Lメモ「狼に捧げる挽歌(1)」 投稿者:皇日輪




  やっと来たか……。
  ずいぶんと遅かったな。
  あ?、なに?、探すのに手間取った?
  ああ、謝らなくてもいいって、俺のせいなんだしよ。
  ……え?、なんだ?、「満足していただけましたか?」だって?
  見てわからねーか?
  ……「ボロボロですね……」……って、普通こういう時にそういう事を言うか?
  ああ、満足したよ。ありがとよ、礼を言うぜ。
  ん?、何、意外そうな顔をしてんだ?、未練たらたら何かいうとでも思ったのかよ?
  俺は満足さ。最後にあれだけいい勝負ができる相手といい相棒に会えたんだからな。
  おかげでこの様。まあ、もっとも少しも後悔なんかしちゃいないが。
  俺にとってはそれだけの価値はあったさ、さっきの勝負はな。
  おう、いいぜ。約束だからな。とっととやっちまえよ。
  …………。
  …………。
  …………。
  
  ……なあ……ちょっと聞いていいか?
  俺みたいのは……どこにいくんだろうな?
  …………。
  はん……やっぱりわからねえのか。
 そういうことに答えるのがあんたの仕事じゃねえのか?
  ああ?、昔の偉い人なら知っていたかもしれないってか?
  この世界じゃ多分意味を成さない?……なんだそりゃ?、全然わからねえぞ。
  ……よーするにあるかもしれないけどないかもしれないつーことか。
  ……いい加減だな、随分と。
  …………。
  だから回りくどい言い方はよせよ。わかんねえって……
  …………ああっ、もう、いいっ!
  だったら俺はあるというほうを信じるぜ。
 そっちのほうがもう一度あいつらに会えそうだしな。
  …………。
  ……だからそういうところで笑うなって。 さっきから性格悪いぞ、あんた。
  あん? そろそろ静かにしてくれ?…………ああ、悪かったよ、邪魔したな。
  …………。
  …………。
  …………。
  …………。
  ……どうした? 進まねえな。 ……へっ? 名前?
  必要なのか? んなもんだったら最初に聞いておけよな。
  いくつもあるからそれのうちのなんでもいいぜ?、それともそれじゃ困るのか?
  希望はあるか? ……って? そういうのでいいものなのか? それ?
  ……「サービスですよ」……ってか?
  そりゃまた随分と…… あん? 時間がないから早くしてくれ?
  へいへい わーたよ。
  ん〜……そうだな……。
  …………。
  …………。
  …………そう……。
  ……そう……たしか……。






  その日、東雲忍は工作部のガレージで見慣れぬ車を見つけた。
  いつもはその場所はFENNEKがいる――まあ彼にとっては寝床なのだが――そこ
FENNEKではない別の車が鎮座していた。
  古い車だ。
  それだけは、一目見ただけであまり車には詳しくない忍にもすぐ分かる。
  四角いフロントマスク、大きく張り出したオーバーフェンダー、リヤはなだらかな傾
斜を描き、急にすとんっと切り落とされたかのように直角に落ち、リヤスポイラーへと
続いてる。そして、丸い四連のテールライトが切り取られたかのような平面に収まって
いた。
  そのデザインはその車がその時代のスポーツカーであることを強く主張しているよう
に忍には思えてならなかった。
  そして、何より目を引くのはその車の色だった。
  紫――いや、『深紅』といったほうがいいのか、一見するとその手の車と間違えられ
そうな色だが、その車には何故かその色であるのが当然かのごとくよく合っていた。
  その車から発せられているのはその手の車にあるにある威圧感ではない。見ていると
ある種の昂揚感を感じてしまうのだ。
  忍はその車の内部を見るために運転席側のドアに近づいていった。

  からん。

  何かが音を立てて足に当たったのを感じ、足元を見るとスパナが一本転がっていた。
  よく見ると運転席のドアの周りには、工具が散らばっている。
  べつに、ここはガレージなのでスパナの一本や二本転がっていてもおかしくはないの
だが、それでもこんなところに転がっているということは、この車は整備中のようであ
る。
  となると、
  忍は当然そこにいるであろう人物の名前を呼んでみることにした。

「誠治さん? いるんですか?」
「お〜、忍君か。 ここにいるよ〜」

  返事はすぐに返ってきた。
  その車の運転席の座席が起き上がり、菅生誠治が顔を出した。

「そんなところでなにやってるんですか?」
「いやなに ……ちょっと浸ってたら、寝てしまっただけだよ」

  寝起きの所為か少し乱れた頭髪を照れたようにかきながら、誠治はドアを開け、車の
外に出てきた。

「ええっと…… ああ、シビックのメンテだね?」
「ええ、ちょっとブレーキの件で。 ……今日もよろしくお願いします」
「ふむふむ、どういう具合なの?」

  忍の愛車、シビックSiRUのメンテナンスはすべて工作部で行われている。
  ここでは忍のシビックにだけに至らず、校内の家電製品(調理器具は破壊されてもち
こまれることが多いが、誰がやっているかは言わずもがなである)、はては自動販売機
や、高度な専門的技術を要するHMまで一手にメンテナンスを取り扱っているのだ。
  一重に部としての工作部の信用の高さ……他の科学系の信用の低さである。
  さあそれはさておき。
  若干、感覚的で拙さを感じさせる忍の説明を誠治が質問をすることによって補う。
  そんなことをしばらく繰り返し、何度目かの肯定の返事の後、誠治は結論を出した。

