我が囁きを届けよ南風 投稿者:Rune
 瑠璃子を――瑠璃子を壊した!
 僕が――僕が壊して――僕が!
 何で――そんなこと、を――
 僕は――僕は――
 僕が――何で――何で、僕は――
 ひとりはいやだよ、るりこ――

「どうして、月島さんに、そんなに優しくできるの、香奈子ちゃん」
 藍原瑞穂が、そう訊ねたことがあったっけか。
 その目は、理不尽への怒りに燃えていた。
 彼女をかつてぼろぼろに利用した男。電波で精神を破壊し、彼女を尊厳ある人間として
扱おうとしなかった男。下らない現実の逃避から、懸命に現実に生きている人間を奈落の
底へ蹴落とした男。
 月島拓也への怒り。
 ……それでも、彼女は説明しようとしなかった。
 弁護がしたくなかったからだろう。きっと。
 ……自分には、そんな気がした。

 ――あなたがルーンくんね?
 ……ああ。そうだが。
 ――食堂破壊をこの一週間で16件起こした子よね?
 ……風紀委員か、あんた。
 ――違うわ。今はね。
 ……自分を捕まえて志願しようってか。面白いけど、あんたじゃ無理だよ。
 ――私は、あの人の望むままに何でもするわ。彼が風紀委員になることを望めば、そう
選ばれて見せるし、雌になれと言われたら何時だって。
 ……なかなか興味深いんだが、まずあんたの名前を教えて欲しいんだけどな。
 ――太田香奈子よ。あなたに力を借りたいの。

 自分に話しかける馬鹿がいるとは思わなかった。
 自分は――あまり人好きのする容姿と性格の主ではなかったから。
 それでいいとも思っていた。自分は、ここに遊びに来たのではないから――
 ただ。この少女のプランはその遊びじゃない用事に非常に利用できそうだったし、そう、
何よりも面白く思えた。
 だから、力を貸すことにしたんだ――後に、すこちゃん、つまり2つ上の健やかのこと
を愛称でそう呼ぶんだけど、彼と引き合わされた時にはびっくりしたな。
 思えば、すこちゃんなりの配慮だったのかも知れない。
 彼は、自分が思い詰めていると思っていたみたいだったから。
 自分に、少しでも他人との関わりを持たせようと思って、彼女に自分の存在を教えたん
じゃないかと思ってる。すこちゃんは、そういうところがあるから――つまり、心が悲鳴
を上げてる時に、ひょいと何がしかのさりげないゆとりや解決への道を指し示してしまう。
 普通なら、そういうのって恩着せがましく思えるけど、彼のは実に優しい。
 どうも邪険にできないんだな。彼の提案って。あんまりさりげなさすぎて、気づかれて
ないこともしばしばあっけど。
 ま、それが太田香奈子との出会いだった。

「何て言うかね、率直に言っちゃうと、月島さんを元気にしてあげたいの」
 確かに率直だな。自分だったらもう少し言葉を選んで相手の真意を探るぞ。
「とはいえ……生徒会は、今は月島さんの手にないわ」
「……あの人が会長とか聞いてるけど」
「一応ね。でも、それ以外のスタッフがみんな月島さんの考えと相容れないのよ」
「ま、混乱を起こすような人材が生徒会役員に推薦されるわけがねえわな……それで?」
「月島さんの考えを実行するための別の組織が欲しいの。
 一応女生徒も当たりを何人かつけてあるわ」
「生徒会でできないような行事の強行ってか……」
「そういうこと。月島さんは別に何か大変な悪いことをしようってわけじゃないわ。
 毎日に張りのある生活を出すためには、多少のハプニングが不可欠よ。
 それをあの人は意図的に演出しようとしているだけ……」
「演出、ねえ。例えば大雨の日に傘が一本残らず消え失せていましたとか、ジャムパンの
中身に何故かわさびがたっぷりとか?」
「ええ。それでも、昔はあの人の親友である、風紀委員長の――」
「久々野彰、か。知ってるよ。同じ中学の出だから」
「そう。その久々野先輩が、風紀委員会を取り仕切って、実働をやっていたわ。けれど、
その久々野先輩も引退。もう、月島さんのプランを実行できる存在がいないのよ」
「…………ふむ…………」
「どう? 協力して貰える?」
「一つ訊いてからだ。その月島ってのは、単なるお祭り好きの人間なのか?」
「……………………」
 彼女は、その問いに躊躇ったようだった。
「……あんだよ。困るような質問なのか」
「……違うわ。でも、他言は無用にしてくれる?」
「勿論」
「――そう。なら教えるけど――」

