放課後の崇乃・11【日常編Pa−To4】 投稿者:八塚崇乃


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             HappyBirthday!

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  PM15:30。

「崇乃……くん?」
 ツゥ……と八塚崇乃の左目――『浄眼』から、観月マナの殺気を含んだ声に反応して、
涙が零れる。
(やばっ!)
 崇乃は、マナが得意とする『すね蹴り』が足から繰り出されると予想して、いつものよ
うに無意識で数歩後ろに下がった。と、
――フラッ
「えっ?」
 場所が悪かったのだろう。崇乃の足の裏には、接するべき床が無かった。
(か――階段!?)
 そう。階段だった。そして周囲からは崇乃が背中から階段に倒れていくように見えてい
るはずだ。
 バランスが崩れる。右足よりも下方にある――宙を泳いでいる左足を、段に引っ掛けよ
うと懸命に足掻く。手擦りを掴もうと、左手を懸命に伸ばす。
「――くぅっ!」
 全ては徒労に終わる。
 届かない。全てが、届かない。
 崇乃の身体は、階段から確実に落ちていく。

 ――唐突に、スローモーションの世界へと変化する。

(あ……やばいな)
 構成を練り、発動させようと思ったが、混乱する思考では構成を思い浮かべることもで
きず、魔術の媒介にするための『音声』も口からまったく発することもできない。
「――――――!? ――――――!!」
 マナの方へと視線を動かす。何か叫んでいるようにも見えたが、よく聞き取れない。

 徐々に、崇乃の身体が傾き――

(――っぁ!!)
 背中に熱い衝撃。続けてそれが全身を駆け巡る。
 そこで崇乃の意識は途絶えた。


 『浄眼』――危険を感知すると同時、それの保有者に『涙』という形で危険を知らせる。
 しかし、飛んでくる銃弾の発射される瞬間は判っても、銃弾がどの場所から発射される
のかは判ることができない。
 万能に見えるようではあるが、実際には大した能力ではなく、所詮人間の感覚の延長で
しかない。
 だから……未来なんか見えやしない。漠然とした不安感の正体なんか判りもしない。



             「希な厄日と彼女のクッキー」



  七時間半前――AM8:00。

「眠い……」
「……はい?」
「眠いのよ」
 唐突の発言に困る崇乃を無視し、朝から不機嫌のマナ。
「昨日の風の音で眠れなかったの?」
「そうよ。夜中の三時頃に風はびゅーびゅー。窓はがたがたーって。うるさくて眠れなか
ったんだから」
「そんなに酷かったんでしか? 昨日の台風」
 質問をするのは崇乃の頭の上に乗っているMHM−Cである鈴花。長い髪をブラシで鋤
きながら――気分を一新するつもりなのか、ロングヘアにLeaf学園の標準セーラー服
といういでたちである――横目でマナを見る。
「そりゃあもう……って、鈴花ちゃん、眠れたの?」
「充電中でしたから」
「ふぅん」
 そこで会話が途切れる。
 台風が去り、雲一つ無い青空。その下を急がずゆっくりとせずといったスピードで歩く。
 後方からは、はしゃぎ声。学園初等科の生徒のようだ。水溜まりをものともせず、元気
に飛んだり跳ねたりしている。
 街路樹が立ち並んでいる道。崇乃達はその内の一本を通り過ぎようと――
「待った」
――クイッ
 いきなり、崇乃がマナの後ろ襟を引っ張る。足を前に踏み出そうとしていたので、彼女
はこけそうになった。
「ちょ……危ないじゃない!」
 マナは自分の襟を引っ張った当人、崇乃に文句を言う。後ろを振り返り『すね蹴り』を
喰らわそうかと息巻いていたのだが――彼はサングラスを少し上にずらし、ハンカチで顔
の左側を拭いていた。
 直後、
――バシャァァァ……
 彼らが通り抜けようとしていた街路樹の一本から――葉に残っていたのだろう――雨水
が降ってきた。
 驚くマナ。そのすぐ横を先程の初等科の子供達が他の街路樹を蹴り揺らし、面白そうに
雨水をわざと降らせながら『転移装置』が設置されている場所へと駆けていく。
(……あ。だから崇乃くん、引っ張って止めてくれたんだ)
 彼の行動を理解してくれたようだ。納得したかのように頷く。
「行こっか」
 崇乃が彼女の横に立ち、促す。マナは頷き、足を前に動か――
――バシャアアアアアアッ!

