柔道部設立L 「カンバン騒動記」 後編 投稿者:山浦



「せやぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
 めでたくっても逃走劇は続く。坂下は裂帛の気合いとともに拳を打ち出す。ジン・ジャ
ザムの装甲もぼこぼこにすると言う噂の鉄拳だ、当たれば命はない。
「坂下さん! 頑張って!!」
「頑張れ! 坂下のねーちゃん!」
「今度は第二購買部か!!」
 坂下好恵の鉄拳から必死になって山浦は逃げ回る。打撃の対処法を知らぬ柔道家では、
彼女の間合いに入った瞬間に打ち倒されるだろう。それが分かっているからこそ、決して
山浦はその間合いに入らない。這い回るようにして逃げ回る。
「逃げまわるな〜。ひきょうだぞ!」
「そーよそーよ! 卑怯よ!」
 ギャラリーの雛山姉弟が勝手なことを言うのを聞きながら、山浦は逃げ道を探る。
(下手に逃げた所で、雛山におっつかれる。職員室はこの上の階。階段はここから500
m近く…………逃げ切るのは無理か……)
 さらに言えば、階段には待ち伏せている人間もいる。彼の行動パターンから目標地点を
割り出すことなど、この学園の人間ならそう難しいことでもない。
「せぃやぁ!」
 などと無駄な事を考えている間にも坂下の攻撃は鋭さを増す。今まで届きもしなかった
正拳が、山浦の体をかすりはじめる。踏み込みを一段深くしたのだ。技の小回りは落ちる
が、リーチと威力は格段に上がる。打撃の反撃がないと踏んでの戦略転換だ。
「くそったれ!」
 脇腹をかすかに掠めてはしる拳に冷や汗をかきながら、山浦は転がるようにして逃げ回
る。と、同時に山浦の足が蹴り上げられた。
「せいやっ!」
 蹴り出された足から鉄下駄が放たれ、真っ直ぐに坂下の顔面を襲う……かに見えた。し
かし、同時に坂下の両の手がくるりと回る。それだけで鉄下駄の進行方向が真横に変じ、
壁にぶつかって床に落ちた。
「……回し受け……受け、払い、流し、全ての防御の技術を秘めた受けの極限よ。矢でも
鉄砲でも、火炎放射器でも持ってくるのね」
 にやり、と坂下が笑う。同時にその両手が山浦の視界から消えた……いや、山浦の動体
視力を越えた。
 がががが!
 四つの打撃音がほぼ同時に響いた。
「――正中線四連突き」
 低く坂下が呟く。少し遅れて、どう、と言う音を立てて山浦の巨体が倒れた。空手の攻
撃と防御の極限……回し受けと正中線四連突き……を受けて、立っていられるはずもない。
「やりましたね! 好恵さん!」
「やったぞねーちゃん」
 横倒しになったカンバンを抱き上げて、理緒が微笑む。その横では、良太も一緒になっ
て喜んでいる。分かっているのか分かっていないのかよく分からないが。
「ああ、理緒もよく知らせてくれたわね。おかげで…………」
「やれやれ、好恵さん一人で片づけてしまったのですか? これではせっかく用意した伏
兵の意味がないですねぇ」
 穏和そうな声が、坂下の声を制する。第二購買部の主beakerだ。
「そうですねぇ。理緒ちゃんにも良くやってもらいましたし、特別ボーナスとして………
…」
「beaker! 特別ボーナスって、そんなもので済ます気なの!?」
 しゃあしゃあと金儲けに走ろうとするbeakerに思わず坂下が非難の声を上げる。
「そうだぜ、理緒ちゃん! そいつを売れば理緒ちゃんちにある借金全部返したってまだ
余るんだぜ!!」
「アタシがちゃんとした値で買うわ!!」
 さらに、非難の声は大きくなる。YOSSYFLAMEが、そして綾香とハイドラントが追い
ついた。芹香やトリプルGの姿がないのは、やはり脚力の差によるものだろう。
「…………よっしーくん……来栖川さん…………」
 どうしていいのか分からぬまま、理緒はうつむく。確かに、綾香のそしてYOSSYの
言うとおりにすれば借金は返せるかも知れない。生活は楽になるかも知れない。しかし、
それは何かを捨ててしまう、そんな気がした。
