Sメモ第4回 投稿者:鈴木R静


  『一書き二書き三書きて、書いてぱくって日が暮れて
   Sメモ Sメモ どこ行くの 尽きぬ恨みの第4回
   わたしは必殺仕事人 SRSと申します
   これのもとネタがLメモたあ お釈迦さまでも 気がつくめえ』

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 薔薇狩人一号がまさにワルチに急迫し、突きかかろうとしたその刹那、信じ
がたいことが目の前で起こった。
 不意に、彼女の上下が入れ替わったのだ。
 それまで頭があったところに足が、そして足のあった位置には掌が。
 スカートがひらりと舞い上がる。
 いきなり逆立ちをやってのけたワルチは、瞬間、目が合った背後の――いま
は正面だが――薔薇狩人に、にこりと笑みを見せるや、全身をしならせ、ひょ
いと手を離した。
 それは軽くおこなわれた仕種に見えたが、それによってもたらされた結果は
激烈だった。
 薔薇狩人は、逆さまになって両足そろえてのワルチの跳び蹴りをくらって大
きくよろめき、そしてワルチは、そのまま大男の胸倉を踏台にして、さながら
水泳の飛び込みでもするような感じで前方へと飛び出していく。彼女のこの不
意打ちは、それまでのなかでも段違いの威力、衝撃をともなっていた。思わず
膝をつく一号。
 綺麗に着地したワルチは、背面の敵にはもはや一瞥だにくれず、すぐさまダ
ッシュに移る。彼女の存在意義は敵を打ち倒すこと、そしてなにより彼女のご
主人様を守護することにある。主である静は、どんな怪異が迫ろうとそうそう
遅れをとるとは思えなかったが、かといってそれでワルチが己の責務をおざな
りにしていいというわけにはいかなかった。
 一方、静と対峙していた薔薇狩人二号はといえば、こちらはいままさに彼に
対して攻撃の踏ん切りをつけたところだった。
 躊躇があった。なぜかはわからない、わかりようがない。しかし生物ならば
誰しもが持つ生存のための本能とでも呼ぶべきものが、目前にたたずむ青年に
手を出すことの危険を告げていた。しかし――いつまでもこうしているわけに
もいかない。
 二号がじりじりと対象との距離を縮めようと動き出したとき、ふいに怜悧な
声が彼の意識に突き刺さった。
「あなたひとりで……いいんですか? ふたりで出てきたのにはそれなりのわ
けがあると思ったんですけどねえ」
 二号の脚が止まる。
 それはFoolの心のあらわれでもある。
「私は……面倒くさいことは好きではないのですよ……要は本人を打ち倒せば
済む事でしょう? ワルチ、薔薇狩人はいいですから、Foolさんと闘ってらっ
しゃい」
 これにはワルチのほうが仰天した。
「で、でも、このまま薔薇狩人をほっといていいのかよ!? なんかさっきの
やつの口振りじゃあ、ご主人さまに対して何かとんでもない策みたいなのがあ
るみたいだったじゃないか」
「いいんですよ……それより早くあなたがFoolさんを倒せばそれで事は終わり
ですから……」
「……本当にいいの?」
「いいんですよ」
「……どうなってもしらないぜ?」
「いいんですって」
「よっしゃ!」
 瞬間、ワルチはぐっと深く沈み込むと、伸び上がり、そのままさっきまでと
は別の方向に向かって跳躍した。これが人間の為しうる動きとは、とうてい信
じがたい、すさまじいまでのジャンプである。
 その先には――建物の上に陣取るFoolがいる。
 本音をいえば、ワルチはあの見るからに妖しい薔薇狩人には、できることな
ら心底から関わりあいたくはなかったのだ。俄然心身にも活力があふれる。
「ははは、相変わらず自信家だな、静さん……しかしそれが命取りになるんじ
ゃないのかい?」
 Foolの頭上から、ワルチが勢いをつけて舞い降りてくる。
 Foolは、ひらりと身をひるがえした。
「てめっ、言うことだけは偉そうだが、やってることはそれかい」
 ワルチが追撃に移る。
 Foolは、常人としてはかなりの運動能力を誇ったのであろうが、いかんせん
ワルチは人という尺度ではかれるようなレベルではない。
 つかまるのは時間の問題だろう。
「けっ、つまらねえ。こんなことなら最初からこうしてりゃよかった。……さ
すがはご主人様だな」
 逃亡者は建物の天井を蹴り、下方に姿を消す。
 このまま追っていけば、彼女はFoolともども静からは建物の死角にはいって
しまう。
「まあいいか、どうせすぐにケリはつくんだし」
 彼女もFoolに続いて、その身を踊らせる。
 しかしそこに待っていたのは、彼女の思いもよらない展開だった。
「――なっ!」
 Foolはすでに逃げることをやめている。
 そしてその背後には――例の黒い亀裂が広がっていた。
「まさか……まだ薔薇狩人を召喚できるのか?」
 しかしFoolは笑って首を横に振る。
「ま、できないことはないですが、さすがにこれ以上の召喚は、私もちょっと
きついんでね」
 彼の後ろで裂け目がゆっくりと空間を浸食していく。
 それとともに徐々に呑まれていくFoolの身体。
 突然ワルチはさとった。あれは、薔薇空間というのは、単に薔薇狩人を召喚
するための吐き出し口などではなく、その本当のところは、場所、距離をいっ
さい無視した一種の通路のようなものではないのか?
