合作「裏」Lメモ  『漆黒と蒼風』 後編 投稿者:YOSSYFLAME

「んじゃ」
「……は?」
 あまりにもあっさりとしたその声音に昂河も思わず間の抜けた声を出す。
「帰って風呂入って寝る」
 そんな昂河をも全く気にしないかのように、YOSSYはすたすたと背を向
けて歩き去ってゆく。
「おいっ」
 かんっ。空き缶が後頭部に当たったような音――というか本当に当たってい
るのだが――と共に、YOSSYが頭を押さえてうずくまる。
「痛ってぇーな! なにしやがんだあんたさまはぁ!」
「人の話の何を聞いてたんだよ君はぁ!」
 身を乗り出すように食って掛かりあう二人。
 傍から見たらコントか冗談かと思えるような仕草だが、当の二人はこれでも
真剣。
 昂河はもちろんのこと、YOSSYでさえも。
「だーかーらー、なぁんだって俺がんなこといちいち説明せにゃならないんだ
よ。えー? お前にそんな権利があんのかっ、俺にそんな義務があんのかいっ!」 
「だからさっきから言ってるだろう! その辺を辻褄合わせとかないと『我々』
が――」
 その言葉を発した途端、昂河はたじろかずにはいられなかった。
 目の前の男・YOSSYFLAMEのその、闇の気迫に――

「見なかったことにしよう!」

 ずびし。
 昂河の目の前に人差し指を一本立て、YOSSYはしかとその目を見据えて
吼えた。
「なんつーかほら、嘘も方便というか、幸せに生きていくためにはこーゆー生
活の知恵も必要なんじゃないのかなぁと俺は思う訳なのだけれども、どうよ?
 なんなら今度A定食おごるからそれで晴れて手を打たせてもらえれば――」
 滑らかに動くYOSSYの舌。そのほんの近くにある頬が、さっくりと切れ
た。
「……言いたいことはそれだけかい」
 目の前には、手刀を目の前ではためかす昂河。
 断言できる。その表情は、Leaf学園の中で見た者は誰もいない、と。
「ふーん……」
 ペロリと指を舐め、傷口につけるように頬を撫でるYOSSY。
 その昂河の表情を見てさえ、この男の気は些かも凍えない。
「……まぁ、お前だったってことが不幸っちゃ不幸だったんだろうな。
 生真面目で、融通が利かなくて。……そういう問題じゃないのかも知れんけ
どさ」
「もう一度言う。僕は君と語りたい」
「逃げたいんだけども、逃がしちゃくれないか。つーか、まぁ逃げられないよ
な」
「あの学園に、居場所がある限り。僕も、そして君も」 
 手が届くほどだった二人の距離が、それなりのものへと弾け伸びた。
「僕にとっては大切な居場所だ。多分、君にとってもね」
「まぁね……」
「さっきも言ったように、僕は君には勝つことは出来ない。だけど」
「……………」
「あの場所が、僕達の居場所であり続けるため。そのためになら」
 構える。涼やかな面差しに氷を宿し。

 刹那――目の前に漆黒の刃が迫り来る。

 昂河は、迷わなかった。
 迷うことなく、その塊に体当たりをぶちかましたのだ。
「ぐっ!」
 漆黒――YOSSYFLAMEが呻きながらすぐさま距離をとる。

「絶・烈風乱舞、破れたり――ってところかな」
「テメェ……」
 YOSSYに向け笑みを向ける昂河。いつも見る、涼やかな顔で。
「初斬の袈裟懸けさえ封じれば、それは技としての意味をなくす。
 冷静に対処さえできたなら、肩に裂傷一つ作るだけで済ますことができる」
「お前に似合わずお喋りだなぁ。技一つ破ったのがそんなに嬉しいんかい」
 静かな笑みを崩さぬ昂河に対し、仏頂面そのもののYOSSY。
 肩の刀傷と、脇腹の抉り傷をお互いに抱えながら。
「嬉しいさ。なんとか君に伝えられたんだからね。最後通告を」
「最後通告だぁ?」
 昂河は、笑みを消し淡々と話す。
「君の得意技と戦闘のパターンは、全て僕の脳裏に刻まれているということ」
「なに?」
「君は以前、あのジン・ジャザムと二度にわたる決闘を演じている。
 その時君は、彼に関するデータを可能な限り揃え戦いに赴き、一度は勝利を
収めた」
「それがなんだっつーんだよ。ジン先輩と今と何の関係があんだよ」
「わからない?」
 昂河の唇が紡がれる。絶対の確信を背景に。
「君が彼にそうしたように、君自身が研究されることは考えなかったのかい?」
「……なるほどね」
 苦々しく、それでも笑ってみせるYOSSYを前に、昂河が言い放つ。
「断言してもいい。君が学園で見せた既存の技、戦術は、何一つ僕には通用し
ない」

