Musician's Lメモ 2nd track "Fire beat"(3) 投稿者:とーる

 刹那、吹雪にあおられていた炎が揺り返してりーずたちに襲い掛かってきた!

「しまっ……」
「りーずさんっ!?」

 炎の顎がりーずだけではなく、自分たちをも飲み込もうとしているのを、どこか実
感を伴わないままとーるは眺めていた。
 蒼い炎は自分を滅しようと迫っていた。にもかかわらず、とーるにはその炎がとて
も美しいものに見えた。
 思惑とか、感情とか、そんなものに左右されていない力。
 畏怖に近い憧憬。
 そんな思いに支配されていたがゆえに、自身と炎の間に誰かが立ちふさがったのに
気づくのが一瞬遅れた。

 ごぉうっ!!

 りーずの目の前で炎はその人影に阻まれ、二股に分かれてりーずを、とーるを、響
を、レミィを避けるように流れていった。
 そして、それを成したのが、図書館でよく見かける小柄な眼鏡の同級生であること
を見て取り、とーるは改めて驚いた。

「……守りの石よ……」
「……藍原、瑞穂さん? 何故?」

 かざした左手の指輪が白く輝き、そこに生じた力場が荒れ狂う炎を押しのけている
のだ。
 それはわかったのだが、何故ここに瑞穂がいるのかはわからない。
 少なくとも、ここにいる人間で、瑞穂と親しくしている者はいない。りーずや響は
学年が違うし、レミィは暗躍生徒会の太田加奈子とは親しいが、瑞穂と直接の面識は
ないはずだ。

「それは私の台詞です。なんで、みなさんはこんな時間の音楽室に?」

 首だけを後ろに向けて、瑞穂がそう尋ねる。
 とーるはこれまでの経緯を瑞穂にかいつまんで説明した。
 謎のドラマーをバンドに誘うため。
 それを聞いて、瑞穂は得心がいったように一つうなずいた。

「あぁ、では、あの人を誘いに来たんですね」
「あの、人?」

 もう一度うなずく瑞穂を見て、りーずが思わず聞き返していた。
 少なくとも、炎の向こうにいるのは幽霊などではないらしい。

「あの人は月に数回、こうやって音楽室に一晩こもりっきりになるんです。詳しいこ
とは聞いていません。『儀式です』としか、教えてもらっていませんから」
「儀式、ですか?」
「はい。あの人の中にある『もの』は、こうしないと抑えられないから、といってい
ました」

 瑞穂の言葉を聞いて、りーずの頭の中で、炎の壁の向こうにいる『もの』が『誰』
なのか、おおよその予測が立った。
 それを口にしようとしたところで、瑞穂がすっと目を伏せる。

「あの人は『これは自分の問題だから』といって、私にも立ち入らせてくれません。
パートナーなら、どんな問題でもいっしょに背負うことができるものだと思っていた
のに……」

 その場に居合わせたもの全員が、にわかに息を飲んだ。
 言のないりーずととーるに向かって、瑞穂は小さく尋ねる。

「SS使いの人って、私たちを頼りにはしてくれないんでしょうか? 私たちにできる
ことなんて、本当は何にもないんでしょうか? 世界を改変できる力を持つ人は、そ
の世界のありように関心を持ったりしないんでしょうか?」

 小さな、本当に小さな声だった。
 だが、りーずととーるにはあまりに衝撃的な独白だった。

 事象の変革者。

 SS使いとはすなわち、「本来あった事象を故意に改変することのできる者」を差す。
 彼らのその能力の前では、どんな力を持った者でも無力である。
 破壊爆弾を操る毒電波使いも。
 地上最強のエルクゥも。
 その力は無効化されてしまう。

 瑞穂は、その力に怯えるでも、怒るでもなく。
 ただ、悲しげにうつむいた。

 己の中にある強大で傲慢な力。
 本当に畏怖すべきは魔王などという矮小なものではなく、システムに組み込まれた
この力。
 とーるは自分の手のひらを覗き込んだ。
 堅く唇をかみ締めたまま見ていた手のひらに、別の手が重なる。

「Don't worry!!」

 そういって、ひまわりのような笑顔を見せたのはレミィだった。

「ワタシには、トールも、リーズも、ヒビキも、みーんな大好きなオトモダチね!
マサシやアカリといっしょ。SS使いかどうかなんて、no problem !! 当然、Youもね」
「私も……ですか?」
「Yes!!」

 風紀委員のとーるや、みんなに愛されているであろう響と、自分が同じく見られて
いるとはさすがのりーずも考えてはいなかったようだ。
 意外そうな声を上げたものの、なんとなく得心してしまった。レミィの、いい意味
での人懐っこさは、彼女の大きな美点の一つだ。そのぐらいのことはりーずにもわか
っている。
 そして、レミィはもう一方の手で瑞穂の握り締められていた両の拳をやんわりと包
み込んだ。

「He is too shy , and so nice. わかってるデショ? だったら、ワタシたちが信
じなくっちゃ!」

 面食らっていた瑞穂は、柔らかな笑みの上に乗っているレミィの真摯な瞳に気づい
た。
 そして気づく。
 こんな不安は誰でも持っていることだと。
 どんなに大好きな人でも、他人の考えていることを100%理解することなんて不可
能だと。
 確かめ合うことと同じぐらい、信じることも大事だと。

