Lメモ過去編『忘れえぬ想い』第九章「生と死」 投稿者:セリス
 それは、時間にして、わずか五分間の出来事だった。
 それだけの短時間で、鬼退治の精鋭部隊は壊滅させられた。




 突然の一撃を受け、鈍い音をたて崩れ落ちる首無しの骸。
 次郎衛門はすかさず刀身を抜き払い、その眼のように赤い躯をさらす鬼へ斬りかかった。
「ウオオオオオオオオオッッッッ!!」
 刃をギリギリまで振り上げ、居合いの雄叫びを響かせる。
 そして、全身の力を込め一気に刀を振り下ろす。

  ザゥッ!

「…ぐあああっ……!!」
 しかし、斬り裂かれたのは次郎衛門。
 左側方より音もなく飛びかかってきた鬼の爪を受け、手傷を負ってしまう。
 そして、次郎衛門のその苦痛の叫びが戦闘開始の合図となった。
 透也達を気づかれぬように取り囲んでいた鬼達は、一斉にその姿を現した。
 木々の裏から、梢から、草の影から、漆黒の闇の中から…。
 それらが常人では捉え切れぬ高速で襲い来る。
「…く、くそっ!」
 透也も素早く霊光丸の鞘に手をかけ、抜刀術の要領で目前に迫っていた鬼を切り払う。
「はぁぁっっ!!」

  ビシュッ!

 鬼は一瞬怯んだが、すかさずその鋭利な爪を振りかざす。

  ザッ!

「…ぐっ!」
 防御する間もなく、左肩に激痛が走る。
 しかし、咄嗟に右に飛んでいたため、傷そのものは浅い。
 透也はそのまま少し後退し、体勢を立て直して霊光丸を正眼に構えた。
 鬼が俊速で迫り、右腕を僅かに動かしたところで右後方に飛ぶ。

  ザザーーッ…

 鬼の右爪が土を薙ぎ、土煙が舞い上がった。




「てぃっっ!」
「…とりゃあっっ!」
 男達の気合いの声が、眠りの刻を迎えようとしている林の中をかけめぐる。
 それに対比して、鬼達は声を発しない。
 侍の繰り出す攻撃を防ぎ、受け流し、反撃する時も無音。
 しかし、討伐隊は確実にその数を減らしてゆく。
「ぐがあぁぁぁっっ………!」
 断末魔の叫びが響きわたる毎に、一つの命が確実に失われる。
 それが自分の物でないことを確認する間もなく、自身の命の灯火もまた消えゆく。
 まさに地獄絵図であった。




「………」
 透也は土煙の中、眼を閉じて佇んでいた。
 じっと息を殺し、すぐそばで自分を狙っている鬼の気配を窺う。
「………」
 それは、わずか数秒ほどだったが、透也には一刻のようにも感じられた。
「…見えた!」
 とどめの一撃を振りかぶった鬼の気配を察し、透也は後ろを振り向くと、
「…はああああっっ!!」
 腹の底から勢いをつけ、霊光丸を全力で斬りつける。

 …ガキィィィィンンンン…!

 甲高い金属質の音が響き、透也の両腕にもの凄い手応えが伝わってきた。
 瞬間、莫大な光量が霊光丸より溢れ出した。
 光芒は爆発するかのような壮絶な輝きを発し、そして次の瞬間には消え失せた。
 その光が土煙に遮られ、他の鬼達に気づかれずにすんだのは幸いだった。
「…はぁっ…はぁっ…はぁっ…」
 突然の光を訝しく思いながら、透也は霊光丸を中段に構え直し、鬼の爪に備えようとした。
 だが。
「…………!」
 透也は自分の目を疑った。
 霊光丸が、ないのだ。
 いや、正確には柄と鞘はあるのだが、刀身が欠片もないのだ。
 まるで柄から刀身だけを引き抜いたかのように、影も形も見あたらなくなっていた。
「……!」
 咄嗟に霊光丸の柄を投げ捨て、臨戦態勢をとる。
 鬼の反撃を恐れてのことだ。
 幸いなことに、鬼の追撃はもうなかった。
 透也の足下で絶命していたからだ。
 透也は鬼を倒した事に気づくと、近くに落ちている霊光丸の柄を拾い上げた。
(…やっぱり、ない…)
 何度見直してみても、軽く素振りをしても、そこに頼りがいのある重量感はなかった。
(…家宝の刀が…)
 しかし、次の瞬間、さらに恐ろしい事実に直面する。
(…僕の持っていた唯一の刀が…なくなってしまった…。…これでは鬼と戦えない…)
 透也が村を出た時は、武具を持って来なかったため、隆山の城下町で刀の一本も買うつもりだった。
 しかし、一仁より霊光丸をもらったため、刀を買わなかったのである。
(…強敵の集団の中に、丸腰で放り出されたわけか…)
 その事を認識した途端、恐ろしく強い殺気の渦中に自分がいることを感じた。
 ふと周りを見回すと、透也の身を隠していた土煙は完全に立ち消え、月の光も届かぬ影より
自分を窺う血に飢えた相眸が無数に光っている。
 共に雨月山へ分け入ってきた討伐隊の者達は、その体から流れ出る血で山肌を赤褐色に染め上げているか、
どこへとも知れない黒々とした林の奥深くへ引きずり込まれてしまっており、次郎衛門とも
はぐれてしまっていた。

