Musician's Lメモ 1st track "Primary" 投稿者:とーる
「あれ、とーるくん、何持ってるの?」
 朝、教室に入るところでとーるを呼びとめたのは、朝練上がりの新城沙織だった。
制服姿だったが、練習が終わってからシャワーを浴びて汗を流してきたのだろうか。
トレードマークの燃えるような赤い髪はしっとりと水気を帯びている。
 声をかけてから改めて沙織はとーるを見てみた。
 何着持っているのかわからないが毎朝真っ白の白学ランにバンドで束ねたノートと
教科書。トレードマークの栗毛の一本お下げに加えて、彼女が見なれないものがとー
るの右肩にぶら下がっていた。

「テニスでも始めたの?」
「……これは、ラケットじゃありませんよ、新城さん」
「……ぶぅ」
「な、なんです?」
「いつになったらさおりんって呼んでくれるのかな、と思って」
「あうっ、あの、その、新城さんは新城さんであって新城さんとお呼びするのが騎士
たる私の義務でして、その、さおりんなんてそんな風には……」
「もう、しょうがないなぁ」

 初めての出会いからそれなりにこなれてきたとーるであったが、未だに沙織を「さ
おりん」と呼ぶことには抵抗を覚えるようである。他人をコードネームで呼ぶことは
できても、あだ名で呼ぶことはできないらしい。
 そんなちょっとしたじゃれあいだったが……。

「出ました久々っ! 鬼畜ぅぅぅぅぅ、ストライクぅぅぅぅぅぅっっ!!!」
「よけてぇぇぇとーるくーーーーーーーーんっっ!!!(ドップラー効果)」

 ごがんばきっ!!

 実に良く計算されたベクトルだ。
 彼方から音よりも速く飛んできた赤十字美加香は、だるま落としの要領で、沙織の
隣に立っていたとーるだけを反対の廊下の壁までふっとばした。
 会心の笑みを浮かべるのは、ほかならぬ風見ひなたその人である。

「朝っぱらから何をいちゃついてますかこの電気アフロ」
「ひなたん……今のはやりすぎだと思うぞ」
「いいんですよ新城さん。秋山さんほどじゃないにしろ、あの電気アフロも怪我には
強いんですから」

 見てみれば、怪我一つせずに目を回している美加香と、右肩に下げていた革のケー
スをかばいつつ頭からだくだくと血を流していたとーるは、ぶんぶんとお下げを振り
回してもう立ちあがっていた。

「美加香さん、美加香さん……義母さん?」
「あうーーーーーーー、ひなたさんひどいーーーーーーー」
「……怪我はないようですね、よかった。こっちも壊れなかったし」

 壁の破片で切った額や頬の傷はみるみるうちにふさがっていく。
 とーるの特殊能力の一つ、「代謝加速」である。通常の人間の数倍から数十倍のス
ピードで身体組織の新陳代謝を行うことで、怪我や病気を「早く治す」のだ。
 ただこの能力、とーるの命を削る諸刃の剣なので、あまり多用は出来ないのだが。

「とーるくん、大丈夫?」
「あ……マスター。大丈夫です、もう治ります」

 茫洋とした瞳をほんの少しだけ翳らせて、しゃがみこんでいるとーると美加香を眺
める少女は、「マスター」と呼ばれて困ったような笑みを浮かべた。

「私はマスターじゃないよ、瑠璃子だよ」
「ですが、マスター……じゃない、瑠璃子……さんは私の君主です」
「瑠璃子だよ」
「……はい、瑠璃子……さん」

 これまたいつもの光景である。こんなやり取りを悔しそうに柱の影から見ている葛
田玖逗哉にしてみれば、ふざけんなこのやろう超ペンギソでぶっとばすぞぉ、という
ところなのだろうが。

「とーるくん、大丈夫?」
「ええ、もう治りましたから」
「便利な体だねぇ。うらやましいな」
「……そうですか?」

 他意のない沙織の言葉にとーるは苦笑を禁じえなかった。
 まだあうあうしている美加香に手を貸して立ちあがらせると、とーるも学ランのす
そをぱたぱたとはたいて埃を落としている。
 その間も、右肩のケースは手放さない。

「それ、ずいぶん大事そうにしてるけど、いったい何なの?」

 素朴な疑問は聞かずにはいられない。この辺、沙織や志保に共通する特徴だろう。
 小首を傾げて訊ねられたとーるは、肩の上に出ている細くなっている口のジッパー
を下げて、ケースの中身を取り出した。
 出てきたものは……、

