、斬れません。最近は、手首に頼って斬ってる
流派が多いんですが、腱鞘炎になるんで、あまりおすすめできませんね。竹刀から来たやり方なんでしょう」

「要するに、二つの動きを、同時に、かつ、それぞれ独立させる事が、重要なんです。ただ、刀は反りがあ
るんで、いくらかやりやすくはありますが」

男は、綾香に刀を渡し、「体全体を使って斬ってみてください」と、細い木の枝の一本を指差した。

「細い枝はしなりますから、きれいに斬るのは結構大変ですよ」

構えて、真っ直ぐに、叩き付けながら、引き付ける。30センチほどの小枝が落ちた。

「動きが、まだ一緒になってます。「一緒」と、「同時」は違うんですよ。」

男は、綾香から刀を受け取り、片手で小枝を拾い上げた。

「体の各部が、必要な時、必要なスピードで、必要なだけ、必要な方向に動く。手首は手首で、肘は肘、肩
は肩で、それぞれを意識して、管理する。それぞれの動きが一つの体の中で意識され、バラバラに、かつ、
同時に管理されて動く時、統率のとれた軍隊のように正確無比な各部の連携が行われ、全体作戦の結果
として刀は捉え切れない複雑な動きをするんです。傍目にはただ振り上げて振り下ろすだけの動きにしか
見えなくても、各部の動かし方を少しづつ変えれば、無限に近いバリエーションができてくるんです。体をど
れだけ分割できるかが、そのポイントですね。分割して10段階に管理できる部分が一つ増えれば、バリエー
ションは10倍近くに増えるんですよ。昔の剣豪のエピソードには、凄まじいものもあって、大袈裟な伝説と
思われてるのもありますが、かなり事実に近いのも、あると思います」

男は小枝を投げ上げた。

刀が一瞬、きら、きら、とひらめいた。

地面に落ちた小枝は、4つに分断されていた。

「昔の剣豪には、6つ以上に斬った人が、いるといいます」

綾香は、背筋が震えるのを感じた。

鳥肌が、立っていた。

「私から、御老人に頼んでおきますから、毎日刀を振るといいでしょう。二つの動きを同時に存在させられる
ようになれば、今度は分割して動かせる場所を一つづつ増やしていきます。最初は手から。慣れれば、脚も。
増えてきたら、次は細かい制御ができるようにしていきます。関節や筋肉によっては、ミリ単位にまで。毎日
続ける以外に、上達の方法はありません。くれぐれもサボらないように」

綾香は、刀を再び受け取った。

振り上げ、振り下ろす。

腕の各部を、同時に意識するのは、まだ無理だ。とりあえず、空手の突きの要領で、肩の力を抜く事から始
めた。

「いいですね。肩の力が良く抜けてます。肩に力を入れると、ひねってしまいますからね。この術理は、体を
ひねっていると、まず使う事が不可能なんです」

「体の筋肉、たとえば腕を構成しているいくつかの筋肉を、細い紐と考えて下さい。腕を「ねじる」ことは、こ
れらの細い紐をねじりあわせて、太いロープを作るようなものです。一旦太いロープになってしまうと、それ
を構成している細い紐の一本一本を独立させて制御する事は事実上できません。他の紐と接する部分が
大きすぎて、必ず影響を与え合ってしまうんです。スクラムを組んだ人間は、突進力は凄いんですが、小回
りは利かないというわけです。それぞれが一見無関係にバラバラな方向へ勝手に動いているように見えて、
全体が大きな一つの作戦を構成するのが術理ですから、ねじる動きは禁物なんですよ。歯車のように、
「連動」してはダメなんです。軍隊のように、「連携」するんです」

綾香の中で、なぜ男がいつも順体で動いているのかという答が、今はっきりと、出ていた。
男は、体をひねらないため、ひねらない動きを無意識にもするために、いつも順体で歩いていたのだ。

男の毎日は、修行の毎日だった。

「とりあえず、私の知ってる事の7割は、これなんです。あとは人を転ばせる方法くらいなんですが、知りた
いですか?」

綾香は、うなずいた


___________________________________

祖父の設定を使わせて頂いたびーかーさん、ありがとうございます。