Lメモ:痛すぎる聖夜の雪(後編) 投稿者:ゆき
 昨日の僕と今の僕は明らかに違う。
 …今まで、僕は毎日同じでいる自分が厭だった。
 どうにか、…進みたかった。
 しかし。
 だが。
 僕はこんなものを望んでいたわけじゃない──────!
 例え、これが叶えられた物ではないにしろ。
 進んだというそれが僕の自惚れであったにしろ。
 僕は、タンポポの綿の上に立つような自分も、天使であることから逃げ出した彼女も──
────泣きたくなるほどに──。
────言葉が詰まる──。
────泣いてしまえばいいのに──。
────吐いてしまえばいいのに──。
────何と──?
────好きだよと──。
────例えそれで彼女がより一層傷つき苦しんでも──。
────或いはこののままよりも──。
────しかしそれをしないのは──。
────子供だといわれようと、僕が彼女のことを好きだからに他ならない──。
────傷ついていく彼女を見たくないからだと言うことに他ならない──。
────だから、同時に言いたいのだ──。
────好きだよと──。
────しかし──。
────言葉の羅列は相変わらず急に終わりを告げてしまう──。
────いや…告げることなどしないかもしれない──。
────でも、最後に一つ──。
────鈍い光が残る──。
────好きだよと──。



                 自伝、或いは自嘲的Lメモ

                 ──痛すぎる聖夜の雪──

                    … 後編 …




 苦笑いだ。
 ちかちかと、色とりどりの豆電球が灯る観覧車の中、目の前に座っている初音ちゃんの笑みを見て僕は思
った。
 彼女の笑顔は、苦笑いだと。
 或いは、哀しみに崩れそうな表情を必死に押し隠しているか。
 …僕が甘えるか否かの葛藤をしているように、彼女もまた…。
 ──僕は、初音ちゃんから視線を逸らすと外を見下ろした。
 みんな笑ってる。
 みんな幸せだ。
 純粋に、心から、疑うことなく。
 全てがそうで在るかのように。
 或いは、全てをそうするかのように。
 なるほど、確かに想いを通わせるには言葉が必要だ。
 しかし──
──この下で微笑み会う彼等彼女等にはそんなものは要らないのだ。
 だから幸せに見えるのだ。
 僕達は言葉も想いも交わせないのだから。
 …ひょっとしたら、苦しみを共有しあっているのかも知れないけれど。
「………」
「………」
 沈黙。
 ふうと息を付くと、ガラスが白く雲って視界を覆った。まるで、何かを語れとでも言うみたいに。
 僕の唇は動いてくれるのか?
 僕は、……躊躇いがちに、ガラガラと絡まる小声で呟いた。
「……ダメだった」
 一番はじめに浮かんできた言葉。
 最も締め付け、締め付ける言葉。
 初音ちゃんはびくっと肩を、心を震わせた。でも泣かなかった。泣けなかったのかもしれないけれど、な
ににせよ彼女は泣かなかった。崩れそうな心も表情もその小さな身体で抱き締めて、耐えた。
「………うん、ダメだったよ──」
 その言葉は、ひょっとしたら涙と同じ意味なのかも知れない。
 そして、──これは断言だが──彼女を抱き締めなければならなかったのは彼女自身ではなく僕だった。
少なくとも、僕はそうすべきだったのだ。でも僕には彼女を抱き締められなかった。──僕は、抱き締める
ことにより彼女が崩れてしまうことを恐れたのだ。明らかに。
 粉々になったグラスをゆっくりと直す、その行為をする自信がなかったのだ。
「──でも、仕方のないことだったと思うんだ。だって、耕一お兄ちゃんには大好きな人が他にいて、それ
で────私は子供なんだもの」
 どうしてそんな悲しいことを言う!!??
 CRYCRYCRYCRYCRYCRYCRY────
──僕は悲鳴を静かに上げた。
 どんどんと胸のドアを叩き、叫ぶ。
 どうして君はそう言う風に考えるんだ!!??
 それはそのまま僕の胸にこだまするのだ。
 俯きながら、堪えながら言う彼女の表情は凄く痛い。
「………………好きな人…が…いる…って言うのは…仕方がないことかも………しれないけれど……──」
 耐えられなくなって目を瞑り、僕は言う。声が出ない、咽が否と叫んでいる。言いながら何をいうか考え
る、何も浮かばない、例えば小説のような科白すらも。月並みで都合の良い囁きさえも。
「──子供が…どうのこうで……人を嫌いになるような……人じゃないよ…」
 墓穴だ。これは自爆だ。
 でも、初音ちゃんは静かに頷いた。
 そしてまた、沈黙。