「そろそろ、君向きのセッティングというのを考えたほうがいいかもしれないな」

「僕向きのセッティング……ですか?」

  戸惑い気味の忍に誠治は「そうそう」と肯いた。
  忍のシビックSiRUは前のオーナー……先代の運び屋の手によってかなりの手が加
えられている。
  通常、車は手を入れた場所によってライトチューンとヘビーチューン……はたまたフ
ルチューンといった具合に分けられる。
  チューニングはタイヤやサスペンション、ショックアブソーバーなど足回りといわれ
る車の力を伝える地面に近い場所から手を加えていくのが基本とされている。
  エアロパーツ……空力系のパーツや、吸気系、排気系、最終的にはエンジンに手を入
れ、そして最後の最後に全体のバランスを取ることによってその車は市販車とは違う車
に……その車を操ることができる者のための車となるのだ。
  そういう意味では忍のシビックはヘビーチューン、いや、フルチューンといっても差
し支えないほどの出来なのではあるが。
  無論、細かいバランスの調整や消耗品の交換は忍のシビックとてやっている。
  だがそれは、基本的には先代の運び屋が作り上げた先代のためのシビックとしてのセ
ッティングの範囲内のことであり、真に忍のためのシビックとなることは……それに近
づくことはあっても、全体としてのバランスを根本的に見直さない限りはなり得ないの
だ。
  そのことを誠治は忍に説明する。
  だが忍は、やはりどこか浮かぬ顔で「はあ……」と返事を返すだけだった。
  気の乗らぬ忍に、誠治が問いただすと忍はおずおずと気の乗らないわけを話し出した

「あの……やっぱり、バイトですし……」

  なるほど。要は、本来生活のためである運び屋のバイトに「自分のためだけのセッテ
ィング」などという、自分本意な事をすべきではないのではないかと……戸惑っている
のである。
  そんな忍を誠治は「忍らしい」と思いつつもこう言った。

「だけど、忍君。最近、走り方が変わってきているんじゃないのかい?」
「…………」

  誠治の言葉に忍は、複雑な表情で黙り込んでしまった。つまりは、肯定である。
  確かに忍のここ最近の走行スタイルは前とは変わりつつあった。
  その原因は、やはりリーフフォーミュラでのことも大きいが、それとともにFENN
EKに一度敗北を記したことも大きいであろう。

(決着はついてないじゃないか……)

  一度目は完全な敗北、二度目は勝負すらではなくそれ以前の問題、結局のところは風
見ひなたの手によって幕は下ろされてしまった。
  FENNEKとの決着は……忍の中ではまだついてないのである。
  だが、バイトのことや忍自体の性格の問題もあり、再戦を言い出せぬままであった。
  ただ、忍は黙々と運び屋としてのバイトを続ける他なかった。
  だがしかし、その走行スタイルに対する意識は確実に変わっていた。
  いままでは、繰り返し同じ道を走る中でのちょっとしたアクセントとしてのドライビ
ングテクニックとして、そして「目的地に早く着くための走り方」であったので対し、
今は「いかに速く走るのか」を追求するスタイルに、変わってきているのである。
  基本的には丁寧な乗り方であるところは変わっていない。だが、この車をメンテナン
スをずっとしてきた誠治には分かる……いや、分かってしまったのである。
  その証拠に消耗品、とくにブレーキパット等の交換のサイクルが短くなってきている
のだ。
  そして、なにより……誠治とて二度目の結末にはあまり納得できかねているのだ。

「そんなことは気にしなくいいと思うよ、忍君。校長だって訳を話せばきっと……」

  誠治はそこまで言うと、忍の顔をじっと見つめた。
  忍は、まだ浮かぬ顔のままだ。
  誠治は思う。東雲忍という男はなにかに熱くなるほどのめり込む事に慣れてはいない
のだろう。
  その反面、一度、のめり込んでしまえば、もう後には引けぬほど熱く燃え上がってし
まう。だがそれは、忍にとっては最も『恐い』行為でもあるのだ。
  激しい感情は確かに強い。ときに何者にも負けない力を人に与える事がある。だがそ
うやってむき出しになった感情はひどく傷つきやすく……そして脆い。
  時にぶつかり合い、傷つけあい、そして壊しあう感情のエネルギーには今の忍はおそ
らく耐えられないのだ。
  だがらこそ、忍は……独りで自分の中でその感情に戦い耐えるのだ。
  臆病な事かもしれない。だが、そういうことは誰にでもある事なのだ。……無論誠治
にも。ただ単に忍はそれが極端になってしまっているだけなのだ。
  だが今は違う。忍はいつのまにか自分を閉じ込めてしまった檻というべき物の中から
出ようと葛藤しているのだ。
  だから、誠治はその手を少しだけ引いてやる事にした。それが目の前にいる気弱で心
の優しい、そしてなによりも強い男に対する誠治の役目だと……そう思った。
  ゆっくりと諭すように忍に語り掛ける。
  やがて、忍が顔をあげた。
  そして……。

「……わかりました。…………やります」

  その瞳はまっすぐになにかを捕らえていた。