風紀委員会L 「監査部始動」  投稿者:とーる
「……僕を、風紀委員会の顧問に迎える?」

 緒方英二は職員室の自分の机で、そんなことをいう風紀委員の提案を聞いて、片眉
を持ち上げた。

「西村先生がいらっしゃるのに?」
「はい。私がこれから作ろうとしている組織は、風紀委員会の枠を逸脱している部分
が多々ありますから、独自の顧問が必要なんです」

 組織構成図を手持ちの情報端末に呼出しながら、風紀委員……とーるは英二を見や
った。

「だが、僕なんかでいいんだろうかね?」
「緒方先生じゃないとダメなんですよ、それが広瀬委員長のためでもあるのです」
「……場所を変えようか」

 広瀬ゆかりの名前を出したとたんに、英二の目の色がほんの少しだけ変わった。
 飄々とした倫理社会教諭でも、敏腕ヒットメーカーでもなく、『塔』の監察官、音
声魔術師としての剣呑な瞳に。
 とーるはその視線を臆することなく受けとめ、先を促す英二に続いた。



「『塔』についてどの程度のことを知っている、少年?」

 放課後の屋上は人の姿もない。監視の目はあるのかもしれないが、それを気にしな
ければならないほど、緒方英二の器は小さくはない。
 だから、英二は単刀直入にとーるにむかって切り出した。
 ほんのわずかな殺意を込めて。

「私も、大したことは知りませんよ。そもそも存在するのかどうかすら怪しい組織で
すからね。公式な資料に何か情報があるわけでもなく、合法非合法問わず、その組織
を垣間見ることはない」
「情報操作の結果ということは?」
「考慮はしましたが、結局、証拠を得ることはできなかったんです。それらしき事件
などの情報を片っ端から検索したのですが、そこに『塔』の痕跡は見当たりません」
「なるほど」
「不自然なんですよ、試立Leaf学園の中だけで、この箱庭の中だけで、『塔』の存在
が多数のSS使いに認知されている」

 とーるにしてみても自分の開発経緯を鑑みれば、そこに『塔』の存在を感じないは
ずがない。赤十字美加香はもともと『塔』の出身であり、広瀬ゆかりをはじめとする
強化人間開発の技術は『塔』のものだからだ。
 来栖川の技術と『塔』の技術。
 鶴来屋を筆頭とする柏木の一族の秘伝、これらが偶然で集まったのだとしたら、神
様もなかなかに酷な采配をしたものだ。

「知られているいないということはこの際問題としないことにしましょう。一般生徒
の皆さんには関係のないことでしょうから。ですが、ここには確かに『塔』という組
織が存在している」

 とーるは、英二に向かって淡々と自分の思いを告げている。
 金網に寄りかかって、英二はとーるの話を聞いている。

「どんな存在でも、ある、ということがわかったのならば、それを認めなければなり
ません。あるものをない、ないものをある、と偽ってしまえば、立案された作戦はお
のずと瓦解します」
「ではどうする? 一般社会に対して完全に認知させないだけの隠蔽能力を持つ組織
を、一人で敵にまわすつもりかい、少年?」
「いいえ。そこまで私も無謀ではありません。私の能力では、緒方先生の足元にも及
びませんから」
「殊勝だねぇ」
「身の程をわきまえているだけですよ。魔術の心得はありませんし、直接戦闘力をと
っても、緒方先生のほうが数段上です」

 とはいっているものの、とーるの口ぶりからは英二への畏怖は感じられない。
 それは、検証結果を報告する科学者のようであった。

「ですが、例えていうならば緒方先生が柳川先生と戦ったとしましょう。これならば
十分に互角の勝負になるはずです。私は、そういう風に事を誘導していくことを考え
ればいい」
「……そう簡単に僕と柳川先生が戦うことになるとは限らないと思うが?」
「理奈先生と阿部先生に何かあったとしたらどうします?」

 にわかに英二の表情が険しくなる。言わずもがなであるが、英二と理奈は実の兄妹、
柳川と阿部は親友同士である。冷徹無比の音声魔術師にも、地上最強の生物の末裔に
も、死角がまったくないわけではなかった。

