暫くして話が途絶えたとき。 「──『あれ』は……あの後、起きたんだよね」 僕は一切の『楽しい』思い出を忘れ、微笑みすら消し、静かに、押し殺した声で そう言った。初音ちゃんも僕のその緊張に押され、力無く頷く。 散々盛り上がった僕らは地主神社を降り、清水寺を歩き回り始めた。あの有名 すぎる景色を写真に収めたり、茶屋でかき氷を食べたりした後、僕らは子安の塔 に向かい始めた、だが、その途中で…………。 ・・・ 「あれぇ?」 子安の塔に向かう途中の坂道。茶屋を少し離れたところに来たとき、僕は妙 な横道を見つけ、いわゆる『素っ頓狂な』声をあげた。……妙な──とは少し 語弊だが、それは半ば獣道のような坂道だった。というか、そこの入り口とも 言うべきところに『これより、夜間通行禁止』と書いてある。僕は、少し興味を 引かれた。 「これ、なんだろうね」 僕は立ち止まり、その道を指さして言う。初音ちゃんを含めた他のみんなも立ち 止まり、その道を見た。 「横道…だろ」 班長はそう言うと、促すように上を顎で指す。……いやあ…班長さんたら、つれ ないなぁ……。僕がそんな巫山戯たことを思い、少しガッカリしながら歩きだそうと すると、そのつれない班長さんの方からこんなことを言ってきた。 「そんなに行きたいのなら…班を二つに分けるか」 そして班長は、残りの三人(六人班なのです)をちらっと見て、なにやら計画を 立てているような素振りを見せる。その目配せされた三人は、暫くして手を叩き、 にやついた目をして言い出した。 「グットッパ(グーとパー、グッパッジャス、でもよし)して、二つに分けようか。子 安の塔に行くのが四人、こっちに行くのが二人」 「え?いや…別に良いって」 僕は慌てて撤回したが、彼等は聞きつけなかった。どうやら、清水寺の喧噪で 聞こえない…ふりをしているらしい。こうなっては彼等のような冷やかし組を押さ える術はない、こう言うときは──少なくとも僕自身は──あまり騒がず、平静 を装うのが一番だ。 「それじゃあ──」 班長が音頭をとり、仕方なく僕も構える。 僕は何を出そうか… A:怒りの現れとして、グー。 B:班長を平手打ちにしたいという願望が少しあったので、パー。 C:お約束通り、最初はチョキ。 はっ!何故選択肢が?──って、どうせ何を出したって一緒だろうと思う。連 中はおそらく、口裏あわせて全員同じので来るだろう。だとすれば、僕と初音ち ゃんが一緒になるしかないのだ……嬉しいような、何だか腹が立つような。 とはいえ、チョキを出すのも気が引ける。仕方ないここは── 「──グットッパっ」 僕は適当に、手の握りのままグーを出した。 ──案の定だった。連中は全員──違うのが出たのは偶然だが──パーだ った。初音ちゃんは──こっちも偶然だけど──グー。早く決まってよかった…。 と、言うべきなのか? 僕が気怠く顔を上げると、班長を含めた四人がにやついている。僕は肩を竦 めつつ、初音ちゃんに言った── 「……良いの?僕が言うのも何だけど、わざわざこんな──」 ──のだが、僕の発言はお節介組にかき消された。 「よぉぉぉぉし!それじゃ二人とも頑張れよぉ!」 「暫く二人でいていいよー」 そして、言ったが早いかさっさと走っていってしまう。──ちょ、ちょっと待って よみんな! 僕は慌てつつ、さり気なく初音ちゃんの顔色をうかがってみる。…初音ちゃん も、困ったような顔をしていた。………こういう場合、どうするべきだろう。……… ………迷ったあげく、僕は初音ちゃんに言ってみた。 「いや…本当にどうする?追いかける……?」 とはいえ、僕は内心それをうち消されることを望んでいた。それは否定できない と思う(そう言う意味でも、『あの』出来事は僕に責任があるのだ)。 初音ちゃんは僕に言われるとますます困った顔をしたけど、それからすぐ、 「えっと…でも私、別にこっちでも良いよ。何だか涼しそうだし」 何だかぎこちないけど、それでも笑顔で言った。確かに、その道は涼しそうで、そ して静かだった。 「…………それじゃ…こっちの道に進もうか」 せっかくだし…という思いが、結局僕を動かした。 その道は、酷く古い道だった。もう、かつての石畳は砂に埋もれ、申し訳程度 に出ている部分でも苔にまみれている。そして、そこは今までの人工的な雰囲 気とは違い、自然な環境だった。沢山の木々が犇めいている。 階段のような、坂道のようなのを下っていくと、そこにあったのは小さな── 本当に小さな──川と、それにかかる古い橋だった。 僕は橋の上に立ち、思わず背伸びをした。清水寺の喧噪が殆ど聞こえないほ ど静かだし、木漏れ日も優しい。