Lメモ未来編「FAKE and BLACKS」……起 投稿者:XY−MEN




 ──時に緑葉帝78年。
 五年前に起こった彼の大戦により灰燼に帰した世界も徐々に復興を進め、
不完全ながらもその姿を、そして機能を取り戻しつつある。

 世界を襲った絶望が去れば、人々はその生命力を取り戻す。
 時代は昏かったが、それでも人は逞しく生きている。
 忘れられぬことを敢えて忘れて。

 ある街……その街は他のそれと同じく、五年前には人の波を留める器
だった。
 そして今のその街は、瓦礫かあるいはそれになりそこないの、崩れかけた
建物ばかりで埋め尽くされている。一日歩き回ったとて、この街にほとんど
人気を認めることは出来ないだろう。


 打ち捨てられたのだ、この街は。


 それもまた当たり前で、ありふれた話だった。
 人々に余裕のない今、復興はそれを行いやすい地域から重点的に行われるのは
当然の事で、この街はその基準から言えば非常にやりにくかった。
 全体的に、尚かつ中度に崩壊させられたこの街は、むしろ焼け野原のように
壊滅させられた場所よりも、残った建造物を破壊しなければならない分厄介
だったのだ。

 そして、この街は打ち捨てられた。


 今、復興計画から外されたこの街に残る者は、執着者か酔狂者のみ。

 いずれの者にせよ、それは彼らの成せる業だ。

 打ち捨てられ、それでも人の織り成す業によって生かされる街。

 ならば、その街に戻る者もまた、業によるものか。



 この街に入る者がいる。

 一人の男だ。

 未だ瓦礫を瓦礫のまま放り出してある道を踏みしめながら、男は街へと
分け入っていく。そこは、元は住宅街であったらしく、ブロック塀の残骸
に覆われた、建物の残骸が広がる町並みをしていた。

  秋風に巻き上げられる砂塵に顔をしかめ、被っていたハットを目深に下ろす。
 その焦げ茶のハットは、紅顔の趣を残すその男……いや、青年と言うべきか?
……には少々不似合いだった。
 だが、その身に付けた同じく焦げ茶のコートは、身の丈190cmを超えると
見える、その長身に似合っている。

 青年は、贅肉のない日に焼けた頬を引き上げて、一つ舌打ちをした。

 この手の廃墟はいくつも見て回ったが、こんな風に埃っぽさが目鼻につく
のがどこにも共通している。
 彼は帽子に顔を隠すようにして幾ばくか歩き、ある時ふっと止まった。

 人の声らしき物を捉えたのだ。

 頭を巡らす。
 その方向には、一つ路地が延びていた。おそらくは、以前は裏路地の様な
役割を負っていたのだろう。今いるのが表通りであるとしたらだが。
 廃墟と廃墟の狭間であるそこに向け、再び歩を進める。
 数秒の後にその入り口に辿り着いた彼は、果たして人の姿を発見した。

 ──数人の男、それと女一人。

 そんな風に表現したのには理由がある。
 女の、派手と言うわけではないが気を払われてると分かる身なりに対して、
男達のそれはあまりに頓着されてなかった。何日同じ物を着ているとも知れ
ない。
 このシチュエーションから一番に考えられる状況と言えば……この汚らしい
男達は追い剥ぎで、男達よりも何回りも小さいその女は、その標的と言うことだ。
 安直な推測ではある。だが、その推測は正しかったようだ。

「へへへ……嬢ちゃん、俺たちゃ飢えてるのよ、分かるかい?」

「そうそう、嬢ちゃんみたいにいいモノ着る金もいいモノ食う金もない。
 ついでに言えば、女を抱く金もない」

 下卑た笑みを浮かべて、男の一人が言う。

「分かるよなぁ?
 へへ……こんな所を一人でのこのこ歩いてる嬢ちゃんが悪いんだぜ?」

 一様ににやにやと笑みを浮かべる追い剥ぎ達。
 だが、その目は口元とは相反して、ぎらぎらとたぎっている。

 一方の女の方は、俯いて押し黙るばかりだ。声一つ上げない。
 その手を胸元に当てるようにして押し抱いている。
 心なしか、肩が震えているように見える。

 青年は路地の入り口でその様子を観察し、そしてやれやれと肩をすくめた。
 なんてありがちな話だろうか?
 ともあれ、路地裏の牢獄(プリズン)に囚われた、悲劇のヒロインを救って
差し上げるべく、彼は一歩を踏み出した……のだが。

