なんだかとってもマイペースL『声をあげて 笑いあえた 短い──』 投稿者:TaS



 唐突に、部屋が明るくなった。
 自分の行動が引き起こした事ではあるが、それであっても文句の一つも言いたくなるほ
どの光量だ。
 そんな中、眩しさに細めた目で見回せば、一人の男がみつかる。
 光で、或いは別の理由で彼の表情は隠されているが、それでも理解はできた──驚いて
いるのだろう。
 距離は、数歩。
 今、デコイが引いたカーテンからさほど離れている訳でもない。だが、その筈なのに、
ひどく遠くにいるようにも見える。
 一歩だけ、前に出てみた。
 動かない筈の彼が、また一歩遠くなった。
 見れば、男は相変わらずに壁に背を預けている。
 窓から漏れる光は変わらずに明るい。だが次第に目も慣れてくれば、小さく彼の口が動
いているのが、わかった。
 呪詛か、或いは祝詞か。
 だが、違う。どちらでもない。
 今一度デコイが足を踏み出した時、それがわかった。
 笑っているのだ。
 快活なそれではない、口を歪め、顔を歪め、声を歪めたそれは、微かに身体を揺らしな
がらも、少しずつ納まってゆく。
 不思議な光景だった。
 彼が笑う姿は、珍しくない。
 実際、デコイが見る限り、彼はほとんどいつでも笑っている。
 だが、こんな──自虐的とも違う、奇妙な──笑い方をする彼を見るのは、恐らく初め
てだろう。
 そして、その後。
 憑き物が落ちたかのような彼に浮かんだのは、やはりいつもとは違う、すっきりとした
笑顔だった。
「────おはようございます」

 それを言ったのは、どちらだったか?




  なんだかとってもマイペースL『声をあげて 笑いあえた 短い──』




                                                                         R73/4/9
                                                                         AM10:35



「あ、はい。いらっしゃいま──」
 その時、男を初めて見たのは、実は沙耶香──学園の新2年生である一少女だった。
 別段、とりたてた理由があった訳でもない。単に、その時第二購買部の店番をしていた
のが彼女だった、それだけの話だ。
 四月も、まだぎりぎりで前半に入るだろう。新たな学年になり、どうしたって感じるそ
の違和感にまだ馴染めないような、そんな時期だ。
 どこか整然としたその四月の空気に溶け込むこともせず、その男は立っていた。
「おじい……初代beaker、ですね。少しお待ちください」
 男の言葉を受けると小さく頭を下げ、奥へと駆けて行った。そういったあたりが、初代
beakerをして実の孫よりも気に入ってると公言させる所以だろうか。
 実際、多少戸惑いつつもきちんと“店番”として対応する彼女の姿は、それなりに好感
を持たせた。
 まぁ、その戸惑いにしても、充分に仕方のない事と言えよう。
 男が異様な外見だったから、ではない。断じて違う。
 むしろ、男の面体はありふれたものと言っていいだろう。
 身長、体格、声、服装、顔の造詣、喋り方。
 動作や口調に多少の丁寧さは感じるものの、それとてむしろ特徴という物を消し去る方
へと機能している。
 男がどこから来たのかは知らないが、この第二購買部まで辿り着くまでに何人かとすれ
違っただろう。だが、おそらくはその誰もがこの男の顔など既に忘れている、そんな風に
確信させるような風貌だ。
 だが。いや、だから。
 沙耶香を困惑させたのは、そういった物ではない。
 彼女を戸惑わせたのは、男が尋ねてきた先……初代beakerの名前だった。
 彼を尋ねてくる人間がまるでないという訳ではない。
 実際の所、初代beakerは意外なほどに外出もするし、孫に似て──勿論、逆なの
だろうが──人当たりの良い物腰、口調は大概の相手には好感を持たれる。
 もっとも、「大概」の範疇に納まるような人間は、このLeaf学園にはさほど多くな
いような気もするが、それはともかく。
 初代beakerの名前を知っていて、なおかつそれを尋ねる人間と言うのは、まるで
ない訳ではない。だが、極端に少ないのも事実だ。
 第二購買部に関わりが──客以外としての関わりがある人間なら、彼を知っていても不
思議ではなかろう。また、尋ねてきたとしてもさして不思議ではない。
 だが、この男はそうではない。
 それだけは、沙耶香が自信を持って言えた。購買部に関わりのある人物なら沙耶香が知
っていない筈もないし、沙耶香が知らずに購買部に用があるなら、初代beakerの名
が出る筈もない。
 つまり……と、そこまで考えた彼女を呼ぶ声があった。
「5年前……そう言っておったか」
「は、はい。それで、どうしましょうか?」
 初代beakerは、購買部の奥で一人碁盤を前にしていた。
 特にどうと言う事もない初老の男だ。少なくとも、外見は。
 そんな彼が昼日中から一人碁盤に向かう。典型的とも言える楽隠居の図だろう。
 もっとも、碁は単なる暇つぶし、それ以上の意味などない。そもそもここに座っている
のでさえ、店に愛する孫娘──のようなものだ──ただ一人しかいないとなれば、多少の
備えがあってもいいだろう、その程度の意味しかない。
 とはいえ、この学園で第二購買部を敵に回そうという馬鹿もそうそうはいなかろう。
「ふむ……ま、よいか」
 そう呟き、碁石を笥に仕舞い始める。碁にも飽いたしの、そんな呟きは沙耶香の耳に届
いたろうか。
「その男、倉庫の方に呼んどくれんか」
「倉庫……ですか?」
「おう、頼まぁ」
 いきなり伝法な口調になり、にやりと笑う。
 何故か、どこかで見たような気がした。
 それも、つい、最近。



