Sメモ第1回 投稿者:鈴木R静


  『痕メモぱくりLメモのさらにぱくりSメモ
   (誰なの〜)それは謎めいて〜♪(どうして〜)それは愛ゆえに〜♪』

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   現実のさなかに偽物の世界を創造すること、――そのような意味から、
   遊びとは、つねに閉ざされた宇宙の創造でなければならない。遊びにふ
   ける子供は、小さな玩具の世界に釣り合った、時間空間の縮小された、
   自分一個の世界に閉じこもる。
                        澁澤龍彦『夢の宇宙誌』


 ――それでは、転校生を紹介します。
 そんな、担任教師のお決まりの文句とともに、その男は、二年B組の教室へ
と入ってきた。
 担任の言葉に喚起されて入り口を注視していた者たちならばいざしらず、よ
そを向いて隣の友人とのおしゃべりに興じていたりした、このイベントにあま
り関心を払わない不届き者たちには、はたしてその男がいつ教壇前に姿を現わ
したのかは分からなかった。
 音もなく――とはこのことをいうに違いない。
 しかしそんな彼らも、教室をゆるやかに満たしていた朝のけだるいざわめき
が、その男の登場とともにぴしゃりと止んでしまうにいたり、何事かとあわて
て視線をその変事の主とおぼしき人物に振り向けた。
 そして、すべての生徒が、息を飲むこととなった。
 白皙秀麗――それが男の印象だった。
 いや、本当に彼は男性というセックス、ジェンダーに属する人間なのだろう
か。……そもそも彼は人間ですらあるのだろうか。
 そんな馬鹿げた問いを本能的に思い浮かべてしまった生徒がいたとしても、
それを責めることはできなかっただろう。
 それほどに、その人は、まるでいましがた晦冥から抜け出してきでもしたか
のように、はかなく、おぼろげで、常ならざる雰囲気につつまれていた。
 しかし別段、弱々しいとか、そういった感じではこれまたなく、そう、いっ
てみればあまりにかけ離れた触れえざる力というものは、一般の常道からは違
うベクトルに存在するあまり、普通の人々には逆にそういう風にしか映らない
のだと、彼の容貌は主張しているかのようだった。
 白い学生服に包まれた、柳のようなすらりとした細い四肢。
 ほの白い秀でた額に軽くかかる黒髪は、短くまとめられているにも関わらず、
つややかにぬめる絹のような美しさだった。
「あー、こほん」
 担任の教師が、少しきまずそうな咳払いとともに、これまたお約束の台詞を
口にする。
「えー、鈴木くん、それではみんなに自己紹介を……」
 生徒たちの耳目が――すでにそうではあったのだが――さらに注意深く男の
挙動にそばだてられる。
「……はい、本日からお世話になります、鈴木静と申します。制服がまだ以前
の学校のものなので、みなさんのブレザーとは違いますが……ふふ、まあ仲良
くしてやってくださいね」
 そういってその人は婉然と微笑んだ。
 鈴木静……その名をこの場に居合わせた全員が心に刻みつけた。
 その名は、待つ間もなく、すみやかにこの学園中に知れ渡るだろう。
 そしてその名は、この学園に先触れもなく襲来した新たな嵐に冠せられるこ
とになる名前でもあったのだ。

 いつもとは違う緊張のうちに、その後、午前の授業を終え、音もなく静が教
室を出ていったのち、残された生徒たちの話題は当然のように彼のことで持ち
切りになったのだが、そのうちの幾人かは、彼の顔立ちをなぜかよく思い出せ
ないことに気が付いた。
 いわれてみれば、誰も彼の正確な顔形を説明できなかった。
 生徒たちは、自分たちが誰ひとりとしてその転校生、鈴木静のかんばせを直
視できないでいたことにいまさらのように思い至っていた。

 鈴木静と名乗る幽寂の色濃い美青年のおとないとは別に、もうひとり、転校
生が学園へと編入されてきていたのだが、こちらはあまり人々の話題になるこ
とはなかった。
 一年の学年に席をいただいたその転校生――女の子だったから――彼女は、
お昼休みを待ちかねたように廊下を飛び出していった。
 特に行くあても用事もあるわけではない。ただ、その小柄な身体に満ちあふ
れたエネルギーを持て余してでもいるかのように、常にその身を動かしていな
いと耐えられないといった、そんな様子がうかがえた。
 来栖川わるち――それが彼女の名前だった。
 背は高いほうではないが、しなやかな細い身体、よく日に焼けた肌には、若
々しい活力が輝いている。すこし赤みがかった茶色のショートヘアも、彼女に
よく似合っている。全体的にちょっと幼い印象はあるものの、それが逆に子供
じみた元気さを際立たせていた。
 ちなみにこちらの転校生は、周囲の生徒たちと同じようにブレザーを着込ん
でいる。
 わるちが廊下にたむろする生徒たちを器用に避けながら駆けていると、ちょ
うど同じ廊下の向こう側からやってくる人物の存在に気が付いた。
 その男が歩くのにつれて、まわりのざわざわとした押さえた喧噪もついてま
わる。それほどに、男――鈴木静の存在は他とはかけ離れて人の目をひくのだ。
 静を認めたわるちは、たったったっと小走りに彼に駆け寄ると、
「ご主人様っ、探してたんだよ。これからご主人様のところに行こうと思って
たところだったんだ」
 そういってあざやかに笑った。本当はそんな気は全然なかったのだが、あま
り気にしてはいないらしい。
「そうですか……わるちはいつも元気でいいですね」
 静はそういって微笑した。
「うん!」
 わるちも嬉しそうに表情を緩ませる。
 ……しかし、この尋常ならざる雰囲気をまとった鈴木静を、「ご主人様」と
呼ぶ、もうひとりの転校生、来栖川わるちとは、そもそも何者なのだろうか?
 そして静とわるちの関係は?
 あまりにも謎めいた、ふたり組であった。
「ねえ、ご主人様、これから屋上にいってみようよ。ボク、クラスの人に聞い
たんだ。この学校の屋上はベンチなんかも用意してあって、すごく見晴らしが
いいって」
「……ふふ、いきたいんですか?」
「うん!!」
「そうですか……じゃあ、いきましょうか」
「やった! さ、はやくいこう」
 こうしてふたりは連れだって上の階につづく階段へと歩を向けた。
 ――わるち、あなたの無邪気な直感――自分ではそうと気付いていなくても
――というのは、いつだって正しいんですからね……とりあえず目的は明確で
も、それに向かってとるべき手段のしれないいまは……流れに身をまかせるの
もいいかもしれませんね……。
 そんな静の言葉にならないつぶやきも、先へ先へと駆けていくわるちの耳朶
に届くことはなかった。