 ……………………
「彼女の笑顔を取り戻すため、ですか」
「…………あれから、瑠璃子は笑わなくなった」
「あなたの知っている月島瑠璃子がね」
「…………君には理解らない。瑠璃子の笑顔を何度も見てきた僕以上に何が理解ると?」
「少なくとも、彼女は元には戻らない」
「…………笑える筈だ。瑠璃子はね、本当はもっと明るく笑えるんだ」
「今の彼女を彼女ではないと否定する」
「…………違う。違うんだ。瑠璃子は瑠璃子だ。けれど、僕が壊してしまっただけだ」
「直せないものを直せると言いますか」
「…………瑠璃子を壊したのは僕だよ。そう、僕だ。だから、僕は、瑠璃子に、瑠璃子を、
取り戻してあげたいだけだ」
「今が、彼女の本来かも知れませんよ」
「…………君に言わせるものか。瑠璃子の笑顔に、守っていた者の幸せの表情に救われた
ことがあるかい。廊下を走って飛びついて来る時の瑠璃子のまなじりを知っているかい。
瑠璃子がいなくなるなんて、僕には耐えられない」
「それは単なるエゴだと言うんですよ」
「構うものか。生まれてから、ずっと、ずっと、ずっと身を寄せ合っていたんだ。るりこ
は、僕の半身であるとさえ言っていい。るりこを、もう一度失う前に、完全に、取り戻す。
 るりこを失うことは、僕自身を失うことに等しいんだ」
「思い込みでしかないと後悔しますよ」
「その時は僕は二度と口を開くまい」
「そんな馬鹿げた覚悟で、こんな馬鹿げた祭りを催してる」
「るりこが笑顔を取り戻してくれるなら、僕は何だってするさ」
「日々起こる事件、事件、事件――その中で、彼女の緊張がほぐれて、いつか『あなたの』
月島瑠璃子の笑顔が取り戻されると。信じているんですか。本気で」
「僕がここにいる理由だ。そして、それだけは誰にも犯させない」
 ……………………

「じゃ、お願いするわね。ルーンくん。健やか先輩」
 彼女はそう言って、別の校門の方へとビラを配りに駆けだしていった。
 すこちゃんの視線は、やや曖昧ながらも彼女の背中に向けられている。
 自分は溜め息を吐いた。
「そんなに気になるんなら、自分で笑わせりゃいいのに」
「?」
 すこちゃんが、視線だけこちらに向ける。
 自分はもう一度嘆息すると、理解りやすいように言い直した。
「よーするに、すこちゃんは、あの娘のことが気になるんだろ。
 なら、こういうまどろっこしい協力をやらなくたって、あの娘を幸せなり何なりにする、
もっとストレートな方法があるんじゃないかと言いたいの」
「…………そうかもね」
 彼は寂しそうに微笑んだ。
「でも、それじゃ意味がないんだ。僕は、今の太田さんが好きだから……」
「そーゆーもんなの?」
「そーゆーものなのです」
 少しおどけたように、答える。
「何かそゆのって、偽善っぽいなぁ」
「そうかもね。自己満足だから」
「……でも、自分のことなら自己満足で十分ってわけか」
「うん。これはこれで意味があると思うから」
「お人好しだよね。二人とも、さ」

 月島拓也は妹に笑顔を取り戻させたいと願っている。
 狂気の深淵から妹を優しく引き上げようとしている。
 太田香奈子は月島拓也に苦しんで欲しくないと望んでいる。
 だから、彼女は、彼の望みを叶えて上げたいと願っている。
 すこちゃんは、太田香奈子のそういう姿勢に、何かを感じている。
 だから、すこちゃんも彼女に倣って、彼女の気持ちを待っている。

