Lメモ過去編・第二章「平和の刻」 投稿者:セリス
  時間…。
  それは、川のように流れていく。
  ある時は穏やかな清流となって。
  ある時は激しい濁流となって。
  人に素晴らしい安息を与えてくれ、また時として命を奪う事もある。

  変化は、ゆっくりとゆっくりと、だが確実に進行していく。
  だから、最初は誰も気付かない。
  そして、もはや手遅れとなった段階になって、ようやく気付くのである。




 透也の父・一仁は、確かに貧しい暮らしを強いられていたが、曲がりなりにも武士である。
 大名からのお召しがあれば即座に参上せねばならないし、また一仁自身も、
「戦場で一旗上げてやろう」と思っていた部分もあった。
 そのせいもあって、一仁は透也に対し、幼い頃から剣術の稽古をつけてきた。
 ゆくゆくは自分の跡を継いで、武士にならねばならないのだ。
 透也も剣術に対して興味を示し、才能もそこそこあったので、日を追う毎に腕を上げていった。
 透也が腰に差している木刀も、一仁が与えた物である。
 その木刀を使い、透也は日夜訓練を続けていた。




 透也が十歳になったある日。
 その日も、透也はいつものようにまどかの家へ向かっていた。…と、
「おーい、透也くーん!」
 畑の方から呼び止める声がする。
「はーい、なんですかー?」
 元気に答える透也。
 振り向いた先にいたのは、まどかの父。
「今日はまどかの調子が良いんだ。悪いんだけど、いつものやつ、頼めないかー?」
「はーい、分かりましたー!」
 畑の方へ大きく手を振って合図すると、透也はまどかの家へ走り出した。
「まどかちゃん、今日は元気なんだ…嬉しいな〜」
 気分が良いせいか、普段より早く走れているような気もする。
 そして、まどかの家につくと、
「まどかちゃーん!」
 いつものように呼びかけ、家へ入っていく。
「…透也くん。いらっしゃい」
 まどかも、やはり横になったままであるが、幾分顔色が良いようだ。
「まどかちゃん。おじさんに言われたんだ。今日は外に行こう」
「え、本当…? 嬉しいな…。…透也くん、面倒かけてごめんね」
「そんなことないよ。まどかちゃんと一緒に外を歩けるなんて、滅多にない事だもん。
僕もすごく嬉しいよ」
 そう言うと、透也は出口を向いてしゃがみ、まどかに背を見せた。
「さ、まどかちゃん」
「…うん、お願いね」
 すっ…と軽い衣擦れの音をたて、まどかは立ち上がり、透也におぶさった。
 いくらまどかが病弱だとはいえ、日光に全く当たらないのもかえって体に悪い。
 だから、まどかの体調が良い日は、こうして透也がまどかをおぶって、外を歩くのだ。
「よし、じゃあ行こう」
「…ええ」
 透也はまどかをおぶったまま草履を履き、戸口から出る。
「………ふぅっ…」
 特に日差しの強い日ではなかったが、なかなか外に出られないまどかにとっては、久しぶりの日光は眩しい。
 手をかざして光を遮る。
「まどかちゃん。どこにいこうか?」
「どこでもいいよ。透也くんの行きたい所へ行って」
「ダメだよそんなの!」
 透也はちょっと怒ったようにまどかを振り返る。
「まどかちゃん、滅多に外に出られないじゃないか。だから、今日はまどかちゃんの行きたいところへ行く日!」
「…ありがとう、透也くん」
「…い、いやぁ…」
 照れたように鼻の頭をかく透也。
「じゃあね、私、あの山に行ってみたい」
「あの山?」
「前に透也くんが話してくれたことあったじゃない。夕陽がすごく綺麗だった、って。私も見てみたいな…だめ?」
「うーん、あそこか…」
 透也はちょっと困った顔になった。
「ごめん…、あの山はちょっと遠いんだよ。今から行くと、帰りは夜になっちゃう。まどかちゃんの
身体によくないよ」
「…そう、残念だな…」
「あっ、で、でも、あの山と同じくらい綺麗なところ知ってるんだ! そっち行かない?」
「…うん。ありがとう、透也くん。そこに連れていってくれる?」
「うん!」
 透也は元気良く頷くと、まどかの身体を気づかって、静かに歩き出した。
「…透也くん。ごめんね、私、約束破っちゃうところだったよ…」
 まどかも、透也の口調に合わせるように、静かに口を開いた。
「…え? どうして?」
「…約束したよね。『元気になったら、一緒に見に行こう』って。元気になってからじゃないと、
見ちゃだめだよね…」
「…うん、そうだね…。元気になったら、一緒に行こうね、まどかちゃん」
「…透也くん…。…私……」
「………ついたよ、まどかちゃん」
 まどかの言葉を遮るように言う透也。
「…え?」
 まどかが周りを見回す。
 そこには、素晴らしい光景があった。
 高い岩壁の上から、糸のように細い滝が落ちている。
 滝壺は深く深く、どれだけ深いのか計り知れない。
 そして、それを取り囲むように林立する樹木。
 時折葉の隙間から陽光が差し込み、水面を照らし出す。
 樹木を揺らす風は、水面を渡り、心地よい涼しさを伴って吹き抜けていく。
 時折魚が跳ねる水音が響き、葉擦れの音に重なって絶妙なハーモニーを生み出す。
 …全てが一体となり、自然の調和に基づいた美を形作っていた。
「…きれい…」
「僕も気に入ってる場所なんだ。ここに誰かと一緒に来たのは、まどかちゃんが初めてだよ」
「…そうなの?」
「うん。だから、これは二人だけの秘密だよ」
「…うん、分かった。秘密だね…」
 それきり、二人は話をしなかった。
 時間の経つのも忘れ、目の前に広がる大自然を見つめていた。




