『みんなといっしょに』 投稿者:山浦

――ダムッ、ダムッ、ダムッ
 規則正しい早素振りの足音が、妙に遠くに聞こえる。それでけではない。
放課後のざわめきも、日常の騒動も、文化系部活連の方から聞こえるこの世のモ
ノともつかぬ音すら、何故か、とても遠い世界の出来事に聞こえる。
「……ここって……こんなに広かったんだな…………」
 練習の合間、ふと息をついたときには決まって、そんな感傷が首をもたげてく
る。今までは一度も感じたことのない感覚。物足りないような、頼りないような
……空虚な、不安。

――孤独――

 おそらくは、生まれて初めての感覚に、山浦は戸惑いすら感じていた。
 一度だって柔道場を広いと感じたことはなかった。たった8x8mの試合場は、
思う存分動き回るには狭すぎる空間でしかない。試合場が八つ並んだかつての母
校の柔道場ですら、少し動けば誰かの肩に当たり、また道場の壁にぶち当たる。
一度も、広いとは思わなかった。
「……さみしい、もんだな」
 しかし、それよりはるかに小さいこの道場でも、たった一人にはあまりに広す
ぎる空間だった。一人が、こんなに寂しいモノとは、知らなかった。
「……あいつも、こんなんなんだよな……」
 ふと、天井を見上げて思い出す。寂しそうに、つまらなそうに、ただ黙々とノ
ートにシャーペンを走らせる級友の姿を。
「…………なんだかなぁ」
 自分に苦笑して、山浦は練習に戻った。自分のお節介ぶりは、今に始まったこ
とではないのだから。


  Lメモ
   『みんなといっしょに』


 僕には友人はいない。
 だから、休み時間には人がいない所に行く。そうすれば、一人であるなら、自
分が孤独である事が気にならないから。
―――大勢の中で、孤独を感じるのは……あまりにつらいから。
「おう、長瀬……だったよな。ちょっと面貸してくれるか?」
 そんな、いつもの休み時間を一人の大男が破った。
「……なんですか」
 やたらと横幅をとる体型と坊主頭には覚えがあった。名前は忘れたけれど、た
しかSS使いの一人だったと思う。
「ん、大したこっちゃねえけどよ。お前、部活入ってないだろ?」
「……電波倶楽部、っていうのに入ってます」
 部員は、僕一人だけど。
「ありゃ、そうだったか。そりゃ悪かったな。あちゃー、予定と違っちまったか
ぁ」
 独り言のような言葉を大声で言い、笑う。厳めしい顔立ちの割に人なつっこい
笑い顔だ。困ったような事を言いながら、鍛えた体からは少しの不安も感じられ
ない。
 僕とは正反対の人間だ。
「あの……それで何か?」
「おう、ヒマなら柔道部に入らんか?」
「え?」
 驚いた。僕に話しかけて、それで何かに誘う人間も少ない……多分、沙織ちゃ
んくらいだろう……から。それに、僕に柔道をやれだって!?
「別に……えーっと、何だっけか。電波研究会か? まあ、それと掛け持ちでも
いいし、強制はしねえ。ま、気が向いたらでイイから遊びに来てくれよ」
「……なんで?」
「なんでって、お前。ウチは部員いねえし、お前もヒマだってんなら柔道でもや
ろうぜ。ってだけだぞ。なぁ長瀬。スポーツはいいぞぉ。心身を健やかにしてく
れる。ウダウダ悩んでるのも一発で吹き飛ぶからな」
……ちょっとだけ、嬉しかった。でも、それだけだった。柔道なんて好んでやる
気には、僕にはなれなかった。
「ちょっと……今は間に合ってる」
「そーか。ま、しゃあない。気が変わったらいつでも言ってくれ」
 大きくため息をつく。ちょっとユーモラスな動作だ。……いい奴、かもしれな
い。
 そう思った矢先だった。
「大体お前、いつも一人で寂しくないのか? もう少し部活動を通して友人関係
をだな……」
 訳知り顔で言う大男に、僕は殺意すら覚えた。
(寂しいに決まってるだろ!!)
「ん? どうした?」
「…………」
「んだかなぁ。まーいいや、そう言うこったからよ。んじゃーな」
 大男は、俯いて何も答えない僕にそう言い残して去っていった。僕の「孤独」
という感情を、勝手に掘り起こしたままで。