 観覧車が半分のところ、ちょうどてっぺんに登ったところで、初音ちゃんは泣きそうな声で言った。
「ゆきちゃん………ご免ね…。変なこと頼んで…」
 きっと、彼女は考えていたのだ。最後の整理をしていたのだ。
 だから、僕に言ったのだ。
「それは前にも聞いたよ…」
 何か冗談が欲しかった。これ以上こんな空気に耐えられなかった。
 しかし、僕は──僕も──泣きそうな声でそう応えるしかない。
「………そうかもしれない…。でも、でも、ご免ね…。私、恐かったんだ。今私たちが幸せに暮らしている
この世界、空気、人々。いつも繰り返すようで流れているけれど、でも私はそんな全部が大好き。…だから
…恐かったんだ。全部が全部、私の所為で壊れてしまうかもしれなくて──────」
「………」
 僕は、辛くて顔を歪ませた。どうしようもなく泣きたくなっていた。
 これ以上、彼女の泣きそうな顔も、声も、言葉も、意味も、全部。全部聞きたくなかった。
 だから、僕は彼女の言葉を手で制した。
 しかし──
──矢張り、僕は彼女の唇自体を封じるべきだったのかもしれない。
 そうすれば、事態は好転していたのかもしれない。
 でも、結局僕は負けた。
 相変わらずの保守心に。
 誰もが幾度となく呟いてきた言葉。
──やって後悔することよりも、やらずに後悔した方が辛い。
 まったくだ。
 人々は正論しか言わない。

 この観覧車を最後に、リーフ学園の生徒達は一斉に帰りだしていた。時間は今五時半、なるほどちょうど
良い時間ではある。というか、もう空は真っ暗だ。もとより陽など出ていなかったが。
 僕達二人もご多分に漏れず帰りだした。
 他の人たちから見ると随分と遅いらしく、M・Kも梓さん達も見あたらない。
 結局、二人だけで帰ることになった。
 ──いったい、何処までが辛くて何処までがそうでないのだろうか──?

「あ………」
 帰り道、一言も話さずに来た僕らだったが、ちょうど僕の家へ行く道と初音ちゃんの家へ行く道の分かれ
道のところへ来たとき、初音ちゃんが口を開けた。
「………もう此処まで帰ってきたんだね…」
 少し虚ろな声。暗がりに、白い息も強くは見えない。
 此処は虚構のようだ。そして痛いほどに現実だ。
「あ、本当だ…」
 そして僕も、虚ろ。
 本当に、この場で彼女を奪えたらどんなに良いことだろう?
 本気でそんなことを考えるくらいに。
「…どうする? 私の家に来る? 多分、お姉ちゃん達が何か用意していると思うけど…」
 初音ちゃんは、僕の方へ顔をちょっと向けていった。しかし何処か俯きかげんだ。
 だから、僕も心持ち顔を俯かせて応える。
「いいよ。…ひょっとしたらM・Kが帰っているかもしれないし」
 大嘘だ。あれが家に帰っているはずがない。
 でも、初音ちゃんは頷いた。
 そして僕達は、正反対の方向へ歩き出す。
 いつもならまた明日なのに。
 いつもならまたすぐに会えるのに。
 今日はそんな気がしなかった。
 でも僕の足は進む。
 まるで、初音ちゃんから逃げるみたいに。