 だから。少しばかり声音に切なさをこめて。
「僕に付き合ってほしい。頼むから、君の話を聞かせてほしい。
 僕はただ、君と、学園の皆と、これからも学園生活を過ごしたい。それだけ――」

 その嘆願とも取れるような懇願は、最後まで大気を伝わることはなかった。
 言い終わるその前に飛んできたYOSSYの“突き”。
 首を掻き切らんとばかりのその一太刀を昂河はいなし、膝蹴りを叩き込む。
 水月には至らぬものの、気を膝に込め放たれたそれは、先程抉られたYOS
SYの脇腹を一層深く抉り取る結果に至る。
 肋骨を砕かれ肉を抉られ絶えず紅血が流れても。
 それでも傷を抑えもせず、YOSSYFLAMEは、昂河に対して言っての
ける。

「気持ちはすごくありがたいんだけど……でもさ。わかるだろ? 
 どんな経緯があれ、人を殺すなんて道を選んじゃったらさ……もう違ってる
と思う。
 つまるところ……人を殺すってことを究極的に突き詰めようとすることなん
て、まず無理だと思うし、一般的には人殺しって悪いことというふうになって
るし、俺もな。多分お前も、そう思ってるだろ? きっとさ」
「でも……」
「そ。世の中には、殺す以外どうにもならない外道がいることも、間違いない
んだ」
「だから、僕や……君のような人間が生まれた。いや。……生まれてしまった」

 YOSSYも今や、すっかり刺が落ちたような表情を浮かべ、昂河を見つめ
る。
「昂河さぁ……」
 しかし、それでもYOSSYは構えは解かない。
 青眼の構え。切っ先を昂河の首に突きつけたまま、穏やかに話し続ける。
「マッチ売りの少女の話って、小さい時聞いたことあるだろ?」
「うん……」
「俺達、ってか少なくとも俺にとってのL学って……
 マッチに映った幻なんじゃないかって、時々、思うときがあるんだわ」
「……………」
「居心地のいい、暖かい居場所。
 けれど、俺にとってそれは決して手に入れられることのない、そんな居場所。
 うたかたの夢とひきかえに、冬空の下、一人凍え死ぬ。
 俺の末路なんて、結構そんなものなんじゃないのかって思ったりもな」
「……そうなのかな」  
 辛そうな表情でYOSSYを見やる昂河。
 尚も続く脇腹の激痛と出血に顔を蒼ざめさせながらも、穏やかに語るYOS
SYを。
「マッチ売りの少女だって、助かるストーリーはあったかもしれない。
 暖かい暖炉、おいしい七面鳥、そして、優しい光に包まれた絆。
 それらを現実に手に入れられるストーリーだって、あの子にはあったはずな
んだ。
 けれど、あの子はそれを選べなかった。
 あの子はただ背中を丸めてマッチを擦って、現実逃避しているだけじゃない。
 けれどもあの子は、最後の最後にはうたかたの幻に縋ることを選択した。
 疲れ果てたあの子には、うたかたの幻に縋ることしか、思いつけなかったん
だよ」
「……………」
「そういう意味では、同じなのさ」
 昂河は気づいているのか。
 目の前の男が、穏やかな口調なれど、構えからは漆黒の気が迸りつつあるこ
とを。
「俺はきっと、マッチ売りのあの子まで切迫はしていなかったと思う。
 人殺しなんて道を選ばずとも、きっと他に手段はあったんじゃないかと思う。
 だけどさ……同じなんだ。
 その道を放棄してしまった以上、暖かく包まれる道を投げ棄てた以上、俺に
は他に道はない。
 Leaf学園という、うたかたの幻も、いつかは消えるときが来る。
 俺の場合、最後に愛する人の幻に包まれながら死ねるなんてことはない。
 きっと最後には、暗く、寒く、孤独な路地裏を網膜に焼き付け死んてくんだ
ろう。
 ……だから」
 YOSSYが踏み込む。一歩、二歩。昂河の方に向かい。
「だからこそ、俺は何者にも折れられない。この道を選んだ以上……な。
 この道を選んだ以上、他者の懐で安息を得るなんて、俺には絶対に許されない。
 俺には寒空の下、一人惨めに野垂れ死ぬしか道は残っちゃいない。
 今際の際に、うたかたの幻を、夢を見ることがあろうとも。……だからこそ」
 YOSSYの構えが、青眼から上段袈裟に変わりゆく。
 その眼は、まぎれもなく裏の――洗練された漆黒の瞳。
「だからこそ、せめて。……俺のこの死に様だけは、誰にも邪魔させはしない。
 見せてやる。昂河晶。……これが……俺の……」
 
