Lメモ「狼に捧げる挽歌(2)」 投稿者:皇日輪




  車を止めてそっと目をとじる。
  そして思い浮かべる。
  あのとき、この場所で、『彼』はどうしたか?
  どのように走って、そしてどのように動き……。
  ……そしてどのように自分を抜き去っていったのか?
  目を開ける……『彼』が見えた。
  キーをまわし、エンジンをかける。
  低いアイドリング音を聞いた後、確かめるようにアクセルを軽く……踏む。

  うぅううぉぉおん……ぅぅぅぅぉぉぉぅ………。

  静かに峠に『狼』の雄たけびが木霊していった。



  数日がたった。
  あれから毎日、忍は工作部のガレージへとやってくるようになった。
  もちろん目的は、シビックの強化である。
  忍が峠を走ってきては、ここに戻って誠治と話し合ってセッティング。
  またそれを試すために忍が峠を走ってきての繰り返しである。
  もちろん、運び屋のバイトも忘れたわけではない。
  だがそれもテストのうちとしていた。とくに荷物を積んでいないときはほとんど全力
に近い走り方をしているのである。

「あきんな〜」

  そんな様子を見ながら保科智子は誰にともなく呟いた。
  ここのところ、誠治はそれに係りきりである。
  複雑なHMのメンテナンスの予定が今はないからいいようなものを、実際、それにか
ける時間は一日のうちの半分を費やしているようにも見える。
  それでも、こまごまとした修理の依頼は毎日きているのではあるが、誠治はそれらも
きちんとこなしていた。

(そのうち、部長、過労でぶったおれるんちゃうん?)

  そんな心配を今度は口に出さなかった。
  智子には不思議に思う事があった。
  誠治は高度で複雑なHMのメンテナンスを一手に引き受ける技術者である。
  その高度で複雑な……まあ、とにかく最も最先端の技術を使いこなすくせにああいう
エンジンに車輪がついてハンドルがついて……原理からいってしまえば子どものおもち
ゃの如き物に熱中できるのだろうと。
  実を言うと昨日、そのことを誠治に聞いてみたのだ。
  誠治はただ一言、油で黒く所々汚れた顔でヘラリと笑って(少なくとも智子にはそう
見えた。本人はさわやかに笑ったつもりであろうが)

『漢(おとこ)の浪漫だからさ』

  と、答えた。
  ……どちらかというとその後ろで忍がなんだか照れくさそうにしているのが誠治の言
葉よりも印象的だった。

「わからへん……」

  智子は誰にともなくそう呟いた。



「ふぅ〜」

  シビックのボンネット内を覗き込むようにした誠治は背筋を大きく伸ばし、ポンポン
と自分の腰を叩いた。
  そして、たった今、調節したばかりの部分をちらりと見た後、忍に声をかける。

「忍君。今日はこのくらいにしておこうか?」

  リアの方でサスペンションを相手に格闘していた忍が顔を上げる。
  誠治は作業用のグローブを外し、ぽいぽいっと開けっ放しにしていた工具入れの中に
放り込む。

「ちびまるぅ〜、なにか持ってきてくれないか〜」

  ガレージの奥に向かって誠治がちびまるを呼ぶ。
  間を置いて。

「は〜い〜、ちょっと待ってください〜」

  というちびまるの声が返ってきた。



「いやはや、さすがというかなんというか……」

  ちびまるが持ってきてくれたダージリンティーに口をつけると誠治は言った。

「改めて見直してみると、手を入れれるところは余りにも少ない。
完璧だね、前のオーナーは。
下手に手を入れると今のバランスを崩してかえって悪くしてしまう」

  実のところをいうと忍のシビックSiRUという車はまったくのノーマル状態でもか
なりの実力を持った車である。
  グレードがスポーツモデルなのであるから当然といえば当然なのだが。
  だがしかし、そこは市販車。いくらスポーツモデルといってもそのまんまレースに出
られるようなものをメーカーが出すわけにはいかない。
  結局のところそのモデルを量産して売り、利益を上げるにはある程度の妥協(こうい
う言い方は語弊があるが)が必要になってくる。
  だが、ユーザー側には、それで満足しない者が少なくない。だからこそ、チューニン
グショップという商売が成り立つのである。
  しかし、そういったユーザーの多くは結果的に元の車のバランスを崩してしまうこと
が多々あるのだ。
  そういう点では……やはり忍のシビックは秀逸であった。