                                       §



 倉庫の中というものは、どうしたって埃臭さから離れられないものだ。それは、或いは
降り積んだ時間の匂いなのかもしれない。
 この薄暗い空気の中に満ちた匂いは、確かに悠久の時を感じさせる。
 そういった意味でも、ここはまさに倉庫だった。
 静止した時というのは、何もここに限った話ではあるまい。倉庫という物自体が、時を
止め、それを積もらせ、そして漂わせるのだろうか。
「どちらにしても、あまり長居したいって場所でじゃありませんね」
「だから、ここを選んだんじゃがの」
 初代beakerは平然と答える。
 口元に浮かべるのは、少々の悪意と充分な皮肉。それと、多少の懐かしさ。
「5年か……随分かかったもんじゃの、TaS君」
「いやいや、思ったよりは早かったですよ」
 答える男──TaSと呼ばれた男の口に浮かぶのも、似たような感情だった。もっと
も、こちらの方には多少の敬意も感じられなくはない。
 二人はそれぞれに転がっているパイプ椅子を広げ、向かい合って座る。アンティーク調
のテーブルセットなどもいくつか見えたが、むしろこちらの方が相応しかった。
 横に組んだ膝の上に肘を突く初代beakerと、深く椅子にかけながら重ねた足に両
手を乗せるTaS。
 沙耶香は、TaSを案内した後、また店番に戻っている。
 やたらと広く、むやみに乱雑な空間。その中に二人だけで向かい合ってた。
「相変わらず、奇妙な部屋ですね」
「まぁな。じゃが、気に入りの部屋だ……そんな事を言いに来た訳でもあるまい?」
「……先生が呼び出したんじゃありませんでしたっけ?」
 多少困ったような顔でTaSが答えるが、気にした風もない。
「5年も待たされたしの、すっかり忘れておったわ」と、そう返されては苦笑するしかな
い。
「……随分待たせてしまったみたいですね」
 5年、その言葉が重かった。
 TaSと、初代beaker。
 二人の関係は、別にそれ自体どうと言う物でもない。
 教師と教え子、そんな、極めてありふれたそれだ。初代beakerがまだ教鞭を執っ
ていた頃、TaSがその教えを受けた事があった。
 ……もっとも、半世紀以上も前の話だ。
 TaSの姿は、当時とまるで変わりが無い。もっとも、初代beakerにしたてもそ
れは同じ事だ。
 変わらぬ顔が、変わらぬ空間の中で対峙している。
 その身に流れる時がないからこそ、降り積もる時の欠片が見える。
 この部屋に呼ばれた意味を、TaSは今になって理解した。
「長かったかどうかは知らんが、な。あの耕一君や柳川君も今じゃ立派な教師だ……もっ
とも、千鶴ちゃんはあまり変わっとらんようだがの。それに──」
 顎を撫でながらゆっくりと話す師、初代beakerを見て、TaSは顔を伏せた。
 だが、次の語を聞いてそれが上がる。
「忘れとったか?」
「そういう訳じゃ……ないんですけどね……何とも言い難い気分ですよ」
「……無理をする必要はないだろう」
「でも……無理をしたい時もあるんです」
 小さく、呟く。
 そして。