 最後まで言い終わることなく、YOSSYFLAMEは地を蹴った。
 昂河もまた、地を蹴り突き進む。一度破った、絶・烈風乱舞を再び破るため。
 だが、両者が再び衝突することはなかった。
 その袈裟懸けの一撃は、それより一瞬だけ早く、虚空を切り裂き放たれたから。

「――鎌鼬」
 昂河晶の胸元が、血飛沫と共に紅く断ち割れた。






(うたかたの幻、ですか。……確かにそうかもしれませんね)
 倒れた二人を見つめる、一人の女。
 篠塚弥生。
 その周りには、幾人かが傷一つなく気を失わされている。
 賢武館。そう呼ばれている者たちが。
 無表情のまま、弥生は携帯電話を取り出す。
 どこかしらと連絡をとったあと、二人に背を向け立ち去る。
 唇に薄く、寂しげな微笑を浮かべながら。 
(もうしばらくだけ、泡沫の夢に浸るのも、悪くはないでしょう。二人とも)












「よぉ、昂河」
「……あ」
 よく晴れた日の屋上。
 昼休み、ひなたぼっこをしていた昂河の前に、YOSSYが袋をもって現れ
る。
 誰か彼か他にいるだろう筈の屋上は、今日に限って誰もいない。
「しかしまぁ、今日はなんつーかドピーカンというか、雲ひとつない天気だねぇ」
「……そうだね」
 能天気な口調に昂河も、静かに笑みを返す。
「で、ほら」
「ん? これは?」
「こないだA定食おごるっていっただろ? だから、トレーに入れて持ってきた」
「あ……」
「というわけで、一緒に食べるとしようか。
 男と面つきあわせて飯食うのなんて、本当は趣味じゃないんだけどさ。
 って、どしたん?」
 訝しげな視線を向けるYOSSY。
 それもそのはず。目の前には、何かを堪え肩を震わせている昂河の姿があっ
たから。
「くくくっ……あっはははははははははっ!」
「な……何がおかしい?」
「だって、だって……あんなときにした約束を律儀に守ってるから……っ!」
 腹を抱えながら笑いが止まらないといった風情の昂河。
 そんな姿にYOSSYも、頬を掻きながら苦笑するほかなかった。

「で、傷のほうはどんな感じだ?」
「うん。胸の傷も大分よくなってきてる。君のほうは?」
「かなりいいな。やっぱり初音ちゃんの力はすごいって感じかねぇ」
“鎌鼬”によって胸を裂かれた昂河。
 度重なる脇腹の抉傷と技の衝撃により、決まると同時に力尽きたYOSSY。
 二人が運ばれたのは、Leaf学園第一保健室。
 非通知の携帯を受けた柏木千鶴が駆けつけ見たのは、倒れた二人の姿。
 それまで二人が誰の目にも止まらなかったのは、おそらくは弥生の仕業だろう。
 千鶴は二人を保健室に運び、妹の初音ただ一人に救護を依頼。
 学園生徒二人の決闘。ありふれた光景ながら、死の匂いが濃厚に立つ気配。
 必要最小限の人間にしか、救援を頼まなかった千鶴の選択は、ある意味当然
のものであったと言えよう。
 初音のエルクゥとしての巫術治療で、死さえ匂わせた二人の傷は見る見る回復。
 今は二人とも、絶対安静ながらも登校できるまでに回復していた。
 尚、昂河の所属組織・賢武館は静観を保っている。
 弥生の足元に倒れていた幾人かが帰館後、何を報じたか。おそらくはそれが
原因。

