Lメモ『私がおさげになった理由(わけ)』前編 投稿者:たくたく

 私は、あの時に気付かなければいけなかったのかもしれない。
 あの時に気付いて、いち早くその場を離れていれば、こんな事にはならなかっ
たのかもしれない。
 だが、それは既に過去の事――悔やんだところで、現状は何一つ変わっては
くれないのだ。
 私は――自分の首の後ろに垂れ下がっているものの手触りを確かめながら、
何度目かは解らない溜息をついた。



Lメモ『私がおさげになった理由(わけ)』前編

 ある日の放課後。
 机一つを挟んだ目の前に、吉井ユカリがいる。
 ただそれだけの事ではあったが、たくたくにとっては至福の時間であった。
 周囲には、まだ幾人かのクラスメートが残ってはいるものの、いつも一緒に
いるはずの岡田メグミと松本リカの姿は見えない。
 実のところ、ちょっと花を摘みにいっている――飲食店業界で言うところの
『三番入って』いる(つまるところ、トイレ)――のだが、それでも普段うる
さい二人がいないというだけで、なんとはなしに心も話も弾む。
 吉井の話に合わせて、自分の体験談などがすらすらと口をついて出る。
「……ねえ、たくたくさん?」
「はい、何ですか?」
 紙パックのオレンジジュースを一啜り、たくたくは笑顔で応える。
「さっきの話なんだけど……」
「ええ、さっきの話ですか」
「某国に潜入してたとか、組織とかって……何の話?」

 ぶぴ

「きゃっ!?」
「げほげほがふぇぉっ!?」
 思わずジュースを吹き、盛大に噎せ返るたくたく。
「だ、大丈夫!?」
「え、ええ……なんとか……」
 ぜいぜいと肩で息をしながら、取り出したポケットティッシュで飛び散った
ジュースを拭く。
「いや……そ、そんな事言いましたっけ?」
「言ったんだけど……で、某国とか組織って」
「いや、その……ちょっとした仮定の二乗ってやつでして……」
 しどろもどろに応えるたくたく。
 うろたえ過ぎて、誤字まで入っている。
(勢いにまかせて何言ってる私! どうする、どう誤魔化すんだ、たくたくっ!
くっそぅ、いつもならこういう時には何かと騒ぎが起こって、こんな事は有耶
無耶にできるのにっ! 神様仏様っ、もし本当に存在するなら……てめぇら全
員敵だっ!)
 後に、たくたくは思い知る。
 神は本当にいるのだと。
 そして――やっぱり、敵なんだと。

        ○   ●   ○

「うぇるかむとぅ、アフロ同盟っ! 悩める者よ、アフロ同盟に入ればそんな
悩みなんか考えている余裕は無くなるのだ! そりゃあもう、別の悩みに毎日
苦悶する日々が続くかもしれないがっ!」
 声は、ちょうど足下から聞こえてきた。

 にょろぉん

「うぉひゃぁっ!?」
 某猫型ロボットのポケットから出てくるかのように、たくたくの股下からにょ
ろりと這い出て来たのは――どこからどう見ても、間違う事無きアフロ。
「デコイさん!? そういえば、この前はよくもっ!」
 数日前の、天井裏での死闘(っていうほどのものではない。拙作『そして私
はここにいる』を参照)を思い出し、たくたくはデコイに掴みかかろうとする
――が。

 にゅうぅぅぅぅ……

「えっ!? なに、なんなのぉっ!?」
 デコイはそのまま某絶対無敵なロボットアニメの悪役である五次元人のよう
に、今度は吉井のスカートの中へと消えていく。
「こっ……こらっ! 待てぇっ! どこへ入る、どこへっ!?」
 すぐさま後を追うたくたく――だが、吉井のスカートの中にデコイの姿は無
い。
「きっ……消えた!? デコイさんって、一体何者なんだ?」
「たくたくさん……それはいいんだけど」
 どこか、震えているような吉井の声。
 そして、次の瞬間。
「いつまでスカートの中に顔突っ込んでるのっ!」
「おぶぁっ!?」

 どぐしゃぁっ!