『ごめんなさい、祐介ちゃん。今日は外でご飯を食べてきてちょうだい』
「今日”も”、だろう?」
 何となくささくれ立った気分で、僕は携帯電話のメッセージに悪態をつく。
こんな伝言なんて毎日の事なのに、今日は妙にいらだたしい。
……昼間の、あいつのせいだ……
 思い出さないようにしていた事を、考えないようにしていた事を。あいつが、
無遠慮に掘り起こしたせいだ。
「でよー、言ったんだよ俺」
「ぎゃはははは、そりゃひでえって」
「それでどーなったんですか?」
 夕食時のヤックの喧噪に、さらに一花添えようと。ぞろぞろと学生らしき一団
が上がってくる。部活帰りだろうか? 皆、一様に気味の悪い爽やかぶった顔で
笑っている。
 みんな、同じ顔に見えた。
「ん? あいつ……」
「どうしました? 山浦君」
「あー、ちょっと先に場所とっててくれませんか? 二人分」
「二人分?」
「ああ、長瀬見かけたんで。おい、長瀬〜! みんなで食おうぜ」
「え、僕ですか!?」
 驚いた。全く他人事と思った聞き流していた。
「『僕ですか?』じゃねえだろ」
 にやり、と体育会系スマイルを浮かべる。この顔には覚えがある。昼間の、あの
大男だ。
「……それで、何の用ですか?」
 出来るだけ冷たく僕は返す。
「おう、こんなモン一人で食っても不味いだけだろ? だからみんなで食おうぜっ
てな」
…………ヤックのハンバーガーなんて、不味いモノだよ。
「YOSSYFLAMEとか八塚さんとか、お前の事知ってる人もいるしよ。な?」
……分かってないな、この男。一人でいたって、何人でいたって、同じじゃないか。
「どーせ、女を待ってるとかじゃねーんだろ?」
 ずっと、僕は拒絶の視線を向けながら黙っていた。普通なら、とっくにどこかに行
ってしまうだろうに、山浦……って呼ばれてたな……は全然ひるんだ様子もなく僕を
誘ってくる。
「あー、なにモタモタやってんだよ。ちゃっちゃと来る! オーイ、長瀬連れて
きたぞ」
 それどころか、かなり無理矢理、山浦は僕を彼らの所に引っ張り込む。
率直に言って迷惑だ。

…………でも、ちょっとだけ……嬉しい。

「空けといたぞ」
「……一人分しかねえ気がするのは俺だけか?」
「悪い悪い。忘れてた」
「ざけんなコラァ!」
 連れてきた山浦は、早々にYOSSYFLAMEさんと喧嘩(?)を始めてい
る。後に残された僕はひとり、どうしていいか分からずぽつんと立ち竦んでしま
う。
「長瀬祐介くんだったよね。よろしく、俺は――げふっ!」
 いきなり、傍らにいた男の人が吐血する。見る間にヤックの店内が血の匂いで
包まれる。
……これって、非常にマズい状況なのでは……?
「あー、くま先輩また吐血してますよー」
 なのに、周りの人はあまり気にしている様子はない。
「八塚さんも落ち着いてる場合じゃないでしょ!!」
「いやほら、いつもの事だし。ねえ、長瀬君?」
「え、あ? はい」
 なんだなんだ? なにかよく分からない内にペースに巻き込まれている気が……。
「とりあえずハンバーガーでも食べましょうか」
「いや、だから九条先輩また死んでるし……」
「いつもの事ですし。ねえ」
…………えっと…………
「死んでないですよ」
「「え?」」
 僕の言葉に二人の漫才が止まる。
「あの、だから……九条さん? ……の体の中で電波が動いてますから……その
…………」
「ああ、そうだった。長瀬君って電波使いだったねぇ。瑠璃子ちゃんから話は聞
いてるよ」
「あ、月島さんの知り合い……ですか?」
 瑠璃子『ちゃん』……だって…………。
「ああ、『天気のいい日は長瀬ちゃんの電波が良く届くよ』っていつも言ってる
よ」
「そう言えば、電波ってどんな感じで見える……ってのは変か。感じられるの?」
「えーっと、そうですね。全身に静電気が流れてるっていうか…………」
…………なんか……こんなたわいのない会話が、楽しいなんて……。
 その時食べたヤックのバーガーを、僕は初めておいしいと思った。


