目覚めた運命 投稿者:XY−MEN




 その人は、日だまりの中にいた。
 喧噪から外れた学園の奥の庭で、ベンチに腰掛け、静かな空気の中にとけ込むように、
穏やかに佇んでいた。
 少年は、彼の柄にもなく、慎重にも思えるゆるやかな足取りでその場所へ、彼女の佇む
その場所へと歩み寄った。
 少女が少年に気付く。視線が交わる。
 ぱちぱちと少女が瞬きをして、かすかに目元を緩めるようにして、それから小さく語り
かけた。「お元気にしてましたか?」と。
 少年は、すぅ、とほんの少しだけ息を吸いこんだ。たった一言だったが、それだけで二
年の時間の隔たりが消えたような気がした。彼は、彼女のことをほんの少ししか知らない。
ほんの少しの間しか共にいなかった。だがそれでも、その少しの間に知った彼女が、彼女
の優しさがその時のままに、今ここにいるのだと感じて嬉しかった。
 だから少年は、一生懸命にはにかんで答えた。

「ああ……。元気だよ。ずっと元気だった。
 君のおかげで……だから……元気だった」




           【  目覚めた運命  】





 ゆるやかに風がそよいで、ベンチに座る二人の、銀の髪と黒の髪を揺らした。

「まったく。相変わらずりーず君は人が悪いぜ。
 君がこの学園にいるんならそうと、最初っから教えてくれりゃいいのによ」

 少年……XY−MENはそう言って笑う。それからあ、とふと気付いたように、

「そういや、年上だったんだな。君ってーのはねーか。
 芹香先輩、でいいかい?」

と言った。
 少女……来栖川芹香は、それに応えて静かに頷いた。

 二年前、偶発的に発現したXY−MENの能力。それを持て余して放浪していた彼に、
救いの手を差し伸べたのは芹香だった。
 芹香に救われて、だけど別れて、そして二年。XY−MENが試立Leaf学園に転入して
から一週間。二人は再会した。

「……また会えて、よかった。
 芹香……先輩が元気で、ほんとうによかった」

 そう言って、XY−MENは芹香の目を覗き込んだ。
 芹香は逆にXY−MENの目を覗き込み返す。一拍の間が流れる。
 それから、「お体は大丈夫ですか?」と、芹香は訊いた。

「ん? 体って……元気だけど?」

 XY−MENの無造作な答えを聞いてからまた一拍、芹香は今度は、「あなたの能力は、
大丈夫ですか?」ともう一度訊いた。XY−MENは、少し視線を落として、答える。

「……ああ。そっちも大丈夫。
 先輩が助けてくれたあの時から、オレ、力はちゃんと使いこなせているよ。
 それに、出来るだけ使わないようにしてるしさ」

 XY−MENのその答えに、芹香は「そうですか……」と返すと、そこでふと何かに沈
思するように黙る。

「……どうかした?」

 XY−MENから声を掛けられて、ゆっくりと顔を向け直して、そこで芹香は再び彼に
問いかけた。「あなたはあなたの能力をどうしますか?」と。
 XY−MENは「ん……」と唸るようにしてからそれに答える。

「できるだけ、オレが獣人だってことは人には知られないようにするよ。痛い目にあって
いるもんな。どうしようもない時だけだ、”銀狼”になるのは」

 その言葉を言う時にXY−MENの顔が幾分か引き締まったのは、過去の嫌な記憶を思
い出したからだ。芹香と出会う前、獣人だからと追われ続けた時の事を。
 芹香に助けられ、力を制御出来るようになった後、XY−MENはその力を積極的には
使っていない。本来の能力を使い切らない半獣人の状態ならば、服装次第で身体の変化を
隠す事が出来る。その程度の力ならば使ってもいい。しかし、全ての力を使い切るならば、
彼は化物とならなければならなかった。獣人……銀の人狼の姿に。それは、人の中に晒す
には異形でありすぎた。

 XY−MENの答えを聞いて、芹香は頷いた。「そうですか……」と。だが、その後に
「でも……」と付け加える。怪訝そうな表情をするXY−MENの瞳を見つめながら、彼
女は言った。「この学園にいたら、自分を隠すのが馬鹿馬鹿しくなるかもしれません」と。
 彼女は、ほんの少し微笑んだようだった。




 幾時間かが経って。
 XY−MENは中庭に開いたたこ焼き屋台の中で、黙々とたこ焼きを焼き上げていた。
 もう午後五時半を回っている。日はもうすぐ大地の陰に落ちる。今日はよく晴れていた
から、夕日は鮮やかなオレンジ色で空を染めていた。校庭や校舎を見渡してみても、もう
人影はまばらだ。部活に出ていた連中も、そろそろ大方は帰るか帰り支度をしていること
だろう。

『隠すのが馬鹿馬鹿しくなる……ね』

 芹香の言葉を反芻する。彼女の言いたい事はなんとなく分かる。転入して一週間経つが、
その間何度となく驚いた、というよりも半分は呆れた。魔術師は平気で魔術を撃ちまくっ
ているし、銃器を平気で使ってる奴もいる。自動車より速く走る奴もいる。全身サイボー
グになった奴が、武装したメイドロボと決闘までしている。普通じゃない人間が多すぎる
のだ。

『あの西山もだよな……』

 転入早々に喧嘩をした男子生徒である。彼は途方もなく強かった。人智を越えたような
とすら表現できるほどに強かった。XY−MENは、半獣人状態での戦いとはいえ、彼の
前に手も足も出なかったのである。

『ありゃ本当に人間じゃねぇ。まともなもんじゃねぇ。
 銀狼に変身したとしても勝てやしねーぞ』

 その出来事を思い出すと、胸の底に悔しさが滲み出してきた。西山英志は、彼にとって
いわば恋敵であった。その男に遅れを取る事は、彼にとっては許せなかった。あるいはた
かが喧嘩一つに負けたことなどは、実際には恋の鞘当てに関係ないものなのかも知れない
が、これは彼の気の持ち方の問題だった。いつかあいつを倒してみせる、とそう思うこと、
既に何度目か。

『だがそのためにゃあ、もっと力を使いこなさないとダメか』

 使いこなすためには慣れなければならないが、しかし、やはりXY−MENは、自分の
本来の力を積極的に使う気にはならなかった。己が異形であるということは、重い。

『……隠すことが馬鹿馬鹿しくなる、ね……』

 そしてまた、芹香の言葉へと思考が戻った。自分が、自分の力……銀狼の力を隠さずに、
生きていく……そんな事が出来るのだろうか? 人と人の間で、あくまで人のものでない
力を持つ者として。XY−MENは、俯いて思考に浸る。と、

「XY−MENさん……」

 すぅ……と、透き通るような声が聞こえてきて、XY−MENは思考から脱した。

「あ、ああ……」

 声だけでその主が分かったから、慌ててどぎまぎとした返答をする。いつのまにか、屋
台の前に一人の少女が立っていた。切りそろえられたおかっぱと、端正に象られた瞳の美
しさが、やや近寄り難い雰囲気を作っている、綺麗な少女だった。

「ああ、楓ちゃん……」

 少女の名を呼んで、ややぎこちなく笑う。XY−MENが銀狼としての姿を彼女に知ら
れてから二日。その間、彼女とは会話を交わしていない。彼は迷っていた。悩んでいたの
である。自分の力の事を、自分の恋焦がれるこの少女にどう伝えればいいのか。自分が人
ならざる力を持っていること。人ならざる姿となる者であること。そのことを、彼女はど
う思うであろうか、と。XY−MENは基本的に楽天的な性格をしていたが、こと彼女に
対する時と、自分の力に関することでは例外であった。
 XY−MENは狼狽して、何から言うべきか迷っていた。
 結局、先に口を開いたのは柏木楓の方だった。