「ギター? なんかおもちゃみたいだね」

 沙織が持ってみても普通のギターよりも二回りは小さい。ネックも短いし、ボディ
もフリスビーや野球のベースよりも小さい。小さなボディには、スピーカーが内蔵さ
れ、ボリュームコントロールのつまみとスイッチ、簡単なボタンが数個見えている。

「フェルナンデス・ZO-3。商品の愛称は『ぞうさん』と呼ばれているミニギターです
よ。スイッチを入れれば、スピーカーから音が出ます」

 とーるがボディ脇のスイッチを入れると、スピーカーからぷつっ、というノイズが
一つ。
 弦をはじくと、エレキギター特有の適度に歪んだ音が響く。意外と大きな音がする。

「うわーすごーいっ、本物だぁ」
「……なりはこうですが、一応ギターですから」
「とーるくんっ、弾いてみて、弾いてみてっ!!」

 期待に満ち溢れた沙織の瞳を見て、とーるは苦笑を浮かべた。

「すみません、このギターは義父さんのものなんです。私もついこの間譲り受けたば
かりで、まだ練習中なんですよ」
「えーっ? いいじゃない弾いてみてよ」

 やんわりと辞退したものの、沙織はまだ食い下がる。
 ため息を一つつくと、とーるはZO-3を左手一本で構える。ストラップは使っていな
い。

「弾けないのは本当なんですよ。じゃ、ちょっとだけ」

 とーるがボディ側面のボタンを数回叩く。それに合わせてスピーカーからぴっぴっ、
という電子音が聞こえてきた。
 ボディを小脇に抱えるようにしてホールドすると、おもむろに親指で弦をはじき、
左手をスライドさせる。
 左手の人差し指がネックの指板を滑っていくと、それにあわせて音階は上昇する。

「……? あれ?」
「どうしました?」
「今の音、ギターの音じゃないよね? ……バイオリンみたいだったけど」
「正解です」

 そういうと、とーるはZO-3のボディをひっくり返して、さっき押していたボタンが
ある側面を沙織に見せた。
 そこには小さなモノクロ液晶のディスプレイと、パソコンのテンキーをそのまま小
さくしたようなキーボードが埋め込まれていた。
 ディスプレイには「GM-Emu : Violin」と表示されている。

「これ、ただのZO-3じゃないんです。義父さんが学生のときに友人に頼まれて、この
サイズのギターにシンセサイザーの音源を埋め込んだのだそうです。だから、ギター
の音だけじゃなくて……」

 キーボードを操作する。

 たららん、たんたん♪

 弦一本で鳴らした簡単なフレーズは誰でも知っている童謡「ねこふんじゃった」の
冒頭である。ギターの音色なら違和感もあるだろうが、沙織には至極馴染みのある音
が聞こえてきていた。

「今の、ピアノ?」
「そうです。こんな風にプリセットの音色ならいろんな音が出せるんですよ」
「なんだか、面白そうだね」
「ただ、まだ演奏は練習中ですから。いい楽器があっても腕前が追いついていません」

 いちいち大きくうなずきながら、沙織がZO-3を観察していると、廊下中に始業のチ
ャイムが鳴り響いた。

「あ、もうHRだね。それじゃ、うまくなったら聴かせてね、とーるくん!」
「はい、約束します」

 手を振りながら自分の教室へとかけ込んでいく沙織を見送って、とーるも教室へと
戻っていった。

「……割りこめなかった。また一段とSS使いとして成長していってるな、はっはっは」
「ひなたさん、私たちも授業ですよぉ」
「葛田ちゃん、授業だよ」
「ううう、瑠璃子さんと離れ離れになるのは名残惜しいです。……サボるか(ニヤリ)」
「だめだよ葛田ちゃん」
「……はい……」
「ほらほらお前ら、自分の教室へ戻れぇ」

 耕一の声で三々五々自分の教室へ戻っていく生徒たち。
 いつもどおりのLeaf学園の朝の風景である。



 その日の放課後。
『誰もいないところ』を探してとーるは校内を徘徊していた。
 だが、これがまた見つからない。
 校庭では陸上部の柏木梓が秋山登と日吉かおりに追いまわされて自己ベストを更新
したり、佐藤雅史が珍しく薔薇モードではなくサッカー部次期キャプテンにふさわし
い個人技を紅白戦で披露していたりする。
 講堂では新城沙織率いる女子バレー部が猛練習、一年生部員の川越たけるや電芹、
長瀬真希が歯を食いしばりつつそれに堪えている。
 武道場では剣道部のメンバーが竹刀を振るっている。九条数馬が喀血して倒れてそ
のまま心停止してみたり、Dガーネットがバーサーカーモードに突入したりするのは
部員にしてみれば日常の光景だろう。
 格闘部は外で乱稽古。綾香に向かって突進していくハイドラントと悠朔がきれいな
空中二段回し蹴りであさっての方向に蹴り飛ばされていく光景を見て、葵と坂下が苦
笑している。

