コ・タ・ツ Revolution 投稿者:XY−MEN


 とあるとても寒い冬の日の事。
 ダーク13使徒幹部である所の葛田と神海は、いつもの様に、彼らの拠点たる
第二茶道部の扉をがらがらと開けて、そこでふと、二人して止まった。

「おや、これは…………」

 そこには、コタツがあった。
 テーブル部分と言い布団と言い、ややくすんでいて年代を感じさせはしたが、
それでも歴としたコタツには違いない。それが、この第二茶道部のど真ん中に
安置されている。
 何ともなしに、二人は顔を見合わせあった。驚いたのである。何故なら、つい昨日
までは、ハイドラントは火鉢に炭を燃やして暖を取っていたからなのだ。
勿論、炭までも自家製である。何か、第二茶道部だけ時代が昭和初期のようであった。
そんな貧乏くさいと言うよりもまるきり赤貧丸出しの真似をしていた第二茶道部に、
忽然として文明の利器(彼らにとってだ)コタツが登場する。これが驚きでなくて
なんだろうか? 正に驚愕すべき事柄ではあるまいか。

 コタツ……コタツ……暖かいコタツ。でも、導師のコタツ……。
 二人は一瞬の躊躇と思案をしたが、その後神速の速さで行動を起こした。

「炬燵だ炬燵! うわぁ〜い!」

 言うが早いか、葛田はコタツへ向けてダッシュした。歓喜の表情も露わに。
そして、スライディングタックルの要領で炬燵布団の中へと潜り込む。
神海もそれに続く。
 そうだ、そうだとも、最早、勝手にこのコタツを使用して導師に怒られるとも
構うものか。だって、寒くて寒くてたまらないんだから。
暖を取りたい。温まりたい。ぬくぬくしたい。
それこそが、それだけが、今の彼らの欲望であった。

 大体、いくら厳しくてちょっと意地汚くて独占欲が強くて自己中心的で冷血で
あまつさえ全身黒尽くめ、頭のてっぺんからつま先まで余すところ無く黒々と、そう
黒々ばかりしている我らが導師とは言え、このくらいは許してくれるのではあるまいか?

 ついでに言うのであれば、葛田は別に、ハイドラントの怒りをその身に受けるのも
いいかも……と考えている。
 なぜならば、葛田は怒った時のハイドラントも好きである。さらには、笑ったときの
ハイドラントも好きであるし、叫んだときのハイドラントも嘆いたときのハイドラントも
驚いたときのハイドラントも好きである。要するに全部好きだ。

「はぁ〜、導師らぶらぶ」

いや、そんな事は聞いてはいない。

 まぁ、ともあれ、彼らは己の欲求に素直に従い、コタツの中へと潜り込んだのである。
だがしかし、

「ああ〜、あたたま……………………らないですね、いまいち」

「うう〜ん、どうも出力が出てないかな、これは?」

 神海と葛田はお互いの渋い顔を見合った。
 折角のコタツだと言うのに、中の空気が中途半端に温い。
 ぽかぽかとしないではないか。これではいけない。

「こういう場合はやはり……」

 そういいざま、葛田はコタツに蹴りをくれた。容赦なく。

 がしゃっ!

「こうするのが一番!」

 がしゃっ!

「手荒ですねぇ…………」

「何を言うんですか。
 機械が言うことを聞かないときの対処方法と言えばこれでしょう。
 さぁ、神海くんも手伝って下さいよ」

「はいはい、分かりましたよ」

がしゃっ!

がしゃっ!

がしゃっ!

 二人で何度となく蹴ると、突然、コタツの赤い光が明るさを増した……と思いきや、
何故か、点滅を始める。

「ええい、なかなか安定しないなぁ!」

 葛田が再び何度と無くコタツを蹴る。
 と、ようやく光の強さが固定したようだ。

「ああ、やっとか。これで温かくなれそうだ」

「随分蹴ってしまいましたけどね」

「なに、所詮ただのコタツです。
 生き物であるまいし、蹴った所で何と言うこともないでしょう」

 コタツに首まで入り込みながら、葛田はそう言って軽やかに笑った。
 
 ああ、温かい、温かい。
 人はこの暖かさを得るために、寒いという感覚を持っているのだ……。
 そんな事を思いながら、葛田は至福の心地を味わう。
 神海もまた、ふぅ……と溜息をつく。
 冷え切った体に熱が入ってくる充実感と、静けさが場を満たす。

