「は?………………なんだって……?」 西山英志敗退の報を聞いたときのXY−MENの反応は、それであった。 「だから、西山・柏木組が負けたって…………」 「……なんだって……?」 もう一度繰り返す。 人は、間の抜けた話だと言うだろう。 だがしかし、彼は全くその可能性を考えていなかったのだ。 彼の頭には、勝ち上がることしか……第三ブロックを勝ち上がり、その先で、 同じく勝ち上がってきた西山・柏木組と対決してこれを破る事しか無かったのだ。 他の可能性は全く考慮に入れていなかった。 自分が負けることも、西山が負けることも。 XY−MENは、その事実を受け入れるのに酷く長い時間を費やし、それから ようやくショックを受けて呆然とした。 「西山が負けた……?」 「何度も言ってるでしょう? 負けましたよ、TaS・電芹組とやりあって」 XY−MENに何度目かの繰り返しを言うと、神無月りーずはふと溜息をついた。 りーずも、このXY−MENとつき合って2年程になるからその性質は十分知っているが、 毎度毎度呆れるものがある。 りーずから見れば、全く猪突猛進もいいところと言う性格のXY−MENは、真っ正面 から体当たり出来る状況には強いのだが、肩すかしを食らった時にはこの上なく弱い。 「西山が負けた……」 もう一度呟くと、XY−MENはそれきり黙ってしまった。 傍らのレディー・Yこと仮面の篠塚弥生も、ただ佇んでいるのみで無言だ。 仕方ないので、りーずが言葉を継ぐ。 「まぁこれで、XY−MEN君の目的は達成できた事になりますね」 「オレの目的……?」 「西山君の優勝を阻止したかったんでしょう?」 「あ……そうだったな。そうか、目的は達成できたのか……」 呆けたようにXY−MENが呟く。 『やれやれ、阻止する方法なんて他にいくらでもあったんですけどね』 しかし、自ら参加して相手を倒して目的を達成する……と言う方法しか思いつかない のも彼らしい……と、りーずは腹の中で思いはした。 「それで、これからどうするんですか?」 「どうするって……」 「だって、目的を達成したなら、これ以上大会に参加する必要ってないじゃないですか?」 「あ……そうか、それもそうだよな……」 この可能性も、やはり考慮に無かったようだ。 「……そうだな、続ける必要ないもんな。 棄権しちまうか……」 まだ薄ぼんやりとした顔で、XY−MENはそう言った。 「レディーはそれで構わないか?」 「…………構いませんが」 そう言うレディー・Yは、眉一つ動かさず、不自然なまでにあっさりそれを受け入れた。 「ああ。じゃ、ちょっと行ってくらぁ」 XY−MENは、そんな事を気に留める余裕すらない様子で、大会本部へと歩み始めた。 ・ ・ ・ ・ 「なんだったんだろうな……」 ふと、XY−MENは呟いた。 またどこかの試合で決着が付いたのだろうか? 歓声の沸き上がりを耳にしながら。 テニス大会が告知され、彼がレディー・Yこと篠塚弥生とペアを組んで参加すると 決まって以来の数週間、彼はそれこそ地獄の特訓に耐えてきた。 フォア、バック、サーブ、ボレー、各々毎日何百回振ったか知れた物ではない。 基礎体力トレーニングも死ぬんじゃないかと思うほどやらされたし、イメージトレーニング は期末試験をやる時なんかより何倍量も叩き込まれた。 一限から六限まで、授業はまるまる寝ることに費やして、放課後の屋台の仕事もお休み。 空く時間は全てテニスで埋まっていたここ数週間。 全ては打倒西山に向けられていた。 「何だったんだよ、一体……」 死にそうな思い出耐えた特訓の意味は何処に? 少しずつ、XY−MENの胸の中にモヤモヤとした何かが上ってきた。 ふと顔を上げる。 そして、足が止まった。 視線の先に西山がいたのだ。その隣に楓の姿もある。 その顔を見たとき、胸の中にあったモヤモヤは、いきなり爆発した。 「西山ぁっ! 何負けてるんだよっ、西山ぁっ!!」 