キャンパスLメモ「絵画『夕日の中で』」  投稿者:Sage
「んしょ・・・」
 その日、琴音は掃除当番だった。
 燃えるゴミの入ったゴミ箱を、校舎裏の焼却場へ運ぶ。
 今日は配られたプリントや、帰ってきたテストが多かったせいか、スチール製のゴミ
箱には、結構な量の紙が詰まっていた。
 抱えてしまえば運ぶのも楽なのだろうが、制服が汚れてしまうかもしれないので、や
むを得ず取っ手を掴み上げて運んだ。
 中途半端な体勢は、高校一年生の女子にはつらい物があり、途中、何度か休憩するは
めになった。
 長い廊下を抜け、裏口からそとに出る。
 焼却炉がある場所までは、あと50mほどだ。

「ん?」
 何度かの休憩を終え、ふたたびゴミ箱を持ち上げ、焼却炉の方へ向かう琴音の視野に、
人影が映った。
 華奢な体、ウェーブの全くない、綺麗なストレートの黒髪を後ろで三つ編みに束ねた
その女性の姿には見覚えがあった。
 そう、あれは数日前、美術の先生に勧められて、琴音が美術部の見学に言ったときの
事だ。



「はぁぁぁぁぁ・・・・・。」
 その絵を見て、琴音はため息をついた。
 大きな犬が1匹座っている絵だった。
 古風な洋館の大きな玄関。
 犬はそのドアの手前に座っていた。
 じっとその玄関を見つめる犬。
 その犬を照らし出すように天窓から差し込む、やや赤みの混じった穏やかな光。
 夕方、主人の帰宅をまつ、犬の姿がそこには描かれていた。
 まるで宗教画の様な荘厳なおもむき。
 それでいて、今にも玄関がひらき、人が入ってきて、その人に犬が飛びついていきそ
うな、そんな臨場感。
 今まで琴音は静物画や、動物の写生などをしたことはあったが、自分にはこんな絵は
とうてい書けないと思った。
「・・・・ジョンって言うの。」
「え?」
 ふと振り向くと、一人の女生徒が立っていた。
「ジョンっていうの・・・その子。」
「ジョン・・・ですか。お知り合いの犬さんですか?」
「ううん、たまに遊びに来る子・・・。この絵は、ジョンの思い出なの・・・・」
「ジョンの・・・思い出ですか?」
「うん・・・。冬の最中にしては、暖かい日。ジョンはいつものように玄関で飼い主を
待っていたんですって・・・。夕方の日差しが体にあたって気持ちよかったんだって。
でも、居眠りしないでご主人をずっと待っていたんだって・・・。自分を見て、疲れた
顔がぱぁっと明るくなるご主人様が大好きだったから。・・・・。ジョンがまだ若く、
最初の飼い主が、まだご存命だったころのお話だけど・・・。」
「そうですか。」
「あ、ごめんなさい・・・変な話を聞かせて・・・。」
「いえ・・・・。すごく綺麗な絵です。感動しました。」
「そんな・・・私はジョンのイメージのままに書いただけよ。」
 その女性は頬を染めた。
「くすっ。まるでジョンさんから直接聞いた見たいにおっしゃるんですね。」
「くすくす。そうね。直接話したわけじゃないんだけど・・・この絵を描いたときね、
なんとなく伝わってきたの・・・。このイメージが。まるで、ジョンの見た風景を誰
かが通訳してくれるみたいに伝わってきて・・・・自然に書けたの。」
「そうですか・・・・・・。いつか、私もこういう絵を描いてみたいです。」
「くす・・・。あなたなら書けると思うわ。なんとなくだけど、いろんな『声』が聞ける
人の気がするから・・・。」
「『声』、ですか?」
「ええ。なんて言ったらいいかしら・・・描く対象が、どう書いてほしがっているか、を
つかめる力、言葉にならない言葉を聞き取る力・・・みたいな・・・」
 琴音は一瞬どきっとした。
 彼女は自分の超能力について知っているのだろうか・・・
 だが、そんなそぶりはその女性から感じられなかった。
 おそらく自分がだれかも判らないだろう、と琴音は思った。
「あ、自己紹介してなかったね。私、3年の長谷部です。」
「1年の姫川です。今日は先生に勧められて部の見学にきました。」
「そう。貴方みたいな人なら大歓迎よ。よろしくね、姫川さん。」
「はい。こちらこそよろしく。」
 それがその絵を描いた女性、長谷部彩との出会いであり、姫川が美術部で本格的に絵
を始めるきっかけでもあった。