 少し歩いた。振り返る。
 道が曲がっているようだ、暗がりの向こうには誰もいない。
 僕はまた歩き出した。
 塀が続いている。
 いつまでも。
 塀が、まるで引き返せと忠告するように。
 いつまでもいつまでも、続いている。
 或いは、僕は歩いている気になっているだけなのかも知れない。
──何だって言うんだよ!?
 僕はまた悲鳴を上げた。
 立ち止まり、そして塀を思いきり叩く。──拳に、突き刺さる痛みと鈍い衝撃が走った。──痛い、痛す
ぎる。こんなに痛くなくても良いだろうに。
 僕は、もう一度塀を殴った。
 痛い。何処かで逃げるように拳の力が抜かれるが、痛い。
 殴る殴る殴る。──弱虫め、弱虫め、弱虫め。
 お前は人に想いを告げることができないと言うそればかりでなく、自分を傷つけることも人を傷つけるこ
ともできやしない。こうやって、物理的な痛みに逃げようとも矢張り何処かで痛みを恐れ、脱力した拳を放
っている。巫山戯るんじゃない、僕は何もできないじゃないか。…弱虫め、弱虫め、弱虫め、弱虫め、弱虫
め──────
「────弱虫め!!」
 膨張する怒りを声に出して静めようとして、今度は我に返ってしまった。塀に押し付けている拳が痛い、
握ることも開くことも出来ず、今の僕みたいに宙ぶらりんな状態でないとイケナイ。そうでないと壊れてしま
うかもしれなくて恐いのだ。痛くて泣きたくなるのだ。
 僕の鼓動とともに吐き出される白い息が、立ち上っては消える。
──気が付けば、拳から血が滴っていた。
──気が付けば、僕の心はカラッポだった。
 また、塀が僕に語りかける。
 戻れと。
 僕は、きびすを返して初音ちゃんが行った方へ駆けだした──

──良いだろう?
──たまには、後ろを振り返ったって。
──たまには、格好つけたって。

「は……つね……ちゃん……!!」
 叫ぶのも躊躇う僕の身体を必死に宥め、僕は彼女の名を呼んだ。まるで血の滲んでいるかのような声が、
辺りの寂静をかき乱す。そして彼女も。
 彼女は、少し驚きながら後ろを振り向いた。
「ゆきちゃん…?」
 そして、小さな声で言う。僕はまた走り出し、彼女の側まで寄ると、いつもの冗談のような口調を出来る
だけ再現しながら、苦笑を交えて言った。
「あはは………。やっぱり…そっちに行きたい………よ…」
 酷い激痛が手に走っている。──初音ちゃんは、そうなんだ、と言った後にそれに気づいた。
「────! ゆきちゃん、その怪我──!」
 驚いて僕の右手を手に取る。同時に僕の目の前にも映し出された。──なるほど、手の皮は破け、内出血
が破裂している。握られた掌には、爪の食い込んだ後があることだろう。痛そうだ。痛い。
「大……丈夫…だよ…、…すぐに……治るから…」
 息が切れる、走った所為だ。
 荒い息づかいが、そのまま蒸気になって表れる。
「でも、今凄く痛いでしょ!? ダメだよ、ちゃんと消毒とかしなきゃ────」
 初音ちゃんは相変わらず僕の手を握ったまま、そう言った。握っている彼女の手は凄く温かい。それだけ
で傷が癒えるような。それほどに。
 ──僕は少し言葉に詰まった。
「………」
 何を言うべきか。何をすべきか。
 相変わらず思考はそこで止まる。──考えてはいけないのに。
「初音ちゃん────」
「え?」
ぺたん
 僕は空いている左手を、初音ちゃんの頭に乗せた。そして、
「今初音ちゃんが感じてる……その痛さに比べれば…、…こんなの………なんともないって…」
 衝動的にそう言った。
 まるで弾かれたみたいについて出た。
「………………」
 今度沈黙したのは初音ちゃんだった。
 車の通る音も人の声も動物の鳴き声も聞こえない沈黙。
 ただ、二人の息遣いだけが聞こえ、見える。
「うん……」
 彼女は、僕の手を少し強く握りながら頷いた。
 彼女の手や、吐息や、心の温もりは──
──しかし、僕には甘さでなく痛さとして捉えられてしまうのだ。
 少なくとも今は。