 たくたくの顔面に吉井の踵がめり込んだ。
 もんどりうって机に激突し、悶絶するたくたく。
「あんたら……何やってんの。痴話喧嘩なら、余所でしいや」
「うっ……保科さん」
 先程から、二人の様子を見ていたのか――保科智子は、呆れた顔で席を立つ。
「たくたくくん、なんやストレス溜まっとんのかもしれんけど、女の子のスカ
ートに顔突っ込むような真似は一般的に変態ゆわれんねんで」
「別に、やりたくてやったわけじゃ……」
 ぶつぶつと口篭もりながら、たくたくはふと智子の方を見る。

 ぴこぴこ

 漫画なら、そういった擬音が背景に書かれていそうな、そんな動きを見せて
いる――智子のおさげ。
 例えて言うなら、犬が喜んで振っている尻尾のような、そんな動きだ。
「へ?」
「……何、人の顔見て間の抜けた声出してん」
「いや……今、おさげが……」
「おさげがどうしたんや?」
「……動いていたような」
「はぁ?」
 これ以上ないという程に呆れ果てた声。
「そんなの、当たり前やないの。うちが動いてたら、髪の毛かて揺れるやろ」
「いや、そういうレベルの動きじゃなくて!」
「どういうレベルの動き……!?」
 そこまで言ってから、智子の表情が引きつった。
 自分の目の前で、ぴこぴこと揺れているおさげの先端を見て。
「人のおさげ弄って遊んでるんは……藤田くんかっ!」
 藤田浩之には、おさげがあると弄って遊ぶ癖があるらしい。
 智子はすぐさま振り返るが、そこには誰もいない。
「………………」
「………………」
「………………」
 しばしの沈黙。
「ま、まままぁええわ! け、けど次にあほみたいなまねしてたら、きちんと
風紀委員に報告しとくからな! ほな!」
「ちょ、ちょっと、保科さんっ!?」
 疾風の如き速さで教室を飛び出し、全力ダッシュで廊下を爆走していく智子。
 残された吉井とたくたくは、二人で手を取り合って呆然と教室に立ち尽くし
ていた。

        ○   ●   ○

 それから――数秒か、それとも数十分か。
 ふと気が付くと、教室にはたくたくと吉井以外の生徒の姿は見えなくなって
いた。
 ただ――廊下の方が、妙に騒がしい。
「何か……あったのかな」
「だとしたら、早く帰った方がいいかもしれませんね。吉井さん……今日はも
う帰りましょう」
 二人が、教室から出ようと扉に手をかけた、その瞬間。
 別の誰かの手によって扉は開かれた。
「そこの青春真っ只中な二人。この辺で、十三使徒基地から逃げ出した異界生
命体を見なかったか?」
 飾り気のない黒いジャケット姿の男――ハイドラントは、唐突に、かつあっ
さりと、とんでもない事をさらりと言ってくれた。
「逃げ出した異界生命体……って、なんだそりゃあぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「あ、ハイドラントさん……異界生命体って、どんな形してるんですか?」
 思わず絶叫するたくたくを尻目に、吉井はハイドラントに向かって遠慮がち
に尋ねる。
「ふむ……なんと言うか、こう……和み系?」
「さっぱりわかりません」
 即答するたくたく。
 そこへ――廊下の向こう側から駆けて来る神海の姿。
「導師っ、こちらでは発見できませんでしたっ! 残りはこの近辺だけです!」
「なるほどな……残るはここいら一帯だけか」
「で、異界生命体の詳しい形状とか、そういうのは……」
「癒し系というか、慰め系というか、そんな感じだ」
「だからこう、もっと具体的に……」
「プアヌークの邪剣よっ!」
 唐突に叫ぶハイドラント――その掌から放たれた衝撃波が、たくたくの頬を
掠めて天井の石膏ボードを撃ち抜いた。
「その辺に隠れていないかと思ったんだが……いないようだな」
 衝撃波の余韻で揺れる蛍光灯の紐を見ながら、ハイドラントは舌打ちする。
「確認で衝撃波ぶっ放さないで下さい……しかも、他人を至近距離に置いた状
態で」
「でも……」
 引きつった笑みを浮かべるたくたくの隣で、吉井が不安げに呟いた。
「教室の蛍光灯って……紐、ついてたっけ」
「ていうか、あれは紐じゃなくて……おさげ!?」
 そう――天井からぶら下がっていた紐は、おさげに酷似した物体だった。
 色、艶、結び目など、それは保科智子のおさげに、非常に似ている。
「導師っ! 間違いありません……あいつです!」
「なるほど、蛍光灯の紐に化けていたか……してやられたな」
「ていうか、おさげが紐に化けれるんですか、普通……」
 たくたくのツッコミ、黙殺。

