Lメモ過去編『忘れえぬ想い』第十章「まどか」 投稿者:セリス
 透也は、白い光に埋め尽くされた空間の中にいた。
 今、自分の見ている物が信じられなかった。
 夢でも見ているのではないかと思った。
 なぜなら、彼が目にしているのは、ここに絶対にいるはずのない、遠く彼の生まれ育った村で
病に伏しているはずの少女の姿だったから。
「…まどか…? …まどか、なのか?」
 思わず立ち上がり、手を差し伸べる。
 その体に痛みはなかった。
 不思議な事に、あらゆる傷が癒えていた。
「……………」
 まどかは何も言わない。
 何も答えない。
 ただ穏やかに微笑んでいる。
「まどか、まどか!」
 改めて呼びかけた時、透也の心に直接響く声があった。
(――透也くん…)
 優しく温かな、いつもと変わりのないまどかの声だった。
「まどか?!」
(――ごめんね…いつも傷つくのは、透也くんだね…いつだって、私を守ろうとして、傷ついてくれたんだね…)
 まどかはつらそうな表情になり、俯くように下向く。
「いいんだよ、そんなこと! まどかさえ無事なら、僕はそれで満足なんだ!」
(――私には、こんなことしかできない…そのせいで、透也くんがまた苦しむことになるのに…)
「…まどか? 何を言っているんだ?!」
(――ごめんね…本当に、ごめんね……)
 顔を上げたまどかの瞳には、大粒の涙がいっぱいに光っていた。
(――あなたの名前は、透也…。『全てを透過する也』…それが、あなたの名前……)
 まどかは透也に向け、右手をかざした。
 その掌より一筋の緑光が放たれ、透也の胸を射抜く。
「…ま、まどか…何を…?!」
 一瞬の閃光が貫いた箇所から、透也の体の内部へ、強烈な勢いで何かが入ってくる。
 それと同時に、透也を覆っている「白い世界」の濃度が、徐々に薄くなっていく。
 そして、まどかの姿も。
「まどか、まどか!」
(――霊光丸は、代々受け継がれ、多くの者に振るわれていくうちに、いつしか刀そのものが
大いなる力を持つようになった…。その真の力…それは、持つ者の「精神」を増幅し、
力に変えられること…。そして、その力は、今、あなたに宿った…)
 薄れゆくまどかは、悲しげに微笑んでいた。
(――ごめんね…透也くん…)
「まどかーーーーっ!!」
 白光が完全に消滅すると同時に、まどかの姿も消え失せた。
 一滴の淡い涙を残して。
「…まどか…」
 ふと気づくと、透也は元の場所に立っていた。
 暗く閉ざされた林の中、周囲を鬼の大軍勢に囲まれたまま。
「コイツ、ナンナンダ。イキナリヒカリヤガッタ」
「タダノコケオドシダロウ。キニスルコトハナイ」
 はじめ、透也は誰が喋っているのだろうと思った。
 ここには、もはや人間は自分しかいないと言うのに。
「ハヤクコロセ。オマエガヤラナイノナラ、オレガヤル」
「マテ。コイツハオレノエモノダ」
 これは鬼達が話しているのだ。
 透也は、自分が鬼の言葉を理解している事を知った。
 自分の体がかすかに発光している事に気づいた。
 そして、今自分の中に、かつてない「力」が存在していることを。
「シネ!」
 一体の鬼が襲いかかってきた。
「う、うわっ!」
 透也は無意識の内に、右腕で振り払う仕草を取った。
 しかしその手中に頼れる刀はなく、空しく宙を掻くばかりだった。
 …さっきまでは。
「グギャアアアアアアア!」
 仲間の断末魔の悲鳴に、鬼達は驚き、色めき立った。
 透也は呆然と自分の右手から伸びる光を見つめた。
 そこに、白く輝く刀が現れていたからだ。
 その刀の切れ味は素晴らしく、鋼のような体を持つ鬼を、一刀のもとに斬り捨てていた。
「キサマ! ヨクモナカマヲ!」
「コロセ! コロセ!」
「コロセ! コロセ!」
 鬼達が一斉に声を張り上げ、怒りの怒号を高める。
「…僕は…僕は、お前達などに、殺されはしない!」
 透也も、自らを鼓舞するように気合いの声を上げる。
「シネ!」
 その言葉が理解できたのか、別の鬼が飛びかかってくる。

  ザゥッ!

