Lメモ外伝「月花久遠」 投稿者:皇 日輪
    月が水面にうつる。
    舞い散る花びらが水にふれるたび、次々と波紋が浮かぶ。

  「……綺麗」

    彼女はそう言うと湖面を撫でるように手を伸ばした。
    水に浮かんだ一枚の桜の花びらを摘まむと、それをまた湖面へと戻す。
    波紋が浮かび、浮いた花びらたちが湖を広がっていく。

  「ええ、本当に……」

    水面を見るふりをしながら。
    僕は、そんな彼女の横顔を見つめながら呟くように言った。
    ……彼女は気づいていない。
    流れていった花びらが水中に沈んでいく。
    水が澄んでいるせいもあろう。
    月明かりに照らし出され、花びらが吸い込まれるように暗い水の底に消えていく。


    消えない想いがあります。

    忘れられない時間があります。

    そして僕は……。



    Lメモ外伝「月花久遠」


    避けきれず腕に激痛がはしる。
  (いずれにしろもう印は組めないな)
    血を流し傷ついた腕はだらりと下がる。
    腕だけではなく、体のあちらこちらが悲鳴を上げているのが分かる。
    傷ついてない右腕に持った錫杖で体を支え、立っているのがやっと。
    皇は目の前にいる妖魔を睨み付けた。
    人型……いや、一角鬼と呼んだ方がいいのだろうか。
    明らかに人間とは違う、強靭な力をもった存在。
  「餓鬼が……付け上がるからだ」
    その一角鬼は地の底から響くようなくぐもった低い声で言った。
    満身創痍の皇に対して一角鬼はほぼ無傷に等しい。
    この一角鬼を挑んだのは皇の方だった。
    このあたりの森に鬼が出るという話を聞き付け、周りの制止も聞かず単身で乗り込
   んできたのだ。
  (……過信か……確かにあったかもしれませんね)
    皇はそう思った後、
  (己が殺せれかかっているというのにやけに冷静ですね、僕は)
    自らに少し驚き、皮肉っぽく口の端を歪めた。
    きっと死ぬときなんてこんなものなのだろう。
  「……何がおかしい?」
    笑っているのに気が付いたのだろうか?
    一角鬼は怪訝そうに言った。
  「……貴方に答える義理はないでしょう?」
    自嘲した笑みが挑発的に感じたのか。
    一角鬼は「ほんとに生意気な餓鬼だ」と呟いた。
  「餓鬼だ餓鬼だとうるさいですね。ちゃんと僕には皇日輪という名があります」
    今度は正真正銘の挑発的な笑みを浮かべ皇は言った。
  「いちいち殺す人間の名を覚える趣味はない」
    一角鬼は皇の方に手を向け、
  「死んだ人間の名も覚える趣味もないな」
    にやりと笑う。
  「それもそうかもしれませんね……」
    っと、一角鬼と皇の笑みが消える。
  「さあ、止めをくれてやろう……」
    一角鬼の手に青白い光が集まりだす。
  (これで最後か……)
    皇は、覚悟を決めて錫杖を握り締めた。
    ……が。
    一角鬼はいっこうに手に集まった光を放とうとしない。
    それどころか皇を見ず、森の奥……皇からは何も見えないのだが……見つめている
  「……ちぃ……お呼びか……」
    一角鬼は舌打ちし、皇の方に向き直ると、
  「どうやらこれ以上餓鬼にかまっている時間はないようだな」
    手に集まった集まった光を消し、にやりと笑う。
  「まあ、どのみちその傷じゃ野垂れ死にだろうが……あばよ」
    そう一言言うと一角鬼は見つめていた方の森の奥深くへ姿を消した。
    事実、一角鬼のいうとうりだった。
    皇は血を流しすぎたようだ。
    いま、こうしている間にも意識が朦朧としてくる。
    ただ単に、気力で立っていただけなのだ。
    膝から崩れ落ちる。
  (つまらない死に方ですね)
    何故か他人事のように思う。
    だんだん音も景色も遠くなっていき……。
    やがて、皇は意識を失った。


