風紀委員会L 「人の心」 投稿者:とーる
 生徒指導部の壊滅的なダメージ。
 もたらしたのは情報特捜部。

 『キリングマシーン』……悠朔。
 『バルキリー・エージェント』……シッポ。

 瓦解の原因は、彼らの存在を軽視した生徒指導部の見とおしの甘さにあった。
 ……本当に?



 来栖川電工中央研究所、第七研究開発室。
 L学の生徒ならば知らぬものはない、HMX-12・マルチ、HMX-13・セリオを始めとし
たさまざまなメイドロボを開発した、来栖川グループの中でもひときわ異彩を放つ部
署である。
 当然、グループの中でも特に強固なセキュリティに守られ、おおよそ部外者は開発
スペースなどに立ち入ることはできない。見学なども許可されない。
 だから、そこの主任に招かれた少年は、中央研究所のロビーで長瀬源五郎と対峙し
ていた。

「僕なんかでいいんですか? 源五郎叔父さん」
「君の能力は君が思っている以上に有名なんだよ。だから、参考にさせてもらう。
『人の心』というのは未知の領域だからね」

 長瀬主任を『叔父』と呼ぶこの少年は、ほかならぬ長瀬祐介であった。
 黙々と自分の作業を続けるべく足を早める技術者の中で、飄々とした表情を崩さず
にいる源五郎と、場違いである自覚を持つ祐介は、この雰囲気にとけこんでいない。
 そして、ここにとけこまない『異端』はあと一人いた。

「あなたの能力が万能だとは思いません。ですが、一番近いところにある『解』なの
ではないかと考えました」
「未だに……信じられないんだけどね。『電波』が、人の心に作用するものだという
のはわかっているんだけど」
「長瀬主任は、『精神への外科治療』といってます。刃物は人を傷つけますが、うま
く使えば病巣を取り除くためのメスにもなります。それに、『電波』は人の心を揺り
動かす波であるともいえます。硬く凝った精神を揺り動かすためにも、『電波』は有
効なのです」

 祐介の前には、栗毛の一本お下げの少年、とーるがいる。
 前々から来栖川では試立Leaf学園においてさまざまなデータを収集してきた。メイ
ドロボの登校などはその端的な例である。
 コンツェルンのプリンセスである来栖川芹香が傾倒する魔術なども、データ収集の
一環として研究されている。
 そして、異端の局地ともいえるSS使い……Special Skill User……彼らが何故発生
するのか、目下の研究はその点に集中していた。

「君は、どう考える?」
「どう、とは? 長瀬さん」
「拭い去れない傷を負った精神(こころ)は、『電波』で治せるものなのかな?」

 新城沙織。
 彼女の周りに巣食う邪魔者。
 祐介にして見れば、とーるとはそういう存在である。
 だからこそ、同学年の転入生であるとーるの姿は、嫌が応でも目に入ってきた。
 だが、よくよく見てみると、とーるの存在とは一年生の暗鬼フェチの鬼畜小僧や、
二年生の茶パツのトラブルメーカーとも違うように見えた。
 ありていに言えば、『こいつ、本当に新城さんのこと好きなんか?』ということで
あるが。
 そんなうやむやの思いを抱いているところに、とーるはやってきた。

 あなたの力を貸してください、長瀬さん。

 開口一番にそういうと、とーるは祐介をここ、来栖川のラボに連れてきたのだ。
 普段は、ここでアルバイトをして、生活費を捻出しているのだという。
『拾われた』経緯を聞いてみれば、長瀬源五郎が仕事を紹介しているのだということ
は容易に推測できた。
 そこで提案されたのは、先日起こった風紀委員会生徒指導部へのテロ行為による精
神感応アイテム『鉢がね』の暴走、それによって負わされた死の恐怖による心的外傷
(トラウマ)の治療に、祐介や月島拓也・瑠璃子兄妹が持つ『電波』を用いようという
試みであった。
 祐介にして見れば、その提案は滑稽でしかなかった。

『電波』は、人の心を壊すもの。
『電波』は、人の心をつなぐもの。

 だが、『電波』は人の心を癒すものではない。

 もし仮に、叔父の言葉が本当で、『電波』というものを少しでも研究しているので
あれば、この結論に到達するのは難しいことではないだろう。
 それを承知しているのだろうか?
 祐介は、そう思いながらとーるにあえて問いかけて見た。
 とーるは、リノリウムの床に視線を落としながら、抑揚のない声で答える。

