Lメモ/Japanese/8 投稿者:NTTT
その朝も、綾香は走っていた。朝の冷えこみが、その息を白く染める。いつもの時
間。公園に沿ったいつものコース。そして、新しいスタイル。

綾香は、右手と右足を同時に出して、走っていた。

体を捻じらず、踏み出す足は、滑るように軽やかに、まるで二羽の燕のように。アス
リートが見たらきっと驚いたことだろう。西欧の科学・常識から外れた、規格外の走法。

今ではごく少数の人間しか知らず、使えず、伝えられることなく失われつつある技術。

そう、男は、自分を「技術者」だと、言った。


「人々が歩き方さえ変えられ、また、変えざるをえなくなってしまった今の世の中、こん
な技術はいらないのかもしれません。でも、確かめてみたいんですよ。生活が技術と
密接に繋がって、日々がその精度を少しづつでも確実に高めていった時、人の持つ
可能性がどこまで伸びていくものなのか。かってこの国には、人の可能性を驚異的に
伸ばした理論が存在していたんです。時代の流れの中で消えていくのをただ見ていく
のは、悲しいじゃありませんか」

そう、高めた力は、いつか衰えるかもしれない。人は時の流れには勝てない。

だが、高めた精度は、裏切らない。職人はその腕を磨き続ける限り、やがては神の領
域まで近づく。過ぎていく日々は技術を磨く者の味方だ。

それに・・・


「それにね、楽しいんですよ。毎日、少しづつではあるんですが、精度が高まっていく
のを感じるのは。年をとって死ぬ直前くらいには、自分にどのくらいのことができるよ
うになっているのか、とても楽しみなんです。昔の武芸者ってのは、ただ人を倒すこと
だけを考え続けていただけとは、思えないんですよ。きっと、面白くて、楽しかったん
です」

そう、とても楽しかったに違いない。たとえ生死を賭けていたとしても。


最近、格闘部の皆が自分を注意して見ているのを、感じる。

坂下は、自分と組み手を終えた後、首をひねって考え込むことが多くなった。

葵は、自分と他の部員とが組み手をしている時は、足元を食い入るようにじっと見て
いる。

男から学んだ事を部内では出さないように注意しているつもりだが、やはり細かい所
で表れてしまうのだろう。

だが、まだ誰にも教えるつもりはない。まだ人に教えられるレベルではない。

特に、あの二人には、まだ。

もうしばらくは、一人で楽しむつもりだ。


男に、どうしてそこまで親切に教えてくれたのか、聞いたことがある。

自分なら、きっとしない。秘密の奥技にする。

男ははにかんだように笑って、「なんというか、見てみたかったんです」と答えた。

「自分の知ってる技術を、誰かが使って、受け継いでくれていってるのを、見たかった
んですよ。一代ではたどり着けない所でも、二代三代あれば、たどり着けるかもしれ
ませんしね。なるべくなら、もしも誰かが必要とした時のために、こうした技術は、きち
んと後々まで保存しておきたかったんです。私自身はあまり争いごとは好きじゃない
んですが、それでも、必要としている人は、きっといると思ってましたし」


「だから、きっと、私はあなたを待っていたんです」

そう、自分も、男を待っていたのかもしれない。

この先、自分を待ってる人も、いるかもしれない。


公園の柵をまたぎ、中央の広場へ向かう。

隠しておいた場所から、鉄パイプをひっぱり出す。

夜露に少し濡れている。冷たい。

タオルで拭って、素手でしっかりと、かつ軽く握る。

構えた。

男の見せた形は、頭に焼き付いてしまった。夢に見るほどだ。

重心を制御しつつ、振る。とりあえずはただ振り下ろす一動作。止めたい場所で、確
実に止められるよう、体の分割と制御を意識しながら、何度も、何度も。

早く男に追いつくためには、繰り返すしかない。


「・・・2年ですかね・・・」

「・・・嘘でしょ!?」

「・・・まあ、希望的観測ですけどね」

「ああ、やっぱりね。そんな早くできるとは、はなから思ってなかったし・・・」

「逆です。せめて2年はかけて欲しいんですよ。私は10何年かけて、やっとここまで
来たもんですからね、1年ほどで追いつかれては、立場がないじゃありませんか」

だが、できれば在学中に追いついておきたい。


それに・・・


「それにね、2年もあれば、今開発中の新しい技術も、人に教えられる程度には解明が
進むかもしれませんしね。前に言ってたのの他にも、まだあるんですよ。ただ、教える
ための論理的な解明ができてないだけで、ね」

そう、まだ、知りたいことは、たくさんある。

自分は、まだ、知らないことがたくさんあるようだ。

知らないことが多いというのも、とても楽しいことかもしれない。



かつてこの国で生まれ、今は滅びつつある非常に精度の高い技術を。

毎日、毎日、休むことなく磨いていくのだ。

自分は、きっと毎日、走るだろう。

そう、格闘技を続けていく限り、ずっと・・・




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てなわけで、「Japanese」終了です。

ずいぶん長くかかったわね

ええ、主な原因は、チャットとかに時間使ってたのと、忙しくなって他の時間がつぶれ
がちになったことでしょうかね。楽しんで読んで下さった方々には、ご迷惑おかけしま
した(ぺこり)。

なんか、あんた「師匠」になっちゃったし・・・(ジト目)

うーん、「師匠」というより、「特殊技能の教官」ってくらいにしといて下さい。実際、素
手で本気で戦う限り、あなたの方が上です。

マジ!?

だって私は、蹴りも関節も投げもできませんから、ある状態の人間には手の出しようが
ないんですよ。避けるだけです。

なるほどね・・・でも、ホントにこんな理論を使える人、いるの?

実際、私のキャラクターのモデルとなった人は、いたんですよ。大東流の祖である武
田惣角氏の直弟子だった、佐川幸義氏です。この人は触れるだけで相手を吹っ飛ば
して壁に叩きつけ、セーターを着た相手のセーターだけを掴んで相手を行動不能にし
たそうです。

へえええ!!

リアルというのは、突き詰めれば時として、フィクションを超えることがあるようです。

凄いわねぇ・・・

ま、そういう理論があったからこそ、東洋の格闘技に西洋があれほど注目したのでしょ
うね。西洋人の文化や動きでは、東洋の伝説的な達人達を説明する論理は出てきま
せん。歩きかたからして、彼らの常識とは全く違っていたのですから。日本が西欧に
対抗するためにこれらの術理を捨ててしまったのは、残念としか言いようがありませ
ん。

まあねえ・・・でも、そういう人達はやっぱり、「天才」だったから「達人」になったんじゃ
ないの?

どうでしょうか?  かって足軽の奉公の一つは、馬と並走して長距離を走ることなどが
あったそうです。才能より、練度がものをいう体術のような気がしますよ、日本の格闘
技というのは。

うーん・・・

日本において舞踊、作法などと体術はかなり密接な関係があったのではないかと思
います。生活の多くが体術を可能にする体を作る上で、重要な部分を占めていた、と
は、考え過ぎでしょうか?

・・・剣業、一致?

まあ、そんな所をもっと多くの人達が知っててもいいような気がしたのも、この話がで
きるきっかけですね。このままいくと本編より長くなりそうですから、このへんで、では。

そいじゃーねー!



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