 先ほどまでは目にも止まらぬ早さだった鬼の攻撃。
 それが、今でははっきりと視認できる。
 鬼は透也の一刀を浴び、声を上げる間もなく絶命した。
「…まどか…。これが…君の言っていた事なのか…?」
 ぼそりと呟く。
 その時、突然透也の思考にある画像が割り込んできた。


  何人もの鬼達が、奇妙な部屋にいる。
  そこは、生物的な隔壁に囲まれた部屋。
  そんな部屋がいくつも寄り集まり、一つの大きな船体を構成している。
  その船は、漆黒の星の海を渡っていく。
  しかし、突然航行に支障をきたし、たまたま近くにあった青い星へ進路をとった。
  徐々に落下していく船は、少年の頃の透也を遠くに望み、彼の村の上空を通過していく。


(…なんだ、この光景は…?)
 透也は思考の裏を走る画像に意識を集中させた。
 そして、ある事に気付いた時、背筋が寒くなる思いがした。


  船体の外壁の一部に、穴があいていた。
  そこから、船体を構造する物体が流出している。
  それが故障の原因だと思われた。
  その流出は、青い星の圏内へ入ってからは一層激しくなった。
  そのため、透也の村を横切る際、「それ」は村一面に降り注いだ。
  透也には分かった…「それ」は、透也達が「毒」と呼ぶ物であることを。
  そして、「それ」が降り注いだ事により、土地が痩せ細り、透也の村に深刻な農業危機を
 もたらした事を…。


「…そうか…それで…僕の村は…作物が取れなくなったんだ…」
 真実を知った透也は、誰に聞かせるでもなく口を開いた。
 いや、自らを落ち着かせるためなのか。
「考えてみれば、当たり前じゃないか…『土地が悪くなった』以外に、作物が取れなくなる
理由なんて、なかったんだから…」
 その肩は小刻みに震えている。
 前髪に隠れ、表情を伺い知ることはできない。
「ナンダコイツ…コンドハイキナリフルエダシタ。バカジャネエカ」
「ハハハ、バカミテエダナ」
「ハハハハハ……」
 そんな透也の胸中も知らず、鬼達は透也を嘲り、嘲笑する。
「……なにが…おかしい…」
「ア? ナンカイッタカ?」
 呻くような透也の声に、また哄笑する鬼達。
 そして。
「…なにが面白くて笑っているんだ…貴様らはぁぁぁぁっっっっっっっっ!!」
 鬼達の笑い声に、透也の中で何かが弾け飛んだ。

  ザンッ!
  ザクッ!
  ザシュッ!

「うあああああああああーーーーーーーーーーっっっっっっっ!!」
 右手に持つ刀を滅茶苦茶に振るいながら、鬼達の集団に突っ込む。
「グアッ! …コ、コイ…ツ…ッ!」
「ハ、ハヤイ! オレタチデモトラエラレヌトハ…グフゥッ!」
 鬼達は透也に抗うこともできず、無様に斬り捨てられていく。
 まるで、彼等が人間達にしてきたように。
「貴様らさえ…貴様らさえ来なければ…!!」

  ザスッ!

「憎い…憎いぞ、貴様ら!」

  ジャウッ!

「貴様達を、一人残らず地獄の業火へと叩き落としてやる!!」
 透也の胸に、抑えきれぬ激怒の炎が燃え上がっていた。
 憎しみにとらわれ、ただひたすらに刀を振るい、鬼達を斬り続ける。
 その姿は、まさに修羅であった。
「…ハァッ…ハァ…ハ…」
 透也がようやく足を止めたとき、彼の周囲に命ある者は無く、無数にいた鬼達は全て物言わぬ屍と化していた。
「…くそっ…くそっ…! こいつらのせいで…まどかは…まどかは…!!」
 やり場のない激しい怒りに、その身を強く震わせる。
 …と、その時…
「…ほぅ、こいつか…。妙に強い人間ってのは…」
 不敵な声に、憎悪にたぎる目を向ける。
 そこには、四人の鬼が立っていた。
 エルクゥの能力の一つに、どこにいてもお互いの意識を通じ合わせる事ができる――というものがある。
 彼等――『姫の守護者』達は、その伝達により、この場所へと呼ばれてきた。
 無惨に殺されてゆく仲間達を感じて。
「お前だろ? ここに積み上がっている死体の山を築いたのは」
 その内の一人――イルクは、どこか愉しげな口調だった。
「だったらどうだと言うんだ…お前達も、僕を殺しにきたんだろう…理由などお構いなしで…」
 憎々しげな目でイルクを睨み付ける。
「そうだ…我々はお前を殺さねばならない。お前がここにいる、ただそれだけでな…」
 ショウが感情を込めず、淡々と言う。
「悪く思うなよ…こうするしかないんだ、俺達にはな」
「全てはリネット様のため…」
 エイジ・セツも、僅かに悔恨が感じられる言葉を口にするが、やはり透也を殺すことを否定
してはいなかった。
「…ふふふふふ…そうか、やはりそうなんだな…! それでいい。それでこそ、僕もためらわずに
貴様らを殺せる…!」
 透也は狂ったような嗤い声をあげる。
 その眼光は、狂気の色に染まっていた。
 体を覆う仄かな光が、少し強くなったように見える。
「…バカ共が。たとえ鼠と言えども、追いつめられると猫をも噛む。わざわざ眠っている力を
目覚めさせることもなかったものを…」
 ショウが吐き捨てるように言う。
「なんだ、その言葉?」
「この国の格言とか言う物らしい。最近覚えた」
 イルクの疑問に素っ気なく答える。
「ふーん…まぁいい。お前達、手を出すなよ。こいつは俺がやる」
 そう言って、一歩前に出る。
「お前好みだな…勝手にしろ」
「俺はこういう手合いとは戦いたくない…お前に任す」
「私も、ショウさんがそう言うのなら」
 他の三人は、戦う素振りも見せない。
「久しぶりに面白そうな獲物だ…楽しませてくれよ!」
「……貴様も殺してやる…鬼どもはみんな、みんな僕が殺してやる…!!」
 舌なめずりをするイルクと、修羅道へ堕ちた透也が睨み合った。
「はぁっ!」