「無理でしょう」
「……なら、何故?」

 誘ったのはそっちだろうに。
 徒労のために僕を連れてきたのか?
 祐介の握った両の拳に力がこもる。

「さっきもいいました。『電波』は薬ではなくメスであると。治療のための手段には
なっても、特効薬にはならないのです」
「じゃあ、なんのために、『電波』の波長を再現するフィルターを用いて、空間に広
がる電磁波を擬似的な『電波』に見たてる、そんなアイテムを作ったりしたんだ?」

 長瀬主任が開発したものは、ありていに言えば『仮面』であった。白一色の樹脂製
で、祐介たちの『電波』を量子的に再現するものだという。無論、祐介や拓也ほど強
力なものが作れるわけはなく、ある一定のパターンしか再現できないものであるが。
 じっととーるをにらむ祐介の肩に、ぽん、と誰かの手が置かれた。
 見上げると、そこにはコーヒーを片手に長瀬源五郎が立っていた。

「筋肉を鍛える方法を知っているかな?」
「運動をすればいいんじゃないんですか?」
「では、運動をしたらどうして筋肉が鍛えられるのか、知っているかい?」
「それは……」
「運動をしたら、使った筋肉の組織が破壊される。破壊された細胞組織を充填すると
き、以前よりも組織の量や強度が補強される。これで、筋力はアップしていくわけだ」

 筋組織の増強とはおおむねこのようなプロセスで行われる。
 鍛えるために体をいじめる、というのは間違った表現ではないのだ。

「人間の体組織とは柔軟にできていてね、こんな風にして環境に適応するための素材
を作っていく。それを精神に応用しよう、というのが今回のこの『仮面(ペルソナ)』
だ」

 源五郎が手の中で仮面をもてあそんでいる。
 プロトタイプを扱うには実にぞんざいな手つきだ。
 だが、そんなことには頓着せずに、源五郎は言葉を継ぐ。

「精神病理学に関していえば、私は素人だから具体的な治療については医師に任せる
しかない。だが、我々には我々のノウハウがある。そう『心の量子化』という点でね。
新しい治療補助器具を提供することで、痛みに苦しむ人の治療に役立つのなら、それ
でいいんじゃないかな?」

 長瀬源五郎ととーる。
 二人の顔をにわかに見比べて、祐介は思った。
 彼らは、人間の心をなんとも思っていないんじゃないか……?
 瑠璃子さんの痛みは、彼らにはわからないんじゃないか……?
 祐介が苦渋と憤りに満ちた視線を向ける。それを受けて、源五郎はふ、と淡い笑み
を浮かべた。

「君も、『長瀬の一族』なんだなぁ。オヤジが気にかけるのもわかるよ」
「どういう意味、ですか?」
「自分が大事にしているものを蔑ろにされている、と思えば、人間誰だって腹も立つ。
『電波』が伝える人の心というものがどんなものかは、私にはわからん。だが、『私
の大事な娘たち』がどんな心を持つのか。人間の心のありようと同じなのか、違うな
らばどう違うのか。それは科学者として、そして、父親として知りたいと思うのさ。
『長瀬の一族の力』とやらが私にもあるのならば、こうやって知らない世界を押し開
くことこそが、私の力なんだと思うよ」

 知りたい、と思うことが力になる。
 触れたい、と思うからこそ人間は優しくなれる。
『電波』はそのための手段。
 それは、瑠璃子さんに教わったこと。
 僕の中にある『電波』は、なんのために、誰のためにあるんだろう。

「『電波』は、人の心を癒す手助けができるんでしょうか?」
「人間の心はもろく傷つきやすい。だが、ガラスのように壊れてしまえば治らないも
のではない。以前の形に戻れなかったとしても、より強く、より現状に適応した形に
なれるんじゃないか……? その手助けをするのが、この『仮面』であり『電波』な
んだよ」

 きっと、他のどんな高名な精神病理学者や、医療関係者が言ったとしても、今の言
葉ほどに説得力を持ったことはいえないだろう。
『電波』が、こんな風に使われるとは思っても見なかった。
 今まで握り込んでいた右手を開き、ほんの少しだけ意識を集中する。

 世界は、『電波』に満ち溢れている。

 雑多な、突き刺さるような痛みを伴う電波の中から、なるべく優しいものを選ぶ。

 長瀬ちゃん、電波、届いた?