「あの……」

「う、うん、何?」

「一箱……ください」

「え?」

 予想したものと違う言葉に呆気に取られたXY−MENだったが、とりあえずは楓の言
葉に従って、やるべき事をやることにした。

「あ、ああ……まいどあり」

 脇に積まれていたたこ焼きの一箱を、そっと楓に渡した。
 XY−MENは、彼女に怖がられるのではないかと危惧したが、楓は自然にそれを受け
取り、何気なく百円硬貨三枚をXY−MENの手の平の上に置く。
 それから、箱をおもむろに開けて、爪楊枝を手にすると、たこ焼きの一個を口元に運ん
だ。XY−MENは、何か言うべき言葉をなくした様子で、楓が静かに咀嚼する様を見つ
めていた。
 楓は、一つ目のたこ焼きを食べ終えると、その視線を再び上げた。
 そして、一言、つぶやくように言う。

「あなたは……エルクゥではなかったのですね」

「エルクゥ……?」

 エルクゥとはなんだったろう?
 楓の意外な言葉に戸惑いながら、その言葉についてXY−MENは思考を巡らせた。
 エルクゥという言葉は、確か聞いた事がある。それも、転入してからの一週間の間にだ
と思う。エルクゥ同盟……そう、そんな言葉を聞いた。何かの集団らしいが、何の集団な
のかは知らない。エルクゥというのが何を意味するのかもやはり知らない。

『オレがエルクゥでないって……どういう意味なんだ?』

 XY−MENは、楓の顔を見つめていた。




 同じ頃。
 西山英志は、柏木初音とゆきを伴い、第一茶道部の庵を出るところだった。
 この日、西山はかねてから望んでいた上質の茶葉の取り寄せが叶ったので、その一部を
柏木家に譲るべく、初音を第一茶道部に招いたのである。ゆきはその付き添いであった。
 生憎と、楓は用事があるということで同席しなかったのが西山には残念だったが、二人
を庵に迎え、新茶を点てて穏やかな夕の時間を過ごせたのは、彼にとってそれなりに満足
な事だった。

 第一茶道部を出た三人を、夕闇が迎えた。
 傾いた夕陽が、建物や木々の影を大きく長く引き延ばして、地面は陰に覆い尽くされよ
うとしている。夕日のオレンジと陰の黒の二色が、世界を塗り尽くしている。

「新しいお茶、とってもおいしかったね」

 にこにこと微笑んで、初音がそう言った。
 背負ったバッグには、西山から受け取った茶葉を詰めている。彼女は、その茶を家族に
振る舞うことを、今から楽しみに思っているようだった。

「そうだね。僕、お茶なんて全然詳しくないけれど、また飲みたいと思ったし」

 初音と並んで歩いているゆきが相づちをうつ。
 もっとも、彼にとっては初音と同じ時間を過ごせた事の方がよっぽど重大だったろう。
 お茶がどうとかというよりも、初音の笑顔を見ることが出来たことの方が嬉しい、とい
うように西山の目には映って、思わず口元をほころばせた。そして、並んで歩く二人の前
に出て、静かに歩を進める。

 西山英志、そしてゆき。ともに、四百年前にこの地球に落着した異星の民、エルクゥの
血を受け継ぐ者であり、エルクゥの皇女たちを護る姫護・エルクゥ同盟の役目を負った者
である。もっとも、西山は今は引退し、己の弟子である風見ひなたに、柏木楓の守護・キ
ング・オブ・エディフェルの座を譲ってはいるが。

 学園構内の道のりを、三人で進む。人影は、既にこの辺りにはない。
 学園敷地内では、第一茶道部はその外れにあると言える。周囲には第二茶道部くらいし
か建物がなく、あとは木々が生い茂るばかりだ。
 先ほどまで後ろの二人の和気藹々とした会話を聞きながら、静かに微笑んでいた西山で
あるが、次第次第にその表情は引き締められていた。顔は正面に向けたまま、視線は固定
せずに左右に広げる。聴覚は全ての方位を捉えるように。呼吸は深く静かに。全ての気配
を漏らさぬように察知する。彼は確信を得た。

「ゆき……初音を護れ」

「え?」

 初音と談笑していたゆきが、間の抜けた応答を返す。

「初音を護れ……!」

 西山の二度目の言葉で、ゆきは初めて身を固くした。
 それと前後して、道の左右の林から何かが、いや何かたち、が姿を現し出す。
 背の高さは、おおよそ人の腰くらいか。

「キ……キ……キ……」

「ギィィ……ギィィ……ギィィ……」

「グ……グ……グ……」

 気色の悪い、悪意に満ちた鳴き声を周囲から浴びせかけながら、それらは三人の周囲へ
とじりじりと寄ってくる。そして、その後ろから後ろから、湧くように同じ影が続いてく
る。五匹、十匹、二十匹……まだ増える。

「な、何? と、とかげ……?」

 初音の言うとおり、それは蜥蜴に近い生き物だろう。学術上で言えば、は虫類に分類さ
れるのは間違いない。だが、少なくとも西山は、こんな生き物を知らなかった。そして、
何よりも自分達に向けられた殺気の禍々しさが、この生き物が自然界のものではないのだ
と確信させた。これは、魔物だ。
 茶褐色の体皮をした、後ろ足で立ち上がった蜥蜴……ラドゴンの群れは、なおも包囲の
輪を縮めていく。飛びかかって来るのも時間の問題だった。

「ゆ、ゆきちゃん……」

「僕の後ろに隠れてて!」

 初音を背に匿い、ゆきは手にしたビームモップをぎゅっと握りしめた。
 西山も、呼吸を整えつつ、体の左を前にし、構える。
 どこから飛びかかられても対処出来るよう、体から不要な力を抜く。
 左右に視線を飛ばし、蜥蜴の群れを威嚇しながら、西山は脳の片隅で思考していた。
 この化物の群れは……誰かの差し金なのか?




 同時刻、職員棟・リズエルの正面玄関からは、柏木千鶴校長が帰宅の途に就こうとして
いた。下駄箱から、上履きと交換にハイヒールを取り出す。それを床に置いて、足を差し
込んだ。
 入り口の向こうの夕焼け空を見上げながら、それに向かって手を伸ばすように大きく伸
びをする。
 肩の筋肉が伸び縮みして、少しだけ凝りがほぐれた気がした。
 柏木千鶴校長の仕事は、主に生徒との交流である。とはいえ、歴とした管理職は管理職
であるのだから、デスクワークから逃れる事は出来ない。今日は特に、事務机に張り付き
っぱなしの日となってしまった。

「いやぁね、これじゃあ運動不足になっちゃう」

 そんな事をつぶやきながら、歩く。
 肘を曲げたまま、何度か肩を回した。
 両の手首をぶらぶらさせてから、手を二三度閉じて開いた。
 仕事の疲れの重さをを吐き出すように、ふぅ……と息を抜いた。

「ちょっと準備運動としては不足だけど……」

 周囲の空気が、瞬間、凍り付くように震えた。
 風にならない風が、一瞬だけ吹き抜けたようだった。

「かかってきなさい……」

 千鶴の両手は、漆黒の異形の形へと変化していた。
 いつの間にか千鶴の背後に集まり、今こそ襲いかかろうとしていたラドゴンたちは、振
り向いた鬼の姫の視線の前に晒されて、残らず恐怖に打ち震えた。