「君は、戦術処理目的で開発されたのではないのかな?」
「戦術レベルの話だけでは、事態が収まらなくなってしまったのが悪い、ということ
にしておいてください。私だって、こんな風に動き回るのは不本意です」
「さっきの、発言も?」
「さっきの? といいますと?」
「……理奈の話さ」
「ああ、あの話なら、プラン自体に実現性がありませんからね。私一人ではどうしよ
うもありません」
「だから、組織を作る」
「そういうことです」

 腕を組みながら、英二はふと空を見上げた。
 青い、青い空だった。

「わかった、この話、受けることにしよう」
「ありがとうございます」

 別に驚くこともなく、淡々ととーるは会釈した。

「まるで、僕がこの話を必ず受けると確信していたかのようだね」
「緒方先生の不利益になる話ではないと判断しましたから」
「お得意の計算かい?」
「そんなところです」

 そこまでいうと、とーるはきびすを返した。

「では、次の定例会で発表いたします。それまでに、もう一人の懸案を解決できれば
いいんですけどね」
「僕以上に口説きにくい人を連れてこようというのかい、少年?」
「ええ、これからが本番ですよ」



「あの野郎、いったいどういうつもりで動き回っていやがる」

 風紀委員会が占拠したとある教室の入り口には『生徒指導部』の看板が掲げられて
いた。風紀委員会の文字はどこにもない。
 その教室の最前列で、肉食獣がうなるようにつぶやいていたのは、いまや生徒指導
部の実働隊長として実権を振るう永井であった。

「昨日までに広瀬ゆかり、貞本夏樹、宮内レミィ、XY-MEN、このあたりと話をしてい
るのはいいとして、緒方英二、へーのき=つかさ、セリス、悠朔、長岡志保、城下一
樹、makkei、koseki、YOSSYFLAME、それに、beakerと、赤十字美加香……かなり精力
的に人に会いに行っているな」

 ファイルの中身を確認しつつ、生徒指導部長たるディルクセンが様々なSS使いや
Leafキャラの名前を読み上げる。

「あいつは親広瀬派の筆頭だろうが。なんでそんなまねを」
「それはこの間までの話だ。大多数の一般風紀委員と同じく、いや、それ以上に奴の
心はゆれている。引き抜こうと思えばできたのだろうが」
「人も斬れねえデクに用はねえよ」

 口の端を引きつるように持ち上げて、永井は一言で斬って捨てた。
 ディルクセンにしてみれば、いちいち発言が剣呑なこの男が疎ましかった。だが、
もはや後戻りできないところまで踏み出してしまっている。
 危ういところでこの位置に踏みとどまっているのがディルクセンであった。
 それに対して、一見泰然自若としているように見える永井だが、総会での劇的な承
認劇以来、表立って大きな話がなく、かといってゆかり排除に動けるわけでもない現
在、リビドーの持って行き場がなくなっていたのだ。
 そんな、奇妙な緊張が漂う二人の間に割り込んできたのは、ディルクセンの妹であ
る美也だった。

「ただね、気になることがあるのよ」
「なんだ美也、気になることとは?」
「尾行してた永井さんの部下と、こっちが仕掛けた盗聴器と隠しカメラ。第二購買部
から工作部に向かったところまでは機能してたんだけど、そこで全部がいっせいに無
力化されてるのね。だから、あの人がその後どこに行ったのか、誰に会ったのかはわ
からずじまいなの」
「けっ、ふがいない連中だぜまったく。あんな腰抜けにおめおめと負け食らって帰っ
てくるような奴ら、俺の部下でも何でもねえ」
「盗聴器に関しては、奴の特殊能力の賜物だろう。機械制御に関しては常人以上の能
力を発揮するからな」
「じゃあ、永井さんの部下は?」
「さぁな。奴の実力が予想以上だったのか、あるいは一人で行動していなかったのか
……」
「奴に協力者がいるってことか?」
「断言はできない。だが、否定する要素も今のところ存在しない」

 そこまでいって、ディルクセンは瞑目する。天井を見やった永井は、

「奴のマークを強化しろ。ねずみがちょろちょろしてるのは落ちつかねえ。場合によ
ってはその場で殺っちまってもかまわん。どうせ戸籍のない男だ。死のうと何しよう
と関係ねえ」