    冷たい何かが額に当たっているのを感じる。
    目を開けると、額には水に濡らされた布らしきものがあるらしい。
    まわりは薄暗い。次第に目が慣れてきて、だんだんと周りものが見えてくる。
    物がたくさん積み上げられている。どうやら倉庫のような場所なようだ。
    皇は藁の上に寝かされていた。
    自分の体を見ると傷に包帯が巻いてあった。
  (……どうやら倒れているのを拾われたらしい)
    皇が寝ていた側には包帯やら傷薬、水の張った桶などが置いてある。
    試しに体を動かしてみる。
  「痛っ……」
    引きつるような痛みが走る。動くのは無理なようだ
    あたりを見ると、積み上げられた荷の向こう側に四角い形の明かり−−恐らく戸だ
   ろう−−が見える。
    と、その戸が音を立てて開きはじめ、明かりが暗い部屋の中に差し込んできた。
    皇は光に目を細める。誰が入ってきたのは分かるが影が動いているのしか見えない
    その人物はそっと戸を閉めるとこちらに向かってくるようだ。
    なぜだか、寝ていなくてはならないような気がして皇は寝ている振りをすることに 
   した。
    その人物は寝ている隣に来たようだ。額から布が離れる感触をとともにそれを水に
   つける音がする。
    その後、手を額に当てられる感触。
  「……熱が下がってる……良かった……」
    その人物−−声からして少女のようだ−−が安堵の声を上げる。
    手の感触が額から離れ、また水音がし始める。
    皇は薄目を開けてみることにした。
    年の頃は皇と変わらないであろうか?
    少女と言って差し支えない。
    その横顔は、奇麗で可愛らしくて、でもどこか大人びていて、なんとなく危うい感
   じがして……。
    いつのまにか、少女を見つめてしまっていた。
    不意に布を絞り終え額に再び乗せようとした少女と目が合う。
   「…………」
   「…………」
    薄明かりの中でも少女の頬が赤く染まっているのが分かる。
    皇も……多分自分自身も顔が赤くなっているだろうと思っていた。
    妙な沈黙が二人を襲った。
   「あっ……あの……気がつかれましたか?」
    気まずさを打ち消すように、少女が問う。
  「はっ……はい……おかげさまで」
    なんだか、間のぬけた返事をする皇。
   「…………」
   「…………」
    また、お互いに気まずい沈黙。
   「「あの」」
    声が重なり、またお互いに赤面してしまう。
   「……あの、先にどうぞ……」
   「あっ……はい」
    頬を染め、俯きがちにいう少女にそくされて皇は言った。
  「あの……貴方が助けてくれたんですよね?」
  「ええ……森の中に倒れていらっしゃったんですよ……びっくりいたしました」
   「そうですか……」
   「傷だらけで熱も下がらなくて全然目を覚まさないので、私、本当にどうしようかと
   ……」
  「それは……助けてくださってありがとうございます」
  「……はい」
  「…………」
  「…………」
  「「あの」」
  「……今度は、そちらからどうぞ」
  「あっ……ええ……・」
   「あの……お名前は何と言われるのですか?」
   「……僕は皇、皇日輪です」
   「……いいお名前ですね」
   「ありがとう。……貴女は?」
   「美津羽……神凪美津羽と申します」
   「奇麗な……あっえっとその……」
   「……ありがとうございます」
    美津羽は微笑み、薄く頬を染めた。 


    それから彼女は、僕の怪我が治るまで親身になって僕の面倒を見てくれた。
    彼女はよく微笑みながら僕と他愛のない話していた。
    僕もつられてよく微笑んでいた。
    彼女の微笑みを……楽しいそうにしている姿をずっと見ていたいと思うようになっ
   たのは。
    あのころの僕は、まだ子どもでそのことを言葉に出して言ったことはなかったけど
    ずっと一緒にいたい。
    そういう想いがあった。
    だから傷が癒えて、僕が出て行くことになったとき、僕は彼女にまた逢おうと言っ
   た。
    彼女は肯いて……僕らはまた逢う約束をした。


