彼女とそいつのあれな関係 投稿者:XY−MEN



 朝目覚めてみると、電芹は電芹ではなくなっていた。


「たけるさぁ〜ん、朝ですよぉ、起きて下さいよ〜」

「う〜ん……あともう十分〜」

 今日も今日とて、川越たけるは寝床で電芹に揺さぶられている。

「ダメですってばぁ、起きて下さいってぇ」

「う〜ん、あと半日〜」

 さりげなく剛気に要求時間を大幅アップしつつ布団を被り直すたけるでは
あるが、電芹の間断のない揺さぶり+耳元語りかけ攻撃に、少しずつ、強引
ではあるが目が覚めつつある。
 しかし、さりとて、やはり人は温かい寝床への執着を捨て切れぬが人情で
あって、殊にたけるはその傾向が非常に強い人間なのだ。

「う〜ん……あと四半世紀〜」

「腐るのも目だけじゃ済みませんよっ!」

 電芹のしつこい起床要請をのらりくらりと躱し、少しでも起床時間を遅らせ
ようとするのも、いつもの事であった。
 さて、斯様な有様であるから、電芹にも……

「いい加減に起きないと、最後の手段に訴えますよっ!」

……そう、そのような物がある。主に覚悟の方面でであるが。

「ああ、そう…………」

 電芹のその言葉を、殆ど脳味噌の入り口で追い返したような様子で、たける
は言った。
 彼女がそんな風に言うというのも、せいぜい布団をひっぺがすとか、敷き
布団を引っ張ってたけるを転がすとかその程度の物が、これまでの電芹曰く
の最終手段であったからである。
 つまりは、たけるは油断し、安心しきっていた。
 そこへ、不意を突いた形で”それ”は行われた。

ごぃぃ〜ぇぉぉん!

 その音が、一体どこで何によって起こった音なのか、たけるはしばらくの
間、理解しかねた。
 その理由の一つは彼女が直前まで瞼を閉じていた事であるが、もう一つは
彼女の額にシビれるように響いた痛みのせいである。

「あ痛いっ! いたいよいたいよぅ〜っ!
 おでこにごぃ〜んって何かがごぃ〜んっていたいようっ!」

 額を押さえてごろごろと右に左に転がって、たけるはようやくそれから体を
持ち上げた。

「うっうっ、ひどいよ〜電芹ぃ」

「たけるさんが起きないのがいけないんですっ」

 涙の滲む瞳で、言い返す電芹を見たたけるは、一応目覚めた頭に疑問符を
打った。
 はて、電芹ってこんなんだっけ?

 セリオ@電柱、略して電芹。
 たけるの見たその時の電芹は、電芹にして電芹にあらざる者であった。
 朝の爽やかな日差しの手前にあったシルエットは、上部が長方形の人型である。
 しかし、よくよく見れば、その陰影からそれは長方形ではなく、上から見た場合
円形であろう事が分かる。
 それは、高さに対して直径がやたらと大きい比率の円柱形なのであった。
 たけるは悲鳴を上げた。

「…………タライッ!?タライがタライがっ!電芹で電芹にっ!
 電芹の頭がタライでタライの頭が電芹ッッ!?」

 電芹の頭部に連結されるように載っているそれは、金属製のタライであった。
 そして悟った。
 先ほどの額への衝撃が、このタライによるものであることを。



「おはようございます」

「おは?………………おはよう」

「おはようございます」

「お…………い、いや、おはよう」

 いつもと同じ通学路、いつもと同じに進む二人。
 道行く人々が、電芹を物珍しそうに見つめている。
 だが、電芹本人は何と言う事もなく、ただ普通に歩を進めるだけだ。
 何も違わない。何も違わない電芹だ。頭のタライ以外は。

「一時間目の数学、寝たら駄目ですよ、たけるさん?」

「え……あ、う、うん…………」

 いつもの笑顔を振りまく、いつもと違う電芹。
 たけるは、その奇妙さに惑わされるように、ついついそれについて問う
機会を逸していた。

「あ……ほら、スカートがよれちゃって。……これでよし、と」

「あ……ありがと、電芹……」

「どういたしまして」

 にこにこ、と電芹は笑う。
 たけるは、何となく曖昧に微笑み返した。

 と……

「あ〜、タライです〜〜」

 無邪気に元気にそう言う声が聞こえて、たけるはびくりとした。
 電芹と共に振り返る。
 その声を上げたのは、水野響であった。
 興味の向く対象を見つけた少年の瞳は、何の悪気もなく輝いている。