 潜んでいるであろう部下に剣呑な命令を下す。

「おい、あまり派手なことは……」

 ディルクセンがふとつぶやいた言葉を、永井はドスの聞いた声でさえぎる。

「暗殺が仕事の忍者に向かって、なにいってやがる。おまえはそこで座ってりゃいい」
「……楽なものだな」
「上が苦労する組織なんてのは長持ちしねえよ」

 永井のその意見に関しては否定要素があるディルクセンだったが、この場は言葉を
飲み込んだ。
 外側の火種が飛び火しようとしているところで、内側にまで火をつける必要はない。
 瞑目しながら様々なことを考える。ディルクセンのつぶやきを聴いたものは、この
部屋には誰もいなかった。

「誰が正しいのかは、歴史が証明するものだ……」



「で、おまえは何がしたいんだ?」

 両手の串を器用に使って、程よく焼きあがったたこ焼きを返しているのは、この屋
台の主であるXY-MENであった。
 屋台の前では、出来立てのたこ焼きに舌鼓を打つとーるがいた。

「そうですねぇ。力の集中を妨げること、とでも言っておきましょうか」
「……頭使ってるんだな」
「担当部署の違いでしょう」
「でもギャラはおんなじってか?」
「報酬が発生するのは契約傭兵のあなただけですよ、XY-MENさん」

 特別風紀委員、という奇妙な肩書きのXY-MENは、有事の際に最前線に立つための盾
代わりに広瀬ゆかりに雇われた。ゆかりの独断専行の産物、ということも相まって、
委員会での評判はかなり悪い。
 だが、XY-MENにしてみれば柳に風、JJの耳に念仏といったところだろうか。
 荒事専門、という割に飄々としたスタンスを崩さずにいられるのは、芯の強さと余
裕の表れであろう。

「噂だけは聞いてるぜ。ディルクセンの生徒指導部に対抗するために、何かたくらん
でるんだろう?」
「ええ。力の一極化を防ぐために、ディルクセン先輩とは違うやり方のできる組織を
作ろうと思って」
「警備保障に頻繁に顔を出してるみたいだな」
「Dマルチさんの情報解析能力が必要なんですよ」
「……Dマルチ? Dセリオではなく?」
「はい」

 生徒指導部は風紀委員会でも武闘派と呼ばれる集団が在籍している。対抗するとし
たらそれなりの戦力をそろえなければならないのではないか?
 Dセリオが忙しいというのならば、せめて学園内でもトップクラスの剣術使い、Dガ
ーネットあたりにアプローチするのではないのだろうか。
 納得がいかない顔でXY-MENがとーるの話の先を促す。

「で、俺のところにも来たってことは、何か役割があるってことか?」
「小腹がすいたからたこ焼きを食べに来ただけだとしたら?」
「……代金置いてとっとと帰りやがれ」
「わかりました。では単刀直入に、お願いしたいことが一つあります」

 ごみ箱にたこ焼きが乗っていた紙皿と爪楊枝を捨て、ハンカチで口をぬぐうと、改
めてとーるはXY-MENに向き直る。

「広瀬委員長を守ってください。例え彼女がどのような立場に追い詰められたとして
も、彼女に対する不当な干渉を退けてください」

 これもまた意外な言葉だった。組織への参入を望まれるのかと思っていたXY-MENは、
ちょっと拍子抜けしたような、ぽかんとした表情でバカ正直に聞き返す。

「それだけで、いいのか? 本当に?」
「はい。まぁ、XY-MENさんにとって広瀬さんはスポンサーなわけですから、支払い不
履行を防ぐためにも彼女の安全は保障されたほうがいいでしょう?」
「お前のほうは手伝わなくてもいいのか?」
「私のことはご心配なく。貞本さん、宮内さんにも同じことを頼みました。なにせ、
彼女にはいまや引く手あまたですから。打てる手は打っておきたいんです」