 ……と、葛田の耳に何がしかの音が届いた気がした。
 ほんとうに小さな小さなそれは、長く続いたり短かったり、そして音程は
一定しない、妙に不安定な音の連続らしい。

「これ、何の音でしょうかねぇ?」

 神海にもそれは聞こえているらしい。
 葛田は、ふむと一つ唸ってから、その音源を探り始めた。
 右を向き、左を向き、上に下に耳をそばだてそばだてる。

「うん? もしや……」

 少々嫌であったが、こたつの布団をめくってみる。

「〜〜〜 〜〜 〜〜〜〜〜〜」

 少し音が大きくなった。
 どうやら、コタツの中が音源らしい。

「どうやら、この中から聞こえるみたいですよ」

 そう言って、葛田はコタツの中に潜り込んで、それから一度頭を出した。

「……何だろう。どうも、人の声のような……?」

「さっきの音がですか?」

「ええ。何だろう、これは?
 特に何があるわけでもないんですけどねぇ、中に」

「ふむ、どれどれ…………」

 二人してコタツの中に潜り込み始める。
 今度は、神海の耳にも例の音がはっきり聞こえ始めた。

「ね? 聞こえるでしょう」

「ええ、確かに……」

 ……ずた…ん…………うみ…ん……け…だ……は…く…ろ…………

 それは、何か、遠くから人が叫ぶのを聞いた時のように感じられる。

「どうやら、もうちょっと中央から聞こえるみたいですけど……」

「うーん、何も無さそうに見えるんですが……」

 そう言いながら、二人は更にもう少し中へ中へと這い寄っていく。
 そして、二人ともが、すっぽりと布団の内へと入り込んだその時。

………………かかったな………………

 今度は別の、はっきりした声が頭上から響いた。
 そして二人は、急速に世界が歪んでいくような感覚を感じた。
 意識が揺れる。世界が揺れる。
 そして、その中で、二人は気を失った。




 世界が揺れる。
 いや、むしろ激震する。気を失った時とは別の揺れ方だ。
 と言うか痛い。お腹の辺りが痛い。それも断続的に。

「とっとと起きろ! 起きないか葛田君っ!」

『ああ、この声……導師……導師ぃ…………』

 葛田は目を開いた。まだうすぼんやりとしか見えない目に、赤い世界が広がる。
 そして、赤い世界の真ん中に、ハイドラントの姿が見えた。

『ああ、世界が赤い……まるで夕暮れみたいに』

 そうか、夕暮れなのか……と葛田は取り敢えず合点した。
 夕暮れ時。校舎の屋上。導師と二人きり……。
 ああ、しかも、導師は上着を脱いでいる。導師の胸元が、今僕の前に……

「導師っ! 僕の処男を貰って下さいっ!」

 葛田は仰向けの状態から突然に飛び上がり、ハイドラントへと飛びつこうとした。
 これに対してハイドラントは、後ろに引いていた右足を、タイミングを計って
正確に前へとふるった。ジャストヒット。それは、飛び込んできた葛田の左側頭部
を綺麗に払って、左へと薙いでいた。
 滞空時間の前半分と後ろ半分を、ちょうど直角に交わる二つのベクトル上で
過ごした葛田は、きりもみ回転もたけなわなそのままに地面に叩きつけられて、
2,3回転転がってから、泣きべそをかきながらもあっさりと起きあがり、
ハイドラントの方に顔を向けた。
 まぁ、このあたりは慣れたるもの、タフである。

「ど、どうして…………」

 ハイドラントは冷たく細めた瞳の前に、そっと二本の指を立ててみせた。

「一つには、そんなものは要らん。二つには、嘘付け」

「ひ、酷いっ! 僕が導師のためにこの日まで守ってきた純潔なのにっ!」

「あほんだらっ! 三つ目にゃあ、んなくだらん事を言っておらんで、もうちょっと
状況を把握しないかこの戯けっ! この異常な状況が分からんのか?!」

「くだらなくないモン……」

 んがー!と唾を飛ばして喚くハイドラントに、いじけるように言う葛田。
 まぁだがしかし、取り敢えずと言うことで、葛田はそこいらを見渡した。

 赤い。そこいらじゅうが赤い。
 先程は瑠璃子萌えとして発作的に屋上だと判断した葛田であったが、こうして
見てみると、全然屋上ではなかった。なにしろ、奇妙なほど、異常なほどにここは、
平坦で広々としている。地平線らしきものはあるが、しかし、上部を覆うのは空では
ないようだ。