「ほらほらお嬢ちゃん、顔をあげなよぉ?」

 女……と言うよりは少女は、追い剥ぎの一人に言われるがままに顔を上げた。
 その目が、たまたま青年の目と合う。
 黒髪の少女だった。強気な瞳が印象的な。
 青年ははっとなった。
 しばらく、少女と青年、追い剥ぎ達を挟んで見つめ合う。

「なんだぁ〜? てめぇは」

 その声で、青年は再びはっとなり、現実に引き戻された。
 追い剥ぎたちは既に青年の存在に気付き、剣呑な視線を青年に向けている。
 右から左へ一通り目線を走らせ、それを確認した。

「おいコラガキ、俺たちゃこれからお楽しみなんだ。
 めんどくせぇから見逃してやる。とっととうせろ!
 邪魔すんのならブチ殺す!」

 追い剥ぎの一人が、あらん限り恫喝を込めてそう言う。
 この場合の「ブチ殺す」は、そのままの意味だと取っていいだろう。
 おそらく、この追い剥ぎ達はそのような事を幾度も繰り返しているの
だろう……それは容易に伺える。ただの脅しではない。
 が、しかし、それを受けた青年は、酷くさらりとそれに返した。

「あ、いや、別に邪魔をする気はないですよ。
 ただ……不幸な事ってあるもんだなぁ、と思っただけで……」

 そんな事を言うと、さっと身を翻してその場を立ち去った。
 その場には、元の通りに追い剥ぎ達と少女が一人、残される。

「なんだぁ、ありゃ?」

「へっへ、なるほど、不幸なことねぇ……そりゃそうだわな、へっへっへ……」

 青年の妙な態度をいぶかしみつつも、追い剥ぎ達は少女に向き直る。
 そんなくだらない事よりも、これからの楽しみの方が重要だった。

「さぁて嬢ちゃん、待たせたなぁ?」

「邪魔者がいなくなった所でお楽しみだ……」

「けっけ、あいつが助けてくれると期待したかい?
 そんな奇特な奴がそうそういるわけないだろ、くっく……」

 口々に少女をなぶるような口調で言う男達。
 彼らは、まずこんな風に女を怯えさせ、その反応を楽しんだ後に輪姦
するのだ。
 女が見せる恐怖の表情が、彼らの攻撃衝動を満たし、また逆に刺激もする。
 嗜虐の快楽回路の構造だ。
 だがしかし、やはり少女は俯き、黙っているばかりだ。
 それは、怯えとは少々違うように見える。
 追い剥ぎ達は、少しずつ苛立ちはじめていた。

「おいコラっ! 何とか言ったらどうなんだよ、嬢ちゃんよぉっ!」

 連中の一人が、少女の顔を掴もうと近寄った瞬間、

ゴッ!

 鈍い音が一つ鳴り響いて、その男は2mほども吹き飛んだ。

「な、なんだっ?!」

 仲間が駆け寄ってみれば、男は白目を剥き、鼻血をだらだらと顔中に
垂らしてのびている。

「て、てめぇっ! 何をっ?!」

 男達は、ほとんど状況を正確に理解出来ないまま、ほとんど反射的に
そう叫んでいた。
 そう、彼らは状況を理解していない。
 ただ、訳の分からないことが起きて、仲間が気絶した……そうとしか
認識できてなかった。
 それは、場の流れと言うヤツで、彼らはまだ、自分たちよりもはるかに
小柄なこの少女が、自分たちより圧倒的に弱い存在であると言う認識を
拭えていない……思考の転換をする余裕がないと言うわけだ。
 少女は、突き出したままの拳を震わせて言う。

「……鬱陶しいのよ、あんた達……」

 もし彼らが冷静であり得たなら、即座に理解したはずだ。

「全く、こういう所に来るたびにあんた達みたいなのが寄ってくる……」

 結論は実に単純だ。

「折角だから情報収集でもしようかと思ったけど……やめた」

 彼女は彼らより強い。それも格段に。

「ぶっとばしてやるんだから……!!」




 背後の路地から轟音と悲鳴が断続的に上がっている。
 それを耳にしながら、コートの青年は呟いた。

「だから不幸だって言ったんだけどなぁ……」

 ハットを再び目深に被る。

「まぁ、手伝いはしなくてもいいよね……」

「あの人なら、あのくらい楽勝だしね〜……」

「エクストリーム・チャンプだしね……」

 青年は、それとなく路地裏に耳を立てつつ、体を休める事にした。




 数分も待つことは無かった。
 もう、轟音も悲鳴も聞こえては来ない。
 やがて、裏路地の入り口に例の少女が姿を現す。
 ブロック塀の残骸にもたれ掛かっていたコートの青年は、少女の方へと
手を挙げた。
 それを認めた少女が駆け寄ってくる。
 見た限り外傷はない。それどころか、衣服や頭髪の乱れもほとんど見られ
ない。