 言外に、広瀬ゆかりの身の周りを脅かす存在をとーるがほのめかすと、XY-MENもそ
れは心得たとばかりにニヤリと笑みを浮かべた。

「人気者はつらいねえ、こういうときに」
「だからこそ、彼女には失地と自信を同時に回復していただかなければならない。無
茶な注文だというのはわかってはいるんですが」
「……おまえ、別に広瀬のファンってわけでもないよなぁ。何でそこまであの女に肩
入れするんだ?」

 何気ないXY-MENの一言だったが、問われた瞬間にとーるの肩がびくりと震えた。
 こわばった自分の顔に思い至り、とーるは代わりに苦笑を浮かべた。

「彼女は、広瀬ゆかりは、私の憧れなんですよ、同じ強化人間としての、ね」
「そーいうもんなのか?」
「そういうものなんです」

 XY-MENとて、部活帰りのmakkeiや川越たけるなどといっしょにいる新城沙織に向け
られるとーるの視線の意味のすべてをわかっているわけではない。
 だが少なくとも、そこにあるのは好意であることはわかる。屋台の客商売をしてい
るのだ。そのぐらいわからずして何がプロといえようか。
 そのXY-MENをして、今のとーるの発言、広瀬ゆかりへの思いが何を意味しているの
か、俄かに理解はできずにいた。

「ま、その辺は俺には関係のない話か」
「何かいいましたか?」
「いや、別に。ま、状況はわかった。できる範囲で俺にできることをやる。それでい
いんだな?」
「傭兵の戦力に契約以上のものを期待したりはしません。ギャランティ分、働いてい
ただければ結構です」

 冷徹に言い放つとーるに対し、XY-MENは憮然として言い返す。

「広瀬も、おまえも、俺は友達だと思っているんだがな」
「……計算以上の働きがあるならば、その場で演算値を修正しますよ」

 いうことは機械的だったが、その場で深々と頭を下げるとーるを見て、XY-MENは肩
をすくめた。
 不器用な奴だな。
 必要以上に期待はしない。それが最良の選択である、と判断したのだろう。

「肉体労働は任せておけよ。その代わり、頭脳労働は頼む」
「こちらこそ。広瀬さんのこと、よろしくお願いします」

 XY-MENにもう一度会釈して、とーるは屋台を後にした。

「さぁて、仕事仕事。おっ、初音ちゃんにゆきに来夢、たこ焼き食っていかないか?」

 屋台は今日も繁盛しているようだった。



 それから1週間後、風紀委員会の二学期最初の定例会議において、一つの議題が提
出された。

「監査部?」

 提案者はとーる。生徒指導部に続いての委員会内組織設立がその内容である。
 教室前面中央部に広瀬ゆかり委員長と貞本夏樹、向かって右隣には生徒指導部部長
のディルクセンと永井が着いている。
 指示棒だけを持つ右腕だけをマントから突き出した奇矯な姿のとーるはディルクセ
ン達のちょうど反対側、向かって左側の大型スクリーンに緒方英二に見せた組織構成
図を映しながら概略を説明していた。

「生徒指導部には問題の即時解決のため、許されている様々な特権があります。不逮
捕、強制侵入、鎮圧のための戦闘力行使など。また、風紀委員会以外にも、特権を行
使できる団体がいくつか存在します。ですが、その特権は許認可された者の自己裁量
によってのみ適用されているのが現状です。監査部はそれら特権の的確な運用の確認、
判断を主目的とした組織です」
「……回りくどい言い方だな。結局は俺たちの首に鈴をつけたいだけなんだろうが。
冗談じゃねえ」

 とーるの説明を聞きながら、誰にいうともなく永井の口からつぶやきがこぼれる。
 ディルクセンは何を言うともなく、プロジェクターの組織構成図を見ている。

「我々風紀委員会は、学生らしい学園生活を送るための模範と規律の守護者でなけれ
ばなりません。生徒指導部が秩序の破壊者を排除するためにあるならば、監査部とは、
秩序を公正の旗の元につなぎとめるためにあるのです」
「だがそれは、あくまでも風紀委員会内部だけの話だろうが!」
「風紀委員が風紀委員を裁くというのか!?」

 生徒指導部所属の風紀委員がこぞって壇上のとーるを糾弾する。
 その声を制することもせずに、とーるは説明を続ける。

「風紀委員だけにそれだけの特権を……特権を裁くことを認めるわけには行きません。
それこそ、風紀委員会の権力増大を他の組織から糾弾されることになるでしょう。そ
こで、陪臣の役割を担っていただくために、外部組織からの監査部参画を求めました。
組織構成図はこのようになります」