「……理緒……いいんだ、私たちに気にすることはない」
 坂下が優しく言う。妹のような存在である理緒を騙すようなことなど彼女自身する気は
ない。それに、今回のbeakerのやり方にはさすがに腹に据えかねる所があった。
「…………」
 多分、いや間違いなく理緒がカンバンを渡したとしても第二購買部の人達はなに一つ彼
女を責めることはないだろう。それは坂下の態度を見れば確信できる。しかし、理緒は決
心できなかった。なぜか? それは、彼女自身にすらわからない。
(…………どうして? これを来栖川さんに渡せば、苦しい生活から分かれられるのに。
もう、お金がないって良太に恥ずかしい思いをさせずに済むのに……わたしだって……ほ
かの女の子みたいに…………なのに……どうして…………)
 まるで分からない。友情も、職も、何を失うわけでもない。それなのに理緒のこころが
叫んでいる『渡してはいけない。渡してしまっては、大切なものを失うから』と。
「……ごめ……ごめんなさい…………ごめんなさいよっしーくん。ごめんなさい来栖川さ
ん。ごめんなさい母さん…………ごめんなさい……わたし……わたし…………」
 訳も分からず理緒は泣きじゃくる。そして、涙目のままbeakerにカンバンを手渡
した。
「…………ごめんね、良太……お姉ちゃん、悪いお姉ちゃんだよ…………」
「理緒ちゃん、ご苦労様です。それでは特別ボーナスですよ」
 beakerは受け取ったカンバンを脇に立てかけると、懐から大きめな茶封筒を取り
出し、理緒に渡す。
「……これは……?」
「特別ボーナスです」
 にこやかに告げるbeaker。理緒はおそるおそる封筒を開ける。
「……『甲【株式会社日○】は乙【Leaf学園第二購買部】に対し債券の譲渡を……』
これって雛山さんちの借金をアンタが買ったってこと!?」
 後ろから覗き込んだ綾香が思わず大声を上げる。
「なに、借金は一本化を行った方が安くつきますからね〜」
「しかも利息0%って……beakerあんた…………」
 へらへらと笑うbeakerに皆が意外そうな顔を向ける。
「いやー、ただのボーナス代わりの紙切れですよ。理緒さんは大人になってからゆっくり
この借金を返してくださいね」
 周囲の人間もbeakerの真意にようやく気付いた。例え、”カンバンを売った金”
と言う言い訳があるにせよ、雛山理緒という娘が、ポンっと天から与えられたような金を
受け取る筈もない。そんな彼女のささやかなプライドを守りつつも彼女を援助する。そん
な粋な計らいだ。
「OK! ここはアンタに譲るわbeaker。じゃ、これからはビジネスの話題ね」
「勿論ですとも。それで、来栖川のお嬢様はこの『前田光世のカンバン』いくらでお買い
あげに?」
 にっこりと綾香とbeakerは向き合い、それから頭の中で値踏みする。
「……そうねぇ…………」
 うーん。と、考えつつ綾香は何となくカンバンが立てかけられている辺りを見て……
「あー! 山浦何やってんのアンタ!!」
「やべ!!」
 せっかくの感動の場面をぶちこわす男がそこにいた。気付くが早いか山浦はカンバンを
小脇に抱えて駆け出す。と、先ほどのダメージが残っているのか、少しよろける。
「それを返して!!」
 その瞬間、理緒が思わずカンバンにしがみつく。と、よろけた山浦が倒れる。正中線四
連突きの威力は、食らった本人が思った以上に深刻だったらしい。と、倒れた拍子にカン
バンが山浦の手を放れる。
「「「「「「「ああっ!!」」」」」」」
 全員が同時に叫んだ。手を放れたカンバンは、窓から下に落ち…………。
「なんだ? この板っきれ?」
「……おい、これ例のカンバンじゃねえか?」
「うっそ!? 五千万のやつ?」
 見る見るうちに野次馬が、集まってくる。いや、もはや彼らは野次馬ではない。たった
一つのカンバンを奪い合う獣の一団…………。
「早いもんがちだぁ!!」
 誰かの声がした。そのときには全員がカンバンめがけて殺到していた。さすがはLeaf