「まずいっ!」
 Foolを捕まえようと飛び出し、手を伸ばすも、すんでのところでそれは空を
切る。
 彼の姿が暗闇の彼方に埋没しきったと同時に、それは出現したときとはまる
きり別ものの唐突さで、ついと消滅した。
 あとには何ら異常など見られぬ他と変わらぬ空間が残されただけだった。
「――ご主人様!」
 Foolがワルチをここまで誘い込み、不意に消えた理由はただひとつしかない。
 このわずかなロスタイムが致命的なものになるかもしれない。
 ワルチは自らの浅慮を悔やみつつ、あらん限りの力で取って返した。

 薔薇狩人のふたりは、適当な間合いを保ちながら、遠まきに静の動向をうか
がう。
 しかしやはり静は、意に介せずといった様相を崩さない。
 いつしか、薔薇狩人一号と二号は、静を中心に、対角線上に対峙する構えに
なっていた。これはいったい何の前触れであろうか。
 ――と、静の前に暗い染みが浮き上がり、薔薇狩人たちの登場同様、今度は
Foolがそこから抜け出してくる。
「はは、また逢ったね、静さん。でも、さみしいな、もうお別れだなんてね」
 Foolの瞳がぎらりと光った。
「いくぞ、薔薇狩人たち! 薔薇狩り奥義だっ!!」
 その叫びに答えるかたちで、ふたりの怪人たちがそれぞれポージングを決め
る。
「ふぬうぅぅぅぅ……」
 吹き上がる鼻息。力む表情。浮かぶ青筋。ぴくぴくとうごめく筋肉。
 すでにいりくんだ稜線を誇っていた肉の山が、さらなるパワーの開放を求め
て、ごきゅごきゅと盛り上がっていく。
「天呼ぶ地呼ぶ人が呼ぶ! 薔薇を狩れよととどろき叫ぶ!! 超必殺、エル
クゥ・ボンバーーーーっ!!!」
 これこそが薔薇狩人たちの真の姿であったのか。
 つつつ……と滑るようにお互い目掛けて磁石が引き合うように突進していく。
 利き腕である右を真横に張り出し、ラリアットの態勢だ。
 鳴呼、その人間凶器の交差するデッドリーポイントには、鈴木静のたおやか
な肢体が!