 プロジェクタの表示が切り替わる。
 監査部を中心に、放射状に広がる他の組織と1本のラインでつながっている。

「来栖川警備保障から、Dマルチさん」

 警備保障のアイコンがDマルチのバストアップに切り替わる。

「ジャッジより、冬月俊範さん。
 校内巡回班より、猫町櫂さん。
 暗躍生徒会より、城下和樹さん。
 情報特捜部より、長岡志保さん。
 生徒会より、藍原瑞穂さん。
 以上の方々にご足労いただき、監査を実行します」

 ここまでいいきったところで、机をバン、と大きく叩いて立ち上がる影があった。

「どういうつもりなのそれは!」

 ディルクセンの実妹、松原美也であった。

「情報特捜部が特権介入? 暗躍生徒会? あなた、風紀委員会を切り売りするつも
りなの!?」
「どういう意味ですか、それは?」
「言葉のとおりよ。片手落ちの組織に人格不適合者の寄せ集め? そんな組織に正義
があると思って!?」

 とっさに演説の効果まで考え、オーバーアクション気味に糾弾する。この兄にして
この妹あり、といったところか。
 おかげで、気おされていた生徒指導部の委員やどっちつかずの視線を投げかけてい
た一般風紀委員すら喧喧囂囂と糾弾を始めた。
 アジテートに成功したのを自覚した美也は、表面上はとーる糾弾のための怒りの表
情を崩さず、目だけで壇上中央で悄然としているゆかりと、腕組みをしてこの状況を
眺めている兄、ディルクセンを交互に追った。

 何をしたところで無駄なのよ。
 人心を掌握するには器不足のようね、お人形さん。

 そして、とどめの一撃を投げかけ、うやむやのうちにこの提案自体をなかったもの
にしてしまおうと美也が身を乗り出した、その刹那である。

「誰が、正義ですって?」

 つぶやき程度のとーるの声が、騒然としていたはずの教室全体に響き渡る。

「もう一度確認します。私は特権の正常稼動を監査するための組織を提案しているに
過ぎません。秩序・治安の維持は生徒指導部の役割であって、監査部の役割とは違い
ます」
「そっ、そんなことはいわれるまでもないわ。私が言っているのは……!」

 どこまでいっても冷静沈着。刹那、美也の目に映っていたとーるが、血の通った人
間に見えなかったのは果たして気のせいなのか否か。
 口篭もった美也の言葉を切り裂いて、とーるは言葉を継ぐ。

「正義、などという曖昧かつ相対的なものを守るために、風紀委員会は存在していま
せん。そんなものはエルクゥ同盟なり、ジャッジに守らせればいい。我々風紀委員会
が遵守しなければならないのは、秩序です。特権、という秩序公正から逸脱したもの
が的確に運用されているのか、それを風紀委員会以外の目から判断し、風紀委員会だ
けにとどまらず、学内全体を統括する。監査部とはそのためにあるのです」
「詭弁だわ! そんな判断力、一握りの生徒に与えていいはずがない!!」
「……だとしたら、生徒指導部の『強制介入』に関するすべての権限はどうなります?
第二購買部の『購買活動における授業免除』は? ジャッジに認められた簡易司法権
は? 警備保障に認められた治安維持に伴う逮捕権は? これらの特権すべては、
『生徒に対して認められた』ものですよ? あなたはこの特権すべてを否定されると
いうのですか?」

 あくまで冷静に並べられたとーるの意見に対し、美也の口からは俄かに言葉が出な
かった。

「そして、すべての特権を否定し剥奪し、風紀委員会が完全なる秩序をもたらす。そ
れはそれでいいでしょう。ですが、そのやり方は、あなたがた生徒指導部が否定した、
広瀬ゆかり委員長の独裁と変わりがありませんよ? 論旨に矛盾を抱いたまま、秩序
が守れるほど風紀委員会は甘くはありません」