 だから、瑞穂はほんの少しだけ頬を赤くしながら、とーるたちに頭を下げた。

「すみません。……情緒不安定でしたね」

 その言葉にとーるは理解しがたい、という表情を浮かべる。
 りーずはシニカルな笑みを浮かべながら、とーるに問い掛けた。

「今、藍原君が何を思っているのかは後でゆっくり考えてください。それより、君に
はやることがあるでしょう?」

 とーるがはっとする。炎の脅威は去ったものの、それだけでは目的は達成できない。
 この炎の壁の向こうにいるものを、引っ張り出さなければならないのだ。
 儀式。
 そういっていた。
 過去に起こった「人魂」騒ぎは一晩に限定されていた。数日続けて起こったことは
ない。
 ならば、このまま朝が来るまで待つ、という方法もある。
 安全策ならばそれが一番なのではないか。
 だが、とーるの思惑は傍らから聞こえてきたシンセサイザーのとんでもない音圧に
よって粉みじんに粉砕された。

「うわぁっ!? ……って、水野君?」

 いつの間にか、愛用のポシェットからマーシャルのアンプとショルダーキーボード
を取り出して、響は指を遊ばせていた。

「セッションです〜」
「……え?」

 響の耳には、燃え盛る炎の壁の轟音のかなたから聞こえてくる、ドラムのビートが
はっきりと届いていた。
 だから、指が勝手に動く。
 それは、響が求めていた音に違いなかったから。

「……なるほど、神楽に、そう、これは確かに『儀式』ですね」

 キーボードを構える響を見て、何か新たな発見があったように手を一つ打って、り
ーずはうなずいている。

「あの、神無月さん?」
「とーる君、君は日本神話を知っていますか?」
「は?」
「その顔を見るとよく知らないようですね」

 神話・伝承の類ならサテライトシステムを使ってダウンロードしてくればデータは
手に入るのだが。
 りーずの話があまりに突拍子もなかったので、とーるは面食らっていた。
 いったい何の話だろう?

「レミィ君でも知っているかもしれませんが、現在でも九州の南方にある『天岩戸』
の物語です」

 スサノオノミコトの凶事に腹を立てたアマテラスオオミカミは、天岩戸の奥に閉じ
こもってしまう。
 太陽が隠れてしまったことで地上には昼がこなくなってしまった。
 このままでは人間たちが滅んでしまう。
 神々はそこで一計を案じる。
 天岩戸の前で大宴会。こうすれば退屈で真っ暗な岩戸の向こうから、ひょっこりと
顔を出すに違いない。
 そこで八百万の神々は飲めや歌えの大騒ぎ。
 アメノウズメノミコトの煽情的な踊りがピークに達したとき、興味に耐え切れなか
ったアマテラスがちらりと岩戸を開いた。
 その隙を逃さず、力自慢のタジカラオノミコトが岩戸を開け放った。
 そして、夜ばかりだった地上に昼が戻ってきたのだという。

「……で、その神話が何か?」
「現状の打開策です。水野君はやる気のようですよ」

 いわれてとーるは響を見た。
 響は、炎の向こうからかすかに聞こえてくるドラムに合わせてキーボードの上で指
を遊ばせていた。

「まさか……?」
「手助けしますよ。レミィ君、君にも手伝って欲しいことがあります」
「What ?」

 そういうと、りーずは懐から蒼い宝石を取り出した。
 結界を越える前に砕け散った紅の精霊石と同じように、この宝石もほのかに輝きを
放っている。

「風の精霊石です。これを媒介にして、あるものを召喚します」
「ショウカン? Summoning ?」
「そうです」

 風の精霊石をレミィに手渡すと、改めてりーずはとーるに向き直った。

「召喚が成ったら、演奏を始めてください」
「始めて、といっても……この炎の勢いではドラムの音もよく聞こえませんが……」
「その点はご心配なく」

 それ以上の説明をすることなく、りーずはガンプに向かって召喚のコマンドを入力
し始めた。
 釈然としないとーるの脇で、響はポシェットをごそごそとまさぐると何かを取り出
してレミィのところへとことこと歩み寄った。

「持っててください〜」

 響から受け取ったものは、レミィの手の中でしゃらん、という軽い音を立てていた。

「た、タンバリン……?」
「使ってください〜」

 たんたんっ。
 しゃんしゃんっ。

 あっけに取られつつ、響からタンバリンを受け取ったレミィは、それを精霊石を握
りこんだ右拳で軽く2度叩いてみる。
 軽い音が響く。
 それに呼応するかのように、レミィの手の中の精霊石の輝きが増した。

「ギターの準備はいいですか、とーる君?」

 りーずにせかされて、慌ててとーるは背負っていたZO-3をケースから出して構える。
 半信半疑のまま、ギターのスイッチを入れて内蔵のシンセサイザーを起動する。
 そうこうしている間にも、レミィの手の中の精霊石はまばゆいぐらいの光を放って
いる。

「藍原君は結界の死守を。レミィ君は、これから君に向かって降りてくるものを拒否
しないで受け入れてください」
「降りて、来る? What ?」
「大丈夫です。あなたの精神力なら十分に耐えられますよ」

 そして、りーずの手の中のガンプから、鋭い電子音が鳴り響いた。

「準備はできました……。始めますっ。
 プログラム展開! 召喚、アメノウズメノミコト!!」

 刹那、炎の壁も、瑞穂が作り出している光の結界も飛び越えて、天空より落ちてき
た光の柱がレミィを飲み込んだ。

「宮内さんっ!?」

 光の柱が薄れるにつれて、音楽室の中の空気が変わっていく。
 渦を巻き始めた風によって、とーるの耳に今まで聞こえにくかったドラムの音が聞
こえるようになってきたのだ。
 そして、すさまじい圧力のドラムの音に煽られるように現れたのは、天女の羽衣の
ごとき薄絹に身を包み、小さく分かれた風の精霊石を全身にちりばめたレミィその人
であった。