「うーん、ならば校舎なら……?」

 科学実験室からはいつものようにゆきや宇治丁や来栖川空の叫び声が聞こえ、部室
棟のオカルト研の部室からは怪しげな呪文の詠唱が洩れ聞こえ、屋上では工作部の八
希望が初等部の生徒と一緒にハイパーヨーヨーの練習をしている。
 工作部の部室からは工作機械の金属音が響き渡り、音楽室からは誰かが弾くピアノ
の音が聞こえてくる。

「……しょうがない、黄昏が丘に行くか」

 学園の敷地のはずれにある小高い丘は『黄昏が丘』と呼ばれている。どこかしらに
誰かがいる巨大学園の中で、特筆すべき人口密度の低さを保つ場所である。
 これだけ人がこないと不埒者の巣窟にもなっていそうなものだが、強敵に大敗を喫
したジン・ジャザムや千鶴の手料理が待つ柏木家に帰らねばならない柏木耕一、衣装
あわせに余念がないエルクゥユウヤ☆などがたまに出没するような、そんなところに
人が寄り付くだろうか? いやない(反語表現)。
 幸いなことに、今日の黄昏が丘に魔法少女の気配はなかった。
 とーるは丘の上に荷物を下ろし、学ランの上着を脱ぐ。
 丁寧な手つきでケースからミニギター・ZO-3を取り出し、肩から下げるためのスト
ラップを装着する。
 ストラップをたすきがけにしてギターを構えてすっくと立ちあがる。
 ……小さい。
 身長175センチの体には、ZO-3のサイズははっきりいって小さい。
 どのぐらい小さいかというと、「牧新二にウクレレ」ぐらい小さい。
 あーんあんあ、やんなっちゃった♪
 あーんあんあ、おっどろいたっ♪
 ……閑話休題。
 剣を扱うわりに長くて華奢な左手の指がZO-3の指板を滑りあがる。
 右手の指が弦をはじく。
 ……音が出ない。

「あ……スイッチが入ってない」

 まるで初心者のようなボケ振りである。
 改めて内蔵アンプの電源スイッチを入れる。

 きゅいん……

 左手のグリスアップ(指板の端からボディに向かって指を滑らせる奏法、無段階に
音程があがっていく)から軽いタッピング。

 たらららたらららたらっ……ぶつっ……

「……う……」

 指が追いついていない。
 まぁ、ギターをはじめて数日でタッピングばりばりの早弾きができたりしたら、プ
ロのギタリストたちの立つ瀬がない。
 そうはいっても弾いてる当人にしてみれば、「自分のイメージどおりに指が動かな
い」ことはストレス以外の何物でもない。

「うーん、うまくいかないなぁ」

 沙織に聴かせるとかどうとかの前に、満足に曲も弾けないのでは話にならない。
 ため息をつきつつZO-3を構えなおしたとーるの耳にそのとき、別の物音が聞こえて
きた。

「……くすくすくす……」

 物音? 違う、笑い声だ。
 成人男性にしてはやや高い声。女性? いや、どちらかというと変声期前の少年の
ような中性的な声。

「誰ですか?」

 とーるが背後に向かって声をかける。
 が、誰もいない。

「誰もいないんですか? 魔術か何かかな……?」

 首をかしげるとーるのスラックスのポケットが、何かに引っ張られる。

「うわう」

 びっくりして飛びのくと、

「……くすくすくす……」

 足元にちょこんとしゃがみ込んでいる人影があった。
 ブルーのニッカポッカに白いシャツ、さらさらの色素の薄い髪はショートカットに
しているが右の一房だけが長く伸びている、くりくりとした瞳に色白の頬。どこから
みても全国美少女コンテストで上位入賞間違いなしの造作だ。
 ブルーのポシェットを大事そうに小脇に抱えながら、その少女は片手で口元を押さ
えながらくすくすと笑っていた。

