Lメモ未来編「FAKE and BLACKS」……承 投稿者:XY−MEN




 元Leaf学園教頭であり、この街の管理責任者である足立の住居は、
街の中心近くにあった。

「やぁ、よく来たね」

 白髪をきっちりとまとめた足立元教頭は、そう二人に語りかけるような口調で
言うと、ソファーに座るように勧めた。
 青年は、室内だと言うのにコートもハットも脱がないままだったが、足立は
別段咎めなかった。
 青年は、その長身をかがめてソファーに座ると、首を回さずにその部屋を
さっと見渡す。
 その応接室は、この館の広さに合わせるように広い。
 ともすれば、マンションの一部屋に相当する面積を持つ。
 そして、質素だが小綺麗に落ち着いたよい部屋だった。
 ただ、昼間であるにも関わらず、ほとんど陽の入らない事を除けば。

 量産セリオが盆に三人分の茶を乗せ、運んでくる。

「さ、どうぞどうぞ」

 足立は、実に穏和な表情で茶を勧める。
 その穏やかさは、一見してこの場に相応しいようで、しかしその実まったく
相応しくない。

 この屋敷は牢獄のようだ。

 幾重もの凄まじく厳重なセキュリティーによって外部から隔絶されている
と言うことは、そう言うことだ。
 外に出るにしても、治安がよいと言えないこの街では、ボディーガードの
お付きが要る。自由に外に出るなどと危険なことはできない。

 その一方で、この街の管理責任者などと言う肩書きこそあれ、足立には
その執行能力は与えてられてないに等しい。
 未だ鎮まらない今の時勢では、余計な戦力は割けられない。
 かと言って、かの大戦の勃発の発端となったこの地域を軽視はできない……
そんな事情が、この状況を生んでいた。
 その状況下で足立に与えられたのは、この街を監視し、逐一中央報告すると
いう職務と、その最低限の権限だけである。

『これでは、まるで左遷だな…………』

 それが、この屋敷に足を踏み入れた青年の素直な感想だったから、足立の
表情に翳りが見えない事が意外だった。

「こんな場所に住んでいると、人恋しくなってしまうものでねぇ……。
 お客さんは歓迎だよ。どんな形であれ」

 そんなことを言いながら、目元の皺を朗らかに寄せ、足立は茶をすすった。
 その姿は、隠居した好々爺そのものである。
 そんなものなのだろうか?と思いつつ、青年も同じく茶をすする。
 マナだけはそうせず、急くように用件を切り出した。

「足立さん、さっそくなんですが、報告の件の事を聞かせて下さい」

「ああ、うん、あれの事だね……」

「黒虫が再び現れた……と言う報告があったのですが……?」

 黒虫……それは、4年前の反乱の際、TaSが用いた生物兵器である。
 虫と名は付いているが、その大きさは虫とは言えまい。
 その大きさは、新聞紙を一回り小さくしたほどの面積だろうか?その上に、
体毛とおぼしき黒く縮れた毛がこんもりとのっかっている。

 奇妙なことに、この生物はどのように生命活動を行っているのか不明である。
 大体からして、体毛を除いてみれば本体が残るのだが、目も鼻も口も見あたらない
薄い板きれのような体である。また、解剖してみても、その構造はまったく無機物
としか言えないそれなのだ。

 だが一方で、この物体が生物そのものの如く自律的に運動するのも事実である。
 自律的に運動し、どのような原理でか空を飛び、しかも人を襲う。
 数に任せて掛かり、人間の鼻口をその体で押さえつけて呼吸困難を起こさせる
と言う戦法を取るこの虫であるが、恐ろしいのはそれではない。
 顔の前面でなく、後頭部に取りついた虫は、人の思考を奪い、支配下に置く。
 支配下におかれた人間の、黒虫に頭部を覆われたその様は、丁度アフロヘアーの
鬘を被ったかのようであった。

 この人間を支配下に置くという能力についても、現在に至るまでその原理は
解明の糸口すら掴めていない。
 あるいは黒虫自体が魔術によって制御されているのでは?と思われもしたが、
どのような実験をもってしても黒虫から魔力は検出されなかった。
 かといって、これが科学的テクノロジーの産物だとも見えなかった。
 もしそうであるなら、それは人類のそれなどとは次元が違うのであろう。

 創造したのか?入手したのか?……ともかく、TaSはこの黒虫を戦力として
戦い、そして結果としては倒された。
 TaSが倒れた後、残された大量の黒虫たちは、徹底的に駆除された。
 TaSの指揮の元に群体として生きていたらしいこの黒虫は、主が消えた途端
にその統率が乱れたため、その後は以前ほどの脅威ではなかったのだ。
 一年ほどの時間が経過するころには、黒虫はほとんど絶滅していたという。

 その黒虫が、今再びこの街に姿を現している……それが足立の報告であった。

「黒虫……ただの生き残りが隠れていただけじゃないんですか?」

 青年の問いに、足立は答える。

「ああ、うん……多分そうなんじゃないかと思うんだが……。
 と言うのも、実は確認したのは私の部下だけでね。
 私は別に報告の必要はないと思ったんだが、彼女が慌てて送ってしまった」