「あのぅ、導師……ここは一体?」

 そう言いながら、葛田は額と頬の汗を拭った。
 そういえば、なんだか妙に熱い。砂漠のまっただ中にいるようだ。
 だからハイドラントは諸肌脱いでいるのだ……と初めて気がついた。
 ハイドラントは、いかにもいらついた顔で、汗を拭いながら言った。

「コタツの中だ!」

「コタツの中?」

 葛田はきょとんとした表情を見せた。
 表情だけでなくて、仕草まできょとんとしてみせた。
 具体的に言うと、指をくわえたり女座りをしてみたりした。
 ついでに首をかしげた挙げ句、肩をせばめてついでに眉は垂れ下がり。

「ボク、分かんないですぅ〜」

 そこでハイドラントの蹴りが入った。
 ハイドラント、どうやら、いつもよりも沸点がかなり低くなっている模様。

「コタツの中だって言ったらコタツの中なのだっ!
 分かれ!分からぬなら蹴るぞ、この薔薇弟子がァ!!」

 げしげしげしげし!

 最早、これは八つ当たりでしかないと言うような量と質の蹴りを葛田にくれてから、

「ああもう、蹴るだけでも暑い!
 つまらん! こんな事ではストレス解消にならん! 止めたっ!」

などと言って、ハイドラントは蹴りを止めた。
 ずいぶんな扱いであるが、まぁ、いつもこんなもんではあろう。

『ワハハっ、もう漫才は終わりかねッ?!』

 突然、頭上から大音声が響く。

「な、なんだ?!」

 丸まってめそめそ泣いていた葛田も、体を起こして頭上を見上げる。
 皓々と照る太陽。いや、太陽ではない。丸くない。そして、赤々と光るその光源の
真ん中に、幼稚園児が描いたような、えらくいい加減な感じの顔らしき物が付いている。
 その顔の口が、でっかく開かれてガハハと笑っていた。

「な、な、なんです、あれ?」

「だから言ってるだろうが。コタツだ!」

『そうともっ! 我こそは誇り高き意志あるコタツ…………
 そう!いうなれば!インテリジェンス・コタツ!
 我が名はコタッツァ・パトリック・ヘンダースン3世枢機卿だ!
 貴様らは、我が絶対なる小宇宙の虜! 
 さぁ、怖れ、戦き、そして服従をこの場で誓うがいいわぁっ!』

「何がインテリジェンスコタツだ、ただの付喪神のくせに!」

『フハハ、実力で勝てぬから口先で負け惜しみか!
 悔しいか?悔しかろう!
 この黒づくめ!いや、既にそれでは黒太郎!もしくは黒三郎!』

「事実だけど導師の悪口を言うなのプアヌーク!」

 叫びざま、葛田は熱衝撃波魔術を上空に撃っている。
 轟音を立てて、それは目標の”顔”に命中した……が、

「あ、あれ……全然効いていない?」

『はーはっはっは!
 そんな魔術如きが、この!我がコタツスペースの中で通じるものか!』

「葛田君、残念だが、どうやら我々の魔術は奴には通じんらしい」

「ど、導師、そんな……とゆーか、何故こんな事に?」

「うむ、それがな……」

 ハイドラントが腕を組んで話す……と思いきや、

「その前に、”事実だけど”とは何事だ、この馬鹿者!」

と言ってやっぱりまたげしげしと蹴りをくれた。

「うっうっ、ど、導師ぃ〜」

 葛田の、もう既に適応しつつあると思われるおざなりな反応を見て、舌打ちを
一つしてからハイドラント、

「で、実はだな……」

と話し始めた。

 ここ数日来のあまりの寒さは、さしものハイドラントも堪えたらしく、何でも
良いから暖房器具は無いかと探すことになったらしい。かと言って、まともな
それを買う銭がある訳もなく、はてどうしたものかと思った所で、結局こういう
時は、何でも売ります何でも買いますのbeakerを尋ねるかとなり、第二購買部に
足を運んだのだそうだ。
 で、beakerの顔を見るなりハイドラントは一言、