    月明かりで森の中は明るかった。
    木々の間から見える満月を見上げ、皇は人を待っていた。
    遠くで虫の声が静かに響き森は静寂に包まれている。
    やがて小枝の折れる音をさせながら皇に近づいてくる気配。
   「お待たせいたしました……皇さん」
  「ええ、お待ちしてました、美津羽さん」
    お互いに微笑みあい、軽く会釈する。
    しばらく、月明かりの中見詰め合う。
  「さあ……行きましょうか?」
    皇が手を差し伸べると美津羽は頬を染め肯き、皇の手をしっかりと握った。
    皇はそんな美津羽の手を引き、森の奥深くへ入っていく。
    手から伝わるお互いのぬくもり。
    互いに意識がそこにいっているのが分かる。
    歩き、進んでいくと時折大きな木が倒れたりするが、皇は美津羽が倒木の上に来る
   のを手伝う。
    先に倒木の上に上り、美津羽に自分の手に捕まるように促す。
    美津羽が手を皇の手に沿えるようにすると、皇は微笑して美津羽の手をしっかりと
   握り、木の上に引き上げる。
    狭い倒木の上で、皇と美津羽の距離がちょうど抱き合う寸前なような距離になる。
  (……甘い香がする)
    すぅっと倒木の上から降り、また皇は手を差し伸べ促す。
    美津羽は、またそっと手を重ね、また皇との距離が近づく。
    抱き合うには充分近い距離。
    口付けするには少し遠い距離。
    だが、抱き合うことも、口付けも二人はしない。
    また皇は美津羽の手を握り森の中を進んでいった。
    何度かそんなことを繰り返すとやがて森が開け、小さな湖にたどり着いた。
    湖の真ん中の方に、小さな小島がありそこには一本の大きな桜の木があった。
    月の光に照らされ舞い散る花びらは、月が浮かんだ湖に波紋を広げる。 
    湖のほとりに二人は立つ。
  「ちょっと待っててくださいね……」
    そう言うと皇は覚えたての呪を印を組み、口の中で紡ぎだす。
    やがて呪が完成し、皇の背には大きな白い三つの翼が顕われていた。
    美津羽にこちらに来るように言う。
    皇が照れた微笑みを浮かべながら「いつもどうりに……」というと「……はい」と
   頬を赤く染めて美津羽は軽く俯いた。
    おずおずと皇に近づき、皇の首にか細い両手を廻す。
    皇も顔を赤くしながらも、両手を美津羽の足と背に持っていき抱え上げる。
    三枚の翼が大きく開き、二人が少し宙に浮く。
    耳元で「しっかり捕まっててくださいね」と言うと首に廻された両手に力が入るの
   を確認する。
    浮き上がった二人は、小島に向かって飛んでゆく。
    あまり高さがない、水面から一メートルぐらいしか浮き上がってはいない。
    水面の上に、ふわふわと浮かび小島へと美津羽を運んでいく。
    慣れない呪のため最初のころは、何とかぎりぎりで小島にたどり着くのがやっとだ
    ったが、いまでは一人で飛ぶよりも美津羽を抱きかかえて飛ぶ方がうまくなってい
    た。
    はじめて飛んだとき、うまく着地できなくてもつれるように小島に落ちて二人して
    笑いあったこともあった。
    やがて小島にたどり着いた。
    皇は美津羽を降ろす。
    なごり惜しむかのように二人はゆっくりと離れる。
    そして桜の木の下に行き、寄り添うように根元に腰を下ろす。
    散って湖面に降る桜を見ながら、他愛もない話をする。
  「兄様は、私には優しいんですよ……」
    優しい笑みを浮かべ、美津羽は、言った。
    そんな美津羽を見つめていられる時間が皇は一番好きだった。
    適当にあいづちを打ちながら、彼女の微笑みを見ている。
  (……できれば、ずっと一緒いたい)
    それだけが望みだった。
    ……美津羽がどんな事情を背負っているのかは知っていた。
    皇が打つべきひとつの敵、「妖術師」の娘。
    美津羽も皇がどういう立場の人間かは、分かっている。
    神凪家が忌むべき、「法術師」の少年。
    そんなことは自分達には関係がない……が、逃れられない。
    お互いにそのことを言うことはなかった。
    いえば、夢が醒めてしまうような、そんな気がしていたから。
    お互いに言わない。
    言葉として「好き」と言い合ったこともなかった。
    いうと、逃れられない現実を思い出すから。
  (……彼女は僕のことをどう想っているのだろう?)
    皇は思う。
  (……この人は私のことをどう想っているだろう?)
    美津羽は思っていた。
    お互いに「好き」と言い出せぬまま、時間が過ぎていく。
    拒絶されるのを二人とも怯えていただけかもしれない。
    ただ、ともにいたいという気持ちがあって。
    逢瀬の終る時間が来ると、また次に逢う約束をする。
    それのくり返し。
    それが……二人をつなぐものだった。