「……すみません」
「忍君が謝ることじゃないだろう?
……やっぱり微調整の繰り返しで少しずついいところを探っていくしかないかな……」

  ゆっくりとティースプーンで紅茶をかき混ぜる。

「……いっそのことボルトオンターボでも」
「それは……ちょっと……」
「やっぱりだめだよな〜」

  そのまま考え込んでしまった誠治。
  忍はその間紅茶を飲んでいたのだが……視線をうつすと「彼」がその位置に戻ってき
ていないことに気づいた。
  彼の寝床には、未だあの、忍の名も知らぬ古い車が鎮座している。

「ああ。FENNEK君ならしばらく校長のところに行ってもらってるよ」

  忍の視線に気づいたのか誠治はいった。

「それに僕らが目の前でこういうことをやってると……彼にばれちゃうだろ?」

  悪戯っぽく誠治は笑う。

「どのみち、その車の処遇がどうなるか決まってからじゃないと、戻ってきても寝床が
ないけどね……彼は」



  その日、FENNEKは工作部のガレージで見慣れぬ車を見つけた。
  いつもはその場所は自分がいる……まあ彼にとっては寝床なのだが……とにかくその
場所には自分ではない他の車が鎮座していた。
  古い車だ。
  それだけは、一目見ただけでFENNEKにも分かった。
  四角いフロントマスク、大きく張り出したオーバーフェンダー、リヤはなだらかな傾
斜を描き、急にすとんっと切り落とされたかのように直角に落ち、リヤスポイラーへと
続いてる。そして、丸い四連のテールライトが切り取られたかのような平面に収まって
いた。
  そのデザインはその車がFENNEK自身と同じ時代のスポーツカーであることを強
く主張していた。
  そして、何より目を引くのはその車の色だった。
  紫……いや、『深紅』といったほうがいいのか、一見するとその手の車と間違えられ
そうな色だが、その車には何故かその色であるのが当然かのごとくよく合っていた。
  …………良く合ってはいるのではあるが。

(なんだか喧嘩を売られてるみたいだな……)

  FENNEKはそう感じていた。
  威圧感ではない。どちらかというと……そう、言葉ではちょっとうまく言い表せない
が……ちょうど「新しく来た転校生とお友達になりたくてついつい苛めてしまう小学生
男子」のような……やっぱり何だか良く分からない複雑な感覚だった。
  FENNEKはその車の内部を見るために運転席側のドアに近づいていった。

「やあやあやあやあ、帰ってきたんだね、FENNEK君」

  聞き覚えのある声が運転席を覗き込もうとしていたFENNEKを呼び止めた。
  FENNEKが振り返るとそこにはツナギを着込み工具箱を抱えた誠治が居た。

「誠治さん……この車……」

  車を差すFENNEKに誠治は「ああ、それね」と、やけに機嫌がよさげに笑う。
  そして一言、

「拾ったんだ」

  と言った。

「…………は?」
「もちろん、廃棄場で拾ったとかそういうのではないよ。 ……校内に落ちてたんだ」
「はぁ?」

  ますます持って謎である。

「校内に落ちてた……って、なぜ?」
「なぜと聞かれてもこっちが困る……とにかくそのままにしておくわけにはいけないか
ら工作部(うち)が預かった」

  こういう物でも遺失物扱いになるからね……と誠治は言った。

「生徒会とか他のところで預かってもらえなかったんですか?」
「落とし物は落とし物でも車一台なんて預かりようがないだろう? 
スペースがないとね。
……それに科学部とかに預けちゃうと催涙弾だのガルウイングだの改造されちゃいそう
だしな」

  FENNEKは想像してみた。
  大きく開いたガルウイングのドアからサングラスとコート、片手に機関銃を持ったい
かにも「団長」といった感じの男が銃を構えている。
  …………。
  …………。
  ……ちょっとカッコイイ。

  ぶんぶんぶんっ!