 自分の名前が出された割に、ゆかりの表情には変化は見られない。隣であからさま
に狼狽する夏樹のほうがよほど哀れだ。
 そんな様を横目に見ながら、今まで沈黙を守っていたディルクセンがゆっくりと壇
上で立ち上がった。

「お前の負けだ、美也。ついでに言えば、今回の定例会は提案ではなくて確認だ。そ
うだな、とーる?」
「まぁ、そうなりますね。監査部専任の顧問として倫理社会の緒方英二先生の就任は
承諾されています。また、広瀬委員長には風紀委員会執行部の任免権込みで承認して
いただいております」
「手回しのいいことだな」
「あなたほどではありませんよ、ディルクセン先輩」

 執行部の任免権。
 よくわかっていない1年委員などがぽかんとしているが、理にさとい上級生が、

「……広瀬委員長は自分を罷免する権限を監査部に与えた?」

 ということに気づくと、その結果に騒然とする。
 監査部は、広瀬ゆかりの首を切る権利を手に入れたのだ。
 とーるがこれだけ並べあげた暴言の数々を否定も肯定もしないのは、自分自身の進
退を自分で守ることを止めた、という覚悟の表れなのだろうか?
 委員の大半があまりに多い情報量に当惑している。
『鉢がね』をつけっぱなしの生徒指導部の委員からも困惑の思考しか伝わってこない。
 憮然としている永井を横目に、ディルクセンはとーるをねめつけた。

「この程度のことでは生徒指導部は小揺るぎもせんぞ。我々は我々の道を行くだけの
ことだ、監査部長」

 びしっと人差し指でとーるを指差し、ディルクセンは強く宣言する。賛同するかの
ように生徒指導部の委員たちが立ち上がる。
 だが、とーるは眉をひそめ、苦笑を浮かべるだけだ。

「誰が監査部長なんですか?」
「貴様に決まっているだろうが。貴様以外に誰がそれを勤めるというのだ」

 鼻を鳴らしてディルクセンが言い放つが、とーるは苦笑を禁じえない。

「監査部の長は、私ではありませんよ」
「……なに?」

 そこまでいって、とーるは肩口の留め金をはずし、マントを脱ぎ捨てた。
 マントの下からは、両刃で細身の直刀を腰にはき、左の肩と胸の上に人の顔が浮き
彫りにされた甲冑を身につけた、完全装備の姿が現れた。

「私の役割はこの魔造司法官、オル・ド・コデックスを以って的確な情報を収集、提
供し、状況判断を助けることです。監査部を統括する方は、別にいらっしゃいます」

 そして、入り口の扉を開いて入ってきた一人の女生徒を見て、今日初めて、ディル
クセンは驚愕に目を見開いた。
 ゆっくりと壇上に上がるその女生徒に目礼すると、とーるは立ち位置を彼女に譲っ
た。

「ありがとう」
「では、ご挨拶をお願いします」

 彼女は、眼鏡の位置を直し、気ぜわしげに背中の一本お下げを少しだけ触ると、壇
上からすべての風紀委員に向かってまず一礼し、特徴的な神戸弁のイントネーション
で挨拶を始めた。

「今度、風紀委員会監査部長に就任いたします、2年の保科智子といいます。風紀委
員会の仕事はこれからおいおい覚えていくので、皆さんのご指導とご協力をお願いし
ます」
「ようやく、『委員長』の面目躍如ですね」
「冗談いわんといて。足げく通ってくるから、工作部の連中も図書館の常連も辟易し
てるんよ。根負けしただけや」
「他に適任と思える方がいらっしゃいませんでしたから」
「いっとっていっとって。その代わり、やると決めたんだから、ビシビシいくんで、
覚悟しとき」
「よろしくお願いいたします、監査部長殿」

 この人事を受け入れるもの、非難するもの、ただ単に驚いているもの、様々な顔が
あった。
 ディルクセンもこの情報だけは事前に察知できなかったらしく、ふてぶてしいまで
の普段の顔はなりを潜め、ぽつりとつぶやくにとどまった。

「……なんて、こった……」

 だから、その隣で目を細め、暗い炎を燃やしていた永井の視線には、ディルクセン
はついぞ気づかなかった。その視線がとーるではなく、智子に向いていたことに。