「………………冷たいでし」
 ブラッシングが終わったばかりなのに、搾るように再び髪を鋤く鈴花。
 マナはというと、呆然としていた。
 横を通った車が水溜りの上を通過したせいで、身体半分に水を引っ掛けられた崇乃と鈴
花を見て。
 一言、崇乃が呻く。
「……あうう」


  AM8:20、工作部部室。

「朝から押し掛けちゃってすみません先輩」
「いいって。それより災難だったなぁ」
「ええ……なんか調子も悪いんですよね」
「そうなのか?」
「……どうなんでしょ?」
「おいおい」
 そう言い、菅生誠治はコーヒーメーカーで作ったコーヒーをカップに注ぎ、崇乃に差し
出す。
「どうもです」
 借りたタオルを返し、カップを受け取る。
「しかしまぁ……マナーの悪い運転手だな」
 呟くのは、車の『付喪神』であり三年生のFENNEK。今は人間の姿でオイルを飲ん
でいる。
「俺なら絶対謝るけどな」
「車から人間の姿になったら、普通の人は驚きますってば」
「違いない」
 崇乃とFENNEK、顔を見合わせて笑う。
(……マナさんが濡れなかっただけ良しとしとかなきゃね)
「? 何か言ったか?」
「――え?」
 突然の誠治の声に、少し驚く。が、
「何も言ってませんけど……」
 すぐに平静な表情で返答する。
(……声に出てたのか?)


  八塚崇乃は観月マナが好きだ。
  けれどこのことは誰にも言ったことがない。一緒に住んでいる鈴花にも。
  別に言ってもよさそうなことなのかもしれないが――実は、初恋なのだ。
  本やドラマの中で恋愛を聞きかじったりしていても、そういうことへの免疫が全く
 無く、何をしたらいいのか全く判らない。崇乃にとっては未知の領域である。
  知らないことを知るのが怖い。そして、もう一つ……


             「拒絶サレルノガ、怖イ……」


「………………」
「どうかしたか?」
「いや、別に……」
 心のどこかから聞こえてくる声――だったのかどうかは判らないが――は無視して、崇
乃は手の中にあるコーヒーを一気に飲み干す。
――ガチャッ
 工作部部室の奥の部屋――作業室のドアが開いた。
「簡易メンテ、終わりました〜」
 独特なイントネーション。奥の部屋から現れたのは保科智子。両手で抱えるように鈴花
を乗せて、工作部の談話スペースへと入ってきた。
「智子しゃん、ありがとでし〜」
「ええよええよ。時間もあったしな」
 頭から水を被ったので、服と身体に乾燥処理と軽いチェックを施してもらった鈴花が、
ペコリと智子にお辞儀する。
「さて、そろそろ行くか」
 誠治のその一言に皆が同意する。
「HR(ホームルーム)始まるまで五分ちょっとか……間に合うかな?」
 腕時計を見る崇乃。
「少し走れば間に合うだろ」
「先輩。轢いたらいけませんよ」
 智子がFENNEKを笑いつつツッコミを入れる。
 崇乃は鈴花を智子から受け取り、肩に乗せる。
「よいしょっと……」
「落ちるなよ」
「判ってるでし」
 肩の上で彼女が安定した体勢を取ったことを確認すると、崇乃は工作部の三人に向き直
った。
「……んじゃ、今日はどうもありがとうございました」


「教室が見える! ラストスパートやっ!」
「うう〜。服が、中途半端に、濡れ、てて……気持ち悪い〜」
「時間が無いでしよ! 我慢するでし!」
「後で乾かせばいいやろ! それよりさっき部室でなんで乾かさんかったんや!」
「保科、さんが、いるか……ら、服、脱ぎたく、なかっ、たんですっ!」
「あ、そうなの……」
 文化部なのに息切れ無しで走る智子と、運動部なのに息を乱しながら走る崇乃。この違
いはどこからくるのやら……もちろん肩に乗っかっている鈴花は除外だ。
 それはともかく、なんとか朝のHRに間に合いそうな三人。
「よっしゃ間に合った!」
 教室の戸に手をかける智子。そのまま横に開こうと――
――ツゥ……
「保科さん、右に避けてっ!!」
「っ!? なんやっ!?」
 何の兆候も見せず、叫び出す崇乃。驚くも、智子は言われた通りに右側に避け、壁に張
り付いた。
――ガラッ!
 戸が勢いよく開く。
「待つネJJ! 馬は馬らしくHUNTされるネーーー!」
「オレは馬じゃねえ〜〜〜っ!! つーか、なんで俺、二年の教室にいるーーーっ!?」
 教室の中から飛び出してきたのは一年生の――外見が馬だが、実際はフーイナムという
生き物らしい――JJと、それを追いかける二年の宮内レミィ。さながら暴走トラックの
如きスピードで、壁に張り付いている智子と崇乃(と彼の頭にしがみついている鈴花)の
眼前を走り抜けた。
「………………」
「………………」
「………………」
「……入りますか」
「あ、そうやね」
 気を取り直した崇乃が、涙を拭って先に教室に入ろうと――
――ゴツゥッ!!