──藪蚊がたくさん飛び交っていることを無視 すれば──そこは、とても良い空間だった。 「結構良いところだね」 僕が背伸びを終えると、初音ちゃんが微笑みながら言った。来て良かった── と、大声で言えるほどではないにしろ、来て良かったことにはかわりがない。僕は コクコクと頷いた。 「あ、写真撮ろうか」 コクコクと頷きながら、今日はまだ写真を撮っていないことを思い出し、僕は初 音ちゃんに言った。──そう言えば、昨日は風景を除けば初音ちゃんしか撮って いないような気がする。 「うん、そうだね。………あ、でも。ゆきちゃん昨日から自分のことを撮ってた?」 撮ってない。 「いや…。でもさ、自分撮ったって仕方ないし──。それよりも、撮るの?」 僕はそれを要領を得ない答えで遮り、初音ちゃんに逆に聞いた。あんまり深 いことが気にしてはいけないのだ。 僕にそう言われた初音ちゃんは、さっきの僕みたいに──でも明らかにこっち の方が可愛いけど──頷いた。 「えっと、ここで良い?」 僕は初音ちゃんが頷き終わってから、後ろに下がりつつそう言った。他の場所 で撮るより、橋にいるほうがいい…気がしたのだ。初音ちゃんも別にここで良いみ たいなので、僕は適当な場所まで下がると、カメラを構えた。 正直、僕は写真を撮るのがあまり上手くない。勝手にピント合わせをしてくれる カメラだというのに、何故かぶれてる。…というか、撮る瞬間揺らしてるのかもし れない──そんなことを考えつつ、初音ちゃんにピント合わせを始めた。 「ええと、それじゃ撮るよー」 何とか早くピントがあったため、僕はそう言った。 「うん、いいよ」 初音ちゃんも、そう答えて少しポーズを撮る。とはいえ、彼女は少し控えめだ。 しかし…こうやって写真を撮っていると、何だか初音ちゃんを自分のところに 留める──もしくは閉じこめる?──ようで、何だか妙な気持ちになるんだよな…。 僕は、そんな訳の分からないことを考え、そしてシャッターを……。 圧そうとし、指に力を入れたところで──太陽のブレーカーが落ちた。 遠くに少し聞こえていた喧噪が完全に途切れ、空は黒い幕に覆われ、そして── ──僕らの目の前に、十体以上の黒い塊達が、取り囲むように出現した。 僕は辺りがいきなり暗くなったのに驚き、カメラを顔から離した。そしてそれから 辺りの黒い塊達に気が付いて、慌てて初音ちゃんの近くに来る。 「な、なに?これ」 初音ちゃんもびっくりしてそう言い、目を擦った。しかし、これは紛れもない事実 で、そんなことをしても殆ど意味がない。僕は取り敢えず、初音ちゃんをかばうみ たいに後ろにやる。 ──何か…やばそうだな……。 僕はそう呟きながら相手を観察する。躰は辺り以上に黒く、筋肉質で、腕には鈎 爪のような物が付いている。顔ははっきりしない程度にぼけていて、それでも動物 的な感じだった。 僕は背中からビームモップを取り出し、三十センチほどの長さにする。そして その直後にHSD!フィールドも展開して、どうにか『戦闘』を開始できるような状態 にした。 ──来るなら、来い。 でも、あまり来て欲しくない。──しかしそんなわけもなく、連中は一斉に飛び かかってきた。 バシュウ!!! まず、一番はじめに飛びかかってきたやつがフィールドの餌食になり、かなり後 ろまで吹っ飛んだ。それを見た他の連中が慌てているうち、僕が逆に突っ込んで いく。とはいえ、フィールドは五メートルまでしか効かないから、あまり初音ちゃ んから離れるようなことはしないが。 「この!」 バスン! ビーム部分にフィールドを収束させ、自分の体重をかけつつ殴るように相手の躰 を突く。そして、力任せに持ち上げ、自分のフィールドに叩きつけた。その黒い塊は、 更に黒く焦げて絶命し、その場に倒れる。…だが、それで気を抜いている暇はなか った。武器を持っていない左の方角から、爪を立てて襲ってくるやつが一匹。僕は 慌てて体制を整えると、さっきまでモップに収束していたように、左手にフィールドを 集める。そして── 「この!この!!この!!!」 逆にこっちから懐に飛び込んで、闇雲に拳を打ち込む。流石に僕の腕も痛いけど、 相手は無防備にすっ飛んだ。しかし深追いはせず、近くにいるやつをビームで斬り つけつつ、後方に下がる。 取り敢えず初音ちゃんの元に戻り、 「だ……大丈、夫?」 と、荒い息で呼びかけた。──もう、息が上がっている…。僕は、自分のひ弱さを 呪っていた。 どうやら初音ちゃんは頷いたようだが、僕はそれを後ろを向いて確認する余裕も、 まして格好を付ける余裕もなかった。