光が、空からこぼれて落ちてきそうな程の朝日。その下を、うきうきとした調 子で歩く僕。漸く腕──というか体全体だろうか?──の傷が完治し、久々に 登校をしているのだ。いつもならばただ気怠いだけの道が、数倍楽しく見える。 歩いていき、学校に近づいて来るに連れて、生徒の数も増えてくる。僕は、 その中に友人がいないかと、胸を高鳴らせながらきょろきょろとしていた。 ──僕がいると知ったら、みんなどういう反応をするだろう……。 等と考えながら。 校門が見えてきた頃、前方に見知った背中があった。それは、僕のうきうき とした心を少し、青く染めた。ガッカリしたわけではない。否、むしろ嬉しかった のだが、その背中は僕の抱えるコンプレックスを刺激したのだ。忘れてしまい たい、でも忘れることの許されない過去の記憶の一部分を。 ……その人影は、Runeさんだった。 僕は、少しだけ考えてから、結局声を掛けることにして足の動きを早めた。そ して、Runeさんに声を掛けようとしたとき──僕はあることに気が付いた。…珍 しく……Runeさんの機嫌が『読めた』のだ。いつも冷静で、あまり感情を露わに しない彼が…そのときは、余りにも暗く、何かを悩んでいた──少なくとも、僕 の頭にはそう言うイメージが流れてきた。そしてそれは、以前にも感じたことの ある『機嫌』だった。あの記憶の時の。 僕は──声を掛けることができなかった。 ──結局、僕はあの人に一歩も近づいていないじゃないか。否、まして引き離 されている。それでは、…それでは…。 僕は未だ、そのコンプレックスに引きずられていた。 僕が自分のコンプレックスについて少し悩み、立ち止まっていると、後ろから 服の裾を引っ張られた。誰だろうと訝しみながら振り返ってみると、そこにいた のは初音ちゃんだった。 「ゆきちゃん、もう良くなったんだ──」 そして、にっこりと笑みつつそう言う。僕は、その微笑みが見られたことと初音 ちゃんが心配をしてくれていたこととで、何だか舞い上がりそうな感じになってい た。が、初音ちゃんはそんな僕の心情を打ち壊すように、とんでもないことを続 けた。──もっとも、別に初音ちゃんに悪気があったわけではないのだろうが。 「──心配していたんだよ、M・Kちゃんが、体中の器官にガンが発生したり、 頭に鉄の棒が突き刺さったり、手を肉鍋にしちゃったり…って聞いたから」 初音ちゃんはそう、M・Kから聞いたのであろう荒唐無稽かつ莫迦らしい話を 終えると、心配そうに僕の頭と、腕を見る。…腕を喰われたことは確かだけど、 生憎お鍋にはなっていない。 「いや…、それはデマだと思うよ…」 僕は、苦笑をしながらそう言うと、初音ちゃんを見ながらこんなことを思った。 ──あのとき僕は、この目の前にいる少女を、守ることができなかったんだ…。 そして少しだけ、僕の笑顔には影ができた。勿論、初音ちゃんほど勘の良い 娘がそれに気が付かないはずもなく、 「ゆきちゃん…どうかしたの…」 と、(何故か)さっきよりも心配そうな顔を作り、僕に訊いた。 僕は少し困った。果たして、どう答えるべきかを一瞬では考えつくことができ なかったのだ。──僕は少し沈黙した後、近いような、近くないようなことを言った。 「………そう言えば、もうすぐ修学旅行だな──と思って」 「そっか。…そうだよね…」 初音ちゃんは今初めて気が付いたようにそう言った後にすぐ、僕と同じように 笑顔を曇らせた。彼女もまた思い出したのだろう。去年の、中学校最後の修学 旅行中に起こった、忌むべき出来事を。僕のこのコンプレックスの大元となっ た出来事を。 僕は──僕らは少しの間だけ、その記憶に触れ、委ねることに決めた。 ・・・ その修学旅行は、まさにお約束通りという感じの京都だった。勿論ここまで来 たら二泊三日の旅である。確か、初日の朝は今日のように晴れ渡り、僕の心も また、うきうきとしていたはずだ。 初日は、そのテンションを引きずったまま平和に過ぎ去り、まさに滞りがなか った。……だがしかし…二日目は…。 僕らの学校は、初日と二日目を班別行動にしていた。理由はよく解らないが (確か、経費削減という噂があったような)、班だけでいられるというのが嬉しく て、誰も深いところに突っ込もうとはしなかったし、おそらく理由なんて先の噂 にあったようなことだけだろうと思う。 ・・・ 「『あの日』は確か…清水寺にいったんだっけ…」 「うん……」 そうしてそこで── ・・・ 僕と初音ちゃんは、一年から三年までずっと同じクラスで、班も二年の頃辺 りから良く一緒になった。前者は偶然の産物だが、後者は今でも誰か──ク ラスの中に必ず一人はいる、お節介なやつ──の陰謀だと思っている。もっ とも、そうやってはやしたてられることの本来の原因を作ったのは僕だし、そ うされることも多少は嬉しかったように思う。 ……話がそれている。どうやら本当に拒絶しているようだが………しかしそれ でも、僕は無理矢理に深く思い出すことにした。覚えている限り、自分の言動 を思い出す。 ──確か…清水寺の回りには…修学旅行生がたくさんいた……。 ・・・ 「みんなー。班員を見失うなよー」 清水坂──だったか五条坂だったか──の人の波に流されながら、聞き慣 れた班長の声が耳に届いた。どうやら彼自身ももみくちゃにされているようで (そう言えば、僕は彼の名前を覚えていない)、少し声が上擦っている。…僕は、 それにはあまり構わずに初音ちゃんを見失わないことに専念した。 初音ちゃんは、僕の少し先のところで人混みをかき分けていた。が、彼女がこ の濁流のような人の波をまともにかき分けられるはずもなくて──少なくとも僕 にはそう見えて──、初音ちゃんは上に進むと言うよりも徐々に後ろに下がっ てきていた。僕もまた人の波に押しやられていたが、それを見て思わず苦笑し てしまった。それから仕方無しに、例のフィールド──HSD!フィールド…半径 五メートルほどのフィールドを、自分中心にはる。このシールドに触れた「男 性」は、感電をしてしまう。因みに、防御用にはならない──を少しだけ展開 し、初音ちゃんの方へ近づいていった。……僕のこのフィールドのおかげで、 回りにいる男性数十名が感電して気絶したような気がしなくもないが、僕は そんな些細なことにまでは気を配らなかった。 「初音ちゃん、そんなんじゃ上には行けないよー」 僕は、辺りの人たちが倒れて驚いている初音ちゃんに向かってそう言うと、 ぽんぽんっと肩を叩いた。それから背中のバッグにさしてあったビームモッ プを抜いて、 「こう言うときは──こうするのぉ!」 と、叫んで初音ちゃんを抱えると、ビームモップを地面に叩きつけ、その反 動で── 「──ジャァァァァァァァァァァァァァァァァァンンンンプ!!!!!!!!!! !!!!」 「え?なに?なに?なに?なに?なに?なに?なに?なに?なに!?」 ──僕は思いっきりジャンプした。 エネルギーをフルで稼動したビームモップは、最高で二メートルもの長さに なる(ビーム部だけで)。それを高飛びの棒代わりに使ったのだから、いくら貧 弱な坊やである僕にだって、それなりの高さまでは飛び上がることができた。 ──が、それから調子に乗ったのが悪かった。僕は、そのまままともに着地 すればいいものを、わざわざ空中で一回転をしてしまったのだ。その結果どう なったか……僕と初音ちゃんは何とか着地できたのだが、ビームモップを抜 いたときに開け放してしまっていたバッグの口から、バラバラと中のものが落 ちてきたのだ。──拙い!あの中にはあの問題作が……。 「大丈夫?ゆきちゃん」 少し目を回したみたいな顔をしながら初音ちゃんがそう言ってきたが、僕の耳 の中にはあまり入ってこなかった。 「……ゆきちゃん………?」 初音ちゃんがそう呟きながら僕の腕の中から抜け出た。普段ならガッカリす るところだが、僕は視線を宙に這わせていた。──どこだ?どこに── 「………?ゆきちゃ──?あれ?」 初音ちゃんが、何かに気が付いたようにしゃがみ込む。僕は不意と、そちらに 視線を向け、そして──驚愕した。 「『欲望の続き』──??これ、ゆきちゃんの──?」 初音ちゃんが、僕のその『問題作』を手に持っていたからだ。僕は慌ててそれ を取る。余りにも慌てていたから、少し乱暴になってしまった程だ。 「こっ、──これは拙いよ、読まないほうがいい……」 そして、それをバッグに入れながら言う。初音ちゃんは少し怪訝そうな顔をした。 「え!?な、何がどう拙いの……」 そうして、声を潜めて呟くように言う。うう、そんなこと僕に言わせないでくれ。 