「あ、あ、あ……梓せんぱぁぁぁぁい!」

「かおり、ちょっと黙ってな! それと服を離して!」

 怯え震え、自分の背中にかじりついている日吉かおりに、柏木梓は怒鳴った。
 運動部の練習によって踏み荒らされた白線を、更に消し潰すようにして、ラドゴンの群
が前進する。
 部の練習が終わった後、後かたづけのために校庭に残った二人を突然に襲った災難であ
った。運動部部長である梓は、いつも通りにかおりにじゃれつかれながらの練習後の時間
を過ごしていたのだ。それが、気付いた頃には薄気味の悪い蜥蜴の化物に取り囲まれてし
まっていた。慌てるも既に逃げ場はなく、一戦を交えるしかない状況だ。
 服越しに、かおりの震えが梓に伝わる。

「だから!服離しなって言ってるだろ、かおり!」

「だ、だってぇ……」

 背にかばっているせいで顔こそ見えないが、かおりはヒステリーの一歩手前といった様
子である。泣きも喚きもしてないのは梓がいるからかろうじて、だろう。

『あたし一人ならどうとでもするんだけど……』

 かおりがいるのだ。この娘を守ってやらないといけない。
 梓は、己の鬼の力を解放しながら、拳を強く固めていた。




「エルクゥって、一体なんなんだ?」

 XY−MENは、思わずそれを聞き返していた。
 その問いに、楓が答える。

「人ならざる力を持つもの……鬼、です」

「鬼……?」

「ええ。その血を受け継ぐ者たち。
 鬼の存在は御伽話の中だけのものではなく、今も生き残っている実在のものです。
 そしてそれは…………」

 その次の言葉を言う代わりに、楓ははっと短く息を吸った。
 続きを待つXY−MENに、楓は別の事を告げる。

「……何かが……いる」

「何っ……?」

 楓の視線を追う。中庭……屋台の周囲に植えられた幾本かの桜の木々。その幹の陰から、
蜥蜴の化物が姿を現し初めていた。

「な、なんだこのトカゲは……?」

 数本しかない木の陰から、次から次へとそれは出てきた。数十匹。とてもそんなところ
に隠れていられる数ではない。
 数十匹のラドゴンは、殺気に満ちた鳴き声を方々から上げながら、二人を押し包むよう
に迫ってくる。

「こいつら……オレ達を襲うつもりかよ!?」

 素早く屋台から飛び出て、XY−MENは楓の前に立った。
 楓を自分と屋台の間に置いて守る算段だ。

「XY−MENさん……」

「楓ちゃん、ともかく下がっていて!」

 XY−MENは、帽子を深くかぶり直すと、素早く戦闘態勢に入った。
 両手に力を込める。青白い闘気がその上を覆った。

「ギ……ギ……ギ……」

「グォ……グォ……」

 じりじりと、ラドゴンたちは距離をつめてくる。
 XY−MENは、左右にせわしなく視線を動かす。
 最初に飛びかかってくるのは……どれだ?

「ギギャーッ!」

 左!
 左前に突出していたラドゴンの一匹が、蜥蜴の姿に相応しい敏捷さで、一蹴り数mを跳
ね飛んで襲いかかって来た。両の手に生えた爪が閃き、獲物の喉首を狙う。

「でぇやあっ!!」

 その動きを素早く把握し、XY−MENはそれに向かって右拳を思い切り突き出した。
 拳がラドゴンの腹に突き刺さる。

「グァァッ!?」

 体のど真ん中にもろに一撃を食らい、ラドゴンは吹き飛んだ。そして、地面に叩きつけ
られる。そのまま、起きあがれないままに痙攣を続ける。と、突然、ラドゴンから全身の
力が抜けて、真っ白に色が変異して、形を失って砂の山のように崩れた。

「?! な、なんだこりゃ?」




 二年生校舎・エディフェルの屋上に、貫頭衣に身を包んだ男が一人佇んでいる。
 一年、神凪遼刃。ダーク13使徒に所属する妖術師にして錬金術師である。
 今、各所に出現しているラドゴンは、彼の手によって錬成されたホムンクルスであった。

「ふむ……まぁ、今回は数が優先でしたからね。
 時間も金も掛けてないことだし、出来たのが粗悪品なのは致し方ないところですか」

 言葉でそう言いながらも、神凪の顔は不満げな色を表わしていた。
 今、神凪が見ていたのは中庭……XY−MENが殴り飛ばしたラドゴンが、その構成を
失って溶け崩れた場面であった。今回の作戦においては、一体一体の強さ・完成度ではな
く、いかに大量の戦力を確保するかが課題であった。それがゆえに、ホムンクルス・ラド
ゴンは、安価な材料、機材でごく短い錬成期間しか与えられずに量産したのである。結果、
組成の脆さと組成継続時間の短さは避けられなかった。せいぜい、一時間程度しか、ホム
ンクルス・ラドゴンはその体の組成を保てないし、衝撃にもかなり弱い。
 ため息をつきながら、左目に掛けた片眼鏡の左側のつまみをギリギリと小刻みに動すと
共に、視点を次々移動させる。どうやら、眼鏡は望遠機能を備えているらしかった。中庭
から校庭、校庭から教職員棟中央玄関、そして第一茶道部方面を一通り確認した。

「まぁ、それでもとりあえずは……」

「……作戦通り…………ですね……」

「葛田師兄……」

 神凪の隣で、端正だが陰気な面持ちの男が、口の端を持ち上げて笑っていた。




「チッ! こんちくしょうめっ!」

 右から左から、次々と飛びかかってくるラドゴンを片端から殴りつける。
 殴りつけた分は塵になって消えたが、それでもトカゲの群れは一向に数が減らなかった。
 しかも、三方向からひっきりなしに攻められている。全ては捌き切れず、XY−MEN
は既に、薄いながらもいくらかの傷を負っていた。

「XY−MENさん!」

 たまらず楓が叫ぶ。

「大丈夫! 大丈夫だ!」

 XY−MENは、それでも、楓の方へと向かおうとするラドゴンを防ぎきっている。一
匹たりとも通してはいない。

『くそ、けど、こうも数がいちゃあな!』

 もう日は落ちる直前だ。周囲にも人はいないはずだ。その考えが一瞬よぎる。

『変身して蹴散らすか?』

 その迷いと、楓の掛けた言葉が一瞬の隙を作った。

「XY−MENさん!」

「何っ?」

「私も戦います!」

「?! 何を言うんだ、楓ちゃん……!」

 XY−MENの脇を、一匹のラドゴンがすりぬける。
 懸命に反転する。が、既に楓に飛びかかるのを止めるのに間に合うタイミングではない。

「くっそぉ!」

 それでも手を伸ばす。楓は、逃げもしない。ただひたすらに、向かってくるラドゴンを
凝視している。と。
 パァン!
 乾いた破裂音が響く。見れば、ラドゴンは飛びかかる前に、蹴躓いたかのように地面に
倒れ伏している。

 パァン!パァン!
 続いて二回の破裂音。ラドゴンは二度体を跳ねさせると、塵となって消えた。

「無事か、貴様らっ!」

 その声とともに、駆け寄る足音が二つ。

「ちょっと、ディルクセン先輩! まだ発砲許可出してません! しかも今の、実弾だっ
たでしょう?!」

「委員長! そんな事を気にしている場合ではないでしょうが!
 危機に際しては、可及的速やかに武力を以てこれを鎮圧する!
 それでなくては学園の治安を守ればしませんっ!」