「ああ、それで……報告が妙に不完全だったんですね」

 マナが頷く。

「だから、君たち『L.E.A.F』が出動するほどの事態じゃないと思うんだけどね」

 足立は、そう言ってニコリとした。

 『L.E.A.F』……『Liveral Extra Allround Fighters』。
 独立全域特殊任務部隊。

 世は未だ混沌の渦の巻く時代である。
 当然、そこには予想外の事態、事件が数多く生まれる。
 中央政府は、このような”正規の対応では対応しきれない”事態に対して
苦慮した挙げ句、一つの明快な決断を下した。

 ”イレギュラーな事件にはイレギュラーな対応を!”

 その決断に基づいて編成された部隊こそ、独立全域特殊任務部隊『L.E.A.F』
である。
 彼ら『L.E.A.F』は、あらゆるイレギュラーな事件に対応する。
 その任務の遂行のために、十分とは言わないが戦力も装備も与えられている。
 そして、彼ら『L.E.A.F』はあらゆる状況に対応できる、図抜けた能力と
高い精神力を兼ね備えた隊員で構成されているのだ。

 青年と少女は、その『L.E.A.F』の隊員なのである。

「……話は分かりました。
 しかし、黒虫が確認されたと言う事実は重いものです。
 十分に調査を行わないと……」

 少女は冷静にそう言う。
 場当たり的な言動をしているように見える彼女だが、これでも『L.E.A.F』の
隊員である。判断は冷静に行う。

「そうか……うーん、必要はないと思うんだが……」

 足立がそう言葉を続けようとしたとき、

 ギィィィ……

 この部屋の戸がふと開いた。
 三人が扉に顔を向けてみると、そこには一人の女が立っていた。
 若い女だ。カジュアルで動きやすい服装をしている。
 頭の両側で長髪を縛ったその女は、こちらを見るような見ないような虚ろな
顔をしたまま、戸の側に佇んでいる。

「あ? お、岡田君、なぜ勝手に入ってくるのかね!
 私は君を呼んだ覚えはないぞ!」

 狼狽して言葉を続けようとした足立を、青年が手を挙げて制した。
 ハットの奥のその目は、女を鋭く凝視したままだ。
 そしてそのまま、ゆっくりと腰を上げる。

「どうもさっきから背中がチリチリしてしょうがなかったんですが……………
コイツのせいだったかなぁ?」

 青年は、低く太い声でそう呟く。
 足立はぽかんと口を開けて、目を瞬かせるばかりだ。

 女──岡田は戸の前に佇んだまま、無表情な瞳をはっきりとこちらに向けた。
 その時、微かに岡田から異音が立った。身じろぎ一つしない岡田から。
 ゆっくりと、ゆっくりと、黒が上る。岡田の頭部に。

「まさか…………」

 マナは口の中に飲み込むように呟いた。
 その間にも、黒は上っていく。

「黒虫、か……。どうやら、本当ですね、これは……」

 やがて黒は、顔の前面を残して、頭部を丸くすっぽりと包み込んだ。
 黒によってその頭を支配された岡田。アフロの虜。
 そして、岡田はその身をびくりと一度引きつらせる。
 ぶるぶると全身をわななかせ、震える唇で呟いた。

「『L.E.A.F』…………タオす……」

 黒虫に操られた岡田は、ゆっくりとその歩を進め始めた。
 青年は、岡田に相対する。

「先輩、足立さんを頼みます……コイツは私がやるから」

 両手を体の前で組んで、指の関節を鳴らす。

「ええ、分かったわ……」

 マナはそう言うと、未だ呆然としている足立を部屋の奥に下がらせ、
自分は盾代わりに己の身を前に立てた。

 青年の左手が、ハットをソファーに投げ捨てる。
 その下からは、短く刈り込まれた水色の髪が露わになった。
 間髪無しに、青年の右手がコートを一瞬で脱ぎ捨てる。
 コートがふわりとソファーに落ちて、彼の肢体は晒された。

 その体躯は、見事としか言いようがない。

 肩幅は広く、骨格の強靱さを物語る。
 そして、その骨格の上に乗る筋肉は、鋼を思わせる力強さを持ち、厚く太い。
 青年が粛と息をする度、鍛え上げられた腹筋が伸び、縮む。
 彼が拳を握ると、その一の腕の筋が波打つように盛り上がった。

「あんたに任せる。あんたのSS不敗流に!」

 マナは、彼の僧帽筋が隆起する様に、高まる気合を肌で感じつつ言った。
 彼は、コォォ……と独特の呼吸を繰り返して、最後にその両拳を体の前で強く
バァン!とぶつけた。
 そして、その勢いで弾けるようにして、構えに入る。
 左手左足を前に! 右手右足を後ろに!
 眼光鋭くニヤリと笑む。