    ある日、こんな話が飛び込んできた。
   「使い人」からの宗派への協力要請。
    ある「妖術師」の一族の殲滅作戦への協力。
    それが「使い人」からの要請だった。
    前々から協力の要請はあったがそれが実行に移されることはなかったのだが。
    協力を拒んでいた大僧正が、病に伏せ、宗派の権力が大きく変動したこともあるだ
   ろう。その要請は宗派の反対派の意見を押し切り、あっさりと決定事項となり宗派は
  「使い人」に協力することとなった。
    上層部が決めたことは絶対だ。従わざるえない。
    だが……僕は……。


   「使い人」の協力作戦の内容はこうだった。
    宗派が「妖術師」に気づかれぬように、「妖術師」の力を半減させるための結界を
   夜の内にはる。「使い人」たちでは「妖術師」に気配でばれてしまうからだ。
   「妖術師」たちが住まう住処の周りを覆うようにして、巨大な結界術を張り巡らす。
    夜明けとともに、その巨大な結界術を発動させ「妖術師」の住処へ奇襲。
    宗派は結界の維持、また奇襲時に「使い人」の援護をすることになっていた。
    皇は、「使い人」とともに直接、「妖術師」の住処での戦闘に加わることになった


    屋敷のあちこちから悲鳴が上がった。
    殲滅作戦は成功なのだろう。
    突然、自分達の能力を半減され、動揺しているところにこの奇襲。
   「妖術師」たちは完全に混乱している。
    使役妖魔を打ち倒しながら、屋敷の奥へ奥へと「使い人」たちは雪崩込もうとして
   いる。
    皇はその「使い人」達よりもさきに屋敷の奥に入っていった。
   「使い人」たちが先に見つけだす前に……美津羽を助け出すつもりなのだ。
  「しゃあああああああああああっ!!」
    特有の威嚇音を出して蛇型の妖魔が飛び掛かってくる。
  「ちぃ!!」
    錫杖でそれを払いのけ、続け様に妖魔に向かって数個の独鈷を投げつける。
  「爆っ!!」
    妖魔の体に刺さると、気合とともに独鈷を爆砕させる。
    悲鳴も上げるまもなく四散し、塵になった妖魔を確認しないまま次の部屋へ……。
  (……いない……どこだ)
    焦る。
  (ここにも……いない)
    いない。

