Lメモ過去編・第五章「旅立ちの刻」 投稿者:セリス
 沈みかけた夕陽が薄暮を映し、間もなく夜の帳も降りようかという頃。
 村唯一の神社の社から、男達の声がする。
「…また、だめだった…」
「…今年も大不作か…」
 社にいるのは、村の主な男達。
 ここを村の集会所として使っており、この日も寄り合いを開いていた。
 一仁の姿もある。
 みな一様に憂いを帯びた表情を浮かべ、時折顔を見合わせては残念そうに首を振る。
「どうするよ…これでもう、三年続きで大不作だ…」
「…どうしようもあるまい。やれることは全てやって、それでも変わらなかったんだ。
土地神様のご意志なんだろう…」
 彼等が深刻そうに話し合っているのは、村の作物の収穫状況についてである。
 農業が唯一の産業である貧しい村にとっては、作物の出来不出来は、命に直結する重大事だ。
 今までは、特に恵まれているわけではなかったが、それでも秋にはそこそこには実っていた。
 それが、ここ二年ばかりはひどい凶作で、それまでの半分程度しか収穫できていないのだ。
 村人達は、この非常事態から脱しようと、総出で、原因と思われる事を解決しようとした。
 水が悪いとして、遠い川から灌漑水路を引いたり、たい肥が悪いと思って全く新しいたい肥にした。
 土着の神の祟りだと、村の守護神社へお参りにも行った。
 しかし、一向に改善の兆しは見えなかった。
 そして、三年目の今年も、やはり収穫高は変わらなかったのだ。
「…なぁみんな、もういいんじゃないか…?」
 沈んだ雰囲気の中発言したのは、まだ若い農夫。
「毎年不作だったとは言え、俺達はこうして生き延びてこられたんだ。もちろん領主様への年貢だって
欠かしちゃいない。これからだって、なんとかなるさ。だから、もういいだろう。俺達は十分にやったよ」
 男達は暗い表情でその言葉を反芻していた。
 これが三年前だったら…、初めて不作になった年だったら、誰もそんな意見に耳を貸さなかっただろう。
 だが、すでに三年もの年月が流れている。
 村人達も、彼等なりに精一杯力を尽くして、それでも何の結果も出せなかったのだ。
「…そうだな。とにかく、生きていくことはできるんだ。その事に感謝しよう」
「…ああ。欲をかいちゃいけねぇな」
 努力が、報われなかった。
 その場にいる男達は、全てを諦めてしまった。
 そうすることで、心理的な圧力からは逃れられるから。
 気持ちにもやや余裕が生まれ、男達の表情が少しだけ軽くなった。
 一仁も例外ではなかった。
 現状に納得してしまい、上を目指す気持ちを皆失ってしまったのだ。
 しかし、その事を誰が責められるだろう。
「…さて、そう決まったら、今日はもう終いだ。そろそろ帰ろうじゃないか」
「ああ、そうだな。帰ってかみさんに報告しないと…」
 集まっていた村人達は、三々五々家へと戻っていった。
 …しかし、一人だけ、重々しい表情を崩さなかった男がいたことには、誰一人気づかなかった。




 小さな貧しい村は、大変な事態となっている。
 それでも、透也とまどかの日常だけは、変わらなかった。
 …いや、二人の関係に、少しだけ変化があったかもしれない。
 それまでは、親しい間柄ではあったが、それでもどこかで一線を引いていた。
 その線が、透也が都から帰ってきてからは、少しずつ薄れてきた。
 そして、三年が経つ頃には、ほとんどなくなっていた。




 透也が十七になった、ある日。
「おい、透也」
 家族三人揃って朝食を取っている時、一仁が透也に話しかけた。
「何? 父さん」
「お前ももう十八…そろそろ結婚を考えてもいい年じゃないか?」
(注:満年齢ではなく数え年齢を用いています)
「な、何言ってるんだよ父さん。僕にはまだまだ早いよ」
「早いもんか。俺なんか十七の時には、もう所帯を持っていたもんだ」
 口ごもる透也を気にもとめず、一仁はしたり顔になって続ける。
「だいたいな、俺の跡を継いで立派な武士になろうって男が、いまだに独りでくすぶっている
なんてのは、ちょっと情けないぞ。こんなんじゃ、俺はまだまだ引退できないなぁ」
 一仁としては、奥手の息子を心配して、軽くハッパをかけたつもりだった。
 しかし、生真面目な透也は、かなり重い言葉に受け止めていた。
「わ、分かったよ、父さん…」
 堅い表情で答える透也に、
「おう、じゃあ早いとこ孫の顔でも見せてくれや。かっかっか…」
 陽気に笑って応じるだけだった。