「SS不敗流…………水野響、参るッッ!」

 強く、高らかに吼えた。

 それが合図となった。

「しゃあっ!」

 岡田が床を蹴る。
 青年・水野響との距離は、数mあった。
 その距離を、ただの一飛びで0に変える。
 伸ばされたその右手が、響の喉元を抉りに行く。
 響は、岡田を軸に左手に回り込むように飛び、かわした。
 岡田の右手は空を切り、延長線上にあったテーブルを穿った。

バギィッ

 木製のそのテーブルは、その上にあった湯飲みをぶちまけ、岡田の手を
中心に真っ二つに断たれた。
 響は一つ舌打ちをする。

「思った以上に素早いな……」

 頬に二筋の切れ目が入っていた。
 そこから溢れた血潮を人差し指で掬い、舌先で拭う。
 味覚を刺激する血錆の味が、響の魂(こころ)を昂ぶらせる。

「フゥゥゥゥ…………」

 岡田は、獲物を狙う獣を思わせる動きで、ゆっくりと振り向いた。
 びりびりとそのアフロが震える。
 ……その右拳は砕け、血塗れだった。

「なるほどね……身体能力のリミッターが外れてる……か。
 早めに倒してやらないといけないですね……」

 響がそう呟く間に、岡田が再び襲いかかる。

「シャアアアッッ!」

 再び喉元を狙ってきた岡田の一撃を、今度は難なくかわす。
 だが、その勢いのまま壁へと飛んだ岡田は、綺麗に体を反転させ、次に、
驚くべき事に壁を力任せに蹴った。

「!!」

 壁面に蹴り跡を残し、三度響へと襲いかかる。
 不意を突かれた響は、回避が一瞬鈍った。
 その一瞬に、響の眼前にアフロが飛び込む。
 その指が、響の胸元を裂いた。

「くっ!」

 そして、着地の間もなく、再び力任せに跳んで距離を取る岡田。
 そのまま、黒の影は右へ左へと攪乱するように跳び続ける。
 それを目で追いつつ、響は胸の傷に触れた。
 辛うじて指一本の一撃で済んだ。とは言え、裂かれたラインは熱く疼く。

「ちっ、やってくれる……けど……」

 だが、その顔には笑みがある。
 絶対的なる笑み。負けはしない。勝利あるのみ。

「私の流派SS不敗は、そんなものでは破れはしないっ!」

 響は、両腕をゆっくりと流れるように動かす。
 それにつれて足の配置も変わっていく。
 その動きがピタリと止まったとき、響はゆっくりとその瞼を閉じた。
 両腕・両足から力は抜かれ、体全体の関節が弛緩する。
 手首もまた同じで、軽く握られるだけの両の拳は、何者かを招くように
前に倒れている。

「あれは……ネコ立ちの構え……?」

 マナが呟いた。
 ネコ立ちの構え……とは、中国拳法に伝わる一つの構えの事である。
 体全体をリラックスさせ、いかなる方位からの攻撃にもスピード・パワー
…そしてバランスを失わずに対応できる。
 響が取った構えは、そのネコ立ちの構えを響流にアレンジした物である。
 響は、人間範疇を超えた動きを見せる岡田に対して、この構えで応戦する
ことを選択したのである。

 その響の周りでは、岡田が絶え間なく、目にも留まらぬ速度で跳ね続けて
いる。
 慎重に慎重に、獲物を狙う獣のように。
 相手の焦りを誘いつつ、一方で状況に慣れさせるように淡々と繰り返され
る動き。
 いつまでも続くように見せかけられたその動きが、唐突に変化する。

ダッ!

 それまで繰り返されたと同じ音をさせて、岡田は響に向けて跳ねた。
 右後方のその位置から、正確に響の頸動脈を狙う。
 だが響は、その全てを、閉じた視覚以外の五感で捕らえていた。

 岡田は、ひときわ長いその瞬間の只中で、響がゆらりと不気味なまでに
自然に振り返るのを見た。

「にィィィィやぁぁッ!!」

こっ

 響の雄叫びに続いて響くのは、その軽い音一つ。
 岡田は、空中でその力を失い、受け身も無しに床に堕ちた。
 響は、ただ軽く拳を突きだしていた。
 その拳が、岡田の顎(チン)を打っただけである。
 人体急所の一つに一撃を入れられた岡田は、完全に昏倒していた。
 その頭部から黒い塊が離れ、もぞもぞとうごめいている。
 寄生主が気を失ってしまった黒虫は、無様に逃げまどった。
 響は瞼を開けると、無造作に近寄って、虫を無慈悲に踏みつぶした。

「一丁上がり……ってところですね」

「ちょっと手こずり過ぎじゃない?」

 マナがからかうように言う。
 響きは苦笑して言った。

「まぁ……ね。そんな事より、この人の手当をしなきゃ。
 足立さん、救急用の用意は?」

「あ、ああ……ちょっと待っててくれ」

 響に問われ、足立はようやく呆然から立ち直り、慌てて駆け出す。
 それをフォローして付いていくマナを横目で見ながら、響は溜息をついた。

『これは、予想以上に面倒な任務になりそうだ……』