「下手ですねぇ……そのギター」

 むぐっ。
 さすがに言葉に詰まった。
 わかってはいるのだが改めていわれるとむっとする。それも、とーるよりもはるか
に年下の少女が、いたずらっぽい光を瞳にたたえながらいいきるのだ。
 寸手のところでとーるは平静を取り戻し、はぁ〜と長く息を吐きながら足元の少女
を見やった。

「そんなに、下手ですか? 私のギターは」
「はいです〜。リズムがバラバラです〜」
「リズム?」
「最初は、メトロノームに合わせて弾かないとだめです〜。そうしないと、なかなか
上達しないですよ〜」

 そういうと、少女はおもむろに小脇のポシェットを探り始めた。
 神妙な顔で手を突っ込んでいたのだが、やがて目当てのものが見つかったらしく、
頭の上に電球がついたかのようににぱっと微笑むと、ポシェットから何かを取り出し
た。

「……? メトロ、ノーム……ですね」
「そうです〜。これ、あげます〜。練習してくださいね〜」

 にっこりとポシェットよりも大きなメトロノームを抱える少女……少女?
 とーるは電子脳の記憶領域に引っ掛かりを覚えた。メモリキャッシュにあるこれは
……検索開始……一年生の……?

「君はもしかして、この間転入してきた一年生の水野響君ですか?」
「はいです〜。よろしくおねがいします〜」

 ぺこりと90度以上に腰を折り曲げて頭を下げる少女……否、少女ではない。この
「少年」は、とーるの一学年下の水野響であった。
 データはもっていたのだが、当人に会うとやはり違和感がある。どう見ても少女以
外の何者でもない。
 口には出さなかったが、混乱を引き起こしているのもうなずけると、とーるは内心
思った。
 そんなことはおくびにも出さず、とーるは響からメトロノームを受け取った。受け
取ったのだが、

「これ、いくらの品物ですか? 譲っていただくわけにはいかないです」

 とーるにしてみれば初対面の人間から物をもらうわけにはいかないという判断だっ
たのだが、

「いいです〜。プレゼントです〜」
「でも、そういうわけには」
「だったら、早くギターうまくなってください〜。そして、わたしとセッションする
です〜」

 こう見えて、実は響も意外と頑固である。一度あげたものはその人のものだと言い
張る。
 そこまで言われるととーるとしても断りにくいものがある。
 そして、響の言った一言がとーるには非常に気になった。

「セッション?」
「はいです〜。音楽は、一人でやるよりいろんな人とやるほうが楽しいです〜」

 にこにことそういうと、またもや響はポシェットをがさがさとまさぐり始めた。
 おもむろに取り出したのは、なんとピアノである。
 おもちゃだが。

「ぴ、ピアノ?」
「はいです〜。このピアノ、すごいんですよ〜」

 確かにおもちゃのピアノだ。響が片手で持てるほどの大きさしかない。それにして
も、どう見てもポシェットの口より大きいのだが。
 しかし、おもちゃにしてはやけに凝った作りのピアノだ。グランドピアノよろしく、
上ぶたが開き、中身も本物のピアノとおなじ作りになっている。
 地面の上にピアノを置き、座り込んでおもむろに始めた響の演奏を聴いて、とーる
は驚いた。

「う、うそだ……なんであんなちゃちなピアノでこんな音が……?」

 音楽に関しては素人の……どころか、この学園に来てから初めて聴いたに等しい……
とーるの耳にも、響の演奏が完璧であることはわかった。
 足元にしゃがみ込んでいたときは小学生かと思ったぐらい小さな響の体が、音楽に
よって自分以上に大きくなったかのような錯覚を覚える。
 これでもしもピアノが普通のピアノだったならば……

「……指が届かないかもしれない……」

 体の小さな響では、普通のピアノの鍵盤は大きすぎる。そんな気がしてとーるはく
すりと小さく笑みをもらす。
 ピアノがすごい、と響は言ったが、それは違う。
 すごいのはこの、目の前でピアノを弾く小さな巨人だ。
 音楽の授業でみんなにせがまれて、仕方なく〜それでも楽しそうに〜歌った森川先
生の歌に負けるとも劣らない、天賦の才能、というものを見せられていた。
 ひとしきり弾ききって満足そうに一つうなずくと、響は未だ呆けているとーるを見
上げてギターを構えるように促した。

「いっしょに弾いてみるです〜」
「え?」

 唐突な申し入れというのもあったが、なによりもさっきの演奏を聴かされた直後で
は、とてもではないがいっしょに弾く気にはなれないのが本音だ。
 見劣りするとかかなわないとかの問題ではない。レベルが違いすぎるのだ。
 幼稚園児が交響楽団といっしょに演奏をしようと誘われているに等しい。

