Lメモ過去編『忘れえぬ想い』第八章「強襲」 投稿者:セリス
 ついさきほどまで天高く輝いていた太陽は、早くも沈みかけている。
 斜めに差し込む陽光に照らされた木々が真っ赤に染まり、凄惨な殺戮の跡のような雰囲気を醸し出している。
 そんな嫌な予感を覚え、透也はぞっとした。
 特に、これから自分が何をするのかを思うと。
 何のために、こんな時間に山を登っているのかを思うと。
「………」
 しかし、透也の隣を歩いている次郎衛門は、そんなことを思ってはいないようだ。
 特に何の感慨も見せず、淡々と山道を進んでいる。
(…だめだな、僕は。実戦経験のある無しの差だろうな、これは)
「透也。『鬼』を恐れているのか?」
 次郎衛門は、いつも突然切り出してくる。
 もっとも、会話とは大概突然始まるものなのかもしれないが。
「…いえ。そんなことは、ないんですけど…」
 視線を合わせないまま、やんわりと否定する。
 そう、透也には、怯えている暇などない。
 一刻も早く村へ戻らねばならない。
 僅かな時間さえ惜しい。
(…そのために、僕はここへ来たのだから…)
 自らの命を預ける霊光丸の鞘を軽く握る。
(…そのためなら、僕は…)
 それが悲壮な決意に見えたのか、次郎衛門は透也を安心させるように話し出した。
「心配するな。鬼なんてご大層な名前をつけられてはいるが、そんなもの、伝説の中くらいでしか
お目にかかれない、正真正銘の化け物だ。そんな奴等が、こんなひなびた片田舎にいるものか」
「え、じゃあ…」
「よくあるんだ。村を襲う人間達を恐れ、化け物の名で呼ぶことが。村人にとっちゃ、盗賊団だろうが
化け物の集団だろうが、どっちでもいいのさ。自分たちを苦しめていることに変わりないからな」
「でも、『妖かしの術を使う』とか、領主様は言ってましたけど…」
「噂に尾ひれがついたのさ」
 透也の疑問をあっさり切り捨てる。
「盗賊団なんぞ、恐れるに値しない。今のお前の力量なら、互角以上に戦えるさ。心配するな」
 そう言って、次郎衛門は透也の背中を二、三度叩いた。
 不器用ではあるが、彼なりに透也を元気づけようとしてくれているのだ。
 その心遣いが嬉しかった。


 しかし、透也達は知らない。
 雨月山を登ってくる彼等を、ずっと前から見ていた男がいることを。






『鬼』。
 透也達の敵は、そう呼ばれている集団である。
 次郎衛門をはじめ、討伐隊に参加している者で、敵が本当に『鬼』であると思っている者など皆無である。
 しかし、その呼び名は、決して誤ってはいなかった。
「常人には及びもつかない力を持っている」という意味においては。