 ここにいないはずの瑠璃子の声が、祐介の心に伝わってくる。そんな気がした。
 顔を上げると、祐介の目の前で、とーるが深深と頭を下げていた。

「な、何?」
「長瀬さんの『電波』の力で、たくさんの風紀委員たちが癒されます。彼らに成り代
わり、お礼を言います。ありがとうございます」
「まだ礼をいうのは早いんじゃないかな? 結果が出てからでも遅くないと思うよ」
「結果は出ます。必ず」

 力いっぱい断言したとーるに、苦笑を浮かべながら祐介は問い掛ける。

「なんで、そういい切れる?」
「長瀬主任の技術力を信用してるから、では、理由になりませんか?」
「……」

 ……悪い方向には転がらないだろう。
 なぜだか、そういう確信が祐介にもあった。
 誰も傷つかずにすむのが最良だ。だが、人間同士のぶつかり合いがある以上、そう
もいかないのが現実。
 なら、強くなればいい。
 誰の心だってもろくて弱い。でも、誰の心だって強く鍛えることはできるんじゃな
いか?
 そのために、『電波』があってもいいと思う。
 それに……

「SS使いの断言なら、きっと本当になるだろうね」
「えっ?」
「思ったこと、言ったことを現実にできるのがSS使いの能力だっていうのは、僕も聞
いてる。君だって、SS使いなんだろう? なら、僕の『電波』を信じてもらったよう
に、君の力を信じる。瑠璃子さんだって、そういうに違いない」
「……ありがとう、ございます」

 そのとき、とーるが一瞬だけ浮かべた複雑な表情は、最敬礼の姿勢では祐介からは
見えなかったようだ。
 源五郎の部下に伴われて計測室に向かう祐介を見送りながら、とーるは大きくため
息をついた。

「どうした?」

 目ざとくそれを見つけた源五郎は、苦笑しながら自分の養い子に声をかける。
 とーるは、頭を一つ振って答えた。

「SS使いも万能ではないのですが……」
「それでも、普通の人間にできないことができる」
「義父さ……いや、主任……」
「とーさんでかまわんよ。『電波』という手段は新たに手に入れたものだが、治療の
基本になる部分は、君の精神擬似投射能力とHMの自律判断プログラムの解析結果を加
味したものだ。来栖川の医療チームが泣いて喜んでいた。画期的な治療方法だってね」
「そうなんですか」
「なにより、彼ら風紀委員を助けてくれというのは、ほかならぬ……彼女の意向だか
らね」

 源五郎が指差した先には、一人の少女が立っていた。
 静静と歩いてくるだけで、人が道を開ける。
 来栖川の中枢で、それだけの影響力を持つ18才の少女といえば、一人しかいない。

「……」
「はい、仰せの通りに治療器具の量産に入っていますよ。数日中に病院に配布し、早
ければ1週間後には成果が見られます」
「……」
「苦労だなんて思っていませんよ。研究の副産物なんですからね、芹香さん」

 事もなくいう源五郎の頭をちょっとだけ背伸びしながら撫でるこの少女は、来栖川
のプリンセスである来栖川芹香であった。
 苦笑を浮かべる源五郎はとーるに向き直って、頬をぽりぽりとかいている。
 芹香は、とーるに小さく会釈をすると、向こうで待つ源五郎の父……セバスチャン
の元へ戻っていった。

「……見えないものまで見とおす、彼女の瞳だけは敵に回したくないな……」
「どうした、とーる? 汗をかいているみたいだけど」
「なんでもないですよ。ただ、今回の騒動を芹香さんもご存知だったとは意外でした」
「Leaf学園の中の出来事は、把握するようにしているそうだ。未来の女王ってのは、
目端がきかないとダメらしい」

 源五郎は茶化しているが、とーるにしてみれば……この状況は願ったりかなったり
である。

 来栖川芹香が動くということは、来栖川の意志が動くということ。

 思ってみれば、Leaf学園の生徒なのだからと気にもとめなかったが、生徒指導部の
一般生徒が入院した病院は全て来栖川グループ傘下の総合病院であった。この時点で、
すでに来栖川は動いていた、と考えたほうが正しい。
 ただ一つわからないことは。

 なぜ来栖川が動いたのか?

 この一点である。来栖川にとって何か利点があったのだろうか?
 そこだけが今だ不明瞭である。

「もう少し……動かないとわからないかな……」
「何か言ったか?」
「いいえ……義父さん」



 その日のうちに配られた『仮面』の効果は、劇的とはいわないまでも自然療法だけ
では難しかったであろう『精神面での回復』において期待以上のものとなった。
 早い者で三日、重症の者も一般生活が送れるぐらいに回復する見込みが立った。

 ……その裏で、あるデータが収集されていたことをとーるが知るのは、もう少しあ
とのことになる。