「ん?  どうした?  急に首なんか振って?」
「なっ……なんでもありません」

  不思議そうに尋ねた誠治にFENNEKは想像を打ち消した。

「まあ、とにかくね。
誰が運び込んだんだが知らないが学園の敷地内にこの車はあった。
持ち主が分かれば、すぐにでも持って帰ってもらうんだがそれも、分かりそうにない。
しかも車なんて持ち主が分からないからといって、どこか他所に捨ててくるわけにもい
かないし、だからといって見つけてしまった以上学内に放っておくわけにはいけない」
「だからってここに置かれても……俺、寝る場所ありませんよ?」
「……といってもだ、もうすぐ忍君が来るからもう一方のガレージは開けておかなけれ
ばならない。
 ……で、どうするかと言うとだな」

  にやにやと誠治が笑う。
  …………FENNEKはものすごく嫌な予感がした。

「もう校長先生には話をつけてきた。  今晩から柏木家のほうに行ってくれないか?」
「えええええええっ!!!」

  嫌な予感的中。

「なにが不服なんだ?  美人四姉妹と同じ屋根の下だよ。  
これほどいい話はないじゃないか。代わってほしいくらいだよ」
「……俺は屋根の下じゃなくて夜空の下だと思いますけど……じゃなくてっ!
なんだってそんな話が急に出てくるんですかっ!」
「校長の前で「FENNEK君、寝る場所がないな〜」と言ったら「それならうちで預
かります」という話になったんだよ」
「……断ってくださいよ、頼むから」

  情けない顔をするFENNEKに、断れるわけがないだろう……と、誠治はやはりに
やにや笑いながら言った。

「お客様待遇だよ。 うはうはだ」
「……どーせ千鶴さんの24時間アッシーですよぅ……」

  アッシーという言葉自体古い……が、その待遇は推して知るべし。

「さっきその車の中身を見たんだがね。外はきれいなんだがこれがまた結構なことに中
身はボロボロだ」
「……なんで、そんなにうれしそうなんすか?」
「いやいやいや、こういう車をいじる機会は滅多にないからね。
……壊れたままでもいいけど……もったいない。
で、修理する。
でも時間がかかりそうなんだ」
「……どのくらい時間がかかるんですか?」
  問うFENNEKの肩を誠治は、ぽんっと叩く。
「頑張れよ」

  ようするにどのくらい時間がかかるか全然わからないのか。
  FENNEKはすこし気が遠くなった。



「……というわけで、FENNEK君は今はいない。
 だから僕らは、堂々と「打倒FENNEK君」なんてことをやっていられるわけだ」

  誠治はそういうとわずかにカップに残っていた紅茶を飲み干した。
  FENNEKには悪いことをしたかなと忍は思った。

「まあ、忍君が気にすることはないよ。
結果として僕らには都合が良かったいうだけで、はじめっから、それを狙ってやったわ
けじゃないからね」

  忍の紅茶はすっかり冷めてしまった。
  誠治は椅子から立ち上がると例の車の方に歩いていく。

「……持ち主……見つかりそうですか?」
「いや、探してはいるけど……なかなかね。
名乗り出る人もいないようだし……修理は、ほぼ終わったんだけどね」

  誠治は車の横に置いてあった工具箱の中から何やらプレートのような物を取り出すと
一緒にあった少し油に汚れたタオルで、はぁ〜っと息を吹きかけ磨く。
  ……そう言えば聞いてなかったな。
  忍はそう思うとそのことを誠治に聞いてみた。

「ああ、そういえば言ってなかったな。
聞かれないから知っているもんだと思った」

  誠治はそう言うと忍にタオルに包んだままそのプレートを差し出した。

「KPGC110。  幻のR、悲劇のR、そして……」

  ……そう……たしか……ヒトにそう呼ばれることもあったな……。

「……そして……「狼」……」
  薄汚れたタオルのなかで紅いRのエンブレムが鈍い光を称えていた。



  すべての獣は後ろ足で大地を蹴り、疾走する。
                                    ……ある自動車技術者の言葉……



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短くコメントを……

>東雲 忍さん、FENNEKさん
このSS、出す前に見せようと思ってたんですけど、結局見せずじまいで投稿。
すみませんです(汗
(出来れば、このSSが、お二人の目にとまることを祈ろう:汗)

>菅生誠治さん
この先、おいしいようでいて、実はおいしくない役どころかもしれません(笑)

>このお話の続きについて
遅筆ゆえ、いつになるか分かりませんが(汗
出来るだけ急ぎますので、今しばらくお待ちください

>ついでに小翳ちゃんのお話ついて
……ごっ……ごめんなさい……(笑)