 柏木家は、ものすごいことになっていた。ひなたちゃん、秋山さん、ジン先輩、まさたさん、英志さんの
エルクゥ同盟関係のメンバーが全員居て、佐藤さん、ひづきさん、丁さん、東雲さん、恋さん、由美子さん
なんかまで来ていたりする。そうそうたるメンバーとでも言うべきか(因みにM・Kも当然居る)。
 で、そうなると当然大騒ぎだ。
 ていうか、晩御飯に混じっておちょうしがあるのは何故だろうか。
 そんな騒ぎを苦笑しつつ、僕はおこたに丸くなって微睡んだ。
 騒がしさも、なれれば子守唄。
 僕はそのまま夢の中へ────

──そんなことは、自分で考える物ですよ。
 セツ、と言うエルクゥの青年は、ゆっくりとそう言った。
 暫くの間、彼が何について言ったのか解らなかったのだが…すぐに思い当たり、僕は彼に集中する。
──そこで、僕は彼女を抱き締めなかった。あなたがどうするか、それはあなたが決めること。
 ああ。僕は息を吐いた。
 僕に何が出来るというのだ?
──どちらにせよ…想いは変わらない…。
 僕に彼女を愛する力、資格があるのか?
 彼女を見守る勇気、彼女を奪う勇気、それがあるのか?
「僕は────」
 僕は、何か言おうと思った。しかし、そこでふと何かにひっかかった。
 セツという彼は、【誰か】に酷く似ているのだ。
──でも…。まだ暫し…ゆっくりと愛すこともできますか…、…あなたが決断できるまで…。
 彼のその声、彼のその苦笑。
 【誰か】に──────

どげしっっっっっっっ
「ごふっっっ」
 誰に似ているのだろうと考えるより先に、僕の顔になにか熱いものがぶつかった。
「こら、おきろーーーーーーーーーーー!!」
「え、M・Kちゃんダメだよ、そんなことしちゃ…」
「……でも……この程度で怪我をしていては今までもこれからも命はないと思う……」
 楓ちゃんの呟いたそれは確かに正論で、事実さっきまでの僕の手の怪我は完治しているわけだけど、結局
の所今の──おそらく蹴り──は痛いわけで…。
「うらうら」
 先ほどの会話から察するに、そんなことをほざきながら僕の顔面を足で持ち上げてつま先でぐりぐりやっ
ているのはM・Kなのだろう。それが理解ったところでどうなる物でもないのだけど。
「だ、だからってそんな…」
 初音ちゃんが、慌てている姿を明瞭想像できるような声でそう言っている。
 と、誰かの指が僕の頭をちょんちょんつっついている。
「…大丈夫…まだ生きてる見たい………」
 ぼそ、と聞こえたのは楓ちゃんの声だ。
「あはははははははははは、じゃあまだ大丈夫ね!」
 続けて、ブチ壊れて笑い転げだしやがったM・K。
──そろそろ…。
 いい加減にして欲しい物だ。
 僕は顔面をぐりぐりされながらふぅと溜息を吐き、そして次に息を吸った。そして、
「いーーーーーーーーかげんにし────────!!!」
 叫んで立ち上がろうとして炬燵に頭を思い切りぶつけた。この上なく容赦なんて欠片もないほどに衝撃が
走りつつ頭側割れそうに痛いわけだ。反射的に涙腺からちょこちょこと涙が出る。真っ白になりそうだ。そ
うしたら何が残るだろう、名前は忘れても良いから初音ちゃんとM・Kのことは覚えていたい──────
──って違うだろ…。
「あー、ばかみたーー」
 目を瞑っているので確認できないが、M・Kがそんなことを言っている。僕は、
「うるせーっての。誰の所為でこんなぁ〜〜………」
 ぶつぶつと愚痴りながら立ち上がり、居間を出て、寒いけれど静かな縁側に出ていった。