コンコン。
「お、おーい…。ま、まどかー…」
 その日の昼間、透也はある決心をして、まどかの家を訪ねた。
 返事はない。
 それは当たり前の事だったが、何故か中に入りにくかった。
「…お、おーい…」
 戸口の前で、立ちすくんでいる。
「…透也くん…? どうしたの…?」
 まどかの不思議そうな声が、微かに聞こえる。
 その声で我に返り、透也は戸口を開けた。
「…いらっしゃい、透也くん」
 まどかは、いつも通りの優しい笑顔で迎える。
「あ、ああ…、うん…」
 透也は土間で草履を脱ぐと、まどかの布団の脇に軽く座った。
 微弱な風が生まれ、まどかの長い黒髪を柔らかく撫でていく。
「…透也くん、どうしたの? 今日は、なんだか変よ…」
「い、いや、そんなことないよ…。うん…」
 そうは言うが、透也の態度はどこかぎこちない。
 まどかには一目瞭然だ。
「透也くん。今日は、どんな話をしてくれるの?」
「う、うーん。そうだね…」
 まずは普段通りに話でもして、身体の緊張をほぐそう。
 透也はそう思った。
「今日は、「鬼」の話をしよう」
「…鬼?」
「うん。昨日、村を旅人が通りかかったんだ。その人に聞いたんだよ」
「なんだか怖いわ…」
「大丈夫だよ。領主様が、鬼を討伐するために、強い人を集めてるんだって。それで…」




  透也は、この日常は何も変わらないと思っていた。
  物心ついてからずっと、この日常を送ってきたのだ。
  まどかと共にある日常を。
  だから、微かな変化が起こり続けていることに気づかなくても、それはしょうがないことだった。




「…見事鬼を退治した人には、領主様がたくさんのご褒美を下さるんだって。そのご褒美目当てに、
強い人たちがたくさん集まってるから、今度は必ず勝てる、ってさ」
「…今度?」
「…うん。前にも、領主様の正規の兵士が討伐に向かったんだけど、鬼に負けてしまって、
みんな殺されちゃったんだって…」
「…ひどい…」
「…その人たち、本当はただの農民で、臨時に兵士にされただけだから、鬼に勝てなかった…。
だから、次は強い人を集めて、今度こそ鬼をやっつけるんだってさ…」
 透也は下を向き、暗い声で話していた。
 まどかも、黙って俯いている。
 …言い様のない空気が、二人を包んでいた。
「…ご、ごめん! つまんない話しちゃって。じゃ、じゃあ今日はこれくらいで…」
 透也は気分を変えるように言うと、慌てて立ち上がり、帰ろうとした。
「あ、待って、透也くん…」
 まどかが透也の左腕を手に取った。
「…透也くん、どうしたの? 今日の透也くん、なんだか変よ…。どこかよそよそしい…」
「えっ…、そ、そんなこと…ないと思うけど…」
「…透也くん。私には言えないような事なの…?」
 まどかは伏し目がちになり、どこか寂しげにつぶやく。
(え、えーいっ!)
 透也は一大決心を固め、まどかの両手を握りしめた。
 そして、まどかの瞳を見つめると、
「ま、まどか! 頼む、僕と結婚してくれ!」
「…え?」
 まどかは一瞬何を言われたのか理解できず、惚けたようになる。
 しかし、顔を赤くして固まっている透也を見て、やっと言葉の内容をのみ込めた。
「と、透也くん…今、なんて…?」
「………」
 透也の顔は真っ赤だ。
「そ、そんな…。私なんて、体も弱いし、病気がちだし…」
「い、いや…、僕はまどかが好きなんだ。まどかじゃないとだめなんだ!」
 まどかの両手を握る手に力を込める。
「…透也くん…。でも…私は…」
「まどか、僕はまどかだけが好きなんだ。まどか以外の人とは結婚なんてできないんだ!」
 力を込めて言い、それから自分の言葉の意味に気づき、ますます顔を赤くする。
「…うん、ありがとう…透也くん。私も透也くんが好き…」
 そう言って透也を見つめるまどかの瞳は、涙で溢れていた。
「まどか、じゃあ…!」
「…うん。結婚しましょう、透也くん」
 まどかは優しく頷いた。
 その拍子に、涙が一滴こぼれ落ちた。