  「美津羽はここにいろっ!!」
  「でも、お兄様っ!!」
  「いいからっ!!」
 (……!……)
   声が聞える。隣の部屋だ。
   美津羽から話は聞いている。彼女の兄。
   皇は直接顔を合わせたことなどないが。
   そして隣の部屋から彼が出て行く気配がする。
  「……お兄様……」
    完全に彼の気配が遠ざかったのを確認してから部屋に入る。
    美津羽は部屋に打ちひしがれたように、いた。
    頬には涙がつたっている。
  「美津羽さんっ!!」
    皇の呼びかけに、美津羽ははっと顔を上げる。
  「皇さん……何故ここに?……」
    言ってから美津羽は自分の問いの愚かさに気づいた。
    ……目の前の少年は自分達を殺しに来たのだと。
  「はやくっ!!にげましょうっ!!」
    問いには答えず、手を差し伸べる皇。
    時間がないのだ。もうすぐ「使い人」たちもここに雪崩込んでくる。
   「使い人」達が制圧してしまった後では逃げようがない。
    まだ場が混乱している間に美津羽を連れ出し逃げ出すしかないのだ。
    だが美津羽はその手には触れることをしなかった。
    美津羽は俯いたまま、動こうとしない。
  「さあっ!!はやくっ!!」
    もう一度、皇は手を差し伸べ美津羽に言う。
    でもやはり美津羽は動こうとしない。
  「美津羽さん?」
    やっと様子がおかしいこと気が付いたのか皇は美津羽の側に近寄ろうとした。
  「……来ないで……」
    明らかな拒絶。
  「……なっ……」
    何故拒否されるのかわからない。そんな顔で皇は立ち止まった。
    わずかな沈黙の後、美津羽は顔を上げ
  「……私を騙したんですね」
    そう言った。
  (…………え?……)
  「……こうなることを知っていて、私に近づいたんですね」
    皇がその言葉の意味を理解する前に美津羽は続けていった。
    美津羽の頬に涙がぽろぽろと伝い落ちていく。
    そこでやっと皇は美津羽が言っていることを理解した。
  「……違うっ!!」
  「違いませんっ!! なにが……なにが違うというんですかっ!!」
  「……僕は……」
  「……じゃあ、貴方はいま、なにをしているんです」
    涙を流し、やりきれないような微笑みを浮かべながら美津羽は言う。
  「……私達を……いいえ……私を殺しに来たんでしょう?」
  「それは……だからっ!!」
  「ふふふ……私を騙してさぞ楽しかったでしょうね……」 
  「……騙してなんかいないっ!!」
  「嘲笑ってたんでしょう? 馬鹿な女だって……」
  「僕はっ!!」
  「…………好きだったのに」
  「…………え?」
  「貴方のことが……好きだったのにっ!!」
  (……好き?……)
  「ほんとに……好きだったのに……」
    美津羽は皇に、背を向ける。 
  (……僕のことが……好き……だって?)
  「…………さよなら」
    震える声で一言……そう告げると美津羽は部屋を出て行こうとする。
  「……!!……待ってくださいっ!!」
    皇は美津羽の手を掴んだ。
  「いやっ!! 放してっ!!」
  「放しませんっ!!」
    強く言い放ち、美津羽を引き止める。
    見つめ合う。
  「……どうしてですか?」
    泣き腫らした目で美津羽は言う。
  「……離したくないからです」
  「私を騙して……私を殺すためにですか?」
  「……違う……貴女とともにいたいから」
    掴んだ手に力が入る。
  「……僕は……貴女のことを……」
    俯いて、言うべき言葉を……出会ってからずっと言えなかった言葉を。
    顔を上げ、その目を見つめ……。
    風の音が聞えた。


    皇と美津羽のいる部屋に数人の人物が雪崩込んでくる。
    そして風の音。
    風の刃が美津羽を襲うのが分かる。
    引き寄せなければ。
    早く……。
    抱き寄せなくては。
    でも……。
    それは……間に合わなかった……。


    飛び散った涙と赤い雫が皇の頬に当たる。

    何が起こったか分からぬまま目を見開き美津羽は皇の胸に崩れ落ちる。

  (……え?……)

    手を繋いだまま、自分の胸に崩れ落ちた美津羽を皇は抱き留める。

  (……なに……)

    抱き留めた美津羽の体が小さく震える。

  (……なにが……)

    美津羽を抱き留めた両手にぬるりとした感触がある。

  (……なに?……これ?)


                                      血


  (……なぜ?……)


                               美津羽が流した血


    あああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
    あああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
    あああああああああああああああああああああああああああああああああああああ


    皇は声にならぬ叫びを上げた。


  「首魁の一人を討ったぞっ!!」
    部屋に雪崩込んできた「使い人」の一人が言った。
  「そっちにも逃げたぞっ!!」
  「追えっ!! 逃がすなっ!!」
    そんな声がし、その名も知らぬ「使い人」以外の者は部屋の外へ飛び出していく。
  「やったっ!! やったぞっ!!」
    興奮が収まらないのだろうか?
    皇は、美津羽をそっと横たえるとその「使い人」に、ゆっくり近づいていった。
  「おうっ!! あんたもご苦労様……協力感謝するよ」
    やけにさわやかな笑みを浮かべその「使い人」は皇に言う。
  「…………」
    無表情、皇は何も言わなかった。
    ただ、その「使い人」の顔をじっと見ている。
    皇より三つ四つ年上だろうか? 十分に少年と呼んでいいようだ。
    恐らくこの少年にとってはじめての戦い、そしてはじめての勝利。
    それに酔っているのだろうか? この「使い人」は。
    美津羽を殺して……喜んでいるのだろうか?
    ……それが正しいことだからなのか?……正義だからか?
    美津羽が死ななければいけない理由は何だ?
    妖術師だからか?
    生まれてきたことが罪だとでもいうのか?