 寒い。自分で出てきたのだが、外は寒かった。心地よい寒さではあるけれど。
 僕は、何となくはじの方に腰掛けた。そして、これはずっと後に聞いたことなのだけれど、そこは耕一さ
んと初音ちゃんが腰掛けていたところでもあるらしい。そう言うところなのかも知れないと、今思う。
──静かだ…。
 部屋の喧噪が遠くに聞こえるだけで、寒い冬の屋外は静かだ。
 僕の心もこれくらいに静まればいいと思う。
「寒くない?」
「寒いよ」
 すっという襖の開く音とともに初音ちゃんの声が聞こえたので、僕は即答する。特に理由はないけれど、
何となくそんな感じだったから。
 彼女は、まるで冬の雰囲気に併せるみたいに静かに近寄ると、僕の隣に腰掛けた。

 そのまま、僕達は互いの白い息を眺めて座っていた。
 
「ゆきちゃん…」
 ちょっとして、初音ちゃんが声をあげた。ゆっくりと彼女の方に視線を向けると、初音ちゃんは天を仰い
でいる。僕は「どうしたの」と問おうと思ったけれど、それよりも早く彼女はもう一度言う。
「ゆきちゃん、雪が降ってきたよ…」
 そして僕の方を見て、
「えへへ…何だか面白いね…」
 そう続ける。
 その時浮かべた笑顔は、いつもの笑顔よりもずっと可愛かった。
「…そうだね」
 僕も、苦笑しながらそう答える。そして、さっきの初音ちゃんみたいに上を向いた。
──粉のように細かい白い粒が、ちろちろと舞っている。一人一人で、あるいは皆と手をつないで…。楽し
そうに、優しそうに、ゆっくりと…。
 雪を降らせる灰色の雲は明るく美しい。
「きれいだね…」
 僕は、嘆息を吐くようにそう呟いた。
「うん…」
 彼女も、同じように。
 ああ、なんて僕は幸せなんだろうか?
 なんて空虚な幸せなんだろう?
 もしも、もしも……。
 もしももう少し、僕に勇気があったのならば──彼女を抱き締められたなら、彼女を見守れたのならば─
─…もっと明瞭とした幸せであったろうに…。
 僕は彼女の想いを知っている。だから──幸せが痛かった。抱き締めるのが恐かった。
 …ああ!! なんて痛すぎる聖夜の雪だ!!!
「ねえ、初音ちゃん」
 でも、その痛みに負けて彼女を遠くにやってしまいたくはなかった。
 彼女を苦しめてでも、僕は彼女を抱き締めたかった。
「なに…?」
 細かい雪が、少しずつ…パウダーのように庭の木々に積もっていく。
 こんな風で良いのだ、と僕は再確認した。
 割れたグラスの破片を集めよう、この雪達が積もるのを待とう。
 だって、僕は本当にこの娘のことを好きなんだから。Very Likeじゃない、Loveだ。
 今なら言えるのかも知れない。いつもは言えなかったI Love Youを。
「……大好きだよ…」
 視線を合わせることが出来なかったから、僕は降り行く雪達を見ながらそういった。でも、僕の頬は紅潮
してしまったようだが。──血が、一回の伸縮で体中に行き渡るのが感じられる…。
 彼女は少し顔を俯かせたようだった。そして、おもむろに語り出す。
「……私も…ゆきちゃんのこと大好きだよ…。……でも………」
 僕は、そこまで聴いて溜息を静かに吐いた。──【でも】。僕はその言葉を反芻する。前にしたみたいに、
自虐的に。【でも】。それは否定的な言葉。
 それでも、僕は続きを待った。いや、彼女の言葉を聞かなければならなかった。だって、まだ少しでもそ
の先に希望があるかも知れないから。無いのだとしても、彼女を底から愛してしまっている僕にはその紡ぎ
を聴かないなどと言うことは出来ない。例えそれが、哀れで愚かな子供の情念だとしても。
「…でもね…。今ここで…ゆきちゃんのこと、もっと大好きになっちゃダメだと思うんだ…。…だって……
…そうしたら、まるで……──お兄ちゃんの代わりにゆきちゃんのことを好きになったみたいだもの…。…
…そんなの…ゆきちゃんに…その……、………悪いよ…」
 彼女は、一言一言言葉を区切り、探し、ゆっくりとそう言った。言葉に出来ない想いは、しかし結局言葉
にするしかないのだ。
──でもね…。
 僕は、俯いたままの彼女をちらと見ながら心の中で呟く。でもね、本当は良いんだよ、それでも──と。
 例えきっかけが偽りでも、欺きでも、結果的に愛してくれればそれで良いんだよ。だって、君はみんなか
ら愛されるほどに【良い子】なんだから。それに引け目を感じない人間なんだから。君ならば、それで本当
に人を愛せるんだから────。
 この想いが何処まで届き、叶うのか。
 解らなかったけれど、でも彼女はこくりと頷いた。それが、彼女が彼女に頷いたものなのか、僕の呟きに
対するものなのかは解らないけれど。でも、実を言うとそんなことどうでも良かった。だって、僕にはもう
在るんだ。彼女をこれからまた、少しずつ愛していけると言う自信が。
 僕は、もう一度小さく言った。
「──大好きだよ」
 でも、小さいながらも明瞭と。
 彼女も、こくんと頷く。
 それでも、──自分を試すみたいに──何となく問うてみた。
 僕は、あの夢の中の青年のような決断を迫られたとき、逃げ出さずに決めることが出来るのか? と。僕
はうっすらと小考し、微笑みながら答えた。
──大丈夫、僕は想っていける。例えその結果何かが崩れたとしても、想い続けていられる──
──そうとも──────
──この痛すぎる聖夜の雪のように──────