「もう! 発砲は許可! ただし後で処罰!OK!?」

「上等ですともっ!」

 怒鳴りあいながら、その二人は銃を撃っては走り、走っては銃を撃つ。その繰り返しで、
ラドゴンの数匹は塵に変えられる。

「よし、突入っ!」

 ラドゴンの包囲の壁にわずかな穴が開きかけたと見て、二人は一気に突撃する……が、
逆に、群れは巧妙に包囲の壁をうごめかせ、二人を網の中に囲い込んでしまった。

「ちょっと! 逆に囲まれちゃったわよ!」

「ぬああ! しまった?! 図られたかッ!」

 慌てて、XY−MENと楓との合流を図る。
 結局、ラドゴンの群れの中に囲い込まれた人間が、二人から四人に増える事となった。

「おい! 一体あんたらはなんなんだっ?!」

「なんだとはなんだ! 風紀委員だ! 文句あるか!」

「風紀委員長広瀬ゆかり、および風紀委員ディルクセンよ!
 感謝の言葉なら後で受け付けるからそのつもりでねっ!」

 XY−MENは殴り蹴り、広瀬ゆかり、ディルクセンはハンドガンを撃ちまくりつつ、
互いに怒鳴りあいながら、ラドゴンの攻撃に対処を続けた。




「……ふむ、中庭には増援が現れましたか…………」

「これは予定より早いですね、師兄。計画では、各組織が校内に設置した監視カメラを使
徒達が破壊するとともに私のホムンクルスによる襲撃が開始。カメラの破壊に気付いた各
組織が、事態への対処方針を決定するのが十分弱後。そして、偵察によって襲撃を確認、
これを鎮圧に乗り出すのが更に五〜十分後……でしたね」

 神凪は時刻を確認した。作戦開始から約八分だ。

「……神凪君、あれは予定外、イレギュラーです……。
 ……見なさい、あれは風紀委員会の広瀬ゆかりとディルクセンです……。
 ……もし、風紀が襲撃に気付いたのなら、あの二人だけが対処するなどあり得ない……。
 ……下校途中に偶然現場を発見しただけでしょう……」

「なるほど……」

 神凪が頷く。葛田の方はしかし、ふむ、と一つ唸った。イレギュラーの一つ程度が入っ
たくらいなど、軍師ならば覆す手を用意するものだ。

「……神凪君。余剰戦力はどの程度ありましたか……?」

「ラドゴン残り37匹ほどですが……」

「………………それ以外にはありませんか……?」

 その言葉で神凪が息を潜めた。ややあって、付け加える。

「とっておきのものが、二体……」

「……では、ラドゴンの残りを第一茶道部方面へ……。
 …………そして、とっておきは中庭と第一茶道部方面へそれぞれ……」

「中庭へもですか、師兄?」

「……ええ……。
 ……あの転入生……彼の力、どれほどかを一度試しておきたいのですよ……」

 葛田は、冷たい軍師の双眸を中庭の方向へとあてていた。




 その中庭では、ようやくにしてラドゴンの群れに減少が見えてきていた。
 広瀬が急造したものではあったが、XY−MENが真っ向から突撃、広瀬とディルクセ
ンがこれを援護という基本戦法が功を奏したのである。

「ええいこら、転入生! 段々討ち漏らすトカゲが増えてるぞ! なんとかしろ!」

「無理言うな! こっちも疲れてきてんだよっ!」

 肩で息をしながら、そしていちいち注文の多いディルクセンに対して文句を言い返しな
がら、XY−MENは右から左から、高く低くと飛びかかってくるラドゴンを、蒼い闘気
を纏った拳で殴り払い、たたき落している。

「でも、大分数も減ってるわ! もう少しなんだから、最後まで気を抜かないで!」

「わかったよ、ったく! …………なんだ?!」

 XY−MENは、そして、広瀬、ディルクセン、楓は、見た。
 彼らの10mほど前方、ラドゴンの群れの中から、いつの間にか巨大な生首が生えてい
るではないか。そして、それが少しずつせり上がり、下からは首の大きさに相応しい肩が、
胸が、音もなく大地から生えてきていた。最後の足が全て大地の上に姿を現した時、その
全長は3m程に達していた。巨人、と表現するに相応しいそれは、人らしい表情の一つも
感じさせず、土色をした肉体をゆっくりと前へ前へと運ぶ。

「チッ、新手かっ!」

 ラドゴンを押しのけて前進する巨人に向かって、ディルクセンはハンドガンを数発発射
する。巨大な的に、全弾が命中する。だが、巨人は、着弾によって身じろぎもしなかった。

「こ、こいつ……銃弾が効かん?!」

「この野郎がっ!!」

 続いてXY−MENが突進し、闘気を纏った右の拳で、巨人の腹を思い切り打った。
 今度は、多少はダメージが伝わったようだ。その背が少し折れる。だが、巨人は、それ
で怯むなどということはなかった。その代わりに、鈍器そのものと言える拳を振りかぶり、
思い切り下に向かって叩きつけた。XY−MENは、これをバックステップで躱す。叩き
つけられた拳によって、大地が抉れる。大量の土砂が舞い上がって、後ろに下がったXY
−MENの体を打った。

 神凪が中庭と第一茶道部方面へに遣わした”とっておき”こそがこの巨人である。その
名をマッドゴーレムと呼ばれる。3mほどの体長と、その大きさに相応しい怪力、そして
強靱な肉体を持つ。 神凪が用意出来るホムンクルスとしては、これが現状で最強の一体
だった。

 XY−MENは、再びマッドゴーレムに向かって走る。マッドゴーレムは、これも再び
腕を引き、XY−MENに向かって拳を真っ直ぐ打ち付けようとする。XY−MENは、
予備動作の大きいこのパンチをサイドステップで避けると、腕を伸ばしきったままのマッ
ドゴーレムの顔面に向かって、思い切り飛び膝蹴りを見舞っていた。
 全体重の乗った、十分に重い一撃。だが、やった、というXY−MENの確信はすぐに
覆えされた。飛び膝蹴りが顔面に打ち込まれたそのままの状態で、マッドゴーレムはXY
−MENを空中で掴まえたのである。

「ぐっ、こ、このっ……」

 両手で胴を挟み込まれてもがくXY−MENを、マッドゴーレムは、無造作に抱え上げ、
それから猛烈に地面に叩きつけた。

「ぐあっ!! がっ…………」

 XY−MENの口元から、血がこぼれる。
 それでも、二度三度体を転がすと、XY−MENは懸命に、立ち上がるべく体を上げた。
 マッドゴーレムは、相変わらず無表情のまま、ずんずんと近づいてくる。
 幾分震える足で、XY−MENは立ち上がった。そこに向かって、マッドゴーレムはま
た、思い切り拳を振るう。これを、XY−MENは両手でかろうじて受け止めた。そのま
ま、両者は力比べの格好となる。
 マッドゴーレムの片手一本に対し、XY−MENは両手でもって対等。いや、XY−M
ENは、体全体で踏ん張ってようやくであった。マッドゴーレムは、身動き出来ないXY
−MENに向かって、空いた左拳で殴りつける。たまらず、XY−MENは吹き飛んだ。




 校庭においては、柏木梓が日吉かおりをかばいつつ、必死の戦いを行っていた。
 ラドゴンの群れは、当初の三分の二ほどに減っていたが、梓の体もところどころを切り
裂かれて傷を負い、そして疲れ始めていた。