 とことん滑稽だと思った。
 すこちゃんが見る娘は全く他人のことに気を焼いていて、その他人は全くその娘のこと
なんか眼中にない。
 すれ違いどころではない、深い深い隔たり。
 それを埋めようとしているのは、どう見たって喜劇じゃないか。
 おまけに、その喜劇の果てに得られるものは何もないかもって言うんだから。
 月島拓也が月島瑠璃子をただ溺愛するだけだったら、太田香奈子はどうするんだろう。
 太田香奈子が月島拓也にその力添えの果てで恋愛関係を築いてしまったら、すこちゃん
はどうするんだろう。
 笑って許せるのか、そんなことが。
 今まで見守ってきた時間全てが無に帰すことに、堪えられるのか。
 そういったことは、おそらく当人にしたってどこかで割り切れないだろう。
 けれど、今は、割り切ったつもりでいて、そして未来も割り切るつもりでいる。
 最初から希望なんか持たずに。
 それも自己満足だった。
 でも、それが幸せだというなら――
 それもたまには悪くないと、言うんだろうな。きっと。

「しゃーないなぁ」
 ごろんと寝転がる。
 元々ビラ配りを手伝う気はなかった。
「あ、るーちゃん、サボる気ぃ?」
 恨めしげなすこちゃんの声も、南からのそよ風に乗って、何処か涼しげだ。
「だって、自分がビラ配るよりすこちゃんが配った方が絶対心証いいじゃない」
「それは詭弁だよぅ。るーちゃんは人を睨む癖があるから……その癖を直せばいいじゃん」
 むぅ。
「駄目。パス。向いてないって。こゆの、自分」
「しょーがないなー……」
 諦めた様子で、すこちゃんが校門に背を預け、空を見上げたのが気配で伝わった。
「……今日も、晴れそうだね」
「お気楽なくらいね」
 とりあえず、自分にできることはそんな返事をすることだけだった。
 すこちゃんをもっとせっついてやるのが、本当の親友ってやつなのかも知れないけど。
 こういう自己満足も、たまには悪くないと思った。
 エゴであることを肯定した矛盾する利他というのは、捕らえどころがなく、柔軟で強い。
 へにゃへにゃ形を変えていく雲を見ながら、お互いに、今日幾度めかの溜め息を吐いた。

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 暗躍生徒会の人間関係をまとめてみました(笑)。
 戦闘の強さを全面に押し出さないのもテーマである暗躍で、人間の強さという格好良さ
を利用しない手はありません(笑)。どの辺が悪かと訊かれると非常に困りますが(笑)。
 香奈子は拓也が好きなのかどうか、香奈子自身でも確信が持てていなかったりします。
 それが恋愛なのか慈愛なのかは、今後によるものが大きいです(笑)。
 ただ、彼女が己に結論を着ける時というのは、間違いなく瑠璃子に笑顔が取り戻された
後のことでしょう。それまでは、彼女は献身的に拓也のフォローを続けていくと思います。
 リアリストの割に単なるお人好しか。それとも恋するあまりに己さえも顧みないのか。
 どちらにしても、結構魅力的なキャラクターです。
 後は、ギャグがもう少しこなれると嬉しいんですけどねぇ(笑)。
 次はどうしようかな。ギャグで行くかシリアスで行くか……
(そーいえば今回浩之出てこなかったな。ま、いいか。嘘つきは罪じゃないし)

『今日のハイドくん』
「や。どーもどーも」
 ルーンが、しゅた、と左手を挙げながら、生徒会室に入ってきた。
「なっ、君は!」
 さすがに本部強襲をかけてくるとは思わなかったか、岩下が腰を浮かせた。
「あーいえいえ。別に喧嘩を売りに来たんじゃないんですよ。お中元です」
 なるほど。確かに小包を持っている。
「昨日からヒメカワ星特産になった、『ハイドくん饅頭』です。ほら、間接が動くんです」
「それって饅頭かしら……」
 ぼんやり呻く美和子。
「ここを押さえると、助けて、助けてって鳴くんですよ」
 ……………………
 ……………………
「……そういえば、昨日からハイドラント君を見かけないわね〜」
 少し鈍い由紀がお茶をいただきながらのほほんと言う。ルーンは特に気にせず続けた。
「あ。出来立てでしかも限定品ですんで、早めに食べて下さいね」