                   ─ エピローグ ─

「────そこで…目が覚めたんだ…」
 彼女──柏木初音は、昨晩見た夢を全部話し終えると、溜息を吐くようにそう言った。そして、恥ずかし
そうに苦笑して彼──ゆきの方を見る。ゆきは、頷きながら、さっきまで持っていた弁当の箸をおいた。
 冬の、良く晴れたいい天気だ。雲一つない空には、小鳥達のさえずりが聞こえている。その下、試立リー
フ学園の中庭の芝生。幾人かの一年生達が円を作って座り、昼食を取っていた。大体が弁当だが、中には購
買のパンを昼食にしている者もいる。至極──それはもう、まさに快晴の如き──平和な瞬間である。
「何て言うか────」
 ゆきは、おいたばかりの箸を見つめながら言った。が、その後が続かない。良い言葉が見つからなかった。
何故ならば、苦いほどに事実と似ていたからだ。結局、科白は消えて苦笑だけが残る。
 対象となる人物が柏木耕一にはなっているが、ゆきはそれと同じ感情を抱いていた。セツと次郎衛門のそ
れである。故に、多少彼自身耕一に対して複雑な想いを抱いてはいるのだ。それが、自分の想いなのかセツ
の想いなのか解りかねているが。
 ゆきは、それを再確認すると溜息を吐いた。どうしようもない切なさなのだ。
 同時に、その切なさが大きかった所為で彼女にあんな夢を見せたのかもしれない。何と言っても、初音の
見たその夢はゆきの一人称だったのだから。
 ゆきはその夢自体に痛みを感じては居なかったが、話していた初音の胸は吹雪くほどに痛んでいた。しか
し、彼女は気づいていない。その胸の痛みの本当の意味に。彼女がその痛みの真意を知るのは、もう少し後
になりそうである。その頃には、ゆきの心も少しは成長しているのか──。
 ただ、今の瞬間はその夢を冗談にし、冷やかされ、赤面し、そして痛みを忘れればいい。
 本当に大切なときに、全てを知ればいいのだから。何も知らないその時から、痛みに苦しむ必要はないの
だ。
 彼も、徐々に思い出してきた記憶を、少しずつ理解して、強くなればいい。
 ──【私】は、そう結論付けると微笑んだ。
 今を想い、願い、生きる【もう一人の私達】のために。




                 自伝、或いは自嘲的Lメモ

                 ──痛すぎる聖夜の雪──

                     … 了 …




(注:この小説の内容(初音ちゃんが耕一のことを好きだと言う事など)は、この小説の中(言い替えれば
痛すぎる聖夜の雪という限定時空)だけの事実です。一応、夢物語ですし…)