「そーいや長瀬、晩飯どーすんだ?」
 ハンバーガーを食べ終えたあたりで山浦がそう言った。
「え、これが晩御飯……」
「おいおい、そんなんで足りるわけねーだろ」
……僕は充分足りるんだけど……。
「っていうか、家はどうしたんだ?」
 山浦とじゃれていたYOSSYさんも首を突っ込んできた。この二人は寮生だか
ら一緒に帰るらしい。
「あの……母さんは今日いないから……」
 多分、いつもの僕ならこのまま帰っていたと思う。でも、今日は少し違っていた。
もう少し”誰か”といる時間が欲しかった。引き留めて、欲しかった。
「じゃあ、寮で食っていくか?」
「……いいの?」
 自分でも表情が明るくなったのがわかる。
「ダメなら誘わねえよ」
 あきれたように言う山浦。それにYOSSYさんが補足する。
「藤田とか一人暮らし連中ももょくちょく来てるよ。まあちょっと騒がしいけど
な」
「ちょっとか? アレが」
「騒ぎの一端が何抜かす」
 引っ張られる感じ。でも、それは心地よかった。沙織ちゃんと話しているとき
に似ている。でも、もっと下世話で、乱暴で……ちょっと楽しい。
「おーい長瀬。早く来いよ。置いてくぞ〜」
 二人が呼んでいる。なぜか、心が弾んだ。
…………そういえば、誰かと夕食をとるのって……いつ以来だろう…………?


「でええええええええええっ! いくら秋山さんでも許せるものと許せねえもん
があるッス!!」
「はははははっ! 修行が足りんぞぉ!」
…………久方ぶりの「誰か」との夕食は…………
「これはワイのメシやぁぁぁぁぁぁっ!」
「俺のメシだぁぁああああああああっ!」
「俺はメシじゃねええええええええええ!!」
「ちゅるぺたああああああああああっ!!」
…………なんというかこう……壮絶な物だった。
 誰かが誰かの皿に箸をつっこんだつっこまないで揉め、それに乗じて他の人の
料理をかすめ取り、それが元で殴り合いが始まり…………。噂に聞いてたけど、
想像はしていなかった……。
「いつもこんななの?」
 避難のため潜り込んだテーブルの下に同じく逃げ込んできた浩之に僕は尋ねた。
彼とは少しだけ面識がある。
「今日はマシなほうじゃねえかな? まだ結花さんがキレてないし……おい、祐介
そっち危ないぞ」
「え?」
 何が? と思った時には天井……じゃなくってテーブルが落ちて来ていた。
……正確には、投げ飛ばされた平坂さんによって潰されたテーブルが、落ちてきた。
「ごぶへぇっ!」
「このあいだの恨みだ! この場で殺す!!」
「ワイも加勢するでぇ!!」
「寮の備品を壊すなぁああああああああああああっ!!」
――べきベキボカ!
 とうとう結花さんがキレて、それでも騒動は全然収まらなくって、平坂さんの
下敷きになった僕の意識は薄れていって、こんな所にノコノコついてきた自分を
恨めしく思って…………。

―――って言うか、何で僕が被害者になるわけ?
 朦朧とする意識の中で、そんな言葉が渦巻いていた。ノコノコこんな所につい
ていった自分も、連れてきた山浦も、なんとなく腹立たしい。
(……まあ、ちょっとは嬉しいけどさ)
「…………」
「おい、長瀬大丈夫……おーい、目が据わってないかー……」
 僕は、ゆっくりと立ち上がって……大きく息を吸い込んで…………
――――ちりちりちりちりちりちりちりちり
「「「「「「「「でえええええええええええええええええっ!!」」」」」」」」
 爆弾を、投下した。
 僕の精神電波の影響でみんながムシのように転がり回る。ククククク、僕の勝
利の瞬間だ。僕はたっぷり電波を叩きつけてから、晴れ晴れとして顔で言った。

「あーすっきりした」

「「「「「「「「すっきりしたじゃねえっ!!」」」」」」」」
 そして、予想通り、皆のつっこみを食らって、今度こそ僕は完全に意識を失っ
た。


『ごめんなさい、祐介ちゃん。今日は外でご飯を食べてきてちょうだい』
 今日もこの伝言が入っていた。僕は、仕方ないといった風に首を振ってから携
帯をいじる。
「あ、浩之? うん、祐介だけど。今日寮の方には……あ、そう? それじゃ、
僕一人で行くよ。じゃ、……あかりちゃんと仲良くね」
 予想される罵声が発せられる前に通話を切り、僕は含み笑いを浮かべる。
浩之には悪いけど今日のネタはこれにさせてもらおう。
「さて、どんな風に脚色したものか……」
 僕は歩きながら、根も葉もない話を妄想する。きっと寮に着くころには面白い
話の一つもできあがっているだろう。
 それを聞いた時のみんなの顔が今から楽しみだ。
 僕は夕暮れ迫る空を見上げて、もう一度笑った。
「ああ、楽しいなぁ」