「………………タイミング悪すぎるぞ崇乃……」
「……俺の、台詞、だって、ば……よっしー」
 ……読者には判らないかもしれないので、状況を説明しよう。
 崇乃は教室を飛び出そうとしていたYOSSYFLAMEと正面衝突をしたのだ。しか
も運悪く、加速状態のYOSSYとである。
──ガシッ!
 倒れていたYOSSY、両腕を掴まれ、持ち上げられる。まるで荷物のような扱いだ。
「運が悪かったな」
 YOSSYの右腕を掴んでいる、白衣を着た生徒──悠朔が言う。
「さて、出してもらおうか」
 左腕を掴んでいるのは黒ずくめ──ハイドラントだ。
「な……何をだよ?」
 額に漫画汗をかき、とぼけるYOSSY。その態度が火に油を注いだのかどうかは判ら
ないが、異口同音で叫ぶ白と黒。
「「決まってるだろうが! 貴様が持っている綾香のセガランク写真だ!」」
「どーしてそんなものをよっしーが持ってるのよ……」
「ふん。こいつのことだ。大方、怪しいルートで手に入れたに違いない」
「綾香の肌をこいつみたいな色情魔に見せるわけにはいかん」
「……回収した後、ちゃんと処分するんでしょうね?」
「「厳重に保管するぞ例えば私の胸ポケットの中──」」
「お二人さん……さっきから誰の言葉に相槌打ってるか、ちゃんと理解してるのか?」
「………………」
「………………」
「………………」
 YOSSYのその一言が、時間を凍らせた。
──ギギギギギギィィィ……
 首から音を軋ませ、声のした方向――後ろを振り向く朔とハイドラント。
「『胸ポケットの中──』……の、続きは?」

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                    ・

 数分後。正面からボコボコに殴られ、顔面が腫れ上がった生徒三名──YOSSYと朔、
ハイドラントである──を、男子生徒Gが引き摺って第二保健室に運んでいく姿が目撃さ
れる。
「オレは背景扱いなのかーーーっ!?」
 それは置いといて……(核爆)。
「八塚くん。生きてる?」
「あ〜……なんとか。まだ視界が揺れてるけど」
「もう。じっとしてるでし!」
 ぼぅっとした頭で智子の問いに答える崇乃……彼の額に、慌ただしい動作で鈴花が包帯
を巻いている──過剰に巻き過ぎ、傍から見ればグチャグチャだが。
「……あれ? 鈴花。さっき……俺の頭の上に乗ってたんだから、おまえもケガしてなき
ゃ辻褄が──」
「そ、それは言わない約束でし!」

 ………………何にせよ。
 とりあえず三人とも、遅刻は免れた。


  一時間目。

「エルクゥユウヤ☆」


  二時間目。

「ジーーーク・アニキーーーーーーっ!!!!!!」


  休み時間。

「二時間連続で変態狂師共の授業なんて……誰か俺に精神的ダメージを防ぐ方法、教えて
くれ……」
 誰に言っている。しかも『教師』と書かれていないぞ。
「うぅ……『あれ』が出てくるの、判ってたのにぃ……」
「じゃあなんで授業サボらなかったんでしか〜……」
 同じように憑かれ……じゃない。疲れている鈴花が尋ねる。
「先生が先生なだけに、サボりはできんだろ……」
 一応『感知』はできていたが、そういう理由からか仕方なく授業を受けた。でないと彼
らとの補習ともなれば……考えただけでも嫌になる。
(なんで……今日はこんなに調子が悪いんだ? 仏滅? 厄日? 天中殺か?)