 朱が踊った。


 小さな、ごく小さな物だ。
 さして鈍くもなく、さりとて鮮やかと呼べるほどでもなく、不思議な光沢を持ったそれ
は、TaSの掌で、部屋の僅かな明かりを反射していた。
 珠……宝石とは違うだろう、ピンポン玉程度の大きさの、赤い珠だ。透明ではあるが、
向こうが透けるほどではない。
 奇妙な重さと存在感を持ったそれは、その色もあいまってまるで血が固まったかのよう
にも思える。
「……これは?」
 指先で転がしながら、投げてよこした師に尋ねてみる。
 だが、訊ねるまでもない。
 わからない筈がないのだ。
 初代beakerにしても、それを理解しているのだろう。
「約束のもンだよ」
 そう、ニヤリと笑っただけだ。
「悩むのは悪かねぇ。それが出来るだけ贅沢とも言えるがな。だが、だからってその贅沢
に溺れちゃどうしようもねぇだろうが。違うか?」
 今迄とは随分違う、伝法な口調。
 それが、自分を後押ししてくれる為だと理解できた。
「お前さんには理由があった筈だ。前に啖呵切ってくれたの、今でも憶えてるがの……真
逆に忘れた訳ではあるまい?」
「おや……そうでしたっけ?」
 口元を歪め、目を逸らし、適当に答える。
 そうだ、これが自分のスタイルだった筈だ。
 そんな、当たり前の事すら忘れていた。
「そういったむつかしい事は先生に任せたいんですけどね」
「だが、いい加減オシメは卒業してもいい頃だろう」
 気がつけば、初代beakerの言葉も元に戻っている。
「卒業ってのは、あまり自分でタイミングを決められないものなんですよね」
 TaSも、戻っている。元にではなく、いつもの通りに。
「私のする事は、とりあえずは後始末ですよ。一通り挨拶をして、言うべき真実を語って
……多少時間はかかるでしょうがね」
「……出来るのか?」
 のんびりとした師の言葉に、TaSは椅子から立ちあがる。
 結局のところ、勝算などないのだ。
 いや、ある意味では出来て当然ですらある。
 それを知っているからこそ、師はそう訊ねる。
 手の内の珠を弄びながら、TaSは倉庫の中を見回す。
 目の端に、何かが見えた。
 小さな棚の中から、何かを取り出す。
「では、それが終わったら?」
 継いだ師の言葉に、TaSが振り向く。
 ある意味では、それは無意味な問いだ。また、尋ねた当人もそれを知っている。
 だから、
「これから考えますよ」
 そんなTaSの答えは、ある意味では予想外だった。
 そして、先ほど取り出したものを頭に乗せてみた。手近な鏡を覗いてみれば、思ったよ
りは悪くない……多少のメイクは必要かもしれないが。
 そう、思ったよりは悪くないのだ。
「そんな風に考えられたから、私は今でもこうしているんです。あまり他人に薦めはしま
せんが……でも、私はこうしてきましたから」
 そう考えれば、こんなのも悪くないだろう。
 鏡の中のアフロのカツラを、もう一度見なおしてみた。
 うん、悪くはない。



「それじゃ、私はそろそろ帰ります……また、気が向いたら来ますよ」

                                                                   ……そうだ。

 言って、TaSは軽く右手を挙げた。
 左手には、例のアフロのカツラを持ったままだ。
 一応許可は貰った……というより、ほとんど押し付けられたような形だったが。
 それも、悪くない。
「言っとくが、あまり歓迎はせんぞ」

                                                     ……そうだ、確かにそうだ。

 師の言葉は、その内容とは裏腹に優しさを感じさせた。
 久々の教え子との対面は、それなりに楽しかったのだろう。TaSにしても、そう思え
る事が何より嬉しかった。


                この後、先生に呼び止められた、それは憶えている。
                            だが、その後どうした?


 ・
 ・
 ・
 ・
 ・


「言葉には力がある」
 師の声は、重かった。
 その重さこそが、内容を裏付けるかのように。

「それは法であり、誓約であり、或いは言霊であり、そして……約束である。それらの力
は時に人を縛り、時に人を変え、時に人を導く。あまりに強大で、あまりに脆弱で、万能
でありながら無能であり、奔放なまでに乱雑で、儚いまでに繊細で……そしてなにより、
ひどく未成熟な力だ。
 そんな厄介な代物だが、我々が生きてゆく以上何とかそれらと折り合いをつけていかね
ばならん……それが生きる事だ、とは言わんがな」
 重さの中には、先ほどまでの軽薄さも、皮肉も、優しさすらも、無く。
 真実の響きを感じる。
 だが、真実とは?