「…フ、愚かな奴等よ。自ら殺されにくるとはな…」
 男は眼を閉じたまま、見る者を震え上がらせるような凄絶な冷笑を浮かべる。
 雨月山中腹にぽっかりと口を開けた洞窟の奥深く。
 この世のありとあらゆる音声を拒絶するかのような、重厚な静寂さを感じさせる空間。
 そこから透也達を見ている男こそ、「鬼」達の首領・ダリエリである。
 彼等は、人間にはない特異な能力をいくつも有している。
 その象徴とも言えるのが、全身の筋肉を数倍にも肥大化させ、体の随所に「角」や「爪」などを
尖らせた、人間形態から戦闘形態への変身能力である。
 その他にも、生物の「気配」を感じ取る能力が鋭いことや、言葉を介さずとも思惟のみでお互いの
意識を伝えあうことができる。
 また、ごく一握りの者は、それを越えるさらなる能力を持っている。
 それが際だっているのが、「皇族四姉妹」と呼ばれる特別な四人の姉妹達の末娘であるリネットであり、
彼女は彼等「鬼」達の母船「ヨーク」の『制御』に相当する能力を持っている。
 酷薄な笑みを浮かべているダリエリも、首領として相応しい多種多様な能力がある。
 その内の一つ、「千里眼」を、彼は今使っていた。
 ヨーク内にいながらにして、彼の眼は、雨月山に攻め入ってきた透也達の姿を確実に捉えていた。
 そして、彼等に音もなく忍び寄る、無数の「鬼」達の姿も。
「…ダリエリ様」
 自らの名を呼ぶ声に、一度瞼を閉じ、静かに開く。
 そこには、ダリエリと対峙する四人の男達がいた。
 彼等の来訪は、予期していた。
 だから、ダリエリはあらかじめ用意していた言葉をかける。
「…どうした? お前達は、戦わないのか?」
 ダリエリの声は、どこまでも冷たい。
 心の奥底を見透かし、あらゆる感情を凍てつかせるかのように。
「これ以上人間を追いつめてどうするんだ。いつか、手痛いしっぺ返しを喰らうかもしれない」
 四人の中の一人、『アズエルの守護者』ショウが、やや厳しい口調で訴える。
「愚かな事を。我等エルクゥの存在意義を忘れたのか?」
 しかし、ダリエリはまったく動じない。
 冷酷な声音を崩さない。
「エルクゥは狩猟者だ。そこに獲物がいる。だから狩る。ただそれだけの事だ」
 ショウ達は、申し合わせたかのように一様に口をつぐむ。
 反論することはできない。
 反論することは許されない。
 なぜなら。
 それこそが。
 『狩猟』こそが、『狩猟者』エルクゥの存在する理由だから。
 ダリエリ。
 多くのエルクゥ達。
 そして四人のエルクゥも。
 今までそうしてきたのだから。
「もし奴等がここまで来たら…どうする? お前達の護るべき『姫』が、奴等の手にかかるやも知れぬぞ…」
 押し黙る四人に、皮肉気に口元を歪めてみせる。
「…分かった。俺達も、戦う」
 押しつぶされるような沈黙を裂いて、イルクが口を開いた。
 吐き捨てるように。
 否定することができない、自らの弱さを嘆くように。
「…エイジ、行くぞ」
 傍らに立つ親友の肩を軽く叩き、イルクは瞬時に姿を消す。
「…やむを得ん…。俺達も行こう、セツ」
「…はい…。『姫』を護らなければ…」
 不承不承ショウとセツも気配を絶つ。
 しかし、エイジは動かない。
 じっとダリエリを見つめ、佇む。
 その視線は何を語るのか…それは、エイジにも分からない。
「…エディフェル様は…俺が必ず護る…」

  シュッ。

 それだけを言い残し、エイジは仲間を追うようにその場を去る。
「……フ、面白い…。出来るものならやってみるんだな、エイジ…。………ククククク……ファハハハハハハ……!」
 残されたのは、ダリエリの哄笑のみであった。






「…遠いですね…」
 額からしたたる汗を左腕で拭い、透也は次郎衛門に話しかけた。
 城を出たのが正午過ぎ。
 それが、もう闇の息吹が目覚めようとしている刻限なのだ。
 疲れても無理はないと、透也は思う。
「そりゃあな。城からあんまり近いようなら、そいつらも安心していられないだろう」
 しかし、次郎衛門は、たいして疲れていないようだ。
 透也は自分の体力の無さを痛感した。
「…おっ!」
 その時、一団の先頭を歩いていた男が何か見つけたような声を上げた。
「…おーい、みんな…」
 振り向いた、その男の顔が。
 いきなり、消えた。
 否、消えたのではない。
 切り飛ばされたのだ。
 男の左側…透也達から見て右側から、恐るべき力を伴った俊速の爪が通り抜けた。
 その爪は、そのまま男の頭部を薙ぎ飛ばした。
 残されたのは、首から上のない胴体。
 切断部から真っ赤な血流が噴水のように吹き荒ぶ。
 その体は風に揺られ、二、三歩よろめいて倒れた。
「…敵か?!」
 すかさず次郎衛門は自らの愛刀に手を伸ばす。
 透也もはっとして霊光丸の柄に右手をかけ、倒れた体の奥を見やる。
「………!!」
 そこには。
 頸動脈から立ち上がる鮮血を全身に浴び、真紅の体躯となった「鬼」が、立っていた。
 鬼は、朱に染まった右爪を一舐めし、透也達に視線を合わせると、

 ニタリ…

 と、笑った。






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 …今度は七章のサブタイトルをつけ忘れていました…(滝汗)
 …とゆーわけで、前回の正しいタイトルは、

  Lメモ過去編『忘れえぬ想い』第七章「月」

 です。
 …妙に長い(笑)