……何故なら、もうそこまで敵は迫ってきて いるのだから。 僕は時間稼ぎをするように、自分の周りをモップで撫でた──お掃除──。どう にか滑りやすくして、体制をこちらが有利なようにしたい。………が、それは全くの 無駄だった。連中は、そこを避けるように飛び上がり、僕の方に直接突っ込んでくる。 僕は慌てた。 ──このままじゃ、突き破られる可能性が無くもないよ………。 僕はそう思うと、初音ちゃんに後ろに飛ぶように呼びかけ──ようとしたが、それは 叶わなかった。初音ちゃんは、既に気絶をして倒れている。僕が慌てて抱きかか えに行こうとすると、後ろからフィールドを突き破ろうと突っ込んできていた連中が 紫電をちらさせながらフィールドにへばりついている。それも、先のように吹っ飛ば されることなく。このままでは冗談でなく突き破られてしまう……。 僕は半ばパニックに陥りながら初音ちゃんを抱き上げると、モップをバネにして思 いっきり後方に飛び去る。そうすることにより、塊達はフィールドを失って地面に落ち るのだ。 相手が藻掻いているうち、僕は必死に自分を落ち着けた。──が、落ち着こうと すればするほどどこかしらで焦りが生まれ、考えは悪い方へ悪い方へと動いて いく。 …そうこうしているうちに、塊共は徐々に立ち上がり始めた。だが、今度は動こう とはせずに、僕のことを静観している。 ──何を考えている?目的は何なんだ?そもそも、こいつらはいったい…。 考えつつ、酷く咽が渇いているのに気が付く。そして、そう直接的に考えた瞬間 から異常なほどの水分補給に対する願望が生まれ出た。 ──ああ、水が飲みたい水が飲みたい水が飲みたい水が飲みたい……。 だがしかし、自分で何かを持っているわけでもなく、小さな川もここからでは動 かなければ辿り着くことができない。 僕は絶望した。もしや、このまま僕をミイラのするつもりなのか? 僕は、さっきよりもパニくりながら辺りを見回す。──何か、何か渇きを癒せる ものは…………。そして、あるものが僕の目にとまった── ──それは、初音ちゃんだった………。 ──何だって!!!! 僕はそう考えた自分に激怒し、そして疑った。──僕は何を考えている?いった い何を、何をするつもりだった!!?? ──しかし、彼女の体液を飲めば、渇きが癒されるかもしれないのだ…。 自分の中か、はたまた別の誰かか…そんなのは判断できなかったが、少なくとも 酷く邪な念が僕の頭に浮かんだことは確かだ。僕は頭を抱えてうずくまり、それを 必死に否定する。 「そんなことができるわけがないだろう!?そもそも、そんなことをしたらどうなる? 今僕は初音ちゃんを守ろうとしているのに、その僕が彼女を危めてどうする!? そんなのは、そんなのは…本末転倒じゃないか!」 声に出し、叫ぶ、叫ぶ、叫ぶ。 ──どうせ、いつかは耐えられなくなるのだから、いっそ今のうちに…。 だがその声は、僕の叫びをかいくぐって聞こえてくる。僕はまた── 「そんなはずはない!そんなはず──?」 ──叫んだが…途中でとんでもないことに気が付いた。………ああああ!な んてことだ!それじゃ、原因は全て僕にあるんじゃないか──! ──そう、これは『欲望の続き』の再現なのだ…………。 「それじゃあ!僕は僕に、初音ちゃんを、初音ちゃんを……!!!!!」 そんなことするものかさせるものか!……僕はそう内で激しく叫んだが、それで も渇いていく咽は止められようもない。 僕は焦っていた。先ほどからの焦りが積み重なり、パニックを通り越し、徐々に 頭がいかれてきている。そんな僕が、そんな可笑しくなった頭で考えていたこと、 それは、代償を探すことだった。──どうにか、どうにかして初音ちゃんから自分 の意識をぉぉぉ!! 頭を振りながら周りを見回す。──何か無いか何か無いか! だが、それは意外にあっけなく見つかった。 ──さっき吹っ飛ばした、この疑似鬼…。こいつが…。 それは、一番最初にダメージを与えたやつだった。それは焦げてこそいるもの の、中身まで焦げているようには見えない……。そう認識した僕はビームモップ を掲げ、そしてそのままその鬼の躰を突き刺した。案の定出てくる、血液。僕は それを、貪るように啜る。作り物臭い鉄のような味が、へばりつくように咽を通る。 気持ちが悪いはずなのに、吐き出したいはずなのに、乾いた僕の咽はそれを 果てしなく欲する。飲めば飲むほどに咽が渇いていく。それなのに、飲み続け ている。──そうして、僕が殆どの血液を飲み干したとき……。 僕は、後方から来る激しい衝撃波をもろにくらい、前のめりに吹き飛んだ。 … 後編へ …