「くっ……かおり、大丈夫だね?」

「梓せんぱい……」

 少しだけ振り向くと、かおりは瞳にいっぱいの涙を溜めていた。

「心配すんなって! あたしは大丈夫。
 それに、誰かがきっと助けに来てくれるさ。
 特に、あの馬鹿とかね」

 そうだ、あの馬鹿。あの馬鹿が、こんな状況を放っておくわけがないんだ、と心の中で
呟く。あいつは馬鹿だけど、たまにはちゃんと頼りになることはなるんだ。

『……だからって、何だっていう訳じゃないからね!』

 よく分からない自己弁護を最後に付け加えて、梓はふっと笑った。

「おお梓! それはひょっとしなくても俺のことだな!」

「えっ?!」

 突然、足下から声が響いた。それに続いて、足下が揺れる。梓は、思わず尻餅をつく。
 ぼこぼこ、と梓の両足の間から人の顔が現れた。そして、尻の下からは肩が湧いて出る。
そのまま、むくむくと人の体が現れて、梓はちょうど、肩車をされる格好となった。

「はっはっは! ジャック・イン・アズエルこと秋山登、ここに推参!」

 忍装束に身を包み、柏木梓を肩に乗せ、腕を組んで堂々大地に立つ。
 大笑しながら土中から現れたのは、他ならぬ秋山登であった。
 その頭のてっぺんを、梓は思いきりはたいた。

「この馬鹿! なんてとこから出てくるのよ! さっさと下ろせ!」

「はっはっは、照れるな梓!」

 鬼の力を引き出した梓であるから、ほんの少しはたいたと言っても相当の威力のはずな
のであるが、秋山は全く気にしない。大笑を続けると、梓を地面へと下ろした。

「さてと。それじゃあ、梓はゆっくり休んでいろ。
 後は俺たちに任せておけ。なぁ、まさた!」

「まぁ、そういうことで……」

 秋山の言葉に応えてかおりの後ろからひょっこりと姿を現したのは、ブラック・カオリ、
まさたである。かおりは、正に飛び上がらんばかりに驚き叫んだ。

「きゃあ! あんた、一体いつからいたのよ!」

「いやぁ、秋山さんが来た頃から、かな?」

 人のいい微笑を浮かべ、まさたは頭をかく。そして、何気なく、かおりの前にと出た。
 それを見やってから、秋山が言った。

「さて! そんじゃあ俺はこっちの半分。お前はそっちの半分だ。いいな!」

「ええ? あなたが戦って、僕がサポート……じゃあ、駄目ですか?」

「ごたごた五月蠅いな! こっちの方が分かりやすい!」

「参ったな。直接戦闘は僕の趣味ではないんですけどね……」

「いいからいくぞ!
 さて、梓。これから俺が、お前に酷いことをしたトカゲどもに、その報いをくれてやる
からな。きっちり見とけよ」

 梓の前に立ち、首だけで振り向いて、秋山はニカッと笑う。
 梓は、はぁ、とため息をついた。

「あんた、かっこつけるのはいいけどさ……腹と足、刺されてる」

「おおっと! いつの間に!」

「まったく、馬鹿……」

 ラドゴンが二匹、片方は左脇腹に爪を突き立て、もう一方は右の太腿に牙を突き立てて
いた。仲間が敵に取り付いたのを見て、更にラドゴンが三匹、秋山に飛びかかる。だが、
秋山は、取り付いた二匹をそのままに、慌てず騒がず泰然と、ただ背負った忍者刀の柄に
手を掛けた。そして、恐らくは三振り。ひゅっひゅっひゅっ……と風切り音だけを後に残
し、忍者刀は再び背の鞘にパチリと収まる。空中にあったラドゴンの体三つは、それぞれ
真っ二つに分かれたと思いきや、さらりと塵となって風に消えた。
 そして次に秋山は、体に取り付いていたラドゴンたちの頭を、大きく無骨な掌で鷲づか
みにした。その手の中で、悲鳴を上げてラドゴンが暴れる。

「やれやれ、たかがトカゲが……」

 小五月蠅げに、そのまま頭を握りつぶす。ラドゴンは、気持ちの悪い断末魔を上げて、
やはり塵になった。


 一方のまさたに向けては、ラドゴンたちがひっきりなしに殺到していた。
 まさたは秋山のように体が大きい訳ではなく、一見して、けして強そうには見えない。
 また、実際に彼らの目の前のまさたは、速く動く訳ではなく、強力に見える技を使って
いる訳でもない。一気に押し寄せれば一息に圧倒出来る……そうとしか見えなかった。だ
が、それでいてまさたは、ただ一つの傷も負ってはいない。
 それは不思議な光景だった。まさたは、ラドゴンたちの攻撃を躱しているようには見え
なかった。だが、ラドゴン達の攻撃は当たらない。傍からから見れば、まるで、ラドゴン
の方がわざわざ攻撃を外しているかのようだった。まさたが前に移動した後で、ラドゴン
はその後ろをわざわざ攻撃し、あるいはまさたが右に移動した後で、わざわざその左を攻
撃している……そんな風にしか見えなかった。そして、まさたのいない空間に飛び込んだ
ラドゴンは、まさたが元から何気なく差し出していた手に突き当たり、ただ触れられただ
けで、塵となって消えるのである。そのまさたの掌には、僅かに白い輝きが灯っている。

「……ハスター シュブ=ニグラス バイアクヘー ニャルラトテップ……」

 得体の知れない、おそらくは呪文を唱えながら、まさたはゆったりとした舞踊を思わせ
る動きを続けている。その舞踊のすがらで、ラドゴン達は、次々と塵に還った。それはま
るで、まさたの作り出した予定調和の中に、彼らが閉じこめられたかのようだった。

「相変わらずお前の戦い方は訳が分からんな!」

 忍者刀を縦横に振るい、ラドゴンを四分五裂させつつ、秋山が叫ぶ。

「なに、この程度の紛い物の生き物は、こうして手で触れてあげるだけで十分なんですよ」

 微笑みながら、まさたが応える。その左手の中で、今しも一匹のラドゴンが塵になった。
 ラドゴンの群れ、五十数匹は、二分すら経たずに全滅した。




 鬼の爪が、空を切り裂く。ラドゴンの体は、その途上にあるだけ。障害とも言えはしな
かった。
 下駄箱の桟板をがたがたと鳴らし、次の者、また次の者と飛び跳ねる。だが、その全て
が彼女の爪の餌食となるためにこそ飛んだのだとしか言えまい。彼らは、ただ空中で両断
されて、己でも気付かぬままに一つの体が二つになって絶命し、悲鳴も上げずに塵となる
べくして飛んだ。
 柏木千鶴は圧倒的だった。彼女は、ただただラドゴンの群れを蹂躙した。喜びも悲しみ
もなく、怒りもない。ただ殺すためだけに、爪は何度も何度も閃いた。ラドゴン達は、彼
女に触れる事など無く、ただ全滅するかと思われた。が。

「……つぅっ!!」

 千鶴の左上腕が、スーツごと切り裂かれていた。一匹のラドゴンが、千鶴の背後の下駄
箱の上から、不意を打って襲いかかったのだ。
 血が、シャツとスーツに滲む。

「……これ、一張羅だったのに……」

 ふぅ、とため息をついて、千鶴は言った。
 千鶴は、視線を己の左腕に注いでいる。ともすれば、それはチャンスにも見える場面。
だが、ラドゴン達は襲いかかれなかった。血を流した事が、却って千鶴の鬼気を一層に高
めていた。ラドゴン達には、恐怖という感情は与えられていない。にも関わらず、彼らの
体は強ばるるばかりで、彼らの使命を果たそうとしなかった。そして、その間に、彼らに
とっての終わりがやってきた。

「千鶴さん。すんません、遅れました……」

 夕日を背に浴びて、一人の男が正面玄関の入り口に立っていた。
 その身を包む鋼鉄が、夕日の輝きと夜の闇を吸いこんでいる。
 鋼鉄の戦鬼。最強のSS使い。クイーン・ザ・リズエル。ジン・ジャザム。
 その瞳が、怒りに燃えていた。