  「……どうした?」
    自分の見つめたまま黙ったままの皇をさすがに怪訝に思ったのか「使い人」は言っ
   った。
    次の瞬間……その「使い人」は驚いたように目を見開いた。
    その胸に突き立てられた独鈷。
    それが完全に心臓を貫いている。
    独鈷を引き抜くと返り血が皇にかかった。
    部屋にもう一人の人物が飛び込んできた。
    少女……この「使い人」の「付き人」だろう。
    どさりと音を立て「使い人」が倒れる。
    皇は少女を無視し美津羽の側に歩み寄ると美津羽を抱き上げ部屋を出ていく。
  「待ちなさいっ!!」
    少女が声を上げる。
    その声に皇は振り返り少女を睨み付け、
  「邪魔を……するな」
    一言、言うとさながら幽鬼のようにその場から立ち去った。
    その目を見た少女は、動くことができなかった。
    そして皇を止められるものは誰もいなかった。


    屋敷が燃えている煙が見える。
    誰かが火を放ったのだろう。
    皇は美津羽を抱きかかえ森の中を歩いていた。
    やがていつもの場所へたどり着いた。
    そしてまたいつもどうり美津羽を抱きかかえ飛ぶ。
    桜の木の根元もたれ美津羽を後ろ抱きかかえて座る。
    その体は美津羽の流した血と皇自身の流した血。
    そして、皇が打ち倒した者達の血によって紅く染まっていた。


    彼女は眠ったように目を閉じている。
  「……美津羽さん」
    彼女の名を呼んでみる。
  「…………」
    彼女は眠っている。
  「……起きてください」
    彼女は眠っているだけだ。
    そうに決まってる……。
  「……目を開けてください」
    涙の伝ったあとのある頬を撫でる。
  「……僕に……笑って……ください」
    彼女の頬にまた涙の雫が落ちる。
    まだ、泣いているんですか? 美津羽さん……。
  「……起きて……僕に……」
    自分の頬に何か熱いものが流れているのが分かる。
    けど……認めたくない。
    認めたら僕は……。
  「……僕に……」
    彼女を強く抱きしめる。
  「貴女のことが好きだって…… 愛してるって言わせてください……」
    自分の声が鳴咽に近くなっている。
    彼女は、目を開けない。
    彼女は、もう僕に微笑んでくれない。
    僕の記憶の中の彼女は涙を流したまま……。
    もう二度と……。
    微笑むことはない。


    桜は散ってゆき、そこから若葉に変わっていく。
    桜の木の下には花びらが絨毯のようになっている。
    その桜の木の下に、寄りかかり座り込み、皇は一人、桜が散る様を見ていた。
    時間は確実にすぎている。この桜もまもなく散り終わりその姿を緑の青々とした葉
   桜に変えるだろう。
  「因縁……でしょうか」
    皇は呟く。
    神凪遼刃。
    東西にクラブを案内してもらったときに彼女の兄にあった。
    途中で気分が悪くなったといい見学を途中で切り上げたが。
    彼は気づいただろうか?
  (気づく筈などありませんよね……大体何に気づくというのです)
    自嘲気味に笑うと、目の前に桜の花びらが落ちてくる。
    皇は落ちてきた花びらを一片、手に乗せるとふっと息を吹きかける。
    息を吹きかけられた花びらは散ってきたときと同じくひらひらと宙を舞う。
    花びら追って目線を向けると一人の女生徒が立っていた。
    黒髪の……そう確か……。
    柏木楓。
    今日は珍しく一人だ。いつも周りで騒いでいる人がいない。
    何故だか、皇の方をじっと見ている。
  (……なんでしょうね?)
  「……桜……お好きなんですか?」
    と楓。
    唐突な問いに少し驚いていたが、皇はすぐに微笑みを浮かべ、
  「ええ、好きな女性が好きなんですよ。……桜……」
    と素直に言った。
    楓はその答えを聞くとにっこりと微笑み皇のとなりに座り、ともに散っていく桜を
   眺め始めた。
    皇は少し驚いた顔をしたが、すぐにもとの顔に戻り桜を眺め始めた。


  「……綺麗……」

  「ええ、ほんとに……」



    この後、皇はオカルト研に入部することになる。
    それが何を意味するかは、……皇しか知らない。




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