「100円でコタツでもなんでもいいから売れ。それ以上は出さん」

なんて言うものだから、さしものbeakerもへちまの様な表情をして、「そんなもん
出来るかこの阿呆!」と言わんばかりであったようだが、そこは客商売。

「いくらなんでもそれは無理ですよ、ハイドラントさん。
 ああそうだ、取れたてのいいアフロがあるんですよ。
 こんなもんでも、燃やせばそれなりに暖かいですよ。
 それとなく憂さ晴らしになるっぽいし。
 10ダース1円でお分けしますけど、どうです?」

 なんて営業スマイルを浮かべたのであるが、当然ハイドラントは頑として
拒否し、

「コタツを売れ! さもなくば居座る! 暖かいから!」

などと言い張る。流石のbeakerもほとほと困り果て、頭を悩ませた挙げ句に、

「言っておきますけど、アフターケア無しですからね。
 どうなっても知りませんよ」

と念を押して、かのコタツを100円で売ったのだと言う。

 ハイドラントは嬉々として、重いコタツを第二茶道部に運び込み、電源を点けて
潜り込んだのであるが、どうも今一つ暖まらないのでついつい、

「うむ、やはり、機械が言うことを聞かん時は、蹴るか殴るかだろう」

だそうである。



『愚か者どもが!
 この偉大なるインテリジェンス・コタツのコタッツァ様を足蹴にするなど、到底
許すことは出来ぬぞ! さぁ、泣いて土下座せい!」

 頭上の顔が、ぎゃーぎゃーと喚く。

「……で、結局、あれは何なんですか、導師?」

「だからな、要するに、長い年月を経た古いコタツが、意志を持った上に変な
能力を手に入れたものらしい」

『変な能力とは笑止!
 その変な能力で縮小化され、捕らえられておいて言う事ではないわぁっ!』

「ええい、人の説明台詞にいちいちうるさく茶々入れるなっ!」

「あの、縮小化されてと言うのは……?」

「見れば分かるだろうが! 俺達はちっちゃくなっちまったんだよ!」

 そう言われて、葛田はもう一度周りを見渡した。
 なるほど、地面の割に柔らかいこれはコタツのマットで、周りの赤い空は掛け布団で、
あの変な顔はコタツの灯な訳だ。
 それにしても、確かに随分ちいさくなっているようだ。多分、今の葛田達はダニ
程度の大きさなのではないだろうか。

「はっ! 小さくなったって、もしや!」

 葛田ははっとするや、慌ててズボンの中身を見た。

「ああよかった、ここは小さくなってないですね☆」

 葛田がにっこりとした笑顔を上げるのと、それにハイドラントの後ろ回し蹴りが
決まるのは、恐らくは同時だったろう。

「ともかく、そう言う訳だ葛田君。分かったか?」

「はい、分かりましたぁ導師」

 葛田は鼻血を出しながらも、ハイドラントの問いに、にっこり笑い掛けて言った。

「つまりぃ……」

「つまり?」

「…………謝りましょお」

 その笑顔にハイドラントの踵が沈んだのが早かったか、それとも「馬鹿者!」と
叫んだのが早かったか。さてもともかく、またしても泣く葛田。

「ダーク13使徒の辞書に、謝るの文字はないっ!」

「そ、そんな事初めて聞きましたけどぉ……」

「辞書は改訂されたのだ! たった今!」

 そう言って、ハイドラントは昂然と胸を張った。
 そんなハイドラントに、

「うう、横暴なお人……でもそんな所もステキ……」

と、葛田は頬を染めたが、その反応はかっきり無視された。
 それは、

「それはともかく、一体どうするおつもりなんですか、導師?」

てな具合に、横合いから神海が声を掛けたせいであるし、せいでないのもあるが。

 ともかく、葛田はちょっと……いや、かなり恨めしい気持ちになった。
 実は、『神海君がいなければ、導師と二人きりだったのに…………』と、思ったせい
もあるのである。先程からの、ボケる・蹴る殴るの応酬も、段々快感になってきていた
葛田である。そう、正に、「二人でドアを閉めて二人で名前消して」と、松○しげ○
の歌声が脳内でリフレインしていた葛田であるので、その分、ハイドラントとのコンビ
ネーションアタック(誰を攻撃するのだ?)を封じる神海の存在がナンであるのである。