「やっぱり来てくれたわね、ジン君……」

 異常な静寂に包まれた場の中で、千鶴はゆっくりとジンの元へと歩み寄った。
 ジンの目は、切り裂かれた千鶴の腕の傷に向いている。

「すんません。俺は、千鶴さんに血を流させてしまった……」

 そして、残虐とも言える、激しく強い鬼気が解放され、渦巻く。

「許せねぇ……許さねぇぞ、畜生共!」

 鋼の音をさせながら、鬼がゆっくり前へと出る。

「千鶴さんに血を流させた罪! 百回殺しても許さねぇ! 覚悟しやがれ!」

 ジンの頭部の、胸部の、腹部の、右腕の、左腕の、右足の、左足の、体の全てのガンが
キャノンがランチャーが、射撃体勢に入る。
 ラドゴン達は、悪夢のような殺気を撃ち当てられて、恐怖とは何かを初めて知った。

「ギ……ギギギギギーッ!!」

 神凪が彼らの行動パターンに設定しなかった行動……逃走を取る。
 だが、それも無意味だった。彼らは全て、逃げる間もなく抹殺されるのだから。

「くらえ! ナイトメア・オブ・ソロモンッ!!」

 ジンの全身の砲門から放たれたビームが、弾丸が、あるいはミサイルが、ジンの前に存
在する全てを撃ち、破壊し、焼き尽くした。ラドゴンの群れの残りの35匹は、この一撃
の前に、塵も残さずに消え去った。




 ビームモップが、光の弧を描く。また一匹、ラドゴンが焼き裂かれて塵となった。
 鮮やかな軌跡を描き、ビームモップはゆきの小脇へと収まる。

「はぁっ!」

 そしてまた一匹。この一匹は、逃れようという意識を持つ暇も与えられず、疾風のよう
な一撃を受けた。闇の中、空中を走った光の矢。ビームの刃の先で、真っ直ぐに体を貫か
れて息絶えた。
 更なる一匹。ゆきの背後から襲いかかろうとしたこの一匹は、ビームモップの柄の先で
一撃を受けて、その突進を止められていた。

「せいっ!」

 そして、柄に引っかけられ、ラドゴンは空中に押し飛ばされる。その頭上から落とされ
たビームの刃を受けて、この一匹も絶命した。
 ゆきは、頭上で数回ビームモップを回すと、再び小脇に抱え込むように構え直した。
 傍らの初音をちらりと見る。まだ怯えの見える表情。ゆきは、大丈夫だよ、と視線で伝
えて見せた。

 第一茶道部付近の戦いは、既に終息しようとしていた。ここには、西山英志とゆきがい
る事を考慮し、他よりも多数のラドゴンが動員されたのであるが、所詮この二人の前には
物の数ではなかったのである。既に、残りのラドゴンは10匹に満たない。

「はぁぁッ!!」

 ラドゴン達の躊躇を見取り、西山は大地を一蹴り、一気に距離を詰める。そしてそのま
ま、槍のような前蹴りを二発。穿たれた大気がごう!と唸る。ラドゴンの二匹が、その槍
先に貫かれ、塵と化す。
 更に西山は、反転しざまに回し蹴りを放つ。西山に飛びかかるべく、既に空中にあった
ラドゴンが二匹。鎌鼬にも似たその蹴りは、二匹を同時にその軌道に捉え、一息に薙ぎ払
った。それは、神技という言葉に相応しい、奇跡のような、だが必然の一撃だった。

「ふぅぅ……」

 そして、残ったラドゴン五匹に対して向き直る。ラドゴン達は、既に襲いかかる気力も
無くし掛けているかのように、後ずさった。と、彼らのいる辺りの地面から、巨大な顔が
地面から生えてくる。首、胴、足、と、それは次々に地面の上に姿を現した。
 中庭に現れたものと同じ、マッドゴーレムである。

「な、なんだ、これ……?」

「ゆき。このデカブツは俺に任せておけ」

 狼狽するゆきに対し、西山はどこまでも沈着に、そう告げる。
 そして、巨人に向けて歩み出す。
 巨人の方も、ゆっくりと歩を進める。
 両者の距離が縮まっていく。5m、4m、3m、2m、そして1m。
 巨人が振りかぶった。唸りを上げて、巨大な右拳が西山の顔面を狙う。

「フン……」

 西山はそれを、事も無げに左腕で外へと打ち払った。その左の動きに連動するようにし
て、右拳はマッドゴーレムの顔面へと吸いこまれる。鈍く、だが猛烈な破砕音が響いた。
マッドゴーレムがのけぞる。西山は、無防備になった腹に向けて、左拳、右拳を鋭く打ち
込んだ。今度は、マッドゴーレムは、腹を抱えて屈み込む……と、その間もないほどに、
西山の上段蹴りをまともに食らい、後方へ数m吹き飛んだ。
 西山は、己の掌を眼前にかざした。茜色の闘気が、その手を覆う。

「ゆくぞ! メイプルフィンガァァッ!!」

 右腕を前に突き出し、大地を蹴る。その先には、ようやく立ち上がり掛けているマッド
ゴーレムがいる。その腹部に、茜色の闘気を思い切り打ち込んだ。

「楓ぇぇぇぇぇっ!!」

 絶叫と共に一撃。マッドゴーレムはその体を数度震わせると、大量の塵へとその身を変
えて、地に崩れ落ちた。
 残りはラドゴン四匹。西山はそちらに向き直った。
 と、ラドゴンに向けて、突然何かが飛来する。

「ギギャーッ!!」

 飛来した何かは、ラドゴン達に見事命中した。絶叫が上がる。
 ラドゴン達が塵に還った後で、飛来した物は、塵と共に地面に落ちた。
 それは、アイスピック、あるいはノミなどであった。西山は得心する。

「風見か!」

「師匠! ご無事で!」

 西山が目を向けた先に、こちらに駆け寄る風見ひなたと冬月俊範の姿があった。
 アイスピックやノミを投擲したのは、風見だったのである。
 冬月と共に行動している所を見て、それがジャッジとしての行動であろう……と、西山
は理解した。
 西山たち三人と、風見・冬月が合流する。

「風見、今は一体どういう状況なのだ? ジャッジが動いているということは、ここ以外
でも何事かが起きているのか?」

「はっきりした事はまだ分かりません。ですが、我々が校内に設置した監視カメラが、少
し前に全て破壊されました。僕達は、事態の把握のために三班に分かれて強行偵察中なん
です。師匠たちこそ、どうなさっていたんです?」

「俺達にもよく分からん。突然にあのトカゲどもに襲われたんでな。
 だが、お前の言う通りなら、何者かの差し金だろうな。だが、何の目的で……?」

「特定の誰かを狙った攻撃……とかはどうですか?」

 冬月がそう問うた時、風見が腰に提げていた無線機が、コール音を甲高く上げた。
 風見は、素早くそれを手に取って、応答を返す。無線機の向こうから、セリスの声が出
迎えた。

