Lメモ過去編『忘れえぬ想い』第七章 投稿者:セリス
 静かな夜であった。
 雲一つない澄んだ暗天を映し、日中無色の川面は蒼い清流へとその身を変じている。
 その川岸に、一人の娘が立っている。
 この国の物ではない不思議な、だがどこか神秘的な美しさを感じさせる衣服を身に纏い、
中空にかかる朧の月を眺めているその横顔からは、いかなる感情も読みとることはできない。
 あるいは、全天へ悠久の思いを馳せているのか。
「エディフェル様…どうしたのです?」
 いつからいたのか、娘の背後から男が声を発した。
 物憂げに佇む後ろ姿を見つめる瞳には、深い慈愛の念がこめられている。
「………」
 それを知ってか知らずか…、エディフェルと呼ばれた娘は何も応えない。
 ただその視線を遙かな月へ投げかけるばかりだ。
「…エディフェル様…」
「…私は…何を想っているのでしょう…」
 男の穏やかな呼びかけに、エディフェルは微かに視線を下げた。
「…私には、エイジがいてくれるのに…なのに、なぜ、このように、心が乱れるのでしょう…」
 蒼月を湛える水面に落とした瞳は、一人の男の姿を宿している。
「…エディフェル様。今日はもうお休み下さい」
 エイジは、それを肯定も否定もしなかった。
「…ええ。今日はもう、休みます…」
 エディフェルは、本当は答えて欲しかったのかも知れない。
 エイジに否定して欲しかったのかも知れない。
 エイジもまた、そんなエディフェルの想いに気づいていたのかも知れない。
 エディフェルに自らの想いを伝えたかったのかも知れない。
 しかし、二人はその後どんな会話も交わすことはなかった。
 二度とめぐり会うことはなかった。
 …そう、永遠の眠りが、美しき姫とその清廉なる守護者をわかつまで。

 煌々と輝く月だけが、全ての傍観者であった。






 透也は、蒼い蒼い月を、宿の一室に設けられた大窓よりぼんやりと見上げていた。
 淡い月光が、宿の布団に横になっている透也の姿を浮かび上がらせている。


 領主・天城義忠は、討伐隊出発を明日の正午と定めた。
 そのため、透也は一日の宿を取らなければならなかった。
 幸いにして、次郎衛門と同室に泊まることができたので、宿探しに苦労せずにすんだ。
「俺と同じ部屋に泊まらないか? 寝るには十分なスペースがあるし、宿代が半額ですむぞ」
 この誘いは、透也にとって渡りに船だった。
 ちょっとした路銀は持っているが、やはり旅費は節約するに越した事はない。
 次郎衛門はそれなりに信用できそうな人物だったし、長旅の疲れを十分に癒やす事も必要である。
 また、宿泊が一日ですむのも幸運だった。
 透也達がやってきた目的である「お触れ」は、数日前に出された物だ。
 そのため、隆山に近い土地より集まってきた戦士達は、早い者ではお触れが出された翌日にはもう到着していた。
 しかし、今日までは、天城義忠は誰とも会おうとしていなかったのだ。
 皆、門前払いに遭っていた。
(…戦う者がある程度集まるまで、待っていたのだろう)
 透也はそれについて、このように判断している。
 たまたま着いたその日に義忠に謁見することができたのは、実に幸運だったのだ。
(運でも何でも構わない…幸運だと言うのなら、それをとことん味方につけるまでだ…!)
 蒼く光る月を見上げながら、透也は自らを奮い立たせ、そしてまどかの事を想った。
 透也が村を出てから、今日で四日が経過している。
 明日、鬼討伐が五日目となる。
(まどか…待っていてくれ。僕は、必ず…!)
「…透也…」
 その時、突然次郎衛門が話しかけてきた。
 透也は次郎衛門が起きていた事に少し驚きつつ、すぐに言葉を返した。
「なんです?」
「………」
 しかし、次郎衛門は何も言わない。
「……………」
 透也が、さっきの次郎衛門の声は気のせいだったのかとさえ思い始めた頃、
「…なぁ、透也。お前、どうしてここに来たんだ?」
「…………」
 意外な質問だった。
 まさかこの男にそんな事を訊かれるとは、予想もしていなかった。
「…お前…いいのか? …恋人…いるんだろ…?」
「……………それは……」
 透也が言葉に詰まっている様子を感じ取り、次郎衛門は小さく笑うと、
「いいぜ、もう分かった。…お前も、好きな奴のために命を張ってんだな…」
「…次郎衛門さんも?」
「…まぁ、な…」
 透也がまどかを想うように、次郎衛門もまた、一人の娘を想っていた。


  今宵のような、蒼い月の輝く晩。
  静かなせせらぎが耳を潤す川縁。
  偶然に出会った。
  鬼を口実にして声をかけた。
  しかし、言葉が通じなかった。
 「お前は、美しいな」
  その声も、言葉にのせた想いも、届かなかった。
  そして、別れた。
  ただ、それだけの事だ。


「…どことも知れぬ国の娘だ…。できることなら、もう一度会いたいが…。
…多分…気持ちを伝える事も…かなわないんだろうな…。俺の言葉が…通じなかったように…」
 語尾には、自嘲の色も窺える。
「…そんな……そんなこと、そんなことない! 絶対に!!」
 透也は思わず、悲痛な声で叫んでいた。
「言葉が通じなくたって…、国が違ったって…、そんなのは、…そんなことは関係ないんだ!
本当に好きなんだったら…、忘れられないんだったら、…いつも想っていればいいんだ。そうすれば、
想いは確実に伝えられるんだ!」
 いつしか、次郎衛門の言葉に、自分とまどかの姿を重ねていた。
「…そう…そうだ…な…。…初めから諦めていたら、どんな願いだって叶うわけないよな…」
 次郎衛門の声も、少しずつ張りを取り戻してきた。
「そうですよ。だから、次郎衛門さんも、諦めないで下さい。諦めてしまったら、…いつか、きっと
後悔しますから…」
「ああ。…柄にもない事言っちまったな。このことは忘れてくれ」
「はい、分かりました」
 透也はなぜか心が落ち着き、にっこりと笑った。
「…そろそろ、僕は眠ります。お休みなさい。また明日」
 安心したのも束の間、睡魔が急激に襲いかかってくる。
 自分の布団に体を落ち着けてすぐ、安らかな寝息をたて始めた。
「…ありがとよ、透也…」
 次郎衛門も、柔らかい口調で小さく呟くと、瞼を閉じ、再び眠りについた。




 そして、数刻後。
 運命の一日の朝が明けた。






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 …タイトル(『忘れえぬ想い』)をつけるのを今まで忘れていた…(超激烈爆)
 …ぼくって…バカ?(笑)