Lメモ・学園男女混合テニス大会! 第62章 「熱き本質」 投稿者:YOSSYFLAME

  会場が俄かにざわめいた。
  立てるはずがないと、ほとんどの人間がそう思っていた。
  その男が立ち上がろうとしている。
  とうに限界は超えている、倒れて余りあるダメージを被ったその男が。
「そうだよ、あんたはそういう男だよ。
 ハイドラントが見てる前で。
 そして……来栖川綾香が見てる前で、屈する男じゃ断じてない」

「ゆーさく……」
  パートナーの声を無言の背に受け、そして、男は立ちあがった。
  勝利すること。ただそれだけを目指して。



「タイ・ブレーク!」

「ふぅ……」
 もはや気力のみで立っている感があるOLHをよそに、斎藤勇希はため息をつき、ネ
ットの向こうを見やる。
 ボロボロの悠朔、来栖川綾香の二人を見つめ、彼女にしては珍しい複雑な……そして、
おぼろげに何かを待っている、そんな表情で。
(さて……と)



「OLH、斎藤組、1−0!」

 そして始まったタイブレーク。
 勇希のストロークが綺麗に悠組のコートに決まる。
「OLH、斎藤組、2−0!」
 再び決まる勇希のショット。今度はボレー。
 しかし観客に歓声はなく、ただざわめいているのみ。
 彼らの視線は、満身創痍を遥超えている悠と綾香に注がれていた。

「ゆーさく……大丈夫?」
「……心配無用」
 そう突き放す悠の膝も心許ない。
 また綾香自身、右腕全てをグシャグシャに壊されている状態である。
 ハッキリいって、プレイできているのが不思議なくらいの重傷。
 額の脂汗と身体の震えが、それを如実に表している。
「……綾香」
「……ん?」
「……勝つぞ」
 息も荒い。おそらく発熱もしているであろう綾香に、悠が声をかける。
 いつもの調子に、いつものクールな視線に、少しばかりの暖かさと励ましをこめて。
「……ええ!」
 綾香は、力一杯頷いた。



「OLH、斎藤組、3−0!」
「OLH、斎藤組、4−0!」

「こりゃあ、決まったかな……」
「……ですな」
 YOSSYFLAMEがぼそりと呟き、隣のギャラも相槌をうつ。
「悠と綾香があの状態じゃなぁ……」
「でも……」
 隣の昂河晶がそれに割り込む。
「二人とも……全然諦めてない。悠君も綾香さんも、まだ全然諦めてない!」



「くっ!」
 左手一本で高く高くあがるロブ。というか、ストロークの打ち損ないがフラフラと勇
希のコートに流れてくる。
 それを打ち返すOLH。
 甘めに入ったボールを、突然目覚めたように悠が強烈なスマッシュを放つ。
 だがそこは勇希の想像範囲内。じっくり下がってスマッシュが弱まったところを再び、
人のいないコートの隅に打ち返す。
「うああぁぁあっ!」
 そのボールに綾香が気合を、いや、悲鳴に近い叫びをあげながら飛びつく。
 バシィン!
 打ち返されたボールが、フワリフワリと力なく返る。そこに待っていたのがOLH。
 思い切り、叩きつけるようにボレーを打ちおろす。
「はぁ! はぁ! はぁ! はぁ!…………はぁあっ!」
 そのボールになおも飛びつく綾香。無駄だとわかっていても、なお。

「イン! OLH、斎藤組、5−0!」

 コールが聞こえるのと同時に、綾香はコートに膝をついた。
 その身を激痛と疲労に震わせ、息をするのも精一杯の惨状。
 しかし、勇希はそんな彼女に一瞥もくれず背を向け位置に戻る。
 その態度に、場内は俄かにざわめく。
 
 例え勝負とはいえ、例え相手が常識外れた強豪とはいえ、学園の生徒じゃないのか?
 生徒を守り、導く立場の教師の態度としては、あまりに冷たすぎやしないか?