  三時間目。

「一時間目は物理、二時間目は体育。三時間目は……」
 時間割表を確認しつつ、昂河晶は机の引き出しから、次の授業に必要な教科書とノート
を取り出し、席を立つ。
「あれ?」
 教室を出て行こうとした所、友人の机の上にポツンと座っている──もとい、ゴロンと
している影が気にかかり、戻る晶。
「どーしたの、鈴花?」
「……? あ、昂河しゃん」
 上体を起こす鈴花。 が、すぐにまたグデンと倒れる。
「鈴花は駄目でし……グロッキーでしぃ……」
「それは僕も同じだって……」
 晶は苦笑し、先程思いついた疑問を口にする。
「八塚、どうしたの?」
「いつもの所でボーーーーーーっとするって言ってたでし」
「ふぅん……じゃ、次の授業は──」


(………………)
 もう五段駆け上がれば屋上だった。しかし今、崇乃の左目からは涙が零れている。
(………………)
 彼の目の前には、バナナの皮があった。
(………………) ~~~~~~~~~~
 とりあえず滑って転ばないように、避けて階段を上る。
 涙を拭い、屋上への扉に手を掛け、開け──
──バタン!
 速効で閉めた。崇乃、すぐさま鍵をかける。
「確か……課題提出で移動教室の授業だったかな?」
 白々しく棒読みで喋ると、崇乃は上ってきた階段を駆け下りた。
──バンバンバンッ!
「こらーっ!! 八塚くん、開けなさい!!」
 扉の外側で待ち構えていた、崇乃の次の授業の先生──古典の小出由美子教師の叫びを
無視しつつ。


「とまぁ、そんなこんなで一度教室に戻って荷物持ってココに来たんだけどなんでキミが
いるかな授業中のはずなのに?」
「館長ですから」
 古文の訳という課題は、様々な資料を必要とする。そのため、今日は図書館での授業だ
った。
 んで……崇乃の左隣で朗らかな笑顔を振り撒いているのは、言わずと知れた図書館館長
の一年生、まさたである。
「……授業は?」
「そんなことより一杯どうですか?」
「『そんなこと』、か?」
 いつものように毒入りのお茶を勧めてくるまさた。崇乃は疑問で返事をするが、彼はニ
コニコとしたままだ。
「いらない」
「なんと今日はお茶菓子もあります」
「自分のがあるから結構」
──ドンッ!
 と、崇乃はどこからともなく、愛用のポットにきゅうす及び茶菓子を机の上に置く。

「仲、悪いのかな?」
「ん……そうじゃなくって。まさたくんのお茶ってね、しびれ薬が入ってるの」
 晶の呟きに答えるのは、向かいの席に座っている吉田由紀。
「……しびれ薬!?」
「この図書館で栽培してるって噂があるんだけど……あながち嘘じゃないと思うよ」
 由紀が周囲を見回し、溜息を漏らす。晶も一緒になって館内を見る。
「………………」
 原生林や食虫植物がちらほらと顔を覗かせる館内を。
「……気にしたら負けでし」
 晶の頭の上、げっそりとした鈴花の声。晶もそれには同意するしかなく、由紀と同じ感
じの溜息を吐いた。

「今ならおまけとしてパンの袋に張り付いている得点シールを──」
「お皿欲しくないし」
「肩叩き券もプラスして──」
「絶対いらない」
 まさたの『毒』に反応して、さっきから『浄眼』は渇きを知らない。課題のための調べ
物の手を止め、ポケットからハンカチを取り出し、左目をそれで押さえる。
「ホントにいらないから。自分のがあるし」
 右目でお茶の注がれた茶碗を確認し、崇乃はそれに手を伸ばす。
「まさた君……いい加減、諦めない?」
 嘆息。熱い液体を喉に流し込む崇乃。と──
(………………あれ?)
 急に、違和感を感じた。
(誰が、俺の茶碗に……お茶を注いだ?)
 ハンカチの下をダクダクと流れている涙を感じ取りながら、茶碗は口元に置いたままで
首をゆっくりと左に曲げる。
(………………)
 相変わらず、まさたはニッコリとしていた。
 今度は首を右に曲げる。
(………………)
「おいしいかニャ?」
 一年女子、着物ゆかたがそこにいた。

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 結局。
 崇乃は飲んでしまったしびれ薬のせいで課題は提出できず、しかも由美子古典教師の機
嫌を損ね、補習を受ける羽目になるのだが……
「「それはまた、別の話」だニャ♪」