 建物の影からワルチが飛び出してくる。
「ああっ、ご主人様ぁーーーー!」
 彼女の悲鳴に、エルクゥ・ボンボーが炸烈する轟音が、天の雷鳴にも似て周
囲の空気を切り裂いた。いや、それはこの場に居合わせた者たちの心にのみ届
いた響きであったのかもしれない。
 そして――、
「……な、なぜだ……」
 全てが決した静寂のなか、Foolのかすれたささやきだけがあたりに漏れ伝わ
った。
 静は、依然として悠々とたたずんでいる。
 薔薇狩人たちは、それぞれの位置を入れ替えて、背中合わせに、新たに片足
をついた格好で決めのポージングをとっているが、当の静自身がぴんぴんして
いる以上、それはいささか間の抜けた光景だともいえた。
「……どうして……俺のエルクゥ・ボンバーは、薔薇属性に対しては完全無敵
のはず……」
「薔薇の王子様……なつかしいですね……しかし私は、あの日以来、『薫り高
き薔薇』の称号は、捨てたんですよ……そう、『咲き誇る百合』に裏切られた、
あの日以来ね……ゆえにいまの攻撃は意味をなさない……」
 静かに語り出すその声には、しかしこの男が初めてあらわす感情がにじんで
いた。
 憎悪……悲哀……。この決して己の胸の裡をつかませなかった美しい青年が、
ついに吐露した、それは真実の感情であった。
「『百合』はこの学園にいると、風の噂に聞きました……あなたは何か知って
いませんか?」
「百合? 坂下のことか……? いや、違うな……」
 うちひしがれたFoolの答えはどこかなげやりだ。
 ワルチがやってくる。
「ふぅー、あせったぁ。一時はどうなるかと思ったぜ」
 彼女に微笑を投げかけながら、静はFoolに問いかける。
「そうですか……で、あなたの手のうちというのは、それでおしまいなんです
か……?」
「ああ、そうさ……うちの薔薇狩人たちからエルクゥ・ボンバーをとったら、
あとはただの力自慢がふたり、残るだけさ。そんなんじゃ、あんたに抗すべく
もないだろう? 第一、俺があんたのところに派遣された理由ってな、実はそ
れだけなんだよな……」
 力ないいらえ。Foolはすでに心中で白旗を上げていた。
「……そうですか。……でも、ひとつのことに全てを賭けて、信じた道を突き
進んでいく……嫌いじゃないですよ、そういう生き方は……」
 Foolははっとしたように顔をあげ、静の表情をうかがう。
「あんた……」
 彼らの外では薔薇狩人たちが、誰も見る者もいないのに、しきりにさまざま
なポーズで鍛え抜かれた肉体美を披露しあっている。酔っている……のだろう
か、自分に。
「まあ、いいですけどね……。それじゃ、ワルチさん、Foolさんと少し遊んで
あげてくださいな」
「はーい」
 静はその哀れな「烙印を押されし愚か者」にニコリと、そしてワルチはニヤ
リとそれぞれ微笑みかけた。
「は、ははは……」
 そのとき、Foolは知らず涙を流している自分に気が付いた。

 死なない程度にボコにされて、Foolはコンクリの上に大の字に投げ出されて
いた。自分では立つこともできないぼろぼろの状態である。
 当然、薔薇狩人たちは綺麗に消滅してしまっている。
 仰向けの身体に、太陽の陽射しがまぶしかった。
 どこかで昼休みの終了を告げる鐘の音が鳴り渡るのを、Foolはまるで他人事
のように聞いていた。
「あ、ご主人様、なんかベルが鳴ってるよ。戻ったほうがいいのかな」
 金網越しに、町のパノラマを飽かずながめていたわるちが、名残惜しそうに
いった。
 すでにさきほどの凶悪なワルチはすっかり影をひそめている。
「そうですね。私たちは学生なんですから、授業は真面目に受けるのが本分で
しょう」
 静のあくまで優しい調子をはらんだ言葉に、
「そうだね、また来ればいいんだもんね」
 そうつぶやいて、わるちはにっこりと相好を崩した。
 ――と、ふたりが屋上を後にしようとしたまさにその刹那、まるではかった
かのようなタイミングで、突然爆発音のようなものが校舎を、そして静とわる
ちの身体を揺らしたのだ。
 驚愕しつつも、思わずFoolに不審の目をそそぐ、わるち。
「俺じゃねえって……」
 しかし、わるちの聡い双眸は、そんなFoolの弱々しい抗弁よりも早く、異変
の元凶を探り当てていた。
「あっ、あれ見てよ、ご主人様。学校が吹き飛んでる!」
 わるちの驚いて指差した先に、おっとりと静は目をやった。
 学園には大小あわせて三つの校舎があるが、そのうちのここの校舎から一番
近い建物の一角――だいたい二階あたりだろうか――が、派手に外壁もろとも
こっぱみじんに破壊され、痛々しい惨状を呈していた。ちろちろと炎の舌が見
え隠れし、黒煙が立ち込めている。
「はあ……なんだかすごいところに転校してきちゃいましたねえ。この学園に