「神海君、いたのね……」

「いましたよぅ……お二人の話が終わるのを待っていたんじゃないですか」

 苦笑する神海に、葛田の更なる一言。

「全然気付かなかったよ…………」

「ひ、酷いですねぇ、師兄…………」

 笑顔をひきつらせた神海に、葛田が真顔で言った。

「ねぇ、これって僕が悪いのかな、神海君……?」

「え…………?」

「気づけなかった僕が悪いのかな? ねぇ?」

 そして、少々の動揺を受けた神海に、ハイドラントの止めの一言。

「うーむ、しかし、俺もすっかり神海君がいた事を忘れていたな、うむ」

 がーん、と擬音一つ。

「…………どうせ私は存在感薄いですよ…………」

 とうとう、神海は膝を抱えていじけはじめてしまった。
 ハイドラントと葛田は、ばつの悪そうな顔を見合わせた。

「あー、神海君、俺が少しだけ悪かったかも知れないような気が、どこからともなく
湧いてくるようなそんな今日この頃だ」

 ハイドラントのこれは、一応謝罪の言葉らしい。

「僕も、神海君に与えられた一抹の衝撃に関して、一欠片の要因となる言動をした
ような気がしないでもないなぁ……」

 葛田のそれは、どっちかと言うと責任逃れの言葉のような気がしないでもないが。
 しかし、二人の慰め?の言葉にも関わらず、神海は膝を抱えたままである。

「私は……私は要らない使徒なんだ…………」

 ここで、常人ならば更なる慰めの言葉の一つでも掛けよう。しかし、彼らはダーク13
使徒であり、ハイドラントはそのダーク13使徒の首長であり、また、それ以前にハイド
ラントはハイドラントである。

「本当に要らなくしてやろーか、うん?神海君……」

 とてもとても優しい声音でそう言った。
 彼にこの言葉の説明を求めたならば、彼は「このような安息の得方もあるのだ」とか
分かったような分からないような事を適当に言うのだろうし、その是非を問うたならば、
一言「武士の情け」と言って、それを優しさと断ずるに違いなかろう。
 もっとも、今回は実に幸いにも、その”優しさ”は功を奏する事無く終わった。

「う、嘘です…………男神海、この命尽きるまで、粉骨砕身ダーク13使徒の為に
働くであります!」

 背筋に刃を突き付けられるような気分──と言うか、本当に突き付けられていた
──とともに、神海はシャキッと立ち上がり、踵を揃えて気をつけして敬礼態勢を
迅速に取った。それを見やってからハイドラントは鷹揚に頷いた。

「うむ、よろしい。
 では、今後の作戦行動を発表する!」

「あ、はぁい〜」

「はッ!」

 神海は、尚もシャッキリと背筋を伸ばしたままである。

「現在までの状況から、我々の攻撃では敵を屈服させる事は容易には適わぬと
言うことが判明した! よって、この後の我々が取るべき行動は一つ!」

 拳を握り、身を乗り出して熱弁する。
 思わず知らず、二人も同じ様な態勢になって、聞き入った。
 と、

「逃げるんだよォォォ〜っ!!」

 ハイドラントは突如きびすを返し、走り出してしまった。

「ああっ! ジョセフ・ジョースタぁぁぁぁっ?!」

 ずっこける葛田。
 こんな時にも、取り敢えずちゃんとずっこけてみせるその態度は、それはそれで
偉いのかも知れない。
 神海の方は一瞬唖然としてから、一生懸命それを追いかけ始めた。



 赤い赤い熱い光の元、柔らかいマットの上を、三人はどこまでもどこまでも、長い
長い時間の間、ひたすらに駆けて行った。ひたすら駆けてひたすら駆けてひたすら
駆けて駆けて、そして…………