「なぁ、よっしー」
「ん?」
 カツを咥えながら、YOSSYは昂河のほうを見やる。
「Leaf学園はうたかたの幻。あの時君はそう言ったよね」
「うん。……まぁな」
「確かに、そうかもしれない。君だけでなく、僕にとってもね」
 立ち上がり、フェンスを掴む昂河。
 グラウンドでは生徒たちが昼休みのひととき、バレーやサッカーに興じている。
 そんな風景を見下ろす昂河の瞳は、どこか寂しさを宿しているようにも見える。
「確かに、僕も君も、もう既に違っているんだろうね。
 暖かい日の光の住人と、寒く暗い闇の住人」
「……………」 
「Leaf学園は、光も闇も共に受け入れてくれる場所。僕はそう思っている。
 だけど、それでも、光は光、闇は闇なんだ。 
 闇はどんなに足掻こうと、決して光になることはできない。僕もそう思う」
 YOSSYを振り返ることなく、昂河はフェンスを掴んだまま、話し続ける。
 その背から、たまらなく切ない感傷が伝わってくる。
「Leaf学園はうたかたの幻。うたかたの夢。僕たちのような人間にとっては、
確かにそうなのかもしれない。けれども、僕は救われた。この学園のおかげでね」
 昂河が不意に振り返る。
 涼やかな面差しを形取る瞳が、わずかに霞がかっている。
「なぁ、よっしー」
「ん?」
「マッチ売りの少女。あの子の最期って、必ずしも不幸と言い切れるのかな?」
「……言い切れは、しないだろうな」
 難問の答えを教師に伺うよう口にする生徒のような顔で、YOSSYは答える。

 女の子が最後に見た幻は、彼女の最愛のおばあちゃんでした。 
 おばあちゃんを消したくない。その一心で女の子は束ごとマッチを擦り燃や
します。
 まるで本当に会いに来てくれたかのようなおばあちゃんに、女の子は言いま
した。
“わたしもいっしょにつれていって”と。
 おばあちゃんの暖かい手で包むように抱きしめられて、優しい手で撫でられ
ながら、女の子は、大好きなおばあちゃんと一緒に、暖かく優しい世界へ旅立
っていきました。

「夜明けの冷え込むころ、あの街角には、かわいそうな少女が座っていた。
 燃え尽きたマッチの束、売れ残ったマッチ箱を傍らに、壁にもたれていた少
女は、もうすでに、凍え死んでしまっていた。
 ……だけどね。
 もう、冷たくなっていた少女の口もとには、微笑みが浮かんで……いたんだ
って」
 フェンスにもたれかかり、目元を掌で覆いながら、昂河は話し続ける。
「幸せだったとは決して言えない。
 けれど、あの子は最後の最後に、うたかたの幻に救われたんじゃないか……
ってね」
「……………」
「僕は、救いがたく弱い人間なのかもしれない。
 都合のいいことばかり言って、結局やってることはただの逃げなのかもしれ
ない。
 この場所に甘えて。暖かく、優しい空間に縋りきってるだけなのかもしれない」
 昂河の独白に、YOSSYは何も返せなかった。
 何故なら目の前の人間の言葉は、そのまま自分に当てはまることなのだから。
「だけど、僕はここが……この学園がたまらなく好きなんだ……
 たとえそれがうたかたの幻であろうとも……
 ……自分の現実に向かい合えず、逃げ、縋ってるだけだとしても……
 幻の中で微笑むことが……たとえ……何の意味ももたらさないとしても……」
 肩を震わせ、声音を震わせ、心の底から、思いを吐き出す。
「……この学園は……ここの皆は……、……僕の、居場所なんだよ……」

 目を、逸らしたい。
 今すぐ、この場から逃げ出したい。
 けれど、それは絶対に許されない。
 目の前の、昂河という人間に、応えなければならないから。 
 逃げ。甘え。 
 己のしていることに蓋をして、日常に溺れる日々。
 己の現実から逃げ出して、日常という幻に、夢に甘え、縋り続ける日々。
 けれども。
 やっぱり自分には、それしか残っていないから。
 ありふれた、されど心地いい空間。気のいい教師、生徒ら仲間達。
 離れることなんて、できやしない。
 少なくとも、こんな弱い自分には、振り切ることなどできやしない。
 
 こんなヤツであることを承知で、今に甘んじさせてほしい。
 それがどんなにみっともなくても、それがどんなに無様なことでも。
 明日には醒める幻かもしれないけれど。それでも。
 震える腕を押さえつけて。暴れたくなる脚を地に押さえつけて。
 喚きたくなる唇を噛み締めて。瞑りたくなる眼をこじあけて。
 昂河をただ黙って、しっかり見つめる。 
 それがYOSSYFLAME精一杯の、そして唯一の返事だから。

 この空間に、この皆に。どうあってでも縋りつきたい。
 どうあってでも、この学園は、――自分の、居場所なんだから。