  ビュッ!

 気合いの籠もったかけ声と共に、透也は刀で横薙ぎに払いかかる。
 ただの鬼であったなら、斬られた事にも気付かずに落命しただろう。
 しかし、イルクには通じない。
「…ふっ…甘いな」
 冷笑と共に左に避け、鬼達の共通にして強力無比な武器である爪をふりかざす。

  キィン!

 その右爪は中ほどより弾け飛び、イルクの足下に落ちた。
 透也が返す刀で切り上げ、爪を斬り落としたのだ。
「…貴様…!」
 イルクが初めて怒りを見せた。
「言っただろう…僕は貴様を殺すって、さ…」
 間近でイルクを見上げる透也。
 口調こそ穏やかだが、その眼に帯びた狂気はより強くなっている。
「爪を折った程度でいい気になるなよ…お前は俺を本気にさせたんだ。その責任は、取ってもらうぞ」
 言葉と共に、イルクの左爪が透也を襲う。
「………」
 刀での防御が間に合わないと判断、後退して回避するが、

  シュゥッ!

 左爪のあまりの早さにより、かまいたちが生まれ、透也の左腕を切り裂いた。
「…ッ…」
 しかし、その傷が一瞬にして癒えてゆく。
「…な、なんだと…!」
 その光景にイルクは驚くが、忘我の戦士と化した透也は何の感慨も抱かない。
 戸惑っているイルクに、的確な一撃を狙う。
「鬼、覚悟!」

  ビシュッ!

 辛くも刀をかわし、再び爪での攻撃を繰り出す。
「…そんなはずはない…俺は確かにお前に傷を負わせた!」
 自我を失っている透也にそれを避けられるはずもなく、刀を持つ右腕に深い傷が残る。
「…っ!」
 それでも、たちまちのうちにその傷は跡形もなく消える。
「…何故だ…何故、お前は傷つかないんだ?!」
「イルク!」
 躍起になって透也へ攻撃をしかけようとするイルクだったが、ショウの切迫した声に呼び止められた。
「何だ! お前まで俺の邪魔をするのか?!」
「違う! エイジが…!」
「エイジがどうした?!」
「とにかく来い! そんな奴は放っておけ! 怒りだけの戦士など、いずれ自滅する!」
 ショウはじれったそうに叫ぶ。
「こいつは俺の獲物だぞ! 俺に殺させろ!」
「それどころじゃない! エイジの『姫』が…!」
「なに…! エディフェル様か?!」
「………エディ…フェル…?」
 透也が何気なくその名を呟いた時。
「……っ!」
 再び、透也の心に割り込むものがあった。
 それは、先のような「画像」と言うよりは、「思念」に近いものだった。


  一人の鬼がいた。
  彼は屈強な鬼――「エルクゥ」の中でも飛び抜けて強かった。
  彼には、イルクと呼ばれる親友がいた。
  何より、命を賭して護るべき者――『姫』がいた。
  彼は常に彼女の事を思い、彼女のためだけに戦っていた。
  自分の想いを告げることもなく、それが届かないと分かっていても。
  それでも、彼は彼女のためにのみ生きていた。
  そして、彼は命を落とすことになる。
  他の男との愛を――次郎衛門との愛を貫こうとしたした彼女を、その身をもって守り。
  その死に顔に、誇らしげな笑みさえ浮かべて…。


(…この鬼に比べ、僕はなんだ…! 一時の怒りに我を失い、修羅となってしまうとは…!)
 透也は自らの未熟さを恥じた。
 感情の頂点を極めていた怒りと憎悪の嵐が、静まっていくのが分かった。
 身体の傷が癒やされていくように。
 そして、透也は、自分が極度に疲労していることを自覚した。
 肉体的にも、精神的にも、とうに限界を超えていた。
(…だ…ダメだ…。こんなところで…眠る…わけには…いか…な…い…)
 もはや立っていることもできなかった。
 底知れぬ闇の淵へ落ちていく透也が最後に見たのは、林の彼方へ消える三人の鬼の姿だった。