「はわ〜、メイドロボさんの頭にタライが付いてるです〜、ヘンなのです〜〜」

 少年は、やはり何の悪気もなく、楽しげにそう言った。
 電芹は、呆然としていた。
 その表情は、明らかにショックを受けているそれであった。

「タライロボです〜、へんてこりんです〜〜」




 数日後、第二茶道部。

「タラ芹、茶だ」

「……はい、どうぞハイドさん……」

「うむ、ご苦労。………………そいつ、盆としては使えそうにないな」

「………………」

 ハイドラントは、茶を飲み干し終わった湯飲みを、電芹改めタラ芹のタライの
中に戻しつつ言った。

 タラ芹の頭にタライが出現したあの日から数日、彼らは表向き平穏な日々を
送っている。
 未だ奇異の目で見る者も少なくはないが、初日ほどの物ではないし、2,3日
は噂話の種にはなったが、今ではそれも途絶えた。
 所詮、この学園においては、見た目が少々変わった程度の変化などは、人々に
とって長続きする興味の対象にはならないのだ。
 デコイやYinがアフロになった時もまた、そのようなものだった。
 たった2,3日であっても、それが人の心に傷を作るには十分だ。
 だが、それだけだったらタラ芹は耐えられたかもしれない。
 彼女が受けた決定的ダメージは、お姉様と慕うHMX−13・セリオに
見限られた事であった。


「電芹……いや、タラ芹さん、あなたのようなエレガントさに欠けるメイドロボは
麗しき我らソロリティーには必要ありません。
 二度と私の前に現れないで下さい。目に障りますから」

 セリオは、突然タラ芹の前に現れこのように一言言い放つや、タラ芹の返す言葉
を許さずに、さっと踵を返して彼女の前から去ったのだ。
 Dセリオやマルチ、陸奥らの取り巻きを連れて。
 その後、タラ芹は何度と無くセリオとの面会を求めたが、取り巻きは決してそれ
を許しはしなかった。

 タラ芹は、あの日のセリオの一言以来、一度も笑ってはいない。

「ところで……ねぇ、電……タラ芹はどうしてそんな風になったの?」

「……………………」

「もうそろそろ教えてほしいなぁって思うんだけど…………」

「……………………」

 ここ数日で、何度と無く繰り返した質問を、たけるはまた繰り返した。
 だが、タラ芹は、うつむき、口をつぐんで決して答えようとはしない。

 タラ芹に何が起こったのか?
 何故それを付けているのか?もしくは付けられたのか?
 それに何の意味があるのか?あるいは意味も無いのか?それすら分からないのか?
 タラ芹は何も言おうとしない。

「タラ芹………………」

 たけるは、少し悲しそうな顔をして、その名を呼んだ。
 私たちは親友なんだから、少しくらい訳を話してくれてもいいのに……。

「ああ〜いたいた! タラ芹タラ芹っ!」

 と、どやどやとやかましく部屋に入り込んできたのは、葛田玖逗夜である。
 なにやら嬉々とした表情をしている。

「…………なんでしょう……?」

 とのタラ芹の答えを待つか待たないかの合間に、まくしたてるように喋り始めた。

「やぁやぁ遂に見つかったんだよそのタライの有効利用法がっ!
 ほらこれ見てごらんこの子は僕の親友の亀の亀金太って言う名前でね、ほらよく
あるよね亀をタライで飼うって言うの、だから君のタライをそうして使ってやろうって
ほら亀金太、君のおうちだよ〜すぐに水を入れてあげるからね〜あ、ブロックなんか
入れてやるといいよね遊ぶのにね〜あっ、タラ芹どこへっ?!」

 葛田は、自分が喋っている間、タラ芹が体をぶるぶると震わせているのに気付か
なかったのだ。
 タラ芹は、顔を手で覆って、ダっとその場から逃げるように駆け出していた。