 ざわめく会場から声にせずとも漏れる感情。
 ボールを弾ませる勇希に突き刺さる、非難の視線。
 しかし、それらを別段意に介することもなく、勇希は球を弄び続ける。
 会場の異様な雰囲気の中、それでも綾香は立ち上がる。
 肩で荒く息をしながら、全身を小刻みに震わせながら。
 ――だが。
 
 次の瞬間、コート左隅――つまり、綾香がケガをしている右腕側――に、勇希のスト
ロークが、やけに乾いた音を立てながら、土埃を舞わせていた。
「イン! OLH、斎藤組、6−0!」
 審判のコールが、心なしか乾いたように聞こえたのは、気のせいなのであろうか。



“そんなにまでして勝ちたいのか”
 無言の感情が、会場を、コートを覆い尽くしていく。

「でも、相手の弱点を狙うのは勝負の鉄則だろ?」
「そういうことじゃないんだよ。……そんな可愛らしいものじゃ、ないんだよ」
 YOSSYの呟きに、隣の昂河が補足を入れる。僅かに震えるその声で。
「つまり、今のこの状況そのものが既に、勇希先生のシナリオ通りってことなのさ」
「なに……?」
 驚くYOSSY。その彼の視線の先には、平然とボールを弄んでいる勇希の姿が。
「勇希先生はこの試合、特に目立った動きもなく、ただアシストに徹してきた。
 ただでさえあの中では、一番これといった能力が見受けられない人だしね。
 けど、そこに全てが収束されていたのさ。
 思い起こしてくれるかな。綾香さんと悠君に加えた攻撃、OLH先輩一人の力のみで
あそこまで上手くできるものなのかどうか。学園屈指の実力者二人を向こうに回してね」
「あ……!」
「つまり勇希先生は自分の姿を晦ませていた。OLH先輩一人に意識が向けられている
中、淡々とその牙を研いでいたのさ。ここまで縺れるだろうと予想した上でね。
 元々テニスの実力でいくと、正攻法で綾香さん達に勝つにはあまりに無理がある。
 OLH先輩達に唯一勝機があるとすれば、向こうが何かをしてくる前に何かをする、
つまり、先の先を取る以外にない。僕はそう思う。
 でも、それはゲーム序盤の綾香ペアの猛攻でご破算になっちゃっただろ?
 それでもなお、勇希先生は隠し持っていたのさ。二重三重に勝てる手を。
 そして、思い出してくれるかな。
 勝つためとはいえ、ここまでのことをやらかしたOLH先輩を、果たして勇希先生は
止めようとしたのかどうかを。
 たとえ、ルールで認められた行為だとしても……
 たとえ、綾香さんがエクストリームチャンプ、最強クラスの格闘技者だとしても……
 自分の学園の女子生徒を、ここまで傷つける行為。それを勇希先生は止めるどころか
……あろうことか、そのアシストまでやってのけたんだよ」

「僕も正直、わからなくなってきた……」
 コート上で涼しい顔をしている勇希に注ぐ昂河の視線が、戸惑い、泳いでいる。
「でも……それでも僕は……あの勇希先生が、そこまで勝ちのみに拘るとは……どうし
ても思えないんだ……」

 しかし、大衆の空気は昂河が懸念するよりもっと単純なもの。
 そんな会場の色が、みるみるうちに変わってゆく。
 戸惑いから不信に。不信から、怒りに。
 そしてそれは、全て彼女に向けられる。何処吹く風で球を弾ませている、斎藤勇希に。



 「だから……どうした?」



 会場の、隅々まで行き届いたその声。
 その声は、勇希のものでもOLHのものでもなかった。
 ネットの向こう側に、やはり重傷のまま構えている対戦相手、悠朔のもの。
 その声が、平然と擁護を発していた。
 今まさに、勇希に向かって怒りが爆発するその寸前に。
「ズルい卑怯は敗者の戯言。やられたほうが悪いのさ。……なぁ、綾香?」
「……ふふ」
 悠の言葉に、綾香も肯定の笑みを見せる。
 当事者二人の態度を見て、会場の怒りの炎が見る見る萎えていく。
 
(しかし、まぁ)
 内心、悠は感心したような呆れたような気持ちで、ネットの向こうの二人を見やる。
(これだけの空気に晒されつつも、よくも平然としていられるものだ)
 OLHと斎藤勇希。
 ある程度予測はできていたが、ここまでの図太さを持っているとは思わなかった。
 小手先の作戦ではない。しっかりとした信念を持ったが故の。
(しかし)
 悠が僅かに口元を歪める。敗北寸前の瀬戸際に置かれてなお。
(失敗したな。……もう貴様らは、ただの1ポイントも奪ることはない)



「はぁ…はぁ……はぁ…はぁ…………はぁ…はぁ……はぁ……はぁ……っ…」
 泥だらけのウェア。泥だらけの腕、脚。泥だらけの肌。そして、泥だらけの顔。
 エクストリームチャンプの面影も何も、今の綾香には微塵もない。
 ヨロヨロと立ち上がるその姿、“完璧なお嬢様”の彼女はどこにもいない。
 なのに。

