Lメモ過去編 『銀狼、流浪す(後編)』 投稿者:XY−MEN
オレは研究所の廊下を走っていた。
ただし、人に見つからないよう、辺りを注意深く伺いながら、小走りにだ。
角を一つ曲がり、そして、一つの扉の前にたどり着く。

「ここか……」

オレは、直前で「少し仕事がある」と別れたあの少年のことを思い出していた。
彼は、彼が言うにはオレをここから逃がすために雇われたという。
その理由や意味を、彼ははっきりとは言わなかったが……。
しかも、オレが、脱出する前にある人に会いたい、と言うと、それも快く了解した上に、
その場所さえも教えてくれたのだ。
まったく、彼が何を考えているのかよく分からないが、今のオレにとってはありがたい。

扉の電子ロックは既に外されている。
これもまた彼の仕業らしい。
研究所のロック機構の大半は無力化し、監視システムも働いていないのだ。

オレはおもむろにボタンを押す。
扉が開いた。

その部屋は、おそらく貴賓用の部屋なのだろう。
そこそこ高価に見えるソファーやテーブルなどの家具がしつらえてある。
そのいかにも柔らかそうなソファーの上に、一人の少女が座っていた。
長い黒髪の、穏やかな顔をした少女。

『間違いない、あの子だ……』

オレの”心”の中に入り、助けてくれたあの少女だ。
少女は、なにやら古ぼけた装丁の本を手にしながら、おや?と言うように首を傾げてオレの方を見た。

「あ……」

オレは、彼女に視線を投げかけられて焦った。
彼女にもう一度会いたい、と思ったのは思ったが、何を話したい、と言うところまでは
考えてなかったのだ。
言葉に詰まるオレ。
そんなオレに、彼女はその穏やかな表情のまま、一言だけ言った。

「……よかった……。」

小さな小さな声の、とても短い言葉だった。
だけど、その言葉はとても優しい言葉だ、と思った。
オレはやっと言うことを思いつく。

「ああ……ああ……そうなんだ。 君のおかげでこの姿に戻れたんだ。 ありがとう……。」

そうだ、オレはまず、彼女にお礼が言いたかったのだ。
お礼すらいう間もなかったから……。
それともう一つ……

「だけど、オレ、行かなくちゃいけない。 その事を伝えておきたくて……。」

オレは彼女にそう言った。
彼女にどうしても伝えておきたかったことだ。
何か、彼女には一言伝えておかなければいけない気がした。
彼女は微かに悲しげにも見える表情のまま、少しの間を置いた。

「……それは、仕方ないことです……。」

彼女の口が小さく動いて、言葉を紡ぎ出す。
その動きとその声色が少し悲しげだ、と感じる。

「ゴメン……」

何か済まない気持ちだった。
せっかく助けてもらったのに、それに何も報いることが出来ないからだろうか。
いや、そうじゃない。
”私によく似てると思ったから……。”
彼女の言葉だ。

「オレは……」

オレは言葉に詰まる。
この優しい少女の側に、もう少しの間いてやりたかった。
だが、それが出来ない。
オレの中に迷いができそうになった。
何も言えないオレの代わりに、彼女が言う。

「大丈夫……私には、守ってくれる人がいるから……。 
 だから、あなたはあなたが探すべきものを探してください。」

その言葉は、やはり小さな声のそれだったが、オレの背中を押すのには十分だった。
そうだ、もう決めたことじゃないか。
ここはオレの居場所じゃないって。
自分で自分を探すって。

「何もできなくてごめんな……。」

オレのその言葉に、彼女はゆっくり首を横に振る。

「あなたに会えたこと……嬉しかったです。」

優しい声音だった。 穏やかな表情によく似合う……。
オレも言う。

「オレも……君に会えて良かった。 ありがとう。」

オレは、彼女にオレのできる精一杯の笑みを見せた。
穏やかな、とても穏やかな……だけど少し寂しい空気が流れる。
だがその時、爆発音が起こり、同時に振動がオレ達を襲った。

「何だ?!」

驚いて廊下に出たオレは、廊下の奥からあの少年が駆け寄ってくるのを見つけた。

「おい、どうしたんだ?!」

少年は息をきらせながら、それでも冷静な顔をして言った。

「どうやらちょっとバッドタイミングみたいです。 襲撃ですよ。」

「襲撃?」

「このラボにどこかの組織の破壊工作員が送り込まれたみたいです。
 僕がセキュリティーを麻痺させたおかげですんなり侵入を許してしまった。」

少年は、そこまで一気に喋ると一つ息を入れた。

「どうします? 今なら脱出には好都合ではありますが……」

少年は、何かためらっているようだった。
そこへ彼女が……芹香さんがゆっくりと歩み寄ってきた。
彼女は少年を見て僅かに驚いた様子を見せ、少年は軽く会釈を返した。

「顔見知りか? だったらちょうどいい。 君は……彼女を護ってやっていてくれ。」

「あ、ちょっと、どういうつもりです?!」

オレは、後ろから掛けられる声に、振り返って答えた。

「一応は世話になったんだ! 借りっぱなしってのは性に合わないからな!」

その言葉は、嘘ではないが、照れ隠しだった。
本当の事を言えば、芹香さんのために……芹香さんを護るために、今は戦おうと思っていた。
それが、今オレに出来るせめてもの事だったから。