「真実を語る、そうお主は言ったな? だが、本当にその意味を理解した上でそれを言っ
たのか?」
 綴った言葉は、否定すら許さず。
 ただ、ただ、ただ。
 聞き入る事しか出来ず。

「真実を告げるその言葉を、その力を、お主は御しきれるのか?」
 言葉、それが持つ意味。
 言葉、それが持つ力。
 言葉、それを持つ意味。

「制する事も出来ないままの力で、またすべてを台無しにしてしまうつもりか?」
 師の言葉が何を意味するのか、まるでわからない。
 師の言葉が如何なる力を持つのか、まるでわからない。
 師の言葉を聞く意味があるのか、まるでわからない。

「真実を告げる、だと? お主が求めているのは自身の安息だけではないのか?」
 私は……私は?
 そういえば、いつからだ?
 いつから僕は、僕でなくなった?

「すべてをあの嬢ちゃんに押し付けて、自分は高みの見物と洒落込む……いや、逃げ込む
つもりか?」
 あの時か?
 違う、あの時は既に僕じゃなかった。
 それを知っていた、受け止めるつもりだった。

「言葉には力がある」
 受け止める?
 そんな事が出来るつもりだったのか?
 …………………………………………違う。

「今のお前は、その力を恐れて逃げ回っているだけではないのか?」
 ……違う。
 ……違う。
 ……違う。
 ……違う。
 僕が欲しかったのは……
 あの時誓ったのは……

 ………………………………………………………………………………………………………
 ………………………………………………………………………………………………………
 ………………………………………………………………………………………………………
 …………………………………………………………僕はまだ、憶えている…………………
 ………………………………………………………………………………………………………
 ………………………………………………………………………………………………でも。




                                       §




                                                                         R73/9/9
                                                                         AM 6:35



 書庫の中は、ひどく暗かった。
 だがそれも、いつもの事だと思えば気にもならない。
 図書館という空間は、そもそも常に薄暗い。そしてそれは、本を守る為にかけられた
カーテンだけに由来するとは限らなかった。
 理由はあるだろう。
 それこそ、いくらでも。
 だが、それをいちいち探す気にもなれず、ただ体を横たえていた。
 闇に慣れた目にも、無機質な筈の天井は、その姿を見せない。
 だが、真の闇、ではない。
 その証拠に、僅かに離れれば非常口を示す緑の常夜灯が、暗闇の中に僅かな世界を作っ
ている。
 小さな、ごく小さな世界だが、それが逆に廻りの世界を肯定しているように見える。
 それらを横目で見ながら、TaSはゆっくりと体を持ち上げた。
 寝ていた、と言う訳ではない。確かに、それと良く似た行為だったろうが、だが、幽霊
として存在している彼は本来睡眠を必要としない。
 しかし、それでも夜は訪れる。
 夜が訪れるのであれば、それを彩る夢も存在するだろう。
 たとえ、それが悪夢だとしても。
 それは逃れようの無い事だし、それから逃れようとするのは他者との交わりを棄てる事
と同義だ。
 そんな事が出来るほどに弱くもなく、夜に脅えるほどに強くもない。
 それが、人の姿だろう。
 書架に背を預け、そんな事を考える。
 淀んだ空気が、いっそ有り難かった。
 揺らぐ事の無い空気に身を任せ、再び目を閉じる。
 夢は終わったのだ。
 終わった後に残された物は、ごくありふれた現実だけ。
 それがどんなに悲しくとも、どんなに悔しくとも、どんなに惨めでも、脅えるだけしか
出来なかった悪夢よりは、いくらかマシなはずだ。そう思いたい。
 ……つまるところ、それが彼の望みなのだろう。
 たとえ、それが悪夢のような現実だとしても。

 少し悩んで、それからTaSは立ち上がった。
 近くの窓までは、まだ数歩の距離がある。






                                      了



────────────────────────────────────────

 ぅぃっす。
 アップするべきか否かしばらく迷いましたが、まーいーやとゆー事で(笑)
 足場固め、みたいな感じですね、きっと。 内容はこの際二の次とゆーかなんとゆーか
……ああ、言ってて辛い(笑)

 ま、ダラダラと言い訳綴ってもあれなんで、終わり。であ