  それは、ままごとのような、淡い結婚だったかもしれない。
  それでも良かった。
  お互い、相手が側にいてくれれば、それ以上は何もいらなかった。
  このまま、ずっと一緒にいられると思っていた。




                                   
「…じゃあ、今日はもう時間だし、そろそろ僕は帰るよ。明日、おじさんとおばさんに、一緒に話そう」
 透也は立ち上がろうとした。
「うん。あした……げほ、こほっ……」
「まどか、無理しちゃだめだよ。今日はもう休んで…」
 まどかは左手で口元を押さえ、少し咳き込んだかと思うと、
                                            だが、
「……ぅっ………」
 突然胸を押さえ、その美しい顔を苦悶に歪めた。
「ま、まどか?! どうしたんだ、まどか?!」
 透也の呼びかけにも答えない。
 いや、答えられないのか。
「まどか!」
                                           悲劇は、
  …ドサッ。

 まどかは苦しげに布団に倒れ込み、そのまま意識を失った。
 ぜぇぜぇと苦しげな息づかいをしている。
「ま、まどか!」
 透也は素早く立ち上がり、
「…ま、待っててくれ。すぐ医者を呼んでくる!」
 はだしで家を飛び出すと、そのまま隣町の医者のところへ飛んでいった。
                                           訪れた。



「…………」
 透也の呼んできた医者は、まどかを診察すると、厳しい表情を崩さぬまま振り返った。
 そこには、透也、それにまどかの両親がいる。
「…ま、まどか、大丈夫ですよね。すぐに良くなりますよね」
 透也は内心の不安を隠し、元気な声で話しかけた。
「…………」
 しかし、透也が期待していた返答は得られない。
「…そうですよね、まどかは大丈夫ですよね!」
 医者は顔をしかめ、重々しく口を開いた。
「…もってあと二週間というところだろう」
 その言葉を聞いた瞬間。
 透也を取り巻く全ての世界が色を失った。
 何か言おうとするが、口が空しく上下するだけで、何の音も発せられない。
「…そ、そんな…」
 泣き崩れるまどかの両親を横目に、透也は動けない。
 動くことができない。
「……う、う…そ…だ…」
 やっと、それだけを言う事ができ、体が少しずつ動かせるようになってきた。
「うそだ…。嘘だ、うそだ、うそだ! なんで、そんないきなり悪くなったりするもんか! 
ついさっきまでは、普通に話していられたんだ! なのに…!」
 思わず、医者に掴みかかる。
「…いや、かなり前から少しずつ苦しくなっていたはずだ。両親や君に心配をかけまいと、
普通に振る舞っていたんだろう…」
 透也は、医者のその言葉に、大きなショックを受けた。
「ま、まどか…。そんな、僕に心配かけないために…無理に元気に振る舞っていたのか…。
本当は、辛かっただろうに…不安だったろうに…。…なのに、僕は…僕は…!
誰よりもまどかに近い場所にいると自惚れていた…。
まどか…」
 透也はまどかを見つめ、力無く崩れ落ちた。
 泣くことしかできなかった。
 自分の愚かさに、まどかの優しさに。
 そして、苦しんでいるまどかに何もできない、己のあまりの無力さに。
 その場にいる誰も、透也にかけるべき言葉を持たなかった。
 …やがて、透也は医者を見上げた。
「…どうすれば、まどかを助けられるんですか?」
「う、うむ。直接の原因は栄養失調による体力の低下だから、しっかり栄養をとらせれば
ある程度は回復するが…それも一時しのぎだろうな」
「…栄養失調…なんで…?」
 虚ろな眼でつぶやく透也をよそに、医者は言葉を続ける。
「長期間、十分な食事をとれていなかったんだろう。身体が衰弱しきっている…」
「…どうして…?」
「…それは、私達の責任だ…」
 まどかの父が、うめくように口を挟んだ。
「…三年も前から、作物が思うように取れなくなってしまった…。ぎりぎりの所で暮らしていた
私達にとって、それは致命的だった…」
「…食事を減らしても、まどかは文句一つ言わなかったの…。むしろ、私達の体を気づかってくれさえしたわ…」
 二人は頭を垂れた。
「じゃ、じゃあ…まどかを助けることはできないんですか? …そんな…そんな事って…!」
 まどかの布団の端に両の拳を押しつけ、嗚咽を漏らす透也。
 そんな彼を哀れに思ったのか、医者が落ち着いた口調で声をかけた。
「…どうしても無理、というわけでもないかもしれない。京の都は日本の中心、隣の国からの
進んだ医学もあるという。それに頼れば、なんとか助けられるかもしれない…」
「ほ、本当ですか?!」
 一筋の光明に、透也の表情も和らぐ。
 だが、医者は重い声で言葉を続ける。
「しかし、そのためには多額の金がかかる…君達ではとても出せないだろう」
 透也は躊躇なく土下座した。
「僕が一生懸命働いて、必ず返します! だから、どうかお願いします!!」
「…すまないが、小さな町の医者である私などで立て替えておける金額じゃないんだ…」
 医者も辛そうに言う。
 最後の望みも絶たれた透也は、涙を拭うことも忘れ、まどかに振り向いた。
「…僕は…僕はなんて無力なんだ…! まどかが苦しんでいるのに…何もできないのか、僕は…!」
 再び泣き崩れる透也。
 大人達はそんな彼をそっとして、家から静かに出ていった。