 ひゅんっ!

「ちっ……速いっ!?」
 そう言っている間に、おさげは天井から残像を残して壁へと跳躍する。
「プアヌークの邪剣よ!」
 立て続けに放たれる衝撃波が、教室の壁を打ち抜いていく。
「ちょこまかと……カトンボがっ! 神海、援護しろっ!」
「はいっ!」
 既に『おさげvsダーク十三使徒〜教室の大決戦〜』状態な有様に、たくた
くと吉井は流れ弾から逃げるのが精一杯だった。
「よ、吉井さんっ! 教室から出よう!」
「う、うんっ!」
 慌てて廊下へと駆け出す二人。
 そして――廊下に出た二人が見たものは。
「……じょ……冗談じゃないっ! なんで……なんで増えるっ!?」
 天井からぶら下がる、色の違う七本のおさげだった。

        ○   ●   ○

「どうやら、繁殖したようですね」
「くっ……葛田さんっ!?」
 廊下で行く手を遮るおさげ――それに気を取られている隙に、いつの間にか
背後に現れていたのは、葛田玖逗夜だった。
「そ、そうだ! 葛田さんなら、あれがなんなのか知ってますよねっ!?」
 たくたくは期待を込めた目で玖逗夜を見つめるが。
「知りませんよ、詳細は……これから調べるはずだったのに、逃げられてしまっ
たんですから」
 やれやれ――とでも言いたげに、肩を竦める玖逗夜。
「もらったぁっ! プアヌークの邪剣よぉっ!!!」
「シャアァァァァァァァァァッ!!!」
 そんなやり取りを吹っ飛ばす勢いで――そりゃあもう、物理的に吹っ飛ばし
ていたが――教室の中から茶色いおさげと衝撃波が飛び出してくる。

 ヒュッ! シュパァンッ!

 ハイドラントの黒魔術による衝撃波を浴びながらも、茶色いおさげは廊下へ
と飛び出し、壁と天井を跳躍して仲間(?)の元へと飛び込んでいく。
「ちっ……増えただと? ならば、まとめて葬ってくれるっ!」
「お待ち下さい、導師っ! あれを!」
 廊下へと飛び出し、魔術の構成を編み上げようとするハイドラント――その
手を、玖逗夜が掴んだ。
「様子がおかしいですね……何か、変化がある『ようっす』」










 時が止まった。










「『様子』と『ようっす』……ぷっ……くくく……はぁーっはっはっは!!!」
「プアヌークの邪剣よっ!」

 どごぉんっ!!!

「いかん! 時間が止まっているうちに、完全形態になったか!?」
 ハイドラントが、壁に人型の焦げ跡を作っているうちに、おさげ達は幾重に
も絡み合い、質量を増し――おさげ達がいた場所には、いつの間にやら廊下を
塞ぐほどの巨大おさげが鎮座していた。
「が……合体? て言うか、完全形態ってなんですかぁっ!?」
「知らんっ! が、なんとなくそれっぽいだろ、あれって!」
「とりあえず……風紀とかジャッジが来ると面倒なんで、防災システム起動し
てしまいましょう」
 神海が、どこからともなく取り出したスイッチを押すと――

 ジャァァァァァァァァァァッ! ドカドカドカドカドカドカドカッ!!!