学園に通う者達である。たとえ名が出ることもない一般生徒であっても目の前に転がるチ
ャンスを逃したりはしない。
「プアヌークの邪剣よ!!」
…………まあ、それが不幸を呼ぶこともままあるが。
 ハイドラントの一撃で、殺到する生徒の1/3近くが吹き飛んぶ。調子に乗って悪人笑
いなんかしてみるハイドラント。なんだかとってもマップ兵器な感じだ。
「神凪! 拾え!!」
 さらに、たまたま(なのか?)神凪遼刃に命じる。彼の頭を駆けめぐるのは、電気代の
心配なく、クーラーのよく利いた部屋でクソゲー三昧の未来…………なにか、多分に間違
っているような気がしないでもないが。
「分かりました導師」
 命に従い、神凪は連れ立っていた雀鬼のたまに二、三耳打ちをしてからカンバンを拾う。
そして……。
「たまさんぱーっす!!」
 たまに向かってそれを投げた。
「かんなぎいいいいいいいいいいいい!!」
「はっはっは! 導師! 命令よりも萌えです! いや、正確にはロリです!!」
 訳の分からない捨て台詞を言うが早いが、神凪はダッシュで逃げる。ほとぼりが冷める
まで逃げ切ろうという魂胆か。
「カンバンゲットだぜ〜〜〜〜! ルミラさまにもほめられるぜ〜!」
 喜び勇んで逃走するたま。しかし、世の中そんなに甘くはない。
「うおおおおおおおおおおおお! 猫耳! ちゅるぺた! 萌ええええええええええええ
えええええええ!!」
 平坂蛮次が横殴りにつっこんでくる。行く手を阻む……つーか、たまへの直線軌道上に
いるもの全てを弾き飛ばしながら。
「にぎゃああああああああああああああ!!」
 思わずカンバンを投げ捨ててダッシュで逃げるたま。魔に属するものにすら本能的な恐
怖を与える障気を発しつつ、蛮次は走る。まっすぐに、目標に向かって。
「萌えじゃ、萌えじゃぁ!! 首輪かませて監禁調教のNaturalなお兄ちゃんと言わせる
んじゃああああああ!!」
「たまさんになんて事を!」
 それを阻まんとばかりに立ちふさがるは神凪遼刃。
「それは私がやることです! 後から来ておいしいところを持っていこうだなんて言語道
断!!」
 同族嫌悪が最大の理由だったりするが。
「とりあえず狩られろ外道どもぉっ!!」
 突如、蛮次の背後から現れたYOSSYが二人を叩きのめす。彼に流れる外道狩りの血
がこの外道どもを許さないとでも言うのだろうか?
 それはともかく、カンバンはと言うと…………。
「いただきだっ!」
 いち早く、雪智波がそれを抱えて走り去る。
「よくやった雪!」
 それを命じたRuneが笑って受け入れ…………。
「芹香さ〜ん(はあと)俺がカンバン持って行くよ〜」
 見事に弟子に裏切られた。
「雪、お前師弟の絆はどこ行ったぁ!?」
「師弟の絆よりも萌えだよ〜だ。ご主人様いま行くぜ〜☆」
 どこでもそんなものらしい。
「てめえ!! 今夜は猫鍋だ! 覚悟しやがれ!!」
 ここでも始まる大バトル。カンバンのすぐ周囲ばかりではない。遠巻きにする人間達も、
このどさくさにカンバンを手にしようと、再びカンバンめがけて殺到する。
「まとめて消えろ! ガディムの叫びよ!!」
「ハイド、カンバンに傷でも付けたら承知しないわよ!」
「分かっている! ついでに神凪! 貴様も死ね!」
「導師!? ひいいいいいいいい!!」
 その混乱に、階段を降りてきた綾香達まで加わる。瞬時に、周囲は魔法が飛び交い血が
踝を浸す阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
…………たった一枚の板っきれのために…………。


――――ちゅどっがーん!――――
 爆発に巻き込まれるのも、これで三度目になる。さすがにこれだけ食らえば馴れもする。
まあ、馴れたところでどうなる訳でもないが。
「ふみゃあああああああああ! いたいです〜! 千紗まけないです〜!」
…………いやまあ、平気になる人間もいるようだが。