「ご苦労様です、先輩」

「何がご苦労様よ! ちょっとくらい手伝ってくれたっていいじゃない!」

 にやにやとする青年に、少女は掴みかかってまくし立てた。
 身長差がかなりあるせいで、その様は妙に微笑ましい。

「いや、先輩、『コイツらは私の獲物だから邪魔しないで!』って
 顔してるって思ったんですよ」

 青年のにやにやはそのままだ。
 少女の方はむくれたような顔をして、つんと背を向けた。

「失礼ねっ!……まぁ、ちょっとイライラしてたのは確かだけど」

「まったく、それにしても連中も無知です。
 かのエクストリームチャンプの顔を知らないなんて」

 青年はおどけたようにそう言ったが、少女は少し顔をしかめた。

「よしてよ、そういうの……」

「なぜ? エクストリームチャンプは王者の証、でしょ?」

「そりゃ、そうかも知れないけど……」

 少女は、そこで息一つ詰まり、その顔を一層不機嫌に変えて呟くように言った。

「けど、来栖川綾香も松原葵もいないエクストリームでのチャンプなんて、
 本物じゃないわよ……」

「だからって、エクストリームの強豪達をのしたのは事実ですよ?
 たとえ来栖川、松原の旧両巨頭がいないからって……」

「……………………」

 青年は続ける。

「私だって二人の強さは間近で見ていた一人なんです。
 今の先輩は、二人にだって負けはしないと思いますよ?」

「……………………」

 少女はなおも黙ったままだ。
 青年は、一つ嘆息すると、勢いを付けて叫ぶように言った。

「しっかりしろっ、雷蹴のマナっ!!
 あなた雷蹴のマナでしょうっ?! エクストリームチャンプ・雷蹴のマナ!
 格闘界にその名が轟く雷蹴のマナ!
 自信持ってくださいよっ、あなたは強いんだ!」

「……か、勘違いするんじゃないわよっ!
 私はただ、あの二人を倒す機会がないのが悔しいって思ってるだけ
 なんだからっ!」

 少女は突然、面食らうような威勢でつっぱり返す。
 が、青年は別に面くらいはしなかった。慣れているのだ。
 その変わり、一つ息をついて、青年はそこで口調を再び明るくおどけさせた。

「はいはい、分かってますよ。
 それで先輩、肝心の情報収集の方は?」

 すっかりと元気を取り戻した少女は、やっぱりつんとして一言言った。

「してないわよ、そんなの!」

「やっぱりね……」

 青年は肩をすくめた。




  Lメモ未来編「FAKE and BLACKS  〜after the nitht , before the daybreak〜」




「戻ってきたのよね……」

 少女はそう呟いた。
 青年は黙って頷いた。

 少女がふとそう呟きたくなったのは、彼女の目線の先……丘の上に馬鹿
みたいにただ大きくぼぅっと建っている建物のせいだ。

 試立Leaf学園。

 正確には、試立Leaf学園跡、である。
 二人は今、その試立Leaf学園跡から少々離れた公園にいる。

 彼ら──かつてそこを学舎とした彼ら──の目に映ったLeaf学園校舎
は、色こそ煤けてはいるが、彼らの記憶の中のシルエットそのままに残っていた。
 この公園までに至る道のりも、元は彼らが勝手を知った道のりだった。
 だが、あまりにも荒れ果てたこの街は、彼らの記憶とほとんど符号しなかった。
 だから、彼らは今、この街に入って初めて感慨を起こしていた。

 喜びとか悲しみとか──
 甘酸っぱい気持ちや苦々しい気持ちや──
 成長、挫折──
 今より五年子供だった彼らの時代の詰まったそこは、あまりにも複雑すぎる。
 呼び起こされる感慨もまた。

 だから少女は、外から見ると、むしろ無表情のように見えた。
 その少女の表情をちらりと見てから、青年は少女と違ってその感慨を
敢えて抑え、代わりに一つの事を思い出そうとした。

 ”この前ここに来たのはいつだったか?”