はテロリストまでいるんですか」
「あれは……もしかしてあいつか……? ここしばらくはおさまっていたはず
なのに……それにあんなとんでもねえ暴走なんて……」
 心当たりがあるのか、Foolはしきりにぶつぶつと反芻を繰り返す。
「のんきに構えている場合じゃないよ。ご主人様、いってみよう!」
「いやですよ、面倒くさい……それに危ないですよ」
「なにいってんだよ! いけば何かご主人様の求めていることの手がかりくら
いはつかめるかもしれないじゃないか」
 ご主人様のどこか超然とした態度ってのは、実は極度の面倒くさがりからき
ている部分が大なんだけど、何も知らない他人ってのはそうは見ないからなあ
……。神秘的な美貌ってのは得だよなあ。
 わるちは心中溜め息をついたが、もちろん口にはしない。
「それにもうこのぶんじゃ、授業どころの話じゃないよ。だったら大人しく家
に帰るか、あえて事件の核心に飛び込んでいくか、ふたつにひとつだよ」
 わるちが急かす。
「帰ればいいじゃないですか……それが一般人の取るべき行動でしょう?」
「もう、わかってないなあ。なんのためにわざわざ転校してきたんだよ。それ
はこの事件の真相を知るためでしょう?」
「いや……絶対にそれだけは違うと自信を持って断言できますね」
「ぶー、いきたいよー」
 何者かの身を起こす気配があった。
 ふたりがそちらを向くと、Foolがつらそうに、それでもなんとか上半身をコ
ンクリから引き剥がすところだった。
「俺からも、頼む。ぜひいってやってくれないか……やつだとしたら……おそ
らくあんたの力が必要だ……」
 しばらく無言でそのFoolを見下ろしていた静は、やがて、芝居がかった身振
りで大きくひとつ息を吐いた。
「……仕方ないですねえ……転校初日だというのに、忙しいことです」
「やったー、じゃ、はやくいこう! はやく、はやく!」
 わるちはもう、その言葉だけでいまにも駆け出していってしまいそうに、そ
わそわと足踏みを始めた。
「ひとつ……いいかな……」
 Foolが問いかける。
「……どうぞ」
「あんた……さっき、SSの、その本質さえわかっているなら……俺でもかま
わないって、そういってたよな……」
「……そうですね」
「本当に……俺じゃあ駄目だろうか」
 じっとFoolは静の瞳を見上げる。
 この角度でながめるこの男は……よりいっそう美しいな……。そんな想いが
ふと心をよぎる。
 静は何も答えない。
 しかしその眸(め)が何よりも雄弁に物語っていた。
「……そうか」
 ふっと張りつめていた緊張のたがを緩める。
「……ふぅ、疲れちまった……じゃ、すまねえが後のことはよろしく頼むよ…
…俺はちょっと休ませてもらうぜ」
 再び大の字になる。まともに歩くこともできない半死半生の態なのだ。
 静は、しばらくそんなFoolを無表情で見つめていたが、やおら振り返ると、
「それじゃ、わるち、いきますよ」
 とだけいって、その場を後にした。
「おっとっと、待ってよ、ご主人様」
 あわててついていくわるち。すぐさま彼を追い抜いてしまう。
「そういやなんか忘れてるような気がするんだけど……うーん、何だっけ……
ま、いいや。忘れるくらいだから、きっとたいしたことじゃないんだろう」
「何をぶつぶついってるんです?」
「ううん、なんでもないよ。……わるちのないしょ!」
 もときたスチール製の扉をくぐって、ふたりは姿を消した。
 かすかなきしみだけが、残響音の尾を引いていく。
「ふう、すげえやつが転校してきやがったなあ。……惚れちまいそうだぜ……」
 Foolの再び見上げた空は、やはりぎらぎらとまばゆいばかりの輝きを放って
いた。
 目を細めないと、蒼穹を直視することもかなわない。
 しばらく心地よい放心にその身をゆだねる。
「……そういや、なんか大事なことを失念しているような……それもふたつ…
…なんだろう?」
 しばらくじっと考えてみる。
 身体中が、痛みで悲鳴を上げる。
「あっ!!」
 Foolは思い至った。
「しまったぁー。誰かたすけてくれぇー。動けねえから、誰かが発見してくれ
るまで、このままじゃねえかぁ」
 そんなちっぽけな人間のちっぽけな拘泥を、おっきな太陽とおっきな青空が、
笑っていた。彼にとっては笑い事ではなかったが。
 ちなみに、もうひとつの気にかかることというのは、とうとう思い出せなか
ったし、そのうちにそんなことを考えていたことさえ忘れてしまった。

 フェンスのすみっこでは、Foolが巻き起こした暴風によってこんなところま
で転がり流されていた、誰からも忘れ去られた――あやうく作者にさえも――
橋本が、意識不明のまま無様な姿をさらしていた。
                               (続く)