僕は困った末、適当な嘘でも吐こうと思いつき、それを口に出そうとした── が、それは別の怒鳴り声によって遮られた。その怒鳴り声は、何故か僕らの 足下から聞こえてくる。 「いつまで人の上に乗っている気だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」 僕と初音ちゃんが下を向くと、そこには他でもない、うちの班の班長さんがうつ 伏せに寝ころんでいた。僕らは、彼の背中の上に乗っていたのだ。なんてお約 束な展開か!でも、僕はそんな展開と寝そべっていた彼に心底感謝した。彼の おかげで、初音ちゃんの注意が『欲望の続き』からそれたからだ。 「あ!ご、ごめんね…」 僕が胸を撫で下ろしているうち、初音ちゃんは慌てて班長の上から降りると、 すぐに謝った。僕も、初音ちゃんが謝り終わった頃に漸く(その場で)立ち上が り、班長からおりる。 「ぐえぇぇぇぇ!」 班長が呻いたことはあまり気にしない。ただそのかわり、爽やかに言ってあげる。 「いやぁ…男という男が全て無様に倒れている姿は……実に爽快だねぇ…班長も そう思わない?」 そして、運良く避けられた男達と女性達の視線を一転に浴びる。何となく好奇に 近い気がするのは……まあ気のせいだろう。 僕はその視線を満足がいくほど浴び終えると、後ろを向いた。既に班長は立ち上 がっていて、僕のことを睨み付けている(そう言えば、僕はこのころから彼の名を 覚えようとしていただろうか?)。──と、言うか…。 どげし! 「うきゃん☆」 僕は、坂を転がり落ちるほど強く、班長に殴られた。 ・・・ 「いやはや…あれは本気で痛かったよ」 僕はいったん思い出すのをやめ、そのときの感想みたいなのを初音ちゃんに言っ た。否…そうでもしなければ、僕は延々と『楽しい』時の話をしてしまうかもしれない からだ。 「だって、ゆきちゃん下の方まで転がって行っちゃったもんね」 初音ちゃんも、思い出し笑いしながらそう言う。 「あれから後も楽しかったよねぇ…」 「うん、地主神社に行ったんだよね──」 初音ちゃんはそう言ってから少し頬を赤らめて、その後を続けた。 「──あの、縁結びの神様」 僕は、取り敢えず強く記憶に残っているモノを思い出していく。例えば──水かけ 地蔵か。あのとき僕は── 「──確かあのとき、水かけ地蔵があったよね。あの地蔵に水をかけるための 桶みたいなやつ(全然違うぞ)にさ、何を良くするかって言うのが書いてあった よね、確か」 僕がそう言うと、初音ちゃんも少し思い出しながらコクコクと頷く。そして、僕 が言う前にその先を続けていった。 「ゆきちゃんのやつ、『良縁』だったんだよね。それも、選ばないでたまたま取 ったのがそうだったんでしょ。すごい偶然だよね(実を言うと、これは実話で す。否、本当)」 それから、楽しそうににっこりと微笑む。 「うん、そうそう。アレは驚いたなー。おかげで、何だか奮発してしまったよ、御 賽銭を(実話)。でも、思いっきり水をぶっかけたから、良縁逃げちゃったのかもよ」 僕は対照的(?)に、苦笑する。それからまた、少し思い出してみる。 「恋愛の石だっけ?あんなのもあったよね。僕は確かできたけど(実話)、初音 ちゃんはどうだったっけ?」 僕がそう言うと、初音ちゃんは少し考えてから、確かできたよ。と答えた。そし てそれからまた少し腕を組んで考え、 「御神籤はどうだった?私は中吉だった気がするけど」 と、言った。僕は何だか感傷的になりながら、半吉だったよぅ。と、無理に戯け て答えた。 何だか、あの頃がとても懐かしく思えた。もっとも、面白さの度合いでは今の方 が高いかもしれないけれど。 「しかし、あのときは散々からかわれたなあ」 僕がそう言うと、初音ちゃんは少し恥ずかしそうに笑みながら(それと共に、何 だか嬉しそうなのは…………僕の都合の良い解釈と煩悩の所為かなあ)、 「そうだったね」 と、呟いた。 一年の時以来ずっと初音ちゃんにくっついて歩いていたような男である、僕は。 それが同じ班で、それも良縁の神様のところで盛り上がっていれば、それはか らかわれるだろう。ただ──初音ちゃんはともかくとして──僕はそんなのが、と ても嬉しかったが。 …………僕らはまた、『楽しい』思いで話に花を咲かせ始めた。 … 中編へ …