怒声をあげて詰め寄る。 西山はその姿を認めると、体をそちらに向け直した。 XY−MENはずかずかと歩み寄り、西山の肩を掴んだ。 「オレはお前を倒すためにこの大会に参加したってのに! そのために死ぬほど特訓したってのに! なんでお前は負けてるんだよっ! オレとやり合ってもいないのになんで負けてるんだよっ!」 掴んだ肩を揺さぶってまくし立てる。 だが、西山は揺さぶられてもまくし立てられても、強く引き締めた表情のまま XY−MENを見返すだけだ。 「こんな形で決着していいわけがないっ! こんなので勝って終わりだなんて!」 楓が何かを言いかけて口を開こうとする。 すると、それを手で制し、西山はようやく喋り始めた。 「当たり前だ。お前の勝ちであるはずがない。 俺達は、お前達より強いんだからな。 ただ、TaS達がそれ以上に強かっただけだ」 「なんだと…………」 「俺達はお前達より強いと言ったんだ」 「てめぇっ、負けておいて言うことかっ!」 「俺達より強いと言うなら証明して見せろ。TaS・電芹チームに勝ってな。 それとも、自信が無いか?」 「何でオレがそんな事する必要があるんだよっ!?お前の言葉を真に受けて!」 「ふん、目の前に残った戦いから目を背けて安全に逃げるか? …………まぁ、その程度だろうよ、所詮は」 西山はせせら笑うように言うと、XY−MENの手をふりほどいて歩み去ろうとする。 「勝手な事言うなっ! ちくしょうめっ、負け逃げじゃないかっ!」 叫んで追おうとするXY−MENの手を掴んで、楓が引き留めた。 黙って頭を横に振る。 「楓ちゃん……なんでっ?!」 拳を握り、怒りの表情を困惑に変えたXY−MENに、楓が静かに言った。 「そこ……見て下さい」 楓が指を指す。 その先には、ブロック塀があった。その一部が、自動車でもぶつかった跡のように 崩れている。 「それ、さっき英志さんが殴ったんです、思いっきり」 「西山が……?」 訊き返す。 「試合が終わった後、ちくしょうって……。 XY−MENさんと試合できなくて悔しかったんです、英志さんは」 「そんな……だってあいつは……」 「英志さん、私を誘ったときに言ったんです。 『あいつとやり合う機会をくれないか?』って。 きっと、さっきのは英志さんなりの気遣いなんです。 この大会でXY−MENさんが心残りを残さないように……」 「………………」 XY−MENは、押し黙ってしまった。 何をどう考えれば良いのかが分からなくなってしまったのだ。 西山の事、楓の言葉、棄権、これまでの特訓。 色々な事がぐるぐる頭の回って混乱する。 そんな中、ただ一つ、非常に重要な疑問を思いついたので、それを口に出した。 「楓ちゃんは……どう思う?」 「どう思うって……何がですか?」 「オレ達がここまで勝ち上がってきて……そして…………それで…………もしも…… もしかして優勝したとしたら……?」 XY−MENは、口ごもりながらそう訊いた。 大事な部分を言い切れなかったから、多分きっと大事な部分は伝わっていない。 「私達はもう負けてしまいましたから……XY−MENさんには頑張って欲しいです」 楓は、そう答えた。 ・ ・ ・ ・ そして……XY−MENはしばらくその場に突っ立っていた。 そうしてじっと考え込んでいたが、やはり頭の中は混乱するばかりで、有効な回答 は出てこないのだった。 「くそっ、どうしろって言うんだ……?」 棄権したとしても、当初の目的である西山の優勝の阻止は達成できる。 だが、何かそれが許せない気持ちがある。 許されない感じもだ。 XY−MENは苛ついた。 「ちょっといいですか、XY−MENさん?」 頭の上から誰かの声が、しゃがみ込んで頭を掻きむしっていたXY−MENに掛けられる。 頭をもたげると、愛想のいい笑顔のブレザーの男と視線が合った。 「神海先輩……? 何か用でも?」 XY−MENはこの男と面識がある。 