「どーしていつまで経っても端に着かんのだっ!?」

やっとそれに気が付いた。

『はぁ〜っはっはっは! ようやく気付いたか、馬鹿者どもめ!
 無限ループしてるに決まってるじゃん』

 頭上で”顔”がへらへらと笑っている。

「こっ、このくそ炬燵め…………」

 ハイドラントはこめかみに血管を浮き立たせつつも、流石に何十分(彼の時間感覚
によるとだ)と、この蒸し暑いコタツの中を走り続けたせいでかなりへばっており、
それ以上の何かをしはしなかった。
 神海もかなりへばっているし、葛田に至っては倒れ込んだまま起きあがる様子も
全くないほどにグロッキーである。

『ははははは! そろそろ屈服しようと言う気持ちになってきたかねっ?!』

「誰がっ!」

 ぜぇぜぇと喘ぎながらも言い返すが、さすがに力がない。

「ど、導師……もうやめましょうよぉ……」

 葛田が、倒れたままの姿勢で弱々しくそう言う。

「馬鹿者、諦めるな! 諦めたらそこで終わりだぞ!」

「し、しかし、もう手がないじゃないですか、導師……」

「いや、まだある! きっと誰かがまたこのコタツに入る!
 その時に助けを呼ぶのだ! それに賭ける!」

「……それって、もしかしなくても、私達の時と同じ結果になるんでは……?」

 ハイドラントはぐっと詰まったが、拳を握り直して言ってみせた。

「そうならないように!」

「ならないように?」

「腹式呼吸だ! 吸って吐いて吸って吐いて! 腹の底から声を出す練習!」

「そ、そんな事をいまさら…………」

「ええい、文句を言ってないでやるのだ! あーあー、あーあ゛ーあ゛ー!」

「…………あーあー、あーあ゛ーあ゛ー!」

「ほら、葛田君もっ! あーあー、あーあ゛ーあ゛ー!」

「ううっ……あーあー、あーあ゛ーあ゛ー!」

「あーあー、あーあ゛ーあ゛ー!……おや?」

 その時、神海はふと、微かな震動を体に感じた。

「どうした神海君?」

「いえ、この震動、もしかして…………」

 その震動は、少しずつ大きくなって、その震源が近くなって来ている。
 そして、それが止まったかと思うと、突然強烈な風が吹いた。
 見れば、前方のコタツ布団が空いているではないか!

「おおっ! 来たぞ来たぞ! 助けが来た!」

 ハイドラントが歓喜して……それから、唾をごくりと飲み込んだ。
 コタツの中に入って来たのは、黒いタイツを履いた女性の足だったからである。

「こ、こ、これは……弥生さん…………か?」

 そうだろう。そうに違いない。
 この、ふっくらとした太股のラインは、大人の女性のそれであり、ダーク13使徒
で、こういう艶っぽい太股のラインをしている人と言えば、篠塚弥生その人以外は
考えられないのである。
 それにしても壮観であった。視界一杯を埋める、黒タイツに包まれた巨大な太股。
 ハイドラントは思わず知らず、視線をその足の指先から始まり、腿を伝わせ、太股へ
と至らせ………………そこで、葛田に尻をつねられてはっと我に返った。

「い、いかん、こんな事をしている場合ではなかった! 助けを呼ばねば!
 弥生さん! 弥生さーん! やーよーいーさーん!」

「弥生さぁぁぁん! 助けてくださいぃぃぃ!」

 叫び始めるハイドラント。葛田もそれに倣う。
 しかし、神海だけは何故か黙りこくったままだ。

「弥生さぁぁぁん! 気付いてくれっ! 弥生さぁぁん!!
 神海君、何を黙っている! 一緒に叫ばないか! 神海君!」

 そう言われてもなお、神海は黙っている。
 見れば、心ここにあらずと言った表情で、ぼうっと弥生の太股に魅入っている。
 ハイドラントははっとなった。

「神海君? どうした、神海君!」

 やがて神海は、ふらりと動き出した。
 それから、両手を高々と揚げ、静かに弥生に向かって走り出す。
 そう、あたかも、ゴールテープを切るマラソンランナーのように。

「神海君?! 神海君やめろ! よすんだ! それ以上近付くと危険だ!」

「導師、追っては駄目です! 導師の身にまで危険が!」

「神海君、行くなっ! 戻るんだ、神海君!!」

 神海は両手を上げたまま、軽快な足取りで弥生に向かって近付いていく。
 その時、まるで計ったかのように……弥生はその足を組み替えた。
 もちろん、彼女にとっては、ほんの身じろぎの一つに過ぎない。
 だが、そのほんの身じろぎ……つまりは、足の位置を上下左右の運動によって
変更すると言う行動のうちの上下の運動は、神海に過酷な結果をもたらした。
 まるで取り憑かれたかのように軽快に走り続けた神海の頭上に、彼を魅入らせた
その魅惑の太股は、非情な一撃を見舞った。そう、まるで、ロープを切られた
ギロチンの如く。
 巨大な太股が墜ちてくる衝撃と轟音の中、ハイドラントは、神海がその下敷きと
なって無惨に潰される光景を確かに見た。