 ──緑葉帝74年。
 かの大戦の一年後の話だ。
 アフロ同盟・TaSは、大戦を生き延びた者達に向けて、宣戦布告した。
 正しく言うのであれば、自らの傘下に入ること──アフロ同盟に参画し、
TaSの指導の元、新たなる世界・千年王国を築く尖兵となること──を
勧告したのであるが、それは即ち宣戦布告と同じ結果となった。TaS自身
もまた、そうなることは当然予測していたのだろう。明らかにかねてより用意
していたと思われる戦力を以て、人々の制圧に乗り出した。

 大戦終結より間もない時期の事である。
 一般市民は元より、TaSの戦力に有効に対抗しうるスペシャルスキルを
持つ者達も散り散りとなっており、人々は抵抗らしい抵抗も出来ないまま圧
されていくのみ……となると思われた。

 だがしかし、TaSは倒れた。それも彼の反乱が始まった直後に。

 そして、彼を倒したのは、デコイ、Yin、とーる……彼の懐刀であったはずの三人だった。

 青年はその時の事を思い出す。
 あれは、豪雨降りしきる暗い昼だった。
・
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・
・
「南妙不可思議、天使力っ!」

 法衣の男が怒鳴る。
 片腕に大粒の数珠をぶら下げながら、両手を複雑に、目にも留まらぬ早さ
で動かす。
 その度に、豪雨で打たれたそれが、水滴を四方に弾いた。

「般若波羅蜜多、制御主人っ!!」

 彼が印を組む度、彼の後ろに浮かぶ人影が発する光が強くなる。
 その人影は、人の言うところの天使そのもののようだった。
 その頭部の角と、垂れ下がった爬虫類の尻尾を除けば。

 ごうっ! ごごがががっ!

「ッ!」

 彼と背後の天使……その二人に向けて、真っ白く発光する球が殺到する。
 だが、彼はその身を盾にして、後ろの天使へのダメージを防いだ。
 法衣に血を滲ませつつも、詠唱も印も止めることなく。

「臨兵闘者皆陣烈在前……阿・意・螺・拿………………縛ッッ!」

 最後に、人差し指と中指を突き立てたその手を眼前に持って来て、彼の詠唱
は終わる。
 同時に、彼の背後の天使の翼が大きく開かれ、そこから幾つもの光の線が延びた。
 それが、前方にいる人影を捕らえ、その動きを縛る。

「グぅぅぅアぁぁぁぁぁッ!!」

 捕らえられたその人影は、知る者が見れば一目で誰と知れる。
 その特徴的な髪型……縮れた髪が放射状に伸びたそれ。アフロ。

 TaSである。

 そして、彼を縛った法衣の男は、それと同じ髪型をしている。
 ……Yinだ。

 Yinの放った光の帯は、強力な拘束力を発揮した。
 腕の一振りでSS使い数人を薙げる今のTaSの動き、そして彼の使役する
光の球『聖珠』すらも封じ込めていた。

「う……ぐ……」

 Yinは、その限界の力を行使していた。
 指先は震え、豪雨に打たれてさえ冷えない体から、大量の汗が吹き出す。

”あと三十秒保たない!”

「デコイさんっ!!」

「任せろっ!」

 Yinの叫びに、右前方を疾駆する影が応えた。 
 その影──デコイは疾駆しつつ、その手に抱えた”それ”を掲げる。
 ”それ”は黒鉄に一つの目を持つ一眼レフ。
 レンズ部が大砲の如く、人を威圧するように前方に張り出したそれ。
 デコイはほぼ真左に上半身だけを向け、激しく大地を蹴り続けながら、まったく
バランスを失わずに易々とファインダーを覗き込む。目標物(モデル)はTaS。

 ファインダー越しのTaSの、その左手がもちあげられる。
 Yinに動きを封じられつつも、その全ての力が止まっているわけではない。
 TaSの左手が開かれる。強く、大きく。
 その掌から、白い龍が弾けるように飛び出した。
 『聖龍』
 TaSの使役する幻の獣は、白く美しいほっそりとした体と裏腹に、凶々しい
口腔の牙を見せつけてデコイに迫った。

 轟音。

 大地はえぐれ、土砂と泥水が飛び散る。
 しかし、デコイはそれを避けていた。
 空を舞っていた。
 暗き空を背にして、デコイはその身を空に滞らせていた。
 その瞳は、これまでの数瞬、決してファインダーから離してはいない。

「ベスト・タイミング!」

 コンマ零一秒、ピント合わせ完全なり。

「ベスト・プレイス!」

 コンマ零一秒、目標の中心核たる赤光点を頭部に補足、完全なり。

「ベスト・オケイジョン!」

 コンマ零一秒、目標の固定は間違いなし、確認完全なり!