「いや、あの、それは……」

 状況分析は得意である。というか、戦略型コンピュータに的確な状況判断ができな
ければ、戦争には勝てない。
 とーるは戦術的撤退を選択した。
 だが、敵はあきらめてはくれなかった。

「いっしょに弾くです〜」

 なんでこんなに強く私を誘うのだろう?
 なにがそうさせるのだろう?
 さまざまな疑問符がとーるの脳裏をよぎった。
 だが、その疑問を解消する前に、響が強引にピアノを弾き始めてしまった。

「あ、あの、水野、君?」
「私のピアノについてきてください〜」

 先ほどの技巧を尽くしたピアノではなく、実にシンプルで、低音が響の細腕から繰
り出されているとは思えないほどの力強いリズムを刻んでいる。
 ……リズム?
 たん、たん、たん、たん……
 1、2、3、4、1、2、3、4……
 右手が遊ばずに、左の低音部が規則正しい4ビートを刻んでいる。
 なにか物足りない。
 どこかもどかしい。
 ……誘っている? 私のギターを?
 いくらでも遊びようがある循環コード進行なのに、まったく遊ぶことなく、ひたす
らコードとリズムを刻んでいる。
 そのピアノのリズムに導かれるように、自然にピックが弦に降りていった。

「♪〜」

 最初の一音を繰り出せば、あとは流れに任せるだけだった。
 とーるがカッティングでリズムを刻めば、呼応するように響のピアノもより複雑な
リズムを刻む。
 覚えたてのどこかで聴いたようなフレーズを弾いてみれば、左手と右手が入れ替わ
り立ち代りにそのフレーズに応える。
 ギターって、音楽って、こんなに楽しかったんだ……。
 響のアイコンタクトでリダルタント(音楽用語:だんだんゆっくりと、の意)から
エンディング……終わってみれば30分ぶっ通しで演奏しつづけていた二人だった。

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
「はうぅ、つかれたです〜」

 膝に両手を置き、前かがみになりながら息を整える。
 汗をぬぐおうとした左手にぴりっとした痛みが走る。
 よく見てみると、とーるの左手の指は、親指を除いた四本の指先がみんな割れて血
をにじませていた。
 慌てて「代謝加速」を起動し、指先の傷をふさぐ。幸い、ギターに血がこびりつい
てはいない。

「……すごいな。音楽が、こんなにすごいものだなんて、知らなかったですよ」

 額に浮いた汗をぬぐいながら、とーるは響に笑いかける。
 にぱっ、と響も笑い返す。

「いっしょのほうが、楽しいです〜」
「ええ、まったく、その通りです」

 そして、とーるの口からごく自然にこんな言葉が漏れてきた。

「また、いっしょに演ってくれますか?」

 響はにっこりと笑いながら首を縦に振った。

「はい!」



 こうして、不器用な強化人間の音楽への挑戦が始まった。
 彼のギターがこれからどんなメロディを奏でていくのかは、次回の話にて。


                                 (Fade out)


P.S.

「ねぇ、とーるくん?」

 翌朝これまた教室に入る直前、とーるは沙織に呼びとめられた。

「おはようございます、新城さん。何かご用ですか?」
「あのね、えっと、その……」

 沙織にしては珍しく、歯切れの悪い口調だ。
 いぶかしむとーるは、眉根を寄せながら沙織の顔を覗き込む。

「あのー、新城さん?」
「うーん、いいにくいんだけど、でも別に、恋愛は自由だしぃ……」
「話がよく見えてないんですけど……」
「うん、あのね。とーるくんが誰と付き合っても別にいいと思うんだけど……」
「は、はいぃ? 何の話ですかそれは?」
「前例がないわけじゃないけど、やっぱり初等部の女の子はやめておいたほうがいい
んじゃないかと思うんだ、私」

 何をいきなり言い出すんだ新城さんは?
 私がいつ初等部の女の子とお付き合いすることになって……あ。

 放課後に響と知り合いになったことを証明するまでに、とーるくんロリコン説がま
ことしやかに2年生の間を駆け巡ったことは言うまでもない……合掌。

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次回予告

「君たちに足りないものは、パワーとパッションだね」

「やっとバンドらしくなってきたです〜」

「すごい、この音……まるで……」


                         Next Track is "Fire Beat" .