「……それと……芹香さん、だっけ? 二度と会えないってわけじゃないから!
 またいつか、どこかで会おうな!」

オレはそう言って軽く手を挙げると、振り返らずに爆発音が聞こえて来た方へ走った。

『銀狼……オレに力を貸してくれ。 オレに戦う力をくれ!』

そう念じる。
オレの想いに応えるモノがある。
オレの体の奥からあふれ出るパワーがある。
それがオレの体の全てを覆っていく。
ぞわぞわとオレの体の全てが、細胞一つ一つが熱く弾けるように動き出す。
骨格が変化していく。
爪が、牙が伸びる。
そしてオレは、銀の体毛に包まれた獣、銀狼へと変身していた。



白いコンクリで出来た廊下の角を走り、曲がる。
視界が開ける。
すぐ先……どうやら正面玄関らしい開かれた場所で、一人の男が複数を相手に戦っていた。
あの爺さんだった。
爺さんの剛拳が唸り、迅蹴が走るたび、刺客たちが壁に叩きつけられる。
まるで嵐が吹き荒れているようだ。
オレと対決した時とは違う、凄まじい大立ち回りだった。
そして、猛烈な勢いを持ちながらも、それはほんの一瞬の淀みや乱れもなく、一分の隙も与えずに、
流れるように連続し続けている。
爺さんの技量は、まさに恐るべきものだった。
その爺さんの後ろを、魔術師が取った。
他が爺さんとやり合っている間に魔術を食らわせるつもりだ。

「やらせるかよっ!」

オレは駆ける。
オレの接近に気づいた魔術師は、素早く向き直り、標的を爺さんからオレに変えて魔術を放った。
衝撃波がオレに迫る。
その振動が鼓膜を揺さぶる。
その瞬間、オレの頭の中に一つのイメージが浮かぶ。
”オーラ?”
蒼白い光が、いつの間にかオレの拳を覆っていた。

「こうかっ!」

オレは闘気に覆われた拳を、衝撃波目がけて振り抜く。
インパクト。
その瞬間、闘気が弾ける。
爆裂。
その爆光は、迫りくる魔術衝撃波にぶつかり、それを相殺した。
そしてそのまま突進する。
オレは、しびれる右拳をそのままに、魔術師に左拳を叩き込み、吹っ飛ばした。

『そうか、これが銀狼の本当の力……。』

オレは納得する。

「小僧、貴様どういうつもりだ?」

玄関ホールの真ん中で、オレと爺さんは背中を合わせる形になる。

「苦戦しているんだろ? 助けてやるよ。 借りを作るのは嫌いだからな。」

「ふん……」

爺さんが、斬りかかってきた剣士の剣を白刃取りすると同時に、その腹に蹴りを叩き込む。
そして、その一呼吸後に言う。

「勝手にするがいい。 だが、途中で逃げるなよ!」

「なめるなよ爺さん! オレにだって意地があるぜ!」

そう言うオレの方にも、両手にそれぞれ剣を携えた剣客が迫っている。
奴は、その両刀を大上段から同時に振り下ろしてきた。
風斬りの音。
瞬間、再びイメージの閃きが走る。
オレは、両手の指先を真っ直ぐに伸ばし、手刀を形作る。
その手刀に蒼白い闘気が宿り、オレはそれを振り下ろされる剣に向かって振った。
蒼白い軌跡が残る。
剣士の二本の剣は、根本からきれいに切断され、その刃がオレを切り裂くことがなかった。

「オオオッ!」

得物を失った剣士に膝蹴りを食らわせ、くの字に曲がったそいつの顔面に、
ちょうどビンタの逆、拳の裏を叩きつけてやる。

「ふん、やるな小僧!」

爺さんは、言いざま飛びかかってきた男を軽くいなし、叩き伏せた。

その三人を倒したところで、敵の動きが変わった。
銃撃が、魔術が、オレ達を襲う。
壁が、床がえぐられ、騒音がホールにこだまする。
オレと爺さんは、慌てて廊下の角の陰に逃げ込んだ。
どうやら穏便な戦い方は捨て、遠距離から数に任せた攻撃をすることを取ったらしい。