『風見、今、岩下から連絡が入った。
 岩下は教職員棟の玄関で、千鶴校長とジンと合流。二人の話によると、千鶴先生はトカ
ゲのような生き物に襲われたそうだ』

「何ッ!?」

 漏れ聞こえたその会話に、西山は思わず絶叫した。無線機を風見から引ったくる。

「セリス! それは本当か?!」

『西山?! なんでお前が?!』

「俺達……俺とゆきと初音も、今し方そのトカゲどもに襲われたのだ!」

『何?…………ちょっとまて、じゃあ、まさか!』

「くそ、そうだ! おそらく狙いは柏木四姉妹だ! 畜生!」

 風見の手のひらに叩きつけるように無線機を返すや、西山は怒鳴った。

「楓が……楓が危ない! 行くぞ風見! 付いてこいッ!」

「はっ、師匠!」

 言うが早いか、西山は駆けだしていた。

「楓……楓ぇぇぇぇぇっっ!!」

 絶叫と共に、西山は黒い弾丸と化した。その姿を鬼のものと化して。




 XY−MENの体が、宙を舞った。長く長く宙を漂い、そして、受け身も取れずに地面
に叩きつけられた。全身を打ち付けた痛みに悶えながら、立ち上がろうと藻掻くように手
足を動かした。だが、その胴に向けて、鈍い衝撃が落ちた。マッドゴーレムの足が、彼の
胴体を押さえつけたのである。思わず呻き声が口から漏れた。

『くそ、こいつ……こんな、奴……』

 マッドゴーレムの足をつかみ、押し返そうとする。が、力が、力が足りない。この化物
に対抗するには、倒すには、力が足りない。
 XY−MENの中に、一つのイメージが閃くように現れる。
 それは、銀色の人狼。

『使えって言うのか、銀狼の力を。変身しろっていうのか!』

「先輩! 彼を何とか援護しないと!」

「無理だ! 銃弾が効かないんですよ?!
 大体、こっちだってトカゲの相手で手一杯でしょうが!」

 風紀委員二人の声が、XY−MENの耳に届く。

『変身したら……また、オレの力の事を知る奴が増えちまうだろうが!
 それに……』

 楓がいる。彼の恋焦がれる少女が、今そこにいる。

『あの娘の目の前で、変身するのか!?
 オレが、銀狼となる瞬間を、また見せるのか!?
 オレが、人でないものになっていくのを、見せるのか!?』

 ぎりぎりと、歯が軋る。マッドゴーレムから受ける圧力は、更に増しつつあった。
 体が、骨格が筋肉が、悲鳴を上げつつあった。意識が遠くなりかける。

 風が、吹いた。
 一陣の、速く鋭い風が。
 それは、XY−MENの朦朧とした意識にも、強く叩きつけられた。
 そして、彼の胴に掛けられていた重圧が急に消える。思わず咽せる。
 視界が開けた。
 一本の細い腕が、彼の目の前にあった。少女の細腕。だが、その先にある掌は、黒く、
そして猛禽類の爪を思わせる異形の形をしていた。その掌が、マッドゴーレムの血液に濡
れている。

「……楓……ちゃん……」

 XY−MENは、その異形の掌の主の名を呼んだ。彼の恋する少女の名を呼んだ。
 楓は跪き、呼吸が荒いままのXY−MENの上体を起こしてくれた。
 マッドゴーレムは、己の胸を切り裂かれ、後じさっていた。胸の傷を掻きむしっている。
 それを確認し、XY−MENは、楓の方へと向き直った。
 楓の瞳が、じっとXY−MENの瞳を捉えている。

「これが、エルクゥ。私は……エルクゥです」

「エルクゥ……楓ちゃんが……エルクゥ……」

 楓の言葉を受けて、呟く。
 エルクゥ……鬼……楓……そして楓の異形の右手。
 その右手が、XY−MENの肩を優しく支えている。

 はっと、周囲を見回す。
 風紀委員二人は、やっとラドゴンの掃討を完了し、二人の側に既にいた。

「大丈夫? えーと、XY−MEN君、だったわね?」

「全く、貴様、SS使いなのだろう?
 エルクゥとはいえ、女に救われるなど……無様だな」

 風紀委員たちは、楓の異形の右手を見ても、何の驚きも恐れも抱きはしていなかった。
 ごく普通に当たり前に、それをそういう物だと、受け入れていた。

『そうか……そうなんだな……』

 XY−MENはまた、楓の右手を見た。漆黒の、かぎ爪のように伸びた異形の掌。自分
の肩を支えるそれに、両手で触れた。冷たく、堅く、感触が伝わる。それを己の両手の中
に包み込んだ。
 異形……人ならざる者…………だが、この掌は、彼の愛する者の手なのだ。
 それならば、それでいい。それが全てだ。

「ありがとう、楓ちゃん…………」

 その言葉を伝えると、立ち上がった。
 胸の中から、全ての迷いがすっきりと消えていた。
 自分が異形であってもいい。
 例え自分が異形であっても、自分が自分であることを知ってくれる誰かがいれば、それ
でいい。

『先輩の言った通りだったよ。確かに。
 隠すことなんて、馬鹿らしくなったよ……』

 帽子のつばに手を掛ける。

「おい、貴様、どうするつもりだ?」

 風紀委員の一人、ディルクセンが声を掛けてくる。
 それに、XY−MENは帽子を取る事で応えた。
 帽子の下に隠れていたものが、獣人の証、狼の耳が露わになる。

「?! な、なんなんだ、お前は?!」

「XY−MEN君、君は……」

「XY−MENさん……」

 XY−MENは、帽子を投げ捨てると、言った。

「オレは獣人……銀狼だ!」

 その言葉と共に、変身が始まる。
 細胞一つ一つから、まるで生まれ変わるかのように、姿が変じていく。
 その体を、銀色の体毛が覆う。
 その面貌が、狼の物へと変貌する。
 その手には、凶暴な爪が備わる。
 数秒の後、そこにいたのは、夕日の残滓を浴びて輝く銀の人狼だった。

「き、貴様は!」

「まさか……あの時の獣人が……あなた?!」

 驚愕する二人の風紀委員には応えず、XY−MENはただ、楓の方へ振り向いた。

「楓ちゃん……ちょっと行ってくる」

 楓が頷いたのを見届けると、XY−MENはマッドゴーレムに向け、走り出した。
 マッドゴーレムは、楓に付けられた胸の傷を掻きむしることをやっとやめて、その痛み
を激しい怒りに変換しようというところだった。
 XY−MENは、銀の疾風となって駆ける。その体全体を、青白い闘気が覆った。
 そのまま、真一文字にマッドゴーレムに向けて激突する。
 マッドゴーレムは、強烈な衝撃を胸部に受け、後方へと吹き飛ぶ。
 一方のXY−MENは、ぶつかった反動を受けて空中へ飛び、くるりと後ろ宙返りを決
めて着地した。
 よろめきながら、マッドゴーレムが立ち上がる。それに向け、XY−MENは再び突撃
した。跳躍一つ。マッドゴーレムの懐に入る。

「うぉぉぉ!だだだだだだだだだだだだだッッッ!!」

 両の拳でラッシュをかける。無数のパンチが、マッドゴーレムの腹を打ち、抉った。
 腹をしこたま打たれ、マッドゴーレムの顎が下がる。

「うらぁぁぁっ!!」

 その顎に、バク転をしざまに蹴りを打ち込む。マッドゴーレムの顎が跳ね上がった。
 その間に、XY−MENは僅かに距離を取った。両の拳を構える。

「行くぜ、トドメだ!」

 両の拳に一際強力な闘気が宿った。青白く激しく、それが揺れる。

「うおおおおおッ!!」

 闘気の宿った左拳を、思い切りマッドゴーレムの胸に叩きつける。
 マッドゴーレムの体が後ろに弾け飛ぶ。それを追ってXY−MENも飛ぶ。
 そして、右拳の一撃が、同じく胸に突き刺さった。
 その刹那、闘気の爆裂。蒼白い爆光が、マッドゴーレムの上半身を埋め尽くした。
 爆光の中で、マッドゴーレムは塵となってかき消えていった。