 薄暗がりの占める領域たる最後の登り階段を上がり切った先に、その扉はあ
った。
 ネズミ色に塗られたスチール製の、ごくありふれた扉。
「よーいしょっと……」
 わるちがその取っ手をひねって両手いっぱいでひっぱると、軽いきしみとと
もに、青空と屋内を遮断していた障壁は取り払われた。
 とたんに、まぶしい陽射しの箭が、わるちと、そのすぐ後ろにひかえていた
静の瞳を射る。
 春から夏に移り変わっていこうとする季節にふさわしい、気持ちのいい陽光
だった。
「ひゃあ、まぶしい」
 わるちは目を細めた。一方静はまったく平静そのもの。この男の現身は、は
たして本当にこの次元にはっきりととどまっているのだろうか、もしやいま我
々が見ている姿というのは、この男がよそに存在している、その影にしかすぎ
ないのではないだろうか。そんな妖しい妄想さえ、この男を見ているとかきた
てられてくるようだった。
 小綺麗に掃除の行き届いた、広い屋上にでてきたふたりは、四周に張りめぐ
らされたフェンスにゆっくりと――歩み寄っていったのは静だけで、わるちは
といえば、待ちかねたように飛び出すと、フェンスにかじりついて感嘆の叫び
をあげた。
「うわー、うわー、ほら、すごいよご主人様! 町があんなに小さく見える!」
 そんなわるちの様子を微苦笑でながめていた静の足が、不意に止まる。
 うっそりと、屋上のすみから現れ出た人影があった。
「へへ……やっぱりあらわれやがったな。さすがに芹香嬢の占いは百発百中だ
ぜ……ここで張ってりゃ、あんたらがやってくるってな……」
「そっスね、先輩!」
 学生服をだらしなくくずして着込んだ、先輩と呼ばれた男と、その人物に相
槌を打つ、もうひとりの男。
 静は何も答えない。
「驚かないんだな……まあ、いい、とりあえず自己紹介しとくぜ……俺は橋本
……そしてこいつは……」
「矢島っス。そっスね、先輩!」
 静の双眸はあいかわらず、このふたりに向けられてはいるものの、そのけぶ
るような、この世のものとは思えない瞳には、何の表情も浮かばない。
「薔薇部にその人あり、といわれた橋本&矢島ブロスとは、俺たちのことよ!」
「そっスね、先輩!」
 異変をさとったわるちが駆け戻ってこようとするのを手で制して、静は、
「……おまえたちは……SS使いか……?」
 とだけ、ささやいた。
 底昏い奥まったところから響いてくるような、そんな声音だった。
 その愁眉が、不可解なものを見たとでもいうように、かすかに寄せられる。
「SS……なんだってぇ?」
 橋本が表情をゆがめる。
「ふむ……いや、違うな……」
 そうつぶやいて自己完結すると、急に興味を失ったのか、そっぽを向くと、
わるちのほうへ歩き出そうとする。
「気に入らねえなあ……その態度。おまえがやつらの陣営に呼ばれてやってき
たのか……あるいはてめえの何か理由(わけ)があって転向してきたのか、聞
き出すようにFoolの兄貴にいわれてたんだが……気が変わったゼ。ちぃーとイ
タい目みてもらおうか」
「そっスね、先輩!」
 静にはたしてその声は届いていたものか。
 まったく何者もそこにはいないかのような、静の振舞いであった。
 橋本の面に、凶暴な徴が沸き上がる。
「死ねやっ!」
 橋本が腕を振りかぶる。
 この、まったく妖異に満ちた常ならざる美しい青年に対して、多少でも危機
に対応する防衛本能を持っている人間であるなら、少しは、この男は普通では
ない、手をだすのは何かまずい――そう思いそうなところだが、頭に血の上っ
た橋本には、そこまで考えをめぐらす余裕はないらしかった。
 あるいは、その軽率な行動自体が、彼らが小者である何よりの証であったか
もしれない。
 しかしともかく、その拳は振り上げられたのだ。
 いったん振り上げられた拳は、振り下ろされずにすむことはない。
 迫る脅威に、しかし静は悠然とたたずむばかり。
「ご主人様っ!」
 わるちの悲痛な叫びだけが、澄んだ空に吸い込まれていった。
                               (続く)