 なぜ、こんなにも惹きつけられるのだろう。

 次々と繰り出されるOLHと勇希の波状攻撃を、傷だらけの身体で凌ぎ続ける。
 優美さも華やかさも、全てかなぐり捨てて。
 埃と泥にまみれて、なりふり構わず懸命に、必死に食らいつくその姿。
 才色兼備の令嬢、エクストリームの若き女王。
 “完璧超人”そう呼ばれ続けた少女・来栖川綾香に最も似つかわしくないだろう、その姿。
 なのに。

 なぜ、こんなにも馴染んで見えるのだろう。



「ハアァァアアアアッ!」
「くっ!」
 顔を歪めながら綾香のスマッシュを打ち返す勇希。
 彼女自身、もう気づいていた。
 綾香の、左腕一本だけの綾香の球。
 徐々に徐々に、勢いを増してきている。
 物理的に速くなっているわけではない。だが、その球は……



「綾香ぁあ! いけええぇっ!!」



 コートに満ちた静寂を切り裂く、澄んだ一喝。
 それが、吸い込まれるように綾香の耳に、全身に溶け込み、
(好恵……)
 身体の中からその喝が、業火のように燃え広がる。
 そしてそれが、痛みに負けない、気迫をその身に沸き立たせる。

「綾香さん、綾香さぁん!」
「負けんな綾香! お前は負けちゃいけないんだっ!」

 祈るような声援がまた、綾香のもとに投げかけられる。
 身を震わせるような叱咤がまた、彼女のもとに投げかけられる。
(葵……梓……)
 その祈りが、その励ましが、隅々にまで行き渡る。
 そしてそれが、憔悴を蹴散らす、気力をその身に宿らせる。

「ハアッッ!」
 綾香は思う。静寂の中、激痛の中、その中での光失わぬ瞳の中。
 自分の隣には、身体も精神もフォローしあえるヤツがいる。
 自分の周りには、一生懸命な声援を送りあえるヤツらがいる。
 自分に投げかけられる視線の先には、熱く競い合えるヤツらがいる。 
 ――そして。

「セェィイヤァァアアアアッ!」
 ――そんなヤツらに、精一杯応えたい自分がいる!



 そして。
 OLH側のコートに淡く小さく、砂煙が舞い上がった。



「イン! 悠、来栖川組、1−6!」

 主審のコールが、静まり返ったコートに響く。
 静寂のコートに、球の弾む音が、やけによく聞こえる。
 そして、弾みが静まった。それと同時に。

「よっしゃあぁぁああああああああああああああああっ!!」
 会場中、大歓声が炎のように沸きあがった。



「すごいよ! すごいよ綾香ぁ!」
「綾香さん……あ、綾香さぁんっ……!」
 梓と葵が胸震わせあらん限りの歓声を投げかける。
「まったく……どーゆー人なんだろね。……あの逆境から……」
 EDGEが、何か眩しいものでも見るかのように目を細め呟く。
 その横で、ハイドラントは表情を変えぬまま、ただ二人を見つめていた。
 綾香を。そして、悠を。
 
(思い出したか) 
 満身創痍の身ながら、信じがたいほど気が漲っている綾香を見やり、悠が笑む。
 崖っぷちにまで追い詰められた綾香の中から滲み出た、熱き本質。
 友人達の、ライバル達の願い、思いに導かれ。
 そしてなにより、彼女自身の思いによって。
(そう)
 なんのこともない。当たり前のこと。
 綾香とて、ただ勝ちたいと純粋に思い、それを目指す、一人の人間。
 センス、天才性等といった鎧甲冑に、日ごろは身を包んでいるだけのこと。
 その鎧甲冑が外れたからと言って、その本質がなんら変わるわけではない。
 いや、むしろ。
 本質を剥き出しにされてからこそが、来栖川綾香の本領、そのものなのかもしれない。

(そういうことだ)
 ネットの向こうの二人に、特に勇希に視線を向ける。
(見たか、斎藤勇希……これが、来栖川綾香だ)
 隣で気迫漲らす自分のパートナーを誇る。そんな面持ちで勇希を見やる。
 しかし、その悠の表情が俄かに変わる。
 


 ――斎藤勇希が、笑っていたから。
 心の底から楽しそうに。そして、嬉しそうに。















                                             …To Be Continued