「ちっ、厄介なことになった……」

オレが呟く。
連中は魔術と機関銃を乱射しながら、少しずつ距離を詰めてくる。

「あの真ん中後ろの男がリーダーだな。 あやつを倒せれば……。」

爺さんが呟く。
なるほど、爺さんの言った男はさっきから身振り手振りを加えて細かく周りに指示を出しているようだ。
だが、飛び道具を持たないオレ達では、この位置からそいつを倒すことは出来ないし、
この火線ではうかつに飛び出すこともできない。

激しい銃撃音と魔術の衝突音。
それらがオレ達をじわじわと追いつめていく。

「く……このままでは……」

爺さんが呟く。
その声も、乱銃撃の音がかき消す。
うねるような木霊するようなその音。
その時、またイメージがオレの頭の中をよぎる。

「これだ!」

「何?」

オレは、全身を熱く高めるようにイメージを描く。
そのイメージに従って、蒼白の闘気が体全体から放出、収束され、オレの全体を覆う。
オレは自分を弾丸に見立てた。

「いくぞぉっ!」

「ま、待てい!小僧!」

爺さんの言葉を無視し、オレは角から飛び出て突進する。
攻撃がオレに集中する。
銃弾が、魔術がオレを襲う。
壁面を叩く音、空を裂く音、爆裂する音、或いは爆光。
それらの、耳が痛くなるような騒音の中をオレは突っ切る。
銃撃も、魔術も、オレには届かない。
オレの体を覆った闘気は、銃弾を弾き、魔術を遮断する壁となり、そして同時に、武器となる。

「おおおおッ!」

連中は、廊下の出口でほぼひとかたまりになって銃撃を行っていた。
そこへ闘気の塊となったオレが突っ込む。
驚愕、恐怖し、その場から逃げ出そうとする奴ら。
だが、その暇もほとんどなく、オレにオレの闘気をぶつけられ、跳ね飛ばされた。
この一撃で、奴らのリーダーも倒れた。

後は、頭を失った集団の残り数人を、爺さんとオレとで潰すだけだった。
”銀狼”の力をふるって。

オレの体が……”銀狼”の体が駆け、跳ねる。
銀の残像を残し、縦横無尽に敵を蹂躙する。
蒼白の闘気が敵を撃つ。
その中で、オレは理解していた。

『これが本当の銀狼の力……。 本物の銀狼の戦い。』

そして、その力の恐ろしさも。



気が付けば、敵は全て倒れていた。
それを確認すると、オレは変身を解き、人の姿に戻った。
牙が、爪がそして銀毛が縮んでいく。
骨格が、人のそれに戻っていく。

「はあ……はあ……」

体を余熱が覆っていた。
呼吸が荒い。
オレは、それを整えながら爺さんの方へ振り向く。

爺さんも、ちょうどオレの方を振り向いたところだった。
だが、爺さんは、オレとは対照的にまったく息を乱しておらず、その額に汗も見あたらなかった。
傷一つも負っていない。
爺さんはオレより長く戦闘をしていたし、倒した数もオレより多いはずなのに、だ。

「小僧、一応礼は言おう。」

爺さんは、闘いの後とは思えない、落ち着き払った様子でそう言った。
その言葉も、ただの強がりには思えなくなる。

「まったく……なんて爺さんだ……。」

オレは苦笑する。
オレではかなわないはずだ。

「ああ、どうやら終わったみたいですねぇ。」

そこへやってきたのは、あの少年だった。
少年は、床に倒れている刺客達を面白そうに眺めながら、オレと爺さんの方へ歩み寄った。

「お前、芹香さんは?」

「ああ、大丈夫。 彼女の部屋はちゃんとロックしておきましたから。
 それと……」

少年は、爺さんの方へ視線を移しながら言った。

「彼のデータはきっちり削除しておきましたから。 これで、いいんですね?長瀬君。」

爺さんは、オレよりも年下だと思えるこの少年に「君」付けされて顔をしかめながら言った。

「相変わらず礼儀を知らぬ坊主だな。 だが、ご苦労だった。」

「はい。ですが、あなたも僕のことを”坊主”呼ばわりしないで欲しいんですけどね。」

少年がにっこりと微笑む。
オレには何がなんだかさっぱりだった。
オレをこのラボから逃がそうとしたこの少年は、オレを捕らえたこの爺さんの命令で動いていた?