「まどかちゃん、ごめん。遅くなっちゃった…お父さんに怒られるかな…」
「きっと大丈夫よ。今日は身体の調子も良いし、かえって元気がでたもの」
 すっかり日も落ちた森の中、透也とまどかが帰路を辿る。
 まどかにとっては初めての体験だったし、何度もこの場所に来ている透也にとっても、
今日はなぜか特別な感じがした。
 二人とも、帰りたくないような、そんな気持ちがあった。
 だから、完全に夜になってしまうまで、帰らなかった。
「うん…それならいいんだけど…」
「透也くんは、私のためにいつも苦労してくれてるんだもの…これくらい…」
「…しっ、まどかちゃん、静かに!」
 透也が突然鋭い声を発した。
「え…?」

  グルルルル………。

 まどかの戸惑いに答えるかのように、二人の前に一匹の野犬が姿を現した。
 雑種だが、大型犬の血が混じっているように見える。
 体長は透也達と同じ、もしくはそれ以上か。

  ウウゥゥゥゥゥゥ………!

 野犬は黄色い目を爛々と光らせ、威嚇の声をあげながら透也達を睨み付ける。
「……………!!」
 まどかは恐怖に竦んでしまう。
「…くそっ。こんな事なら、早く帰るんだった…!」
 透也は右腕で腰に携帯している木刀を引き抜く。
 だが、まどかを背負っているため、左腕はまどかを支えねばならない。
「…透也くん。私を降ろして。私は邪魔でしょう?」
「そんなことできるわけないだろ!」

  ウォンッッ!!

 透也の叫びにも似た声に反応したのか、野犬が飛びかかってくる。
「く、くそっ!」

  ビシィッ!

 咄嗟に木刀で右に払ってガードするが、野犬はすかさず体勢を整え、頭を低くした前傾姿勢に移行。

  グゥゥゥゥゥ………!!

 強烈な殺気をぶつけてくる。
 透也も身体を右に向け、野犬と対峙する。
「…今にも飛びかかって来そうだな…」
 透也の全身を冷や汗が伝い落ちる。
 構えている木刀が震えているのが自分でも分かる。
 背中のまどかは、気絶してしまったのか、何の反応もない。
「…まずい、ここで手間取るわけにはいかない…! 早く帰って、まどかをゆっくり休ませないと…!
こうなったら一か八かだ!」
 透也は全身の力を右腕に込め、右足を強く踏み込むと同時に、右肘を左肩口のあたりにまで振りかぶった。
「くらぇっ!!」
 透也、全身全霊の一撃。
 だが。

  ザゥッッ!

 透也の木刀は、地面を数センチ抉ったに過ぎなかった。
「…ぐ、ぐあああっ……!」
 野犬は透也の一撃を左に飛んでかわし、そのまま透也の左腕に噛みついたのだ。

  ガリッ、ガッガッ……!!

「ぐあ、ぐあああああっっっっ………!!」
 野犬が強靱な顎を上下させ、身をひねらせる度、透也の左腕に激痛が走る。
 透也の左腕から、だんだん感覚がなくなっていく。
「こ、このっ…、このっっ……!!」

  ビシッ、ビシィッ…。

 透也は木刀で野犬を攻撃するが、野犬に効果的なダメージを与えられない。

  ガッ、ガッガッ……!!

「う、うあああああああっっっ………!!」
 激痛に耐えきれず、ついに透也の腕から一切の力が抜けた。
 唯一の頼りであった木刀が滑り落ち、左腕で支えていたまどかも地面に倒れ込む。
「…ま…まどか…!!」
 その時、透也にとって更に絶望的なうなり声が聞こえてきた。

  グルルルルルルル………!!
  グゥゥゥ……!!

「…な、仲間か…?!」
 野犬は群で行動する。
 透也に噛みついている野犬は、本隊の偵察役に過ぎなかった。
 それが、透也の絶叫と、血の臭いにひかれ、集まってきたのだ。
「…ぐぅっ…!!」
 透也は全身の力を振り絞り、何とか立ち上がろうとした。

  ガリッ……!

「ぐ、ぐっ…!!」
 左腕の野犬が少し身を捻るだけで、全身から力が抜け、代わりに激痛が走る。
「…く、くそっ…! 僕は…こんなところで死ぬのか? …まどかを守ることもできず、
野犬に喰われて終わるのが…僕の人生か…!!」
 だが、いくら気持ちを奮い立たせようとも、もはや身体が言うことを聞かない。
 指一本動かすだけの力さえ、透也には残されてはいなかった。
「…な、ならば…せめて…!」

  …ドサッ。

 透也は身体に残された全ての力を結集し、まどかの上に倒れ込む。
「…これで、運が良ければ…まどかは助かるかもしれない…」

 グルルルルルルル………!!
 グゥゥゥ……!!

 野犬達のうなり声が近づいてくる。
「…まどか…すまない…」
 その言葉を最後に、透也の意識は消えた。




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どうも、セリスです。
調子に乗って第二章も一気に書き上げました。
でも、相変わらずちっともLメモじゃない…(汗)
それに、ちゃんと最後まで書けるのかどうか、も心配です(笑)