 あっという間に廊下を寸断する隔壁が降り、窓という窓に強化金属製のシャッ
ターが下りる。
「……って、私達まで逃げられないじゃないですかっ!?」
「安心しろ、すぐに片付ける」
 不敵な笑みを浮かべ、ハイドラントは魔術の構成を編み上げる。
「神海、奴の動きを止めろ!」
「はい、導師っ!」
 そう言うと神海は、重力制御の魔術の構成を編み上げる。
 その目標は、当然おさげ――ではなく。
「なっ、何故私ぃっ!?」
「あれほどの質量ならば、直接動きを封じるのは困難……ならば、囮を使って
気を逸らす!」
 ふわりっ――と、たくたくの身体が宙に浮いたかと思うと。
「行けぇっ!」
「のわぅぉぉぉぉぉぉぉぇぇぇぇぇぇぁっ!?」
 意味のわからない悲鳴を上げ、巨大なおさげに頭から突っ込むたくたく。
「髪ぃぃぃぃぃぃっ!? 纏わりつく絡みつく気色悪いぃぃぃぃぃぃっ!!!」
「たくたくさんっ、頑張って!」
「何をどう頑張るんですかぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
 吉井の無責任な応援に、たくたくは思わず絶叫した。
「それだ、その表情だっ! んん〜! 良いよ! 良いよ〜!」
 今度は、消火栓の影から、これまたにょろりと這い出し、カメラを取り出す
デコイ。
 最早、物理法則など何処吹く風。
「でっ、ででででででデコイさん、助けてっ!!!」
「……なんで?」
「なんでってぇぇぇぇっ! あなたに人道ってものは無いんですかぁっ!!!」
 カメラを構えたまま小首を傾げるデコイに、たくたくは半泣きで絶叫する。
「いや、俺の仕事は撮影だから。大丈夫、たくたくの最期は、学園新聞でお悔
み欄にひっそりと載せるから」
「……そっちがそういう態度に出るなら!」
 たくたくは髪の毛に埋もれながらも、ひょいと手を伸ばしてデコイの腕を取
る。
「てい」
「おおぅっ!?」

 ぼすっ

 カメラに集中していたせいか、あっさりとおさげの中に引き込まれるデコイ。
「く、離せ! 被写体はカメラマンに手を出しちゃいけないんだぞ!?」
「知りませんよ、そんな事っ! こないだのお返しですっ!」
 おさげの毛が、新しく巻き込まれたデコイへも襲いかかり――犠牲者は一人
から二人になった。
「死なば諸共ですよ、デコイさんっ!」
 それと同時に、ハイドラントの魔術の構成が完成し。
「ジィィィィィ・エェェェェェェンドッ!!!!!!」
 通常の数倍はある光熱波が、おさげとたくたく&デコイに向かって放たれた。
 閃光、衝撃、そして――静寂。
「今度こそ……やったようだな?」
「そう願いたいものですが……」
 神海が、不安げに呟く。
「うぅ……死ぬかと思った……」
 黒焦げ状態で、ずるずると這い出してくるたくたく。
 廊下の真ん中には、焼け焦げたおさげとアフロが、すっげえ嫌な臭いを漂わ
せている。
 まあ、あれだけ大量の髪の毛を焼いたのだから、当然と言えば当然なのだが。
「しかし、とんでもない臭いだな。神海……息が詰まる、隔壁を開け。それか
ら、弥生さんに報告を……」
「それは必要ありません。一部始終、見ていましたから」
 ゆっくりと開く隔壁の向こうから、氷のナイフのように鋭く冷たい声が、ハ
イドラントに投げ付けられた。
「で……無駄な時間を費やして呼んだ代物を、無駄な労力を費やして退治して。
この行動の意味は?」
 ハイドラントの頬を、一筋の汗が伝う。
「ユカリ〜、何やってたの?」
「なによ、教室滅茶苦茶じゃない。あたしの鞄、無事でしょうね」
 唐突な隔壁閉鎖のためか、集まっていた野次馬――その中から、松本と岡田
が現れた。
 瞬く間に、喧騒が廊下を支配する。
 だから。
 だから、誰もすぐには気付かなかった。
『それ』の胎動に。

 後編へ続く……