ぷちっ。

「神海くぅぅぅぅぅんッッッ!!」


 それから数分後、弥生はコタツを出ていった。
 彼女は校内放送によって呼び出しを受けたのであるが、コタツの中の三人がそれを
知る由もない。
 ハイドラントと葛田は、既に虫の息の神海に駆け寄って、彼を抱き上げた。

「しっかりしろ、神海君っ!」

「ど、導師…………」

 神海は、虚ろな表情を微かに笑顔に歪めて親指を立ててみせた。

「男の本懐…………ここにあり」

 その一言を遺すと、神海の体から、がくっと力が抜けた。

「神海君っ?! 神海君っ?! 神海くぅぅぅんっっ!!」

『フハハ、私に逆らった者の末路とはこのようなものよ!
 貴様らも、そろそろ諦めて私に屈服するのだな!』

 コタツが頭上で大笑する。
 ハイドラントは拳を握り、叫び返した。

「黙れ! 俺は、俺達は決して負けはしない!」

『フフフ、その彼の犬死にの様を見てもなお、まだそのような言葉を吐けるか!』

「違うっ! 神海君は決して犬死になんかではないっ!
 見ろ、この神海君の安らかな死に顔を!
 この顔が、我々に生き延びろと言っているッ!
 神海君は、我々にそのメッセージを伝えるためにこそ死んだ!」

「なーんか、全然そんな気がしないのは気のせいですか、導師?」

「気のせいだッ!!」

 ちなみに、神海は気絶しただけなのだが、その辺は完全に無視された。

『ハハハハハ! 未だ諦めないか、しぶとい事よ!』

「あきらめはしない……なぜなら、俺には聞こえるからだ。最後の希望が近付いて
来るのが! 聞こえないか? あの音が…………!」

 ハイドラントがびっと指さした先から、そう、確かに足音が近付いてくるのが
聞こえる。

「ど、導師……!」

「うむ、葛田君!」

 二人は頷きあった。
 今度こそ、このチャンスを逃してはならない、と。
 そして、懸命に叫び始めた。

「うおおお〜い!! そこにいる誰か! 俺達を助けるのだっ!!」

「助けて! 助けて下さいぃぃ〜〜っ!!」

 しかし、所詮、ノミ大の大きさしかない今の彼らの事である。足音の主は、それに
全く気付いてはくれない。
 やがて彼はコタツに入り、腰まで中に入り込んだ。なおも二人は叫んだが、やはり
声は届かない。
 しばらくして、足の主は、なにやら馬鹿笑いを始めた。
 ハイドラントは、わなわなと拳をわななかせた。

「ええい、この不心得者めっ! 首長の危機になんら勘付かぬとはっ!」

「導師っ! この上は仕方ありません。少々手荒な方法で気付かせるしかっ!」

「うむ、こうなれば止むを得まい…………。
 ならばいくぞ! 神威のSS裏技! 黒破ッ雷神槍ぉぉぉ!」

 ハイドラントの手の中に、薄暗い色をした闘気と、それを覆う電流が膨れ上がっていく。
 それがやがて筒状の姿へと変貌した所で、ハイドラントは投擲を敢行した。


 さて、一方コタツの外側。
 今し方コタツに入ったその人は、平坂蛮次であった。
 彼はは横向きに寝そべり、左手でポテトチップスの袋をまさぐりつつ、右手で
ギャグ漫画のページをめくる態勢を取っていた。
 その足の裏が、突然強烈に痺れた。
 ハイドラントの黒破雷神槍が命中したのである。
 突然の衝撃に平坂は、

「うおおっ?!」

と叫んで、体をのけ反らせた。
 その時、ついでに彼の腹筋にも力がこもった事は間違いない。
 平坂は、そして、盛大な放屁をした。


 戻ってコタツの中。
 黒破雷神槍を放ったハイドラントは、それが平坂に確かに命中したのを確認して、

「どうだ!」

と叫んだ。
 この「どうだ!」には大した意味がこもっている訳では無かったが、しかし、それに
対する答えは、ワンテンポの後に返ってきた。

ぼふぅ〜〜〜〜う!