「くそったれ!」
 自分に活を入れ直して、山浦は立ち上がる。この状況の打破と言う意味でも再びカンバ
ンを手に入れる必要がある…………と、彼は考えていた。いや、それが混乱を助長してい
とかそんな意見もあるにはあるが。
「ふはははは〜! これを持ってればちゅるぺたが寄ってくるぞおおおおおお!!」
 などとカンバンを掲げて理緒たちを誘い込んでいる蛮次に横から体当たりをかます。
「醜男に抱きつかれても嬉しくないんじゃああああああああ!!」
「人のこと言えんのかてめええええええええええ!!」
 胴タックルでテイクダウン、それから間髪入れずに馬乗りになる。バーリトゥードなん
かでよく見かける一連の動きで蛮次を行動不能に追い込む山浦。
「…………『参った』は聞かねえ」
 にやり、と笑って蛮次の顔面に拳を下ろ…………。
――ぐしゃ――
「乱戦で使える技術じゃねえな」
…………そうとして、後頭部に喧嘩刀の一撃を受け、沈む山浦。次いでYOSSYは蛮次
にとどめを刺すと、すぐさまカンバンを担ぎ上げ、駆け出した。
「追いつけるもんなら追いついて見ろ!!」
 超機動力をもって逃げ切る魂胆だ。たしかに、YOSSYが本気で走り出して追いつけ
るものは、この学園と言えどそうはいない。
「……プアヌークの邪剣よ!」
 が、魔法は結構簡単に追いついたりする。一撃で吹き飛ぶYOSSY。あおりを食って
吹き飛んだカンバンは、空に大きく弧を描いて…………。
「それくらいにしときな!」
 いつの間にか上空で待機していたジン・ジャザムの手に収まった。
「そのカンバンの事で千鶴さんから話があるから、静かにしとけ〜」
 耕一も、千鶴さんもその横にいる。争奪戦が目に余って出てきた……と言う雰囲気でも
ない。
「説明もなにも、千鶴さんは関係ないじゃない!!」
「そーだそーだ!」
「後から出てきて一人でおいしいところ持っていく気か!? ジン!」
「俺の苦労を何だと思ってるんだ!!」
「導師の信頼を捨ててまで萌えに走ったというのに!!」
「そのお金がないと千紗のおうちの工場が〜」
「明日のご飯も食べられないかもしれないのに〜!」
「今日の晩飯は猫鍋えええええええええええええ!!」
「にぎゃあああああああああああ、お師様やめてええええええええ!!」
「ちゅるぺたあああああああああああ!!」
 聞いてない。全員全く聞いてない。ひくっと、千鶴の頬が引きつった……ような気が耕
一はした。深く追求するのは身の危険を感じるのでやめたが。
「…………ジン君……殺っちゃって☆ミ」
「わかったぜ千鶴さん!! いっけえええええええええ! α発売記念! 『必中』『幸
運』『捨て身』!! ナイトメア・オブ・ソロモン!!」
「「「「ダメージ4.5倍ってどういうことだあああああああああああ!!」」」」
――――どどどっか〜〜〜〜ん!!
「おー、さすがに静かになったな〜」
 文句を言う人間が全滅すりゃそりゃ静かにもなるというものだ。
「それで、カンバンの事なんだけど〜……」
 答えるものもいない戦場跡に向かって千鶴は言う。まあ、その辺に埋まっているから聞
いているかもしれないが。
「カンバンは柔道部の備品だけど、もともと学校の所有物なので勝手に売ったらお仕置き
しちゃうぞ☆ミ」
 それが、後に『カンバン騒動』と記録される事件の終わりだった。


――翌日――
「先日はありがとうございました!!」
 とにかくカンバンを死守できたことの礼を言いに、山浦はわざわざ校長室まで来ていた。
「あ、そんなのは全然いいのよ。それで柔道部の備品の件だけど…………」
 にっこりと千鶴は笑って続ける。
「押忍!」
 つられて笑う山浦。
「五人以上の部員ができるまでは同好会だから☆」
「…………押忍?」
「だから部活動になるまでは私が責任を持って保管してあげるからね(はあと)」
「…………押忍…………」

 この日より、鶴来屋の正面入り口を飾る骨董品にカンバンが一枚加わる事になる……。