儀式魔術にマジックアイテム販売、そして何でも屋。 Leaf学園の中庭で商売をやる人間の中でも、群を抜いて怪しげなのがこの神海だ。 その神海は、やはりにこにこと屈託の無い笑顔を浮かべて、XY−MENが立ち上がるの を待ってから切り出した。 「いや、XY−MENさんのチームが棄権するという話を聞いたものでちょっと……」 「何だよ、神海先輩まで何か言うつもりかよ? ったく、人が悩んでいるってのに……」 「ほぅほぅ、棄権するか悩んでるんですか。 ならちょうど参考になるかも知れないですね」 「何が?」 「多分、レディー・Y……いや、篠塚先生の事、知らないんだろうなぁと思いましてね」 「知らないって……何を?」 いきなり分からない話を始められて、XY−MENは少し苛ついた口調になった。 それに気付いてか気付かないでか、神海は笑顔で話を続ける。 「彼女、中学の頃は全国大会を制するくらいだったそうですよ。 周りでは「天才」なんてもてはやしていたようです。 ところが、高校以降は彼女は公式の大会に一切出場しなくなった。 ま、その辺りの事情は特殊なんで、ちょっと言えませんけどね」 「何が言いたいんだよ、先輩……?」 「一度テニスを断った人間が、こうやって大会に出る。 ……そう言う気持ち、大事にしたいと思いません?」 神海は、やはりにこにこと微笑んでいた。 ・ ・ 「……僕なりに気を使ったつもりでしたけどねぇ、どうも空振りましたか?」 そう神海に言ったのはりーずだ。 「いやはや、心遣いはありがたく思ってますよ」 神海は、相変わらず微笑みを浮かべている。 「しかし、あんな風に踏み込むなんて、君らしくないですねぇ」 「全くです。俺らしくないですね、本当に……」 そう返しながら、神海は数日前の弥生とのやりとりを思い出していた。 『しかし……なんで仮面を付けるんです? まさか、変装でもないでしょうに』 『欺瞞ですよ』 『欺瞞……ですか?』 『そう、自分自身を騙すための……』 彼女は、それ以上は答えなかった。 『ほんの一時、昔の自分に戻るために今の自分を欺くための仮面……か?』 そんな風に想いを巡らせて、もう一度言葉を繰り返した。 「全く……俺らしくない事です」 ・ ・ XY−MENが選手控え室に戻った時、篠塚弥生はレディー・Yではなかった。 仮面を外して素顔を晒し、一人スポーツドリンクを片手に立っていた。 「棄権届けは出しましたか?」 相変わらず無表情のまま、そう訊いて来る。 「いや……棄権は取り止めにした」 「そうですか…………」 XY−MENの言葉に、やはり口元だけの動きでそう答える。 それから、例の仮面をその顔に装着する。 位置を整え、仮面の奥で目を開いた。 「では、次の試合の準備をしましょう」 そうやって、何も言わずに再びレディに戻る篠塚弥生は、やはり不自然なのだった。 XY−MENもそれに気付いていた。 だが、何かを口に出しかけて、彼は口をつぐんだ。 彼女は問うても答えてくれまい。彼女は決して心情を吐露すまい。 『彼女は棄権することに反対しなかったんだぜ?』 『そう言う人なんですよ、篠塚弥生と言う人は。 彼女は、自分が望んでいる事を認めない。人に対しても、自分に対しても。 そんな彼女が、今日はひどく素直に楽しんでるように見えるんですよ、俺には。 だから…………』 「ちぇっ……」 神海の言葉を思い出して、舌打ちを打つ。 レディがそれを聞き咎めた。 「何ですか?」 「なんでもない。 ただ……そうだな、次の試合からは、全部全力でやりたい」 「……最後まで、もたないかも知れませんよ」 「そんなの構うもんか。 ただ、悔いを残さないようにやろうってだけだ」 「……分かりました。いいでしょう」 レディのその言葉を聞きながら、XY−MENはラケットを握り、振り上げていた。 「ちくしょうめっ! やればいいんだろやればっ! やってやるよ、ぐうの音も出ないくらいやってやるっ!」