「フフフ……ははははは……」

 神凪は笑っていた。傍から葛田の視線を受けていたが、彼はそれに特に構わないようだ
った。

「面白い! まさかXY−MENさんがあの銀狼だったとは!
 面白い! 興味深い! これはなんとも!」

 珍しく興奮した様子で、何度も何度も同じような事を口にする。
 その様子をひとしきり見やると、葛田は一言だけ告げた。

「……神凪君、撤退しますよ……」

 そこで、神凪は突然我に返ったようだった。

「…………は、しかし、師兄……我々は目的を完全には達しておりませんが……」

「……既に戦力は全て潰えました……。
 ……その上、作戦開始より十五分を経過。仮に戦力があったとしても、これ以上の戦線
の継続は消耗以外にはなりません。ジャッジや警備保障も動き出したようです……」

「……了解しました、葛田師兄」

 やや渋々といった様子で、神凪は了承を口にした。
 未練をありありと表情に残し、中庭をもう一度確認する。
 銀の人狼。古代の残した亜人種・獣人の最高傑作。

『あるいは、古代文明の遺産とも聞く……』

 錬金術師・神凪遼刃にとって、これほどにそそられる素材はそうなかった。

『その体に秘められた叡智、いずれ私が頂きますよ……』




 XY−MENは、ゆっくりと三人の元へと歩み戻った。
 三人の表情を見る。広瀬は微笑んでいた。

「ご苦労さま、XY−MEN君。
 そして……よろしくね、人狼のXY−MEN君」

「ああ。そういう訳で、よろしくな!」

 自分でも思いがけないほど、明るい声が出ていた。
 もう躊躇う必要も、恐れる必要もなくなった。
 ただ、さっぱりとした心地だけが、XY−MENの胸の中を満たしていた。
 隣を見ると、ディルクセンは苦虫をかみつぶしたような顔をしている。
 そして、楓は……

「XY−MENさん……」

 楓は、静かにXY−MENの手を取った。人狼の手を。
 その手のひらから、温もりがじんわりと伝わる。

『オレは獣人だ。人狼だ。人ならざるものだ。
 だけど、それでいい』

 その手を、しっかりと握り返した。

 突然、風を切る音と共に、その場に大きな何かが飛来した。
 土煙を上げて着地したそれは、黒く無骨な、そして凶暴な人型の何か。
 それが、ゆっくりと立ち上がった。
 XY−MENが身構える。が。

「英志さん……」

「え……?」

 楓が、その正体を告げる。
 鬼の姿の西山英志が、ゆっくりと体を翻す。

「彼もまた、エルクゥです……」

 夕日の最後の一光の煌めきを受けながら、鬼と銀狼は並び立った。





 その晩。夕食の終わった食卓で、柏木千鶴と楓は、相対していた。

「そう、XY−MEN君はエルクゥではなかった……か」

 こくり、と楓が頷く。

「獣人……ね。彼もまた人ならざる力を持った者……か」

 そう呟いて、千鶴は茶を啜った。今日の茶は、一段と旨いようだ。
 左腕の負傷は、もう癒えかけている。

「……二年前に、分かっていれば良かったのにね」

「あの時、XY−MENさんは突然いなくなってしまったから……」

 二年前、楓はエルクゥではないかと見込んだXY−MENを鶴来屋に招き、その力の有
無を千鶴と共に見極めようとした事があった。しかし、正にその日に暗殺者達の襲撃が鶴
来屋を襲い、その混乱の中でXY−MENは姿を消し、その行方は知れなかった。
 それから二年。二人はXY−MENが姿を消した理由と、彼がエルクゥとは異なる力を
持つ者であることを、ようやく知ったのである。

「さて、それで、どうしましょうか?」

 千鶴はにっこり笑って楓を見る。

「彼はエルクゥではない。だから、鶴来屋による保護対象とは言えないわね」

 千鶴は、そう続けながら、楓の表情を伺った。
 楓は、千鶴をみつめ返しながら答えた。

「彼はエルクゥではない。だけど、彼もエルクゥとよく似た、異形の者……。
 もし、苦しむ事があるのなら……助けてあげればいいと思う」

 楓の答えに、千鶴は頷いていた。

「そうね。それが、試立Leaf学園の存在理由の一つ……」




 第二茶道部、ダーク13使徒首長・ハイドラントの居室。ここに、二つの人影があった。
 上座に着いている黒衣の青年・ハイドラントが、まず口を開く。

「作戦ご苦労だったな、神凪。それに葛田」

 下座に着いているのは、神凪遼刃だ。神凪は、恭しく頭を下ろしたままである。

「……申し訳ありません、導師。目的であった柏木四姉妹の血液のうち、採取出来たのは
柏木千鶴・梓の二人分だけでした……」

 この声は、神凪ではなく、座に就いている二人の頭上……天井から聞こえてきた。
 葛田玖逗夜である。彼は、彼の定位置である天井裏に常に潜んでいる。
 ハイドラントは、頭上に向けて声を掛けた。

「いや、構わん。相手は柏木四姉妹。そして、姫護などと名乗るエルクゥ同盟の連中だ。
 それを相手取って、そう簡単に事が運ぶとは思っていない。二人分採取出来たならば、
十分だろう。それに、お前自身の目的は達したのだろう?」

 ニヤリ、と微笑む。天井裏の葛田も、おそらく微笑んでいることだろう。

「は。各組織の緊急時の対応のサンプル、そして、エルクゥ同盟の戦闘力のサンプル。
 そして……あの転入生……」

 葛田の言葉に、神凪がぴくり、と反応した。

「……奴に興味があるようだな、神凪」

 ハイドラントが面白そうにその様を眺める。
 神凪は顔を上げた。その目に、爛々と狂気が宿っているのを、ハイドラントは見た。

「導師、XY−MENについてですが……」

「いいだろう。お前の好きにするがいい」

「はっ」

 神凪は力強く返事をした。

「銀の人狼か……」

 ハイドラントは座を立ち、縁側に出て、夜空を見上げる。

「私もまた、興味があるからな……」

 漆黒の中に、曲刀のような三日月が、煌々と輝いている。
 ハイドラントは、その三日月だけに、己の微笑みを晒していた。



                            (「目覚めた運命」・終)

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 ども、また途方もなく久しぶりです。XY−MENです。
 久しぶりな上にシリアス物はもっと久しぶり。書いてみて疲労困憊です。
 さて、今作ですが、時間軸としては「銀のお犬と子供達」の後、エピソード的には
『銀狼、流浪す』の後に入り、「義母さん、風紀委員会は今日も元気です」の前にあ
たります。実は、このエピソードというかこういう感じのエピソードは参加当初から
書く予定だったんです。が、上手くアイデアがまとまらないうちに時間が経ち、「あ
かん、このままじゃ使いづらいだけのキャラになってしまう!」と戦々恐々、エピソ
ードをほっぽってVSジン(しかもこれがかなり忘れたい出来)にてお茶を濁すよう
に銀狼モード解禁となったという、実に情けない経緯があって書いてないのでした。
 今、こうして書いてみて、どう考えてもXY−MENというキャラクターには必要
やんかボケ!無理矢理にでも書いておかんかい!と猛省しとります、はい。
 ちなみに、作中のラドゴンとマッドゴーレムというのはフィルスノーンに登場する
敵キャラです。尤も、Win版フィルスだと敵キャラの名前が出ないので、名前調べる
のに難儀しましたが。ちなみに、ラドゴンは序盤の、マッドゴーレムは終盤の雑魚
だったりします。

 ま、そんな訳で、またいずれ次作にて。