「どう言うことだ?」

当然の質問だろう。
爺さんもこの質問を予想していたらしい。
オレの方に向き直ると、それに答えて語った。

「来栖川による”保護”が、元来”保護のための保護”として始まったのは事実だ。
 だが、組織が巨大化し、複雑化すれば、いつまでも一枚岩ではいられん。
 残念だが、来栖川内の一部に、お前達獣人を積極的に研究し、それをビジネスに転化しようという
 動きがあるのだ。 お前がワシらを恐れたとおりにな。」

爺さんがそこまで言ったところで、少年がそれを受けて続ける。

「そこで、僕が雇われたわけです。
 外部からの侵入者によって銀狼がさらわれる……このシナリオなら、無理なく君を解放でき、
 その上、組織内での無用の対立を避けられる……。」

「まだ、連中を一掃する時期ではないからな。 来栖川の分裂は避けたいのだ。」

爺さんはため息をつくようにそう言った。
オレは呆気にとられた。

「つまり……、オレはあんたら来栖川の都合に振り回されていただけかよ?」

オレは怒るのも忘れてなんだか呆れてしまった。

「すまんな、小僧。」

爺さんが、爺さんらしく無骨に謝る。
それでも、それには爺さんなりに精一杯のものなのだろう。

「参ったな……。 けど、ま、いいか……」

オレはあっさりとそう答えた。
意外なほど腹は立たなかった。
それは、ここに来たことで得たものがある、ここに来た価値はあると言うことを分かっているからだろう。
”銀狼”の呪縛から逃れることが出来たこと。
この爺さんや、あの芹香さんに出会えたこと。
それは、オレにとって重要なことだ。
オレの行く先を、とりあえず見つけることが出来たのだから。
その気持ちが、その気楽な答えに現れていた。

「さて、そろそろ行かないと不味いでしょうね。」

「ふむ、それがいいだろう。」

そうだ、爺さんと少年が話をしているところを見られでもしたら、面倒なのだ。
少年がオレを促す。

「さあ、行きましょう。」

だが、オレは最後に爺さんに聞いておきたいことがあった。
オレは立ち止まる。

「爺さんは何のために戦っている?」

「……ワシを拾ってくだすった来栖川会長のため。……そして、お嬢様のためだ。」

それが爺さんの答えだった。

「小僧、先程の貴様の戦い、見事なものだった。
 その拳、磨けばモノになる。
 己を磨け! さすれば、自ずと拳は輝く。
 貴様がその拳に生を宿した時、その時再びワシに挑むがいい。
 ワシの名は長瀬源四郎!
 この名を覚えておけ!」

「ああ! いつか爺さんをこてんぱんにのしてやるから覚悟しろよ!
 オレの名はXY−MENだ!」

オレは爺さんにそう言うと、爺さんに背を向けて歩き出した。
爺さんは、まるで楽しみが増えたかのように、楽しげな笑みを浮かべていた。





研究所を出る。
そこは、別に森や林に囲まれているわけでもなく、何の変哲もない街の外れだった。
少し歩けば街の繁華街に出るだろう。
オレは歩く。
空が青い。
なにか、久しぶりにこんな青空を見たような気がする。
空気が気持ちよく吸えているような気がする。
それはそうとして……

「しかし……、おまえ、何で付いて来るんだ? オレを監視することも任務に入っているのか?」

オレの隣には、さっきからずっとあの少年が付いている。
時折、面白そうにオレをジロジロ見ながら。

「いえいえ、もう任務は終わってますよ。 僕が君に付いているのは、単純に僕の興味のためです。」

少年はそう答える。
まったく裏表のなさそうな笑みを浮かべながら。

「ホントかよ?」

「ホントですよ。」

オレの疑いの眼差しに、少年はにっこりと微笑んで答えた。
オレはわざと怪訝そうな顔をしていた。

「……ところで、これから何処へ行くんです? どこか行くあててでも?」

少年が話題を変えた。
オレはふと少し考え込む。

「そうだな、あると言えばある。 行っておこうというところはな……で、聞いてどうする?」

「もちろん、付いて行くんですよ。」

予想通りの答えだった。
オレは一つ息をついていった。

「あのなぁ、何なんだよ一体? だいたい、オレはお前の名前も知らないぞ?」

「ああ、僕は神無月りーずっていいます。
 ねぇ、折角だから、一緒に行きましょうよ?
 その方が、旅も楽しいですよ?」

「お前がオレを狙ってないという保証は?」

「そんなもの、ありませんよ?」

少年は妙に無邪気な笑顔で言う。
その笑顔を見ていたら、なんだか拒むのも意味のないような、バカらしいような、
そんな気持ちになっていた。

「勝手にしてくれ……。」

「はい、勝手にします。」

少年は、やっぱりにこにことしている。
オレは、やれやれ、とため息をついた。

「ま、それも面白いかもな……」

オレは小さく呟いた。
悪い気はしない。
あまりに楽天的すぎるかも知れないが、今はきっとそれでいい。
心は意外なほど軽く、顔は知らず知らずほころんでた。

(終)