  ザザッ…!!

 鬼達は透也に気を落ち着かせる暇を与えず、一気に襲いかかって来る。
「…っっ……!!」
 素早く後方へ飛び退いて攻撃を回避するが、避けきれなかった爪が両脚をかすめた。
 次いで、飛びかかってきた鬼に胸を浅く切り裂かれる。
「…ぐぅぅっ…」
 右腕、左腕と、鬼達はじわじわと透也を痛めつけてゆく。
 猫が追いつめた鼠をいたぶるかのように。
「…が、はっ……」
 もう、立っているだけの体力すら残っていない。
 呻き声と共に吐血し、透也は地に片膝をついた。
 今にも倒れそうな体をすんでの所で支えている左腕に黒ずんだ血流が伝い、蒼月の照らし出す大地に
黒々とした血痕を作り出す。
「………………………」
 力尽きた透也を見下ろし、鬼が何かを口走る。
 透也にはその言葉を理解することはできない。
 しかし、言っている内容は分かった。
(…諦めろ、とでも言っているのか…。だが…僕は…)
 その時、不意に、透也は思い出した。
 かつて、今と同じような状況に陥ったことがあったことを。
 全ての力を失い、失意と絶望の海にどこまでも沈んでいくような感覚に襲われたことを。
(…所詮、僕はここまでの人間なのか…。…もうあんな思いは二度としたくない、それだけを思って、
僕なりに精一杯剣の鍛錬に励んできたつもりだったが…それも全て無意味だった…のか…)
 じりじりと包囲を狭めてくる鬼達からほとばしる激しい殺意の中、その身を無防備にさらすことしかできない。
「…僕は…死ぬのか…ここで…?」
 自問自答するように、透也は小さく呟いた。
「…こんなところで…死ぬことが…それが…僕の運命…なの…か…?」
 その問いに答える者は、いない。
 その問いを否定するだけの力は、透也にはない。
「…まどか…ごめん…。…僕は…ここまでみたいだ…。…出来るなら、君は…君だけは…」
 諦めにも似た気持ちが生まれ、ついに透也から闘志が完全に消えてしまった。
 思考する気力すら失い、自分に迫る殺戮者へぼんやりと視線を送る。
 鬼達の遅々とした歩みがじれったい。
 早く楽にして欲しい、そんな考えさえ浮かぶ。
 そして、ついに一体の鬼が透也の真正面に立った。
(…これまで…か…)
 鬼の爪の鋭い切っ先が月の光を反射し、鈍い輝きを放つ。
 その輝きが透也の眼に映った、その瞬間…


 …いやだ。


 …いやだ!


 …いやだ!!


 …いやだ!!!


「いやだっ!! 僕はまだ、まだ死にたくない!!!」
 透也の胸に、凄まじいまでの生への執着の念が沸き上がった。
「僕は死なない! 死ぬわけにはいかない! 僕を…僕の帰りを待っていてくれるまどかが
いるんだ! 僕は絶対に生きて帰るんだ! 生きて帰らなきゃいけないんだっっっ!!」
 その念は絶叫となって深山の木々にこだまし、今まさに透也を取り囲んでいる鬼達でさえも、
その声に込められた「思惟」にたじろいだ。
「僕は、決して諦めない…諦めてたまるものか! …力を貸してくれっ、まどかっ!!」
 無意識の内に叫んでいた。
                                            その時、
 すると…

  シュィィィィィ…!
                                            奇跡は、
 闇に閉ざされた空間に、突然眩い白光が生まれた。
 その光は、透也の体を優しく包み込むように展開し、鬼達を威圧するかのように輝き続けた。
「…ま……どか…?」
                                           起こった。