「はぁ……はぁ……」

 タラ芹は、ふと気が付くと黄昏ヶ丘に辿り着いていた。
 ほとんど黄色に近い夕陽が、辺りを照らしている。
 そこで初めて、彼女は膝を付いて、泣き崩れ始めた。

「うっ……ううっ……」

「タラ芹〜! タラ芹〜っ!」

 ようやく追いついて、たけるはその隣に並んだ。

「はぁ……はぁ……タラ芹…………」

「たけるさん…………」

 顔を上げたタラ芹の瞳に滲む涙を見て、たけるは胸が痛んだ。

「タラ芹…………」

「放っておいて下さいっ!
 私の事なんてっ!タライの事なんてっ!」

 傷ついた頑なな少女の心を示すように、タラ芹は拒む言葉を吐く。
 横を向いたタラ芹の、その頬は震えていた。
 たけるは、その肩に手を延ばす。

「タラ芹…………」

「いやっ!」

 構わず手を延ばして、その肩を掴み、そのまま抱きしめる。

「だめだよタラ芹…………だって、タラ芹は大事な友達だもん」

「たけるさん………………で、でも…………」

「大事な友達なんだよ……。だから放っておけないの」

「たけるさ…………うっ……ううっ…………」

 たけるは、涙を溢れさせるタラ芹の背中をさすってやった。
 ぎゅうっと、上着のの裾をひっぱりながら、タラ芹は言葉を無くして泣いた。

「ねぇ…………どうしてタラ芹の頭にはタライが付いているの?
 教えてよ。ね、一人で悩むことはないんだよ?」

 瞳を見つめながら、たけるは優しく問いかける。
 しかし、タラ芹は首を横に振った。

「ごめんなさい、たけるさん……。
 言えないんです。どうしても言えないんです。
 たけるさんにも、誰にも、言ってはいけないんです、その事は……」

「どうしても……?」

「はい、どうしても。ごめんなさい……」

 すまなそうにうつむくタラ芹に、今度はたけるが首を横に振る。

「ううん……いいの、タラ芹。
 きっと大変な理由があるんだよね……。
 だったら仕方ないよ。だけどね……」

「……?」

「だけどね、私たち友達だから。
 タラ芹がどんな風だって、友達だから」

「私が……こんなタライを頭に載せていても?」

「うん、友達だもん。
 なんなら、私も一緒に頭にタライかぶっちゃうからっ!」

「本当ですか?」

「ホントだよっ!」

「たけるさん…………」

 タラ芹がたけるを抱きしめて、たけるはそれを抱きしめ返した。
 黄昏ヶ丘の夕陽は、地平線の彼方に落ちようとしていた。




 そして更に数日後。

「ねぇたけるさん、今日はたけるさんにプレゼントがあるんですよ」

「えっ、ホント? うれしいなぁ、なぁに?」

「はい、これ」

 タラ芹が出したのは、タラ芹の頭の上のと同じような、金属製のタライ
であった。

「タラ芹…………これ…………?」

「たけるさん用のタライですよ。
 私のお手製なんです。大事に使って下さいね」

 嬉しそうににこにこと笑いながら、タラ芹はそれを差し出した。

「あ…………えっと…………これって、これをかぶれって言うこと……?」

 少しひきつった笑みを浮かべながら、たけるは訊いた。

「何言ってるんですかたけるさん、当たり前じゃないですか」

 やはりにこにこと、さも当然そうにタラ芹は答えた。

「あ……うん……そうだけど…………うん…………」

 おかしい。
 何かが……何か、どこかの歯車が狂っているような、そんな違和感を感じて、
たけるはそれを受け取るのをためらった。

「どうしたんですか、たけるさん?
 早くかぶって下さいよ。私みたいに……みたいに……」

 その言葉につられて上げた視線に、タラ芹の瞳が映った。
 その瞳には……メイドロボのそれであるのに……人におそれを感じさせないように
調整された瞳であるはずなのに……狂気が宿っていた。
 蒼く凍るような色の、静かに淀んだ狂気が。

「た……タラ芹…………?」

「かぶらないんですか?
 でも、そんなの出来ないんですよ。
 だってたけるさんは約束したじゃないですか。
 自分もタライをかぶるって、約束したじゃないですか。
 約束からは逃れられないんですよ……絶対に……対に……」

「いや……こんなのタラ芹じゃない……いや……いやっ!」

 たけるは逃げ出していた。
 扉を慌てて開け放って、寮の廊下を転げるように走った。
 奇妙に、異常に静まり返った廊下で、たけるの足が床を叩く音だけが響く。

「なんで……なんでっ!」

 なんでこうなったのか?
 なぜタラ芹が狂気に取りつかれたのか?
 突然電芹の頭に現れたタライ。
 その時から何かが狂ったのか?
 あの異常な物が現れたときから、この日常の歯車が、何か狂ったのか?

 訳の分からないまま、その恐怖に駆り立てられて、たけるは走った。
 気付いたとき、そこは寮の屋上だった。

「もう逃げられませんよ…………」

 たけるはびくりとなって振り向く。
 ここまで振り向きもしなかった。
 いや、それ以前にただひたすらに恐怖から逃れるようにどこかへ走って
いただけだったから、逃げるとか追いかけられているとかすら頭に無かった。
 だが、再び、たけるはそこで恐怖に直面させられた。

「あ…………あ…………」

 腰が抜ける。
 再び、彼女にしてみれば突然に襲ってきた恐怖は、彼女に強いショックを
与えたのだ。
 もう、逃げる活力も失われた。

「さぁ……このタライをかぶって、たけるさんも私と一緒に…………」

 大きい、鉛色の鈍い光沢の器が、視界に入ってくる。
 その後ろには、顔の上半分が隠されたタラ芹の顔が見える。
 隠れていない下半分のその口元が、切れ上がるように微笑んでいた。

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁ〜〜っっ!!」
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「…………って夢を見たんです。
 私、夢診断とかした方がいいんでしょうか?」

「なんでメイドロボなのに記憶のリプレイ以外の夢を見るんだお前はぁっ!」

 ちゃんちゃん♪……でいいのか?