「…まどか…」
 いくら泣いても、涙が涸れることはなかった。
 透也はまどかの側に座り、穏やかな声で語りだした。
「…こんな事になるのなら…鬼の話なんて、するんじゃなかった…。これが最後だと分かっていたら、
もっともっと楽しい事を…。いろんな事を話したのに…」
 透也は、まどかの事しか考えられなかった。
 笑顔のまどか。
 泣いているまどか。
 怒った顔のまどか。
 悲しんでいるまどか。
 十七年間ずっと一緒に過ごしてきて、これからも一緒にいられると思っていた、まどか。
「…やっぱり、もっと、一緒にいたいよ…。まだ別れたくないよ…。話したいこと、
一緒にしたいこと、これからのこと…。まだまだ、たくさんあったんだ…これからだったんだ…。
まどか…」
 再び視界が滲んでくる。
 透也は自分の無力さに絶望し、膝に拳を打ちつけた。
 …その瞬間。
 透也は思い出した。
 旅人に聞いた、鬼退治の話。
 鬼の首領を討ち滅ぼした者には、多額の褒賞を与える、というお触れの事を。
「……………」
 透也は静かに立ち上がった。
 胸に確固たる決意を秘めて。
 涙はいつの間にか止まっていた。




 数刻の後。
「………」
 透也は布団に入ったまま、隣で眠っている父母の様子を窺っていた。
「……すぅ…すぅ…」
「………ぐがが…」
 二人とも、日中の仕事で疲れきっているのか、夜が更ける前に眠りについていた。
 しかし、透也は慎重に二人の様子を探っている。

 透也は、鬼討伐隊へ参加することを誰にも言わないつもりだった。
 反対される事が目に見えているからだ。
 もしまどかに話すことができたなら、まどかもきっと反対しただろう。
(…でも、僕にできることはこれだけなんだ…他に望みはないんだ…)
 十分に時を待ち、父母が目を覚ます気配がなくなったところで、透也は起きあがった。
 音を立てないよう、慎重に服を着替え、昼の間に整えておいた旅支度を取り出す。
「………?」
 その包みに何か違和感を感じたが、ここで確認する余裕はない。
 草履を履き、家の戸口に手をかける。
「…父さん。母さん。…行ってきます」
 小声で呟き、静かに家を出ていった。




 透也は一人、村を一望することができる山の頂に立った。
「…すまない、まどか…。でも、これ以外に方法はないんだ…」
 ここで、透也は一度旅支度の包みを確認することにした。
 入れた覚えのない、長い棒状の物が入っているような感触があるのだ。
「…こ、これは…!」
 包みを開いた透也は、手に取ってみて驚いた。
 それは、一振りの刀だった。
 刀と共に、小さな巻物も入っていた。
 不審に思いながら、巻物を広げてみる。


   透也。
   やっぱりお前は、行くんだな。
   お前も、もう一人前の男だ。
   自分の信じる道を進め。
   この刀は、我が家に代々伝わる名刀「霊光丸」だ。
   きっと、お前を守ってくれるだろう。
   …達者でな、透也。
                                  父より


「…と、父さん…! …寝たふり…してたんだ…!」
 手紙を読み終えた透也は、涙をこぼしそうになるのをぐっとこらえた。
 霊光丸を手に取ってみると、何かあたたかな力を感じるような気がする。
「まどか、待っていてくれ…。僕は必ず、鬼を討ち滅ぼして、帰ってくる…!」
 透也は決意を新たにし、かの地――隆山・雨月山へと歩を向けた。
 もう村を振り返りはしなかった。


 透也、十七の時のことである。






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 ようやくここまで書けた…。
 でもまだまだこれからだ…頑張れぼく(笑)