 巨大な、そして酷く長い破裂音が、周辺に響いた。
 それが何の音であるのか、葛田は瞬間的には悟らなかった。
 しかしハイドラントは、それを聞いたほぼ直後に、平坂の足に背を向けて、全力で
もって走り出していた。

「あ? ど、導師、どうなさったんですか?」

 唖然としたまま、駆け去るハイドラントを眺めていた葛田も、やがて己の周辺に
漂いだした異臭に気付いたが、その時には既に遅かった。

「こ、これは……うっ……ぐっ…………く、くさ…………」

 それが、葛田の断末魔だった。
 葛田は自分の口元を手で覆ったまま、仰向けにばったりと倒れ込んでいた。

 ハイドラントは逃げた。ただひたすらに逃げた。
 音もなく、姿も見えぬ追跡者から、必死に。

「こんな所で死ぬか……死ねるものかっ!!」

 平坂からなるべく遠ざかる事が出来るなら、もしかしたら、彼の屁もやがて拡散し、
臭いも消えるかも知れない。だから、ハイドラントは全力で駆けた。
 だが、駆けて行くうちに気付いた。そう、前方の、目指すコタツ布団までの距離が、
一向に縮まらないのだ。

『だから、無限ループしてるって言ってるのに……』

「しまった?! ぬ、ぬかった!」

 頭上から聞こえた絶望の声に、ハイドラントは呻いた。

「な、なんと言うことだ……こ、この俺が…………」

 やがて、彼の周辺にも、異臭が到達し始めた。
 手で口元を覆っても、それは焼け石に水であった。
 その強烈な、硫黄に似た刺激臭は、ハイドラントの嗅覚へと強烈な打撃を与えた。

「な、なんと言う臭さだ………………」

 鼻孔を突く激臭の中、ハイドラントは昏倒した。



『フフフ……私に逆らうからこうなるのだ……』

 コタツは、その、幼稚園児が書いたような顔を歪めて笑った。
 彼の視線のもとには、マットの上、ハイドラントに葛田、そして神海が各自それぞれ
にそれぞれのポーズで倒れ込んでいる。正に勝利の絶景であった。

『それにしても、あのしぶとかった男が一瞬で気絶するとはな』

 そう思ってみると、彼の中にふと好奇心が芽生えた。

『一体、どれほどの凄い臭いだと言うのか?』

 彼にも、一応嗅覚に近い能力は備わっていた。

『ふむ、ふむ…………』

 彼は驕っていた。
 それは、長い年月の間コタツとして生きてきて、幾千幾万の放屁や足の裏の臭いを
嗅いできたが故の自信であった。

『ふむ……なるほど、これは臭い』

 しかし、今の彼にとっては、それは災いした。

「う……臭い。てゆーか臭い。物凄く臭い。臭い……臭い!」

 彼は動転した。
 これまで、どんな臭いにも耐えてきたはずの自分が耐えられない臭いなど、決して
ないはずだった。だが、この臭いは、その自分の耐久力を遙かに凌駕して、遙か天空
の頂きに超然と君臨するかのように、圧倒的で強圧的であった。

「うぇ……き、気分が……ぐふっ!
 ば、馬鹿な……このコタッツァを……ここまで…………嘘だ……このくささ…………」

 コタッツァのプライドは、脆くも崩れ去った。
 そして、間もなく、コタッツァもまた前の三人と同じく気絶した。





 この直後、縮小化が解かれたダーク13使徒の三人は、平坂蛮次によって発見された。
 その後、かのコタツが第二購買部へと返却され、ハイドラントの手元に100円玉が
返って来たことは言うまでもない。
 なお、平坂は、なんだか知らないけれど、ハイドラントに殴られた。

 そして、第二茶道部は今もなお、火鉢に炭で暖を取っていると言う。