「いけッ! フラッシュサンダーッッ!!」

 その指が、躊躇無くシャッターを降ろす。

 視覚を打つのは雷撃、聴覚を打つのは雷鳴。

 彼の手にしたマジックアイテム『現見のキャメラ』。
 それに封ぜられた魔力が、TaSの頭上に魔術雷を降ろしたのだ。

「グゥゥガァァァァァッッ!」

 雷撃の白光の中、TaSのシルエットが揺らめく。
 魔術雷の完全なる直撃が、TaSに強大なダメージを与えていた。

「今だッ! 止めろッとーるっ!」

「はいッ! 音速二刀流(ソニック・ダブル)…………」

 とーるは、光剣(スパッド)をその両手にし、構えを取る。
 地面に叩き付けるような雨の中、基部から延びた光の刀身が煌めく。
 彼の髪もまた琥珀(きん)色に輝いていた。
 彼の全力の証、『電髪』。
 帯電したその頭髪が、球の如く膨張して発光する。
 それが、光剣と共に周囲を白く照らした。

「秘奥義…………王子の光流(ジャック・レーザー)ッッ!!」

 とーるは、そう叫んで光剣二刀を突きだした。

 その後は一瞬。ただの一瞬。

 一瞬だけ、とーるの前に光条が延びた様に見えた。
 それが、TaSを貫いたように見えた。
 一瞬の閃きは一瞬で消えて、いつの間にかとーるはTaSの背後にいた。

 そして、とーるが振り向いたとき、TaSは倒れたのだ。静かに、静かに。

「ますたぁっ!」

「TaSさんッ!」

「TaSさんっ!」

 三人が駆け寄る。
 法衣のYinが。カメラを携えたデコイが。電髪を収めたとーるが。
 よろめきながら、ひどく慌てて。
 それまで命を賭して戦った相手のはずなのに、彼らはなんの躊躇いもなく
TaSを抱き上げた。

「なんでこんなバカな事したんだよッ!なんでこんなバカなッ!」

 Yinが枯れるような声で怒鳴った。
 抱きかかえられたTaSは、弱々しく小さく唇を動かした。
 微笑っているのだ。

「ワタシは……こうするしかなかったんデスよ……」

 その唇から、途切れ途切れに言葉が流れ出る。
 この時に至っても、彼は道化の口調を崩しはしなかった。
 彼らの前では、そのTaSでいたかったのかもしれない。
 最後のこの時だから。

「TaSさん、あんたって人は…………」

 デコイがそう言ってからは、もう誰も何も言えなかった。
 小雨の中、ただの沈黙がそこにあった。

”ゴフッ!”

 TaSが吐血する。
 三人はあっ!と声を上げた。
 その三人を、TaSが穏やかにサングラス越しに見つめている。

「……デモ、ミナサンがいるんだから大丈夫デシタね……」

 その言葉が、前の言葉と繋がっているのかどうかはよく分からなかった。

「ああ……ワタシもシヌんですネェ………………」

 それが、TaSの最後の言葉だった。

 三人は、声をあげてひたすらに泣いた。
 雨は止んで、久方ぶりの陽光が彼らに射していた。
・
・
・
 まだ少年だった頃の青年は、その一部始終を遠巻きに見守っていた。
 傍らにいた月島瑠璃子は、泣いていたかどうか分からない。
 ただ、その色のない瞳が、微かに悲しげに揺らめいていたのは覚えている。

『そうだった、あれが学園にいた最後の日だった……』

 その日以降、閉鎖されたあの学園に訪れる機会はなかった。
 そして、あの学園の事を思い出すこともなかった。
 思い出せば思い出すほど、それは何か悲しい事だと思えたのだ。
 失った物の多さに気付くばかりで。


『TaSちゃんを助けてくれる…………?』

「えっ……?」

 その時、忘れていた感慨がこみ上げようとしたその時、青年は、その声を確かに聞いた。
 どんなに長く時を隔てても、その声を聞き違えるはずはない。
 
「瑠璃子さん……?」

 確かに彼女の声。
 だが、彼女の姿はない。
 どれだけ見回しても。

 そして、彼女の声は二度は響かなかった。

「何よ、どうしたの?」

 隣のマナが怪訝そうにそう言うのを、青年は呆然と聞き逃す。
 

「ほら、いつまでもボケっとしてないの!
 足立さんのトコに行くんでしょっ?」

「あ、ああ……」

 マナに引っ張られ、青年はようやく生返事を返す。
 街に、風が少し凪ぎ始めていた。