「長谷部先輩、どうしたんですか?」
「・・・・・・・ん?」
「どうしたんですか?こんな所でゴミ箱抱えて。」
「あ、うん・・・・。ゴミを捨てに来たんだけど・・・・」
「それじゃあ、いきましょ?」
 琴音は彩に先んじて焼却炉の方へと足を踏み出す。
「・・・・だめ。」
 と、突然彩が琴音の肩をつかみ、彼女を引き留めた。
「え?」
「・・・だめなの。行っちゃ。」
「え?どうかしたんですか?」
「うん・・・・・。」
「変な先輩ですね。早くゴミを捨てて行きましょうよ。」
「・・・・・・・・」
 だまったままふるふると首を横に振る彩。
「どうしたんです?」
「・・・行っちゃだめって言ってるの。だから行っちゃだめ・・・。」
 彩は琴音の肩をぎゅっと握って離さなかった。
「言ってるって・・・先生か誰かがですか?」
「・・・わからない・・・でも、『行くな』って・・・」
「うーん・・・・・でも、ゴミを捨て・・・」

 バァン!!!!!!!!!!!!!!!!

 突然、焼却炉の一つから破裂音が響いた。
 と、同時に蓋が吹っ飛び、中から燃えさかる火の粉が数メートルに渡って散乱した。
 音にびっくりして、硬直する二人。
「な、なに?」
 おそらく誰かがガスを抜かずに捨てたガスボンベが、間違って燃えるゴミに混入し、
誰も気が付かずに焼却炉に入れられたのだろう。
『そのままゴミを捨てに行っていたら危なかった。』と、琴音は思い、そして背筋が寒
くなる思いがした。
 そう。彩が止めてくれなければ琴音はあの火の粉を浴びることになっていたのである。



「そっか、そんなことがあったのか。」
「はい。」
「(ぼそぼそぼそ・・・・・・・・・・・・・・・。)」
「え?『彩さんは、精霊さんの声が聞こえるみたいです。』って?」
 こくこく。
 放課後、たまたま帰り道で一緒になった藤田浩之と、来栖川芹香に、そのときの話を
琴音が離して聞かせると、芹香はいつもの調子で小さくつぶやき、そしてうなずいた。
「へ〜、精霊ねぇ。世の中不思議なことがまだまだあるんだなぁ。」
「そうですね。」
 こくん。
「あ、でも、この話、志保にはぜってー内緒にしないとな。琴音ちゃんの時みたいに、
また大騒ぎにされたら迷惑だもんな。」
「くす。そうですね。」
 こくこく。
「なぁ〜にぃ?私がどうかしたって?」
「おわっ!でたっ!」
 気が付くと3人の少し後ろに長岡志保が立っていた。
「『でたっ!』ってなによぉ!人をお化け見たいにっ。」
「背後霊みたいなもんじゃねーかよ。こそこそと人の後ろを。」
「なにがよっ!あんたたちが私の前に立ちふさがっていただけじゃないのよっ!とっと
とこの志保ちゃんに道をおゆずりっ!!」
「なにがだっ!こちらにおわすかたをどなたと心得るっ!かの。来栖川財閥のご令嬢、
来栖川芹香お嬢様にあらせられるぞぉっ!!」
 ぺこり。
 浩之のふざけた紹介にもまじめにお辞儀をする芹香。
「うっ・・・こ、これはごていねいに・・・」
 志保も先天性お嬢様体質の芹香につっこみをいれるわけにはいかず、お辞儀して返し
た。
「くすくすくす・・・・」
「あはははははははは・・・・」
 思わず笑いを漏らす琴音と浩之。
「も、もうっ!うっさいわねぇっ!!そんなことより、私がどうしたって?」
「なんでもねぇよっ!!な。」
「はいっ。」
 浩之の問いに明るくうなずく琴音。
「さ、早くいこうぜっ。」
 浩之は、琴音と芹香に手を添えると、学校から伸びる坂を足早に下り始めた。
「あっ!こらっ!!ヒロ!!ちょっとまちなさいよぉ!こらぁ!!」
 あわてて追いかける志保。

 そんな4人を、長谷部彩は校舎の3階の窓から暖かく見まもっていた。
 4人を夕日が包んでいた。
 その夕